水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

連載小説 靫蔓(うつぼかずら) (第六十六回)

2012年06月30日 00時00分00秒 | #小説

  靫蔓(うつぼかずら)       水本爽涼                                     
 
   第六十六回 
「まあ、ボチボチ聞かしてもらおうかいなあ…」
 直助が食べ終えて茶を啜っているところへ八田が現れた。タイミング的には間合いを計って的確である。直助とふたたび対峙して椅子へ腰を下ろすと、先程とまったく同じ姿勢で直助の様子を窺った。ある種、刑事の取り調べの感がしなくもない。
「え~と、どこまで話したんかいな?」
「んっ? ワシも忘れてもたがな」
 二人はニンマリとしたが、話の糸口が分からない。
「まあ、ええわ。とにかく、今晩も危ないんやわ。繁さんとこで泊めてもらいたいぐらいで…」
「えぇ~、そない深刻なんかいな。強(あなが)ち冗談、言うてるとも思えんにゃけど…」
「そやねん。今晩も音がして枕元に立たれたら、もう家に住めんがな」
「順序立てて、もういっぺん言(ゆ)うてえな。さいぜんは悪いけど、ええ加減に聞いとったで…」
 直助は事の顛末(てんまつ)の一部始終を詳しく語った。話が進むにつれ、八田の表情に険しさが増していった。店の壁掛け時計が七時を指していた。


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連載小説 靫蔓(うつぼかずら) (第六十五回)

2012年06月29日 00時00分00秒 | #小説

  靫蔓(うつぼかずら)       水本爽涼                                     
 
   第六十五回 
そして、テーブル上の薬味の山椒の小瓶を手にして振りかけながら、例の怪談話をポツリポツリと語りだした。
「フフフ…直さん、季節がちょいと遅いのと違うか?」
 八田は、まったく信じられないといった態度で、茶化してみせた。
「ほんまやねん、繁さん。詳しい言(ゆ)わんと、作り話と思われても、しゃあないんやけどな…」
「ほらほやで。まあ食べたら、また聞くわ」
 そう言って、八田は奥の方へと去った。少し冷めかけの天丼が、片づけられるのを待っている。誰もいなくなると、無性に腹が減ってきて、直助は、がさつに天丼を食らい込んだ。それにしても、昼間に和田倉商事で山本と名乗った男が言っていたことが気になる。早智子はまだ、この町で働いていることになっている…そんな奇怪な情報を知ってしまったからだが、直助の周りに起こる妙な出来事とリンクして、少し身が震える気分だった。このことは孰(いず)れ、勢一つぁんや他の商店会仲間にも聞いてもらわねばなるまいが…とは思えた直助だが、さし当たっては八田である。直助は残った天丼を口へと放り込んだ。脳裡には、今晩ひと晩をいかに過ごすかという恐怖感が芽生えていた。


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連載小説 靫蔓(うつぼかずら) (第六十四回)

2012年06月28日 00時00分00秒 | #小説

  靫蔓(うつぼかずら)       水本爽涼                                     
 
   第六十四回 
無音の店内だから、距離的には幾らか離れているが、充分、直助の声は響いて届く。
「…なんやいな。まあ、あとで言(ゆ)うてんか」
 そっけない返答だが、これも毎度のことで、二人は気心が通じているから、何となく気持が分かる節もあってか、曖昧に流した。
 互いの商売のことなどを適当に話して、照代さんが奥へ消えたあと、入れ替りに八田が天丼を運んで゜直助の対面椅子に座った。
「海老、ひとつ余計(よけ)のまえにサービスしといたで、まあ食べて…」
「そうか…、おおきに…」
「で、なんやいな。さっきの話っちゅうのは。…ああ悪い悪い、食べもって、食べもって…」
 突然、切り出したことで、直助が天丼に箸をつけられないと分かり、八田は躊躇した。直助は少しずつ食べ始めた。言葉どおり、海老天が丼の頂点にデンと君臨している。それも大きいのが三尾だ。卵と葱の、とじられ方も半熟のほど良さで、直助の食欲をそそった。甘醤油味のいい香りが店内に漂う。
 ふた口、み口、箸を進めて、直助は箸をひとまず置いた。


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連載小説 靫蔓(うつぼかずら) (第六十三回)

