水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第六十六回)

2010年08月31日 00時00分00秒 | #小説
   あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第六十六回
 その日は賑やかな課内の動きはあったが、それ以上の混乱する異変も起こらず、一日が終わった。私としても、異変がそう連日、続くとは思っていないし期待もしていない。というか、むしろそう度々(たびたび)異変が起こって貰(もら)っても私が困惑するのである。理由は至極簡単で、安定した生活が望めないし、それ以上に、起こっていない事に対する漠然とした不安を抱くのは嫌だからだ。早い話、ドキドキビクビクの日々を過ごすのは困るということになる。もちろん、それが沼澤氏が告げた大幸運だったとしても、である。
 そんなこんなで十日ばかりが過ぎ、第二課の混乱も終息する様相を見せ始めていた。要は、電話対応の本数が次第に減ってきた…、もう少し分かりやすく云えば、爆発的な受注契約が先細りし始めたということである。事が生じる前の閑静な課内ではないにしろ、ようやく課員達は落ち着きを取り戻しかけたのだった。一過性の右肩上がりか…と、私は机上の契約件数を示すグラフ書類を眺めた。前の席に座る児島君が作成したものだった。件数は減少が著しかったが、契約額はすでに昨年の我が社の契約額を優に超えているのだから、鳥殻(とりがら)部長に叱責される心配は全くなかった。

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残月剣 -秘抄- 《残月剣②》第十回

2010年08月31日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《残月剣②》第十
急に稽古場から消えた左馬介が、そんなことを考えつつ村雨丸を手に稽古していようとは、鴨下や長谷川が知る由もない。
 夕餉の膳を囲んだ時、何気なくその話題を長谷川が口にした。
「突如、いなくなったから、何事かと思ったぞ、左馬介」
「ああ…そうでしたか。どうも、すみません。ご心配をお掛けしたようです」
「いや、まあな。そう大したことじゃないんだが…。いつもは無いことだから気になった迄よ、なあ鴨葱!」
 鴨下と呼ばず鴨葱と長谷川が呼んだ時は、眼に見えない威圧感が長谷川から鴨下へ飛ぶ瞬間なのである。鴨下もそれは分かっているから、長谷川に追従して決して逆らわない。勿論、鴨下が長谷川に異論を挟むことは滅多となかったのだが…。
「このようなことは云う迄もないことなのですが、竹刀での形(かた)は実際に刃(やいば)を交えた時に、そぐわないように思えたものですから…」
「なるほど! それもそうじゃ。だから本身で稽古をしておったと?」
「そうです…」
「お前が話す筋は合点がいくぞ」
 長谷川の言葉に、鴨下も頷いた。


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第六十五回)

2010年08月30日 00時00分00秒 | #小説
   あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第六十五回
「おお…、もうこんな時間か。つい、ウトウトしてしまった。いや、すまんすまん…」
「私はいいんですが、課員に示しがつきませんので…」
「いや、君の云う通りだ。申し訳ない」
「今朝は早く出勤されたんですか?」
「ん? まあな…。いや、そんな早くはないんだけどね」
 私は一端は肯定し、すぐさま否定していた。別に早く出勤することは悪いことではないのだが、深層心理として禿山(はげやま)さんと語らう光景が鮮烈に残っていたものと思われる。結局、瞬間的にその場面を児島君に知られることから回避した、と自己分析した。犯罪の取り調べにも用いられる微妙な人間心理の弱点である。
「余り眠っておられないのでは?」
「なに云ってる。昨日は疲れて早く眠ったさ」
 今朝も外部からの電話応対で課内は多忙を極めていた。一昨日(おととい)までの第二課なら、間違いなく課員達の注目の眼に晒(さら)されていたのだろうが、昨日(きのう)から全員が私のことなど眼中になく、電話応対、契約書類などの事務に明け暮れていた。この繁忙の要因は、まだ断言出来ないまでも、沼澤氏の玉の霊力と見られ、その確信は次第に私の中で高まっていた。
「そうですか…。なら、ご注意して下さい。今、コーヒーを持って来させますので…」
「なんだ? 偉くサービスがいいじゃないか」
 その言葉が終るか終らないうちに今年、配属された新入女子社員の森崎君がホットコーヒーを盆に乗せて持ってきた。
「ああ、ありがとう…」
 罰悪く、私は小声で礼を云っていた。それにしても程々は眠った筈(はず)だから、なぜ意識が遠退いたのか、が分からなかった。

