水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

逆転ユーモア短編集-96- のべつくまなし

2018年01月31日 00時00分00秒 | #小説

 のべつくまなしとは、絶え間なく続く・・という意味で使われているが、元々(もともと)は芝居で幕を引かず、休みなく演じ続ける、[幕なし]から派生した言い回しだ。ただ、のべつくまなしだからといって、効果が上がる・・というものでもない。逆転して、五月蝿(うるさ)く思われたり、手元が疎(おろそ)かになり失敗することも多々あるのだ。『口を動かしてないで、手を動かせっ!』と怒られるケースがそれだ。
「ははは…いや~まいりましたよ。脱線転覆(だっせんてんぷく)でしょ。私は次のでよかったんですが、お蔭(かげ)で旅行の予定は大幅(おおはば)に遅(おく)れましてね」
「ええ、それで?」
「ところが、旅ってゆうのは何がどうなるか分からんものです。今思えば、それが返ってよかったんですからな、ははは…」
 久しぶりの旅から帰った針山(はりやま)は、すでに4時間以上、話し続けていた。聞き手になっているのは、お隣(となり)に住むご近所仲間の着物(きもの)だ。針山の語り口調は、のべつくまなしだったが、馴(な)れているのか、着物の合いの手の入れ方も、のべつくまなしに合わせたようで上手(うま)かった。
「と、言われますと?」
「じゃあ、仕方ないから別のルートで鹿馬(しかま)温泉に向かったんですが、これがどうして、なかなかのいい温泉でしてね」
「ほう!」
「景色はいいわ、料理は美味(うま)いわ、湯はいいわ、女将(おかみ)、仲居は美人だわ・・」
「よかったですなっ!」
「ええ、よかった、よかった! よかったのなんのって!」
「ふん! ちっとも、よかないよっ!」
 店からコーヒー一杯でいつまでも出そうにない、のべつくまなしの二人に、喫茶店の店主は、レジ台から思わず小声で愚痴った。
 のべつくまなし・・は、周(まわ)りの環境を確認する必要があるのだ。

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆転ユーモア短編集-95- どうでもいい

2018年01月30日 00時00分00秒 | #小説

 必ず、そうしなければ…と思えば思うほど、物事は順調に運ばないものだ。逆転して、どうでもいいと思いながら、出来ないとは思うが、まあ一応やっておこうか…などといった軽い気分でやると、割合と早く終わるものだ。
「川柳(かわやなぎ)さん! どうでもいいんですが、早く済めばこの計算、やっておいてもらえませんかね? いやっ! 無理に、とは言ってませんよ。どうでもいいんですから…」
 課長の舟綱(ふなづな)は古参(こさん)で万年平(まんねんひら)社員の川柳に遠慮(えんりょ)気味(ぎみ)にそう言った。同期入社だったこともある。
「はあ、出来ましたら、そうさせてもらいます」
「なにぶん、よろしくっ!」
 川柳は舟綱が言った『なにぶん、よろしくっ!』という言葉が妙に気になった。どうでもいいと言いながら、なにぶん、よろしく・・と加えるのは変だ。なにぶんという言い方は、すでにやってもらうことを見越した言葉だからだ。どうでもいい訳ではないっ! と遠回しに言っているのも同然だった。
「はい…」
 川柳が腕を見ると、すでに7時近くになっていた。残業は、ことのほか長びき、舟綱が言った計算は、とうとう出来ず、次の日となった。
「どうでもいいあの計算、やってくれました?」
「いや! 残業分は出来ましたが、どうでもいいあの計算は時間足らずで出来ませんでした、どうもすみません」
「ははは…どうでもいいんですから。…どうでもよかないんですよっ!」
 舟綱は切れた。その切れた意味が分からず、川柳は訝(いぶか)しげに舟綱を見た。
 どうでもいい…と言われれば、どうでもよくないんだ…と逆転して考えた方がよさそうである。