2012年06月27日 00時00分00秒 | #小説

  靫蔓(うつぼかずら)       水本爽涼                                     
 
   第六十三回 
「ほやな…、天丼でも、こさえてくれるか」
「あ~、ちょっと待ってや。お母(かあ)、呼ぶわ」
 八田は、ノソリと立つと、奥の方へと消えた。
「あらあ~珍しいやないの、直さん」
 ニコニコと福々しい顔を満面にして、嫁の照代さんが現れた。手には淹れた茶碗を盆に乗せて、しっかと握っている。旦那の方は注文された天丼の調理をもう始めていた。
「近所やけど、ここしばらく、お目にかかりまへんでしたなあ。繁さんには、ちょくちょく会(お)うてましたんやけど…」
「そうなんよ。母の具合が悪うて、ちょっと実家へ帰ってたもんやから…」
 愛想笑いか性分の笑いなのか判別できない笑顔で、賑やかに照代さんは捲(まく)し立てた。テーブルへ置かれた茶を啜りながら、直助も愛想笑いで返す。他に客がいないもんだから、店の雰囲気は、すっかり和んだものになっている。
「なあ繁さん、ちょっと聞いてもらいたいことが、あんにゃけどな…」
 直助は厨房で小忙しく動く八田へ声をかけた。


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連載小説 靫蔓(うつぼかずら) (第六十二回)

2012年06月26日 00時00分00秒 | #小説

  靫蔓(うつぼかずら)       水本爽涼                                     
 
   第六十二回 
 飲食店といっても、この界隈では斜め向かいの丸八食堂しか存在しない。主人の八田繁蔵とは幼馴染みで気心が知れているから、隣りの勢一つぁん共々、知己の間柄だった。直助は、その丸八食堂で今日は食べようというのだ。店のシャッターを下ろし、こっそりと裏口から直助は出た。直助の心中には、実はもうひとつの思いがあり、ただ外食をしようという訳ではなかった。勢一つぁんに相談した幽霊話? を八田にも聞いてもらおうと思ったのだ。それにこのままでは、昨夜(ゆうべ)の出来事がまた起こりそうで、家にいるのが本当のところは辛かった。
 丸八食堂は、ガラーンとしていて、人(ひと)気がまったくなかった。八田は客用椅子に座って新聞を、がさつに開け広げしていた。ドアを押して店に入ってきた客の雰囲気に、八田はその手を止め、直助を見遣った。
「やあ~、直さんやないか、何か用か?」
 そう直(ストレート)に言われ、直助は一瞬、怯(ひる)んだ。
「…いやあ、用やないんやわ。腹が減ったもんで、何か食わしてもらおう思てな…」
「なんや、そうかいな。ほなら、何にしまひょ?」


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連載小説 靫蔓(うつぼかずら) (第六十一回)

2012年06月25日 00時00分00秒 | #小説

  靫蔓(うつぼかずら)       水本爽涼                                     
 
   第六十一回 
いつもの店番用の椅子に座り、直助は、また先の見えない作家への道を励んだ。数枚前から読み返さないと筋書きさえ覚束(おぼつか)なく、すっかり忘れてしまっている。いつの間にか、書くことが慣性となった倦怠感さえ漂っている。これでは少しずつ年老いて朽ちていくのを待つようなものだ。奮起一番、店を畳み、どこか遠くで別の人生を歩もうか…とも漠然と思うが、それも、はっきりとした明確な形が見えず、ままならなかった。だから直助は、とにかくこうして、原稿に向かうしかなかった。
 三十分ほど筆を握っているうちに、激しく叩きつけていた雨が小降りへと変化している。ただ、相変わらず外は薄暗く、秋ゆえか、すでに夕闇の気配さえ漂い始めた。直助は筆を置くと、大きな欠伸をひとつして席を立った。今日は久しぶりに外食でもしてみるか…と思い立った。そんな金があったか? と、そのすぐあと思い直したとき、上手くしたもので、数日前に送金されてきた金があった。母の実家からのものだが、その現金封筒には、母の供養にと熟(つらつら)、書かれていた。ということで、直助にしては久しぶりに纏まった金が懐にある。そうはいっても数万円だから、これはもう今後の生活を考えると当然ながら慎重に使わねばならない資金の一部となる。だが、気分としては、一時的にしろ潤った、余裕のような心境だった。


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連載小説 靫蔓(うつぼかずら) (第六十回)

