水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

サスペンス・ユーモア短編集-45- 恨(うら)み

2016年07月29日 00時00分00秒 | #小説

 抜毛(ぬけげ)は今日も張り込んでいた。ただ若い頃に起きた事件だけに、すでに時効となっている一件だった。あれから40年・・すでに抜毛の定年は来年に近づいていた。それでも抜毛は追っていた。必ず犯人は尻尾(しっぽ)を出すと確信しての張り込みである。
 話は事件が起きた40年前に遡(さかのぼ)る。当時、抜毛は新米(しんまい)刑事として、先輩刑事達のチョイ役で、こき使われていた。食料調達役、連絡係、雑用・・と、およそ刑事とは関係がない仕事ばかりだった。それでも、そのうち俺も刑事らしい仕事が出来るはずだ…と信じ、抜毛は頑張った。
 その日もすっかり雑用で疲れ、ようやく仕事から開放されて家路についていた。抜毛はそのとき、腹が限りなく減っていることに気づいた。仕事中は失敗をしまい! と緊張していて、腹が減っていることに気づかなかったのだ。それもそのはずで、よく考えれば頼まれた雑用に忙殺され、昼を食べていなかったのだ。抜毛は通勤路にある一軒の定食屋へ入った。店はかなり混んでいた。
「相席(あいせき)でよろしいですか?」
 店の女店員が訊(たず)ねた。相席以外、誰も座っていない席は見渡したところなかった。
「ああ…。焼肉定食」
「はい! じゃあ、こちらへ、どうぞ…」
 指定された席へ仕方なく抜毛は座った。対峙(たいじ)して座っていた男は、すでに丼(どんぶり)鉢を二つ空(から)にし、三つ目のカツ丼を食べていた。
「お近くの方ですかっ?」
 男は親しげに抜毛に語りかけた。
「えっ? ああ、まあ…」
 抜毛はそう返す以外になかった。男は浮浪者風で薄汚れていた。変な男だな…とは新米刑事の抜毛でも分かったが、別に悪いことをした訳でもないから仕方なく話を合わせる他なかった。
「そうなんですか? ははは…私もすぐ近くで」
「ああ、そうですか…」
「それじゃ!」
 男は食べ終えると抜毛に一礼しながら席を立ち、出口の勘定場へ向かった。そして、勘定場の女店員と二言(ふたこと)三言(みこと)話すと、素早く出て行った。その後、抜毛は焼肉定食を食べ終え、勘定場へ向かった。
「いくら?」
「2,000円になります…」
「えっ? 550円でしょ?」
「連れのお客さんの分が1,450円ですから…」
 抜毛は、しまった! やられた…と思った。知能犯的食い逃げだった。
 その日以降、抜毛は来る日も来るも定食屋を見張っている。だが、その男は40年経った今も、現れていない。
「今日も、いない…」
 食いものの恨(うら)みは恐ろしいのである。

                  完


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