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆転ユーモア短編集-94- 灯(あか)り

2018年01月29日 00時00分00秒 | #小説

 時代劇を思わせるように古式(こしき)ゆかしく、灯明(とうみょう)に灯(あか)りが揺(ゆ)らめいて灯(とも)っている。注視して灯りが灯った状態を観察すれば、灯るまでに幾つかの物品が必要なことが分かる。まず、油を注ぎ入れる磁器製の油皿(あぶらざら)、油が染(し)みて火となり灯りとなる。また、イグサの髄(ずい)から作られる灯心(とうしん)が必要である。他にも幾つかあるのだが、こうした細々(こまごま)な物品がすべて整わないと、灯りとして明るくならない訳だ。要は、灯明家のメンバーといったところだ。これは灯りに限らず、すべての物や事象に当てはめることが出来る。逆転して考えれば、その中の一つが機能しなくなっただけで全体がアウトになるのだから怖(こわ)い。
 とある会社の部長室である。
「君の課はいつ頃、提出できるの?」
「はい、明日(あす)には間違いなく出揃(でそろ)うと…」
 部長の太丸(たまる)に訊(たず)ねられた鋸切(のこぎり)は、他の課に負けてはならない…と、課長として大見栄(おおみえ)を切った。
「ほおっ! そりゃ早いじゃないかっ! よろしく頼むよ」
「はいっ!」
 鋸切は鼻高々に部長室を出た。出た途端、ひとつ気がかりなことが頭に浮かんだ。選抜(せんばつ)したプロジェクト・チームのメンバーの一人(ひとり)、枝木(えだぎ)が今一つ頼(たよ)りなかったからだ。枝木は仕事こそ遅(おそ)かったが、時折り素晴らしいアイデアを出し、課の営業成績に貢献したからチームのメンバーに入れたのだが、普段は鳴かず飛ばずだったから、果たして分担分をキッチリやってくるか? が心配だった。
 そして、次の日が瞬(またた)く間(ま)に巡った。
「枝木はどうした?!」
「今日はお休みになられるそうです…」
「なんだって!! 他のメンバー分は出揃ったというのに、あいつの分だけないっ! これじゃ、部長のところへ持っていけないじゃないかっ!!」
「私に言われましても…」
 係長の金槌(かなづち)は鋸切に弱く返した。
「あいつは灯らんヤツだっ!」
 鋸切は切れぎみに愚痴(ぐち)った。
「はあ?」
 金槌は意味が分からず、訝(いぶか)しげに鋸切を見た。
「いや、なんでもない…」
 そして、ついに退社時間が近づいた。
「今日じゃなかったのかねっ!」
 太丸から呼び出された鋸切の姿が部長室にあった。
「はあ…そのつもりだったのですが…」
「ははは…つもりじゃなぁ~」
 この言葉の裏には、『君の次長の推挙(すいきょ)は諦(あきら)めてくれたまえ…』の意味が含まれていた。鋸切の頭の中は火が灯らず、真っ暗になった。
「課長、速達書留が届(とど)きましたっ!! 枝木さんの持ち分ですっ!!」
 金槌が書類を手にし、部長室へ叫びながら飛び込んできた。逆転である。
「そうかっ!」
 鋸切の頭に灯りが灯った。