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残月剣 -秘抄- 《残月剣②》第九回

2010年08月30日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《残月剣②》第九
 道場の裏手を流れる川縁(べり)には、もう薄(すすき)の白い花穂が風に吹かれて戦(そよ)いでいた。左馬介は小部屋に隠した錦袋に入った村雨丸を取り出すと、それを手にして川縁へと早足で出た。川の対岸は鬱蒼と繁る一面の竹林で、人の気配などは全くしない。左馬介は、袋から徐(おもむろ)に村雨丸を取り出すと腰に差し、静かに鞘(さや)から本身を引き抜いた。そうなのだ。左馬介が急に稽古場を出たのは、真剣で形(かた)を描こうと思ったからである。その真意は、竹刀では軽過ぎ、実戦には、そぐわない…と思えたからだった。流石、真剣は竹刀の比ではない重さがある。形(かた)はどちらも同じように描けるが、手にする重みの感覚が異なり、思うように滑らかな形が描けないのだ。そればかりか、迅速な捌(さば)きも熟(こな)せなかった。ずっしりとした重みを手指に感じつつ、左馬介は中段に構える。やはり本身は竹刀の比ではない。最初から本身で形をすべきだったのだ…と、左馬介は省みた。ぎこちないものの、それでも上段から崩し上段、崩し上段から袈裟掛けへと斬り下ろし、一通りの形を描ききった。自ら予想出来たことだが、必然として竹刀のような素早い捌きは出来なかった。さもあろう…と、その辺りは左馬介にも得心がいく。これ以降は本身で稽古をせねば、と左馬介は思った。


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第六十四回)

2010年08月29日 00時00分00秒 | #小説
   あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第六十四回
 課へ向かう通路で腕を見ると、この前より二十分ばかり早かった。昨日(きのう)から繁忙になった我が第二課のことが脳裡を過(よぎ)り、知らず知らずに腰を軽くしたと考えられる。監視室で禿山(はげやま)さんと話をしているところを他の社員に見られるのを無意識で避けた感は否(いな)めない。監視室に入って話すこと自体は警備員の了解があれば何ら問題はなかった。ただ、社員が出社してきた時に、社でそれなりの地位を頂戴している私が室内に座って警備員と語らっている光景…というのも如何なものか、と思えたのである。
 課の中はガラーンとした薄暗さで、室内灯をオンにすれば一斉(いっせい)にLEDの銀灯が光を放出するのだが、早朝のせいなのか、もう少しこのままでいたかった。私は自分の机(デスク)に近づき、椅子に腰を下ろした。そして、両眼を静かに閉じた。すると、不思議なことに、スゥーっと意識が急激に遠退き、私は眠ってしまっていた。
「課長! …課長!」
「… …」
 肩を揺り動かして小声で私を起こしたのは、係長の児島君だった。私は徐(おもむろ)に右斜め前方の壁に掛けられた課の時計を眺めていた。すでに八時半ばを少し回っている。当然、課員は、ほとんど出勤していた。

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残月剣 -秘抄- 《残月剣②》第八回

2010年08月29日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《残月剣②》第八
 昼からの形(かた)稽古を長谷川と鴨下がやっている。左馬介もいるが、部外者的に稽古の員数には含んでいない長谷川である。だから、自らが左馬介の代わりに鴨下と組になっているのだ。今迄の道場稽古ならば、師範代が稽古に加わること自体、まずなかったが、それが三人の今となっては、そうならざるを得なかった。
 稽古場は二十畳は優にある広さだから、長谷川と鴨下、そして左馬介は、各々、かなり離れた位置で互いの稽古をしていた。無論、それは、どちらから云い出したことでもなかった。更に、双方の稽古は
互いに干渉しない暗黙の申し合わせがあるかのように続いていた。長谷川に対して鴨下は形を示す。それも出来得るだけ左馬介の邪魔にならないように声を押し殺してである。左馬介の方は既に集中出来ているから、辺りの声や音などは全くきにしていないし、また気にもならないだけの修行は積んでいるのである。鴨下や長谷川は、左馬介がそこ迄、上達しているとは知らないから、いらぬ気遣いをしているのだった。左馬介はそんなことは委細構わず、残月剣の形稽古を繰り返し、暫し佇んではまた繰り返した。そして十数度、繰り返した時、左馬介は何を思ったのか、急に竹刀を刀掛けに掛けると、稽古場を早足で出ていった。長谷川と鴨下は気も漫ろだったから稽古を止め、左馬介が歩いていく姿を茫然と見送った。


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第六十三回)

