水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

サスペンス・ユーモア短編集-42- 偶然の一致

2016年07月26日 00時00分00秒 | #小説

 物事にはサスペンスタッチで進行していても、必ずしもサスペンスにはならない事件も多く存在する。
 縦走(たてばしり)署では起きた傷害事件の取調べが行われていた。殴(なぐ)ったのは登坂(とさか)で、殴られた相手は登坂の友人の下山(しもやま)である。二人は場末(ばすえ)の屋台でおでんを肴(さかな)に酒を飲んでいた。
「下山さんとは古い友人だそうだが?」
 傷害事件を専門にしている刑事の寝袋(ねぶくろ)は、不思議そうな顔で対峙(たいじ)して椅子に座る登坂を見た。
「はあ、会社に入ったときからの付き合いで、かれこれ30年になります…」
「そんな仲のお前が、なぜ殴ったんだ?」
「殴ったんじゃないんですよ。私と下山は叩(たた)き合いをしていたんですよ」
「叩き合い? どういうことだっ!」
「いや、私も下山もかなり酔ってたんですが、酔いもあって話が妙な方向へ盛り上がり、昔の記憶で間違った方が相手を叩こうじゃないか・・ってことになりましてね」
「ほう! 妙なゲームだな。それで…」
「はい、始めのうちは間違っても遠慮して、どちらも軽めに叩いてたんですがね」
「それで…」
「次第に力が入ってきて殴り合い寸前になり、私が殴りました」
「それで下山さんは意識を失ったんだな。酒の上とはいえ、訴えられれば傷害事件だぞ!」
 寝袋は少し脅(おど)かしぎみに語気を強めた。
「はあ、覚悟はしてます…。それで下山は?」
「まだ意識が戻(もど)らんそうだが、詳しい情報はあとから連絡が入る」
「そうですか…」
 数時間後、病院からの電話連絡が縦走署に入った。
「もう帰っていいですよ。下山さんの意識が戻ったそうです」
「…」
「あなたが叩いたからじゃないそうです。なんでも、持病の癲癇(てんかん)が出たそうです…」
 傷害事件を想起させる偶然の一致だった。寝袋の態度は一変し、客扱いになっていた。

                  完


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