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆転ユーモア短編集-93- 嘆(なげ)き

2018年01月28日 00時00分00秒 | #小説

 物事をやって失敗すれば、当然、人は嘆(なげ)きを漏(も)らすことになる。ああっ! と大声を出す人もあれば、しまった! と無言で顔を歪(ゆが)める人もあり、その態度には個人差がある。ただ一つ言えることは、嘆きを漏らす前に逆転して失敗しないよう注意できないのか? ということだ。注意して慎重(しんちょう)にコトを進めたり、努力してやったりすれば、必然的に失敗もなくなるから、その結果、嘆きを漏らさなくてもよくなる・・という三段論法が成立する訳である。
 ここは、とある神宮の境内(けいだい)である。どうしても飛べない…と放(はな)し飼(が)いにされた一匹のニワトリが、今日も餌(えさ)を突(つつ)きながら悲嘆(ひたん)に咽(むせ)んでいた。そこへ偶然、木の枝へ舞い下りたのがノバトである。
『ニワトリさん、何をそんなにコツコツ、悩(なや)んでいるんだい?』
『これはこれは、ノバトさん。どうしても飛べなくてねぇ~』
『ははは…そんな、つまらない嘆きでしたか。簡単なことです。では、私が飛法(ひほう)を伝授(でんじゅ)いたしましょう』
『そんなのが、ありますか?』
『ええ、ありますとも。簡単なことです。野生になりなさい』
『野生ですか? これでも、十分に野生だとおもっているんですが…』
『甘いっ!!』
『甘いですか?』
『ええ、甘いっ! 心がけが甘いっ! 努力が足りないっ!』
『甘くて足りないですかっ?』
『ええ、甘くて足りないっ! …一つ、いいヒントを教えて差し上げましょう。ほら、そこにある木の梢(こずえ)から飛び降りる練習をしなさい』
『飛び降りる練習を、ですか?』
『ええ、そうです。飛び降りる練習を、です。その枝よりもう少し高い梢からという風に…』
『それで、飛べるようになると?』
『はい、必ず…。あなたは下から上へ飛ぼうとしている。だから、飛べないのです。逆転して上から下へ下りようとすれば飛べるんですよ。下りることが飛ぶということです。自然と羽ばたきますからね。飛距離も少しずつ伸びます』
『なるほどっ!!』
 それ以降、そのとある神宮のニワトリは修業を重ねた結果、飛べるようになったそうだ。もちろん、人の場合は無謀(むぼう)で、激突死するのが関の山だろうが、努力すれば人として飛躍(ひやく)できることは疑(うたが)う余地がない。

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆転ユーモア短編集-92- 子泣き唄

2018年01月27日 00時00分00秒 | #小説

 よくよく考えれば、子守唄は赤ん坊や子供にとっていい迷惑なのかも知れない。これは穿(うが)った見方だが、逆転してそうとも言えない可能性もあるのだ。というのも、大よそ赤ん坊や子供は唄など聴(き)かない方が寝やすい場合もある・・と考えられるからである。
『♪~どうたらぁ~こうたらぁ~なんとかぁ~かんとかぁ~♪』と、唄い手の父親は、いい気分なのだろうが、『やかましぃ~~!』と、赤ん坊や子供は思っている可能性も否定できない訳である。
「おお、よしよしっ! 眠ったなっ…」
 妻に逃げられた父親は久しぶりの名調子を浪曲調のダミ声(ごえ)でガナった。しばらくすると、赤ん坊は瞼(まぶた)を閉じて眠った。いや、両眼を閉じ、眠った振りをした。そうでもしないと、やかましくて眠れない…と、感じたからである。要は、最悪の状況だと思ったのだ。そうとも知らない父親は馴(な)れもしない子守唄を、どれどれ、もう一節(ひとふし)! …と、ふたたびダミ声でガナり始めたのである。赤ん坊としては堪(たま)ったものではない。こりゃ、ダメだっ! とばかり、身の危険を察知(さっち)したように号泣(ごうきゅう)し始めた。
「オ、オ、オギャァ~~~!!!」
 父親はそのとき初めて、しまった! と気づいたのだがもう遅(おそ)い。赤ん坊としても泣き始めた以上、意地がある。そう簡単に泣き止(や)む訳にはいかなくなったから泣き続けた。父親は、これは偉(えら)いことになったぞ…というところだ。
 その後、どうなったのか? という事後話は読者の方々の想像にお任(まか)せしたいが、子守唄は逆転して子泣き唄となることに心して戴(いただ)きたいとは思う。

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆転ユーモア短編集-91- 地力(じりき)

2018年01月26日 00時00分00秒 | #小説

 地力(じりき)とは土地が農作物を育てる生産力という意味だが、相撲界では力士が持っている本来の力・・となるらしい。
 新月(しんげつ)は、夕方前、畑の除草作業をしていた。すると、ポッコリと掘られて土が盛り上がった部分が目についた。
『また、モグラか…』
 新月は除草しながら、ボソッと独(ひと)りごちた。二年ほど前から、畑のところどころが盛り上がり、モグラの活躍した痕跡(こんせき)が見られていた。除草を終えて家の中へ入った新月はテレビのリモコンを押した。画面は始まった大相撲の中継をやっていた。
『ええ、黄金華(こがねはな)は、かなり地力ができてきましたねぇ~』
『どうでしょう? 来場所の大関は?』
『私からは何ともいえませんが、優勝には絡(から)んで欲しいですよね』
『ああ、なるほど…』
 担当アナウンサーは、解説者にあっさり納得して頷(うなず)いた。画面を何げなく見ていた新月も、なるほど、地力か…と頷いた。新月の頭の中では畑にいた黄金虫が浮かんでいた。そして、ニタリ! と思わず笑った。
『関取は、すごい地力だからなぁ~!』
 新月が思った関取とはモグラである。新月の頭の中ではモグラ華という関取が地力がついて活躍していた。新月としては逆転した発想で、余り活躍はして欲しくなかった。