2010年08月28日 00時00分00秒 | #小説
   あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第六十三回
「目に見えんことですからなあ。…いや、私が塩山さんの話を聞いたところで、どうこうは出来んのですが…」
「いいええ、禿山(はげやま)さんに話を聞いて戴くと、私も楽になります。なんか、同じことを知ってる人間がもう一人いるというだけでね」
「そうですか? 聞くぐらいのことでしたら容易(たやす)いことです。それで楽になるなら、いつでも云って下すって結構です」
「それじゃ、続きは孰(いず)れまた、ということで…」
 そう云うと、私は椅子を立った。ここから、入室の時と同じ構図が展開した。即ち、①私が椅子から立つのを追って禿山さんが立ち、②私より先にドアへ近づくと鍵を開けてロックを解除し、③更には、ドアを開けて私を送り出す、という①~③の構図である。そういや、入りも出も①~③の構図があることに、ふと私は気づかされた。この構図は、どうも同じ繰り返しで続いているような気が私はした。決まりきったワンパターンを繰り出すのが禿山さんの癖だとすれば、それは彼の人となりを示す縮図なんだろう…と私は小難(こむずか)しく思った。
「楽しみにしとります…」
 私が監視室を出た後、通路まで送り出してくれた禿山さんは、歩き去る私の背へ、決まり文句を柔らかく投げた。

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残月剣 -秘抄- 《残月剣②》第七回

2010年08月28日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《残月剣②》第七
残月剣に係る事情は薄々、二人とも知っているから、何も云わなかった
 昼餉の握り飯を食べ終えて、残った沢庵で茶を啜る。その、なんと美味いことよ…と、左馬介だけではなく長谷川や鴨下も、そう思うのである。多人数の賄いの時分は週一ぐらいで、残りの日は白湯(さゆ)で我慢していたから、この三人になった今は非常に有難く思えた。客人は塚田、長沼、それに山上の三人と影番の樋口を含み四人だから、月に四朱、即ち一分の銭が師範代の長谷川の懐に入る。だから、茶代には事欠かず、時に触れ、鰻政の特上も頂戴出来るという寸法だった。しかしその反面、あの美味かった茶粥が食えなくなってしまったのだ。よいことがあれば、その反面、悪いことも当然、起こるのである。特に鴨下には、その辺りが徹(こた)えた。鰻重があるから文句はなかろうと左馬介は思うのだが、鴨下に云わせれば、どちらも食いたいということらしい。左馬介はそれを直接、聞くにつけ、鴨下の食い意地の凄さに改めて驚かされる思いがした。時折り、長谷川はそうした鴨下の卑しさを窘(たしな)めるのだが、いっこうに治りそうになかった。これだけは生まれ持ったものだから仕方がない…と、今では、すっかり諦めている長谷川であった。


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第六十二回)

2010年08月27日 00時00分00秒 | #小説
   あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第六十二回
「ということは、今日もお忙しいので?」
「はい、ここ当分は続くことになると思います」
「あのう…それってのは、塩山さんにとって幸運なんですかな?」
 唐突に禿山(はげやま)さんは私の幸運を否定した。
「だって、そうじゃないですか。そりゃ、塩山さんのお立場もよくなり、社内での聞こえもいいんでしょうが…。結果として、塩山さんは多忙で、クタクタですわな?」
「ええ、それはまあ…」
「クタクタにお疲れの割には幸運ってのが、余りに小ぶりに思えるんですがなあ…」
「小ぶり、ですか?」
「漠然とした幸運、早い話、あっても無くてもいいような、ちょいとした幸運ですが、こんなのは、幸運とまでは呼べんと思うんですがなあ。お忙しいのは幸運で?」
「それは云われる通りなのでしょうが、この先も続くことですから…。何が起こるかは私にも分かりませんが、少し期待はしているのですよ」
 私は禿山さんに敢(あ)えて反論はしなかった。それは、彼が云うことにも一応の理があったからである。
「異変が起こっておるのは、現在も進行中、ってことですかな?」
「はい、そういうことになると思います、恐らくは…」

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残月剣 -秘抄- 《残月剣②》第六回

2010年08月27日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《残月剣②》第六
身体中に汗をびっしょりと掻いていることにも、この時点で初めて気づく左馬介であった。このままでは風邪をひくな… と思えた左馬介は、ひとまず稽古を終えることにした。昼が、もう近い。腹の具合も、どういう訳か今日は滅法、空いている。それだけ身体を動かした、ということか…と、左馬介は思った。堂所では既に長谷川や鴨下が握り飯を手に摑んで頬張っていた。
「黙っていて悪いが、先に食っておるぞ」
 長谷川は勢いよく食べながら、そう云った。
「あっ、どうぞどうぞ、お構いなく…」
 鴨下は無言で左馬介へ軽く会釈だけした。手は汗を井戸で拭った折りに洗っているから、汚くはない。左馬介は大皿に盛られた握り飯の一つを手にして頬張った。腹が空いているから美味い。昨日よりは少し多めに数があるようだ。
「少し多いんじゃないですか? 昨日より」
「はい。今日は少し多めに作りましたから…」
 鴨下は訳まで云わず、ただそう答えた。残月剣の形(かた)稽古を始めた頃より、左馬介は賄い番を手伝ってはいない。離れたのは三人になってからだが、それでも鴨下が多忙な時は、折に触れ、手助けをしていた左馬介である。


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