2012年06月24日 00時00分00秒 | #小説

  靫蔓(うつぼかずら)       水本爽涼                                     
 
   第六十回 
「そうですか。では、なにぶんよろしくお願い致します。えぇと、電話番号を…」
「あっ、これに…」
 直助は差し出されたもう一枚の名刺の裏へ店の電話番号を記した。半日を潰したが、すべて徒労に終わってしまったのか…いや、この妙な出来事の糸口は掴(つか)めたとも考えられるから、無駄だった、とも言い切れない。直助は店への帰路で、そう思った。
 大通りを抜け、和田倉商事のある繁華街から遠ざかるにつれ、先ほどまで晴れていた青空は消え、全店が灰色の雲に覆われつつあった。その雲の動きも、妙なことに実に速いのだ。こういった現象は気象として考えれば前線が通過するとか、あるいは台風が接近しているとか、そういったことでよくあるのだが、朝、勢一つぁんの家を訪ねる前、テレビが報じた天気予報では、この辺り一帯は、確か一日中晴れると言っていた…そんな記憶が直助の脳裡に残っていた。だから、どうも腑に落ちないのだ。上空を眺め、首を傾(かし)げながらも直助は店へと急いだ。
 自転車を止め、店へ入った途端、ザァーっと勢いよくシャワーのような雨が来た。そのザザザーと簾(す)だれる音の中に雷鳴が轟(とどろ)き、雨脚は一層、激しさを増した。


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連載小説 靫蔓(うつぼかずら) (第五十九回)

2012年06月23日 00時00分00秒 | #小説

  靫蔓(うつぼかずら)       水本爽涼                                     
 
   第五十九回 
川端康成の全集を早智子が注文したことで、些かの絆が生まれた。そしてその後も何度か早智子は文照堂へ立ち寄ったのだ。直助の想いは、次第に膨らんでいくかにみえた。しかし早智子は何も告げず、忽然と姿を消したのだ。その時の会社の説明では、確かに転勤で本社へ戻ったと聞いた記憶があった。それが今、山本の説明によれば、まったく異動の形跡がないという。そんな馬鹿なことがあるか…と多少の憤りも湧いてくるが、人事の山本が言うのだから、強(あなが)
ち出鱈目でもないのだろう。となると、この不思議な現実は、いったいどうなってるんだ…と頭が働く。奇妙な出来事さえ起きなければ、直助は、きっぱりとこの一件を忘れようと思っていた。しかしその妙なコトは続いているし、今後も起きない保証はない。ここはやはり、早智子の存在を明確に調べねば、この問題は解決しそうにない。今さら、逃げる訳にはいかなかった。
「なにかの手違いということもあります。私もこの地の者ですので、社員の出入りについては詳しいつもりなんですがね…。もう一度、よく書類などを調べ直してみますので、恐れ入りますが、今日のところは…。分かりましたら、こちらからご連絡致しますので」
 そう言われては、これ以上のことは訊けない直助だった。


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連載小説 靫蔓(うつぼかずら) (第五十八回)

2012年06月22日 00時00分00秒 | #小説

  靫蔓(うつぼかずら)       水本爽涼                                     
 
   第五十八回 
 恐らく、社員の人事簿か何かだろう…と、直助は山本のファイルの内容を推察した。
「…ああ、これですね。溝上早智子…確かに二十年少し前、この地へ異動してます。え~と…怪(おか)しいなあ…。そんな馬鹿なことはないだろ。…いや、確かに、怪しい」
 山本は自問自答している。
「どうか、されましたか?」
「いえね…、この社員、まだここで働いてることになってるんですが…、この支社には今現在、こんな社員はいませんしねえ…」
 妙な出来事の全貌が少しずつその姿を現そうとしていた。
「何かのお間違いじゃ?」
「ええ。とは、私も思うのですが…」
 精悍な顔つきの山本は、鬘(かつら)のように脂ぎったポマードべったりの黒髪を軽く撫でつけながら、そう丁重に言った。
━ そんな馬鹿な話はないだろう… ━
 直助は早智子と音信が途絶えた二十年以上前に想いを馳せた。


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連載小説 靫蔓(うつぼかずら) (第五十七回)

2012年06月21日 00時00分00秒 | #小説

  靫蔓(うつぼかずら)       水本爽涼                                     
 
   第五十七回 
 直助は、コトが穏便に進みそうなのでホッとしていた。そして、もう一人の受付嬢に案内され、一階のロビーで待つことになった。
 五分ばかりして、直上直下するエレベータードアが開いて、中から一人の男性社員らしい男が降りてきた。そして、直助の前に立った。
「あっ、お初にお目にかかります。私、こういう者でして…」
 手渡された名刺には、総務部人事課、山本貢とあった。肩書きは、名の上に小さめの文字で、”係長”と印字されている。
「生憎、名刺は手元にはございませんが…、私、坪倉直助と申します」
 手元どころか、店にもどこにもないのだが、直助は咄嗟(とっさ)に、そう言った。
「はあ…。話の向きはお伺いしております」
 山本は少し離れ、ドッカと直助の対面にあるソファーへ腰を下ろした。そして、手にしたぶ厚い黒ファイルを繰って、中の名簿資料らしきものを指で追った。
「…、二十年も前になりますと、現在その者が当社で働いていたとしても、すぐに突き止められる、という訳には、いかないんですよ…」


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