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆転ユーモア短編集-90- その時(とき)

2018年01月25日 00時00分00秒 | #小説

 日々、何げなく過ごしていると、その時(とき)という瞬間を意識しなくなっている。というよりは、知らない間(あいだ)に無駄にしてしまっているのが日常の私達の生活といえる。ところが、よくよく考えてみれば、その時という瞬間にこそコトの成否(せいひ)が隠されている・・と、逆転して考えられるのだ。例(たと)えば、老ノ坂にさしかかった戦国武将、明智光秀が、『敵は本能寺にありっ!』と言ったかどうかまでは直接聞いていないから分からないが、その時、決断したことは史実に残る事実である。
 とある野外公園のトイレの前にはイベント開催の関係からか、長蛇(ちょうだ)の列(れつ)が出来ていた。
「まだ? でしょうね…」
 列の最後尾(さいこうび)に並ぶ男が、それとなくその前に並ぶ男に声をかけた。
「ええ、当分はっ! どうも進んでないようですから…」
 その時、前の男は突然の声にギクッ! としたが、振り向いて咳払(せきばら)いを一つした。そして、襟(えり)を正(ただ)してそう言うと、また前を向いた。
「弱りましたな。出そうなんです…」
 最後尾の男は、言うでなく呟(つぶや)いた。その声が聞こえれば無碍(むげ)にも出来ない。前の男は、また振り向いた。
「漏(も)れる方ですか?」
「ははは…そちらじゃないんです」
 その時の笑いが、最後尾に並ぶ男の明暗(めいあん)を分けた。前の男は、その笑いに、『余裕あるじゃねぇ~かっ!』とカツンッ! と頭にきたのである。
「そうですか、お気の毒に…」
 前の男は内心で『馬っ鹿! 漏らせ漏らせっ!』と笑いながら、外面(そとづら)は同情っぽく言った。
 その時という瞬間は、どうしてどうして、なかなかの曲者(くせもの)で、侮(あなど)れないのである。

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆転ユーモア短編集-89- 雑食性

2018年01月24日 00時00分00秒 | #小説

 人ほど雑食性の動物はいない。えっ! こんなものまでっ!?  というものまで食べてしまう。ある意味、人は他の動物以上に下世話(げせわ)な生き物なのかも知れない。他の動物は必要な食物(しょくもつ)は本能に従い残虐(ざんぎゃく)なまでに獲(と)って食べるが、その種類は限られている。そこへいくと人は雑食性で、珍味だっ! とかなんとか屁理屈(へりくつ)を捏(こ)ねて何でも食らうのである。
 とある飲み屋のカウンターで会社帰りのA、B二人の客が話しながら飲み食いをしている。AはBの上司だ。
「えっ! アレ、食べますかっ?」
「食べるよっ、もちろん! 美味(うま)いよっ、どうだい、一度?」
「有難うございます。機会がございましたら是非、一度…」
 Bは早や逃げをした。これが、いけなかった。
「そうかい! じゃあ、これからどうかね? ちょうど、いいのが入ったって聞くし、ここから近いからさぁ~」
「はあ…」
 Bはあっさりと土俵を割っていた。なにを隠そう、アレとはカラスのステーキで、雑食性のAが誘ったのはカラス料理専門店だった。すでにAはカウンターを立っていた。
「あっ! これから約束がありましたっ! 次の機会ということで…」
「そうかい? それじゃ…」
 Bは雑食性のAから、かろうじて食われずに(のが)逃れられた。
 ほうほうの態(てい)で家へ逃げ帰ったBは、ホッ! と一息(ひといき)つき、冷蔵庫へ向かった。
「疲れたときは、コレがいいんだよな、コレがっ!」
 Bが冷蔵庫から取り出したもの、それはスズメ蜂(ばち)の蜂蜜煮だった。
 雑食性とは、ものすごく野蛮(やばん)なのである。

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆転ユーモア短編集-88- 安(やす)らぎ

2018年01月23日 00時00分00秒 | #小説

 強い国と住みよい国は違う。わが国は第二次世界大戦で多くの尊い犠牲(ぎせい)を出し、敗北した結果、修羅から解き放たれ、有史以来の、安(やす)らぎを得た。敗北したことは、逆転して勝利したことに他ならない。
 ご近所同士の二人が話し合っている。
「ははは…よかった、よかった! あんた、あの弁当、買わなくてよかったよっ!」
「ええっ! そりゃないよぉ~。お宅(たく)は買えて美味(おい)しく食べたんでしょうけどっ!」
「いや、それがさぁ~。並んだまではいいけど、今、一歩のところで売り切れて終わりっ!」
「そうでしたか。用事で買えず、よかったんだ。ははは…」
「ははは…じゃないよ。まあ、それでも、いい方(ほう)なんだけどね」 
「いい方って?」
「実は、3日後に知ったんだけどさ。買った人、軒(のき)並み食中毒!!」
「ええ~~っ!!」
「買えなかったから、ひと安心! っていうのも妙なんだけどね…」
「すると、私が一番、ラッキーってことになりますよね」
「そうそう。あんたが、やすらぎでは一番っ!」
「やすらぎ・・ですか」
「ええ、そうですよ。やすらぎ! 寒い中、並ばずで、食べなかったから食中毒にもならずっ!」
「はあ、まあ…。食べたかったんですけどねぇ~」
「ある意味、あんたはノロウィロスに勝ったんだから大したもんだっ!」
「ははは…そうですかねぇ~」
 用事で買えなかった男はそう言われ、したり顔をした。
 やすらぎとは、かくも単純明快(たんじゅんめいかい)な気分なのだ。

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆転ユーモア短編集-87- 一歩(いっぽ)ずつ

2018年01月22日 00時00分00秒 | #小説

 このスピード時代に、のんびり歩いていれば、世の中にものすごく取り残されたような錯覚(さっかく)に陥(おちい)る。それだけ世の中の動きが加速しているからだが、実はそうでもないのだ。━ 急がば回れ ━ とは、よく言ったもので、その格言は理に適(かな)っているのである。
 とある学会の会場控え室である。来賓(らいひん)に予定されている皺川(しわかわ)教授の姿が見えず、関係者は表へ出たり中へ入ったりと、教授の到着にヤキモキしていた。講演予定まで残された時間は、おおよそ1時間だった。事態は緊迫(きんぱく)の度を増していた。
「皺川さんは、まだお着きになられませんか?」
 黒鼻(くろばな)教授が焦(あせ)りの声を上げた。
「はい。先ほどの携帯のメールでは、どうも道路が渋滞(じゅうたい)しているそうです」
 皺川教授の後輩である顎田(あごた)準教授が返した。
「弱りましたなぁ~。それにしても、皺川先生ともあろうものが渋滞を事前に予測できなかったんですかねぇ~!」
「はあ…。助手の腹下(はらした)さんは早かったですよね」
 顎田準教授は、会場に早くから到着し、のんびりと焼き芋を食べながら茶を啜(すす)る腹下助手に話を振った。
「ああ、僕は3時起きで歩いてきましたから…」
「あ、歩いてっ!!」
「ええ、歩いて1歩ずつです。僕は重要な会合の場合は、いつも間に合うよう、そうしてるんです…」
 腹下助手は、さも当然のように言うと、熱い茶をまたフゥ~フゥ~しながら啜った。すでに焼き芋は3個、完食している。
「急がば回れ・・ですか?」
「ははは…そんな訳でもないんですがね。ただ、きっちり! したい性分(しょうぶん)でして…」
「いや、いい心がけです。ははは…」
 ヤキモキした顔の黒鼻教授は仕方なく笑った。 
「黒鼻先生! 今、皺川教授からメールがっ! 間に合いそうにないから、腹下さんに代わりを頼んでくれとっ!」
 腹下は晴れて初めての講演の舞台へ立てることになったのである。
 1歩ずつは遅(おそ)いようだが、逆転してコトを成就(じょうじゅ)させるのだ。

                                 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする