水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

小説・時間研究所 第30回

2008年06月30日 00時00分00秒 | #小説

  時間研究所    水本爽涼
                                                                       
    第30回
「すんまへん。それでは本題に……。まず、犯人ってのが極度の人間不信に陥っていたと…、これが第一でんにゃ。犯人はリストラされ会社を恨んでいたんでっけど、まあこれは、ようある話ですわな。これは、事件には直接、関係してまへん。問題はその後(あと)でんにゃ。犯人はリストラされた後(あと)、就職活動は一応しとりました。そらそうですわな。若い身空で隠居しとる訳にもいかしまへんよってな。ほやけど、僕らの町と違(ちご)うて、都会では結構こういう類(たぐい)が多いんでっけどな。フリーターとかニートとか聞こえのええ名で呼ばれとります。その点、犯人は感心なもんで、職安(ハローワーク)にも通っとったそうで…。ところがですな、なかなか色よい返事が貰えん。で、会社巡りが嫌になってくる、職安へも顔を出さんようになる。結果、アパートに閉じ籠る、これといった話し相手もない。すると、ストレスが溜(た)まってきよる。それでも、こんな話はまだようあります。さて、ここからでんにゃ。第二の原因らしいもんが起こりましたんや。犯人の生活は荒んでいきますわなあ。襤褸(ぼろ)っちい格好で辺りをブラついていた、と思おとくれな。全てが面白うないっちゅうフラストレーション状態になって、ほの吐き場がない。ブラッと出た状態で目的もなしに辺りを徘徊(はいかい)しとる。ここで第二の、警官による職務質問ですわ。警官に訊かれて、“怒り心頭に発す”っちゅうやつで、口論となる。警官も恐らく売り言葉に買い言葉で、いらんことを、ゆうたんでっしゃろな。結局、交番へ連れて行かれる羽目になる。散々に説教され返されれば無性に腹も立ちますわな。で、陰に籠ってしまう。心は益々、荒(すさ)みよる。要するに悪循環するってこってすわ。段々と世の中の自分以外の人間が全部、敵に見えてきよる。ほんで遂に、第三の事件勃発となりまんにゃ。心の憂さも鬱積(うっせき)すると怖いもんでんなぁ…爆発しよる。無差別殺人ですわ。そいでも第三の事件勃発には、何(なん)かの引き金っちゅうか、誘因があるように思えまんにゃけどな。そこんとこは僕等にも訊けまへなんだ。なんせ、警察の取り調べ事項でっさかいな。まっ、そんなとこでしたわ」
  やっと悟君が口を閉ざした。語りだすと止まらない彼の会話には、私も塩山も、なす術(すべ)がない。ただ、悟君の話が講談っぽく上手いので、茫然と聞いていたことも事実である。
「……、ご苦労さん」と、私は漸(ようや)く口にしたが、それ以上のことは話せなかった。すると塩山が、「篠原さん、今の話は[時]にとって、かなりの研究材料になると思う」と褒(ほ)めた。
「おおきに…、そうゆうて貰(もお)たら、態々(わざわざ)、足を運んだ甲斐があったっちゅうもんですわ」
 素直に喜びを顔に出して、悟君はニンマリと悦に入っている。彼には隠しごとが出来ないように思えた。
  私自身も悟君が語った内容を少しずつ咀嚼(そしゃく)して、大まかに理解した。そして考えてみる。すると、やはり何らかの誘因が精神構造に影響を与えていると思える。これを学問的に裏づけたいが、私にはまだそこ迄の知識がない。もう一度ゆっくり悟君に訊ねながらメモ書きし、それを教授連中に話して意見を求める以外に手段はない。その為には、如何に教授達へコネをつけるか、このひと言に尽きる。
「塩山さんの方は、どうなってますか? 先生の方は」と徐(おもむろ)に尋ねる。
「まあ、今のところは啼かず飛ばずってとこですかねえ…、コンタクトをとるのが、なかなか難しいです。私も多くの学生の中の一人に過ぎませんし、きっかけ、というんですか? なんか、それがですねえ、今ひとつ…」
  私と似たり寄ったりだ、と思った。コンタクトをとるのは簡単なようで実に難しい。とれるとすれば、講義が終わった後で質問するってなとこだが、教授の機嫌を損ねないためには、余り時間は取れない。まあ、この場合は、サン~ゴフンも戴ければ有難いと思わねばならない。そうなると、他の戦略を講じる必要に迫られる。せめて作戦上、サンジュップンは欲しい。
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小説・時間研究所 第29回

2008年06月29日 00時00分00秒 | #小説

  時間研究所    水本爽涼
                                                                        
    第29回
  そうと決めれば、自分で言うのもなんだが、私の行動は速かった。まず、悟君にはその旨だけを伝え、彼の行動分野に関しては継続活動とし、月に一度は現地取材に奔走して貰った。塩山と私の情報整理と分析の各セクションにおいては、作戦を練った結果、発想を転換して種々の大学巡りをすることにした。行動心理学は社会学部、犯罪心理学は法学部、精神医学では医学部と各々に異なる。幸い、私の町の周辺には一時間から二時間程度あれば、訪問できる大学がある。前もって大学側にコンタクトをとり了解を得た。これにも、影の努力? いわば、搦(から)め手からの接近工作があった。
  塩山と私は勤め先の会社で同僚の出身大学を調べた。それから、必要大学出身者に接近遭遇を試みる。これがまず第一の努力である。次いで、その者に紹介して貰い、大学へ入校できる便宜を図って貰うのだ。無論、それなりに彼等には食事や喫茶代を奢ったりした。大学正門ではなく通用門などを通れば、大学構内へは入校は出来る。だが私達は、そんな卑怯な手段を取りたくもなかったし、第一、入校するだけでは困るのである。その筋を専門とする先生方のご意見を拝聴したり、こちらから質問もせねばならない。その為には、出身校の同僚の紹介が不可欠となる。私達は彼等を個々に同伴させて大学へ入り、知己の学部の教授などを紹介して貰った。同僚といっても、ターゲットは卒業後に就職して数年迄の新入社員の者達である。別に先輩面(づら)で接近したのでもないが、彼等には新入りの負い目がある。そこで頼んでみると、案外スムーズに事は運んだ。塩山も同様だったらしい。このことは、後に彼に聞いて分かったのだが…。
  ということで、私達は大学の図書館の専門書などで学びつつ一端(いっぱし)のマスコミ関係者のように取材活動を行った。身分は聴講生である。あっ、ひとつ言い忘れたが、搦(から)め手というのは、まずこの手続き申請からなのだ。社会人である私達も同僚の紹介の後、書類審査をパスすれば、堂々と大学正門を潜(くぐ)れるのである。聴講生ではあるが、聴講四単位の取得が目的ではないジレンマは存在するのだが、私達[時]の研究を達成させる為には必要べからざる手段であった。で、私と塩山は手分けしてターゲットの教授連中へ接近した。当然だが、その為の最低知識は持っていなければならない。そこで、図書館通いとなった。大学の付属図書館には相当、程度の高い専門書が所蔵されている。私達はグルニエを情報交換の場として、別々の学部で活動を展開した。事件は事実として起きているのだが、その原因、心因、状況、動機、犯人の生活環境など、事件を取り巻く様々な要因を学問はどう捉えるのか…が、焦点なのである。悟君は恐らく遠隔地で孤軍奮闘していることだろう。私と塩山は、彼の分まで頑張ろうと燃えていた。別に犯罪心理を解き明かそうという訳ではない。私達の研究は、人に訪れる心象風景を学問的に表現しようとする、言わば前段の勉強のようなものだ。教授ならどのような捉え方をして、どう語るのかが私達は知りたかった。今後、私達が[時]で活動していく上での肥やしとなるに違いない、いや、社会に波紋を投げる研究になる…と、私は確信した。当分の間、この事件に翻弄(ほんろう)されそうで、とても次のテーマを考える余裕などはなかった。
「えらいことになってますわ」
 都心から戻った悟君の第一声である。
「順序だてて言ってくれないと分からないじゃないですか」と、塩山が鷹揚(おうよう)に語りかけた。
「あっ、すいまへん。まあ聞いとくんなはれや」
 真顔(まがお)で二人に迫る悟君だが、いつもとは違う面持(おもも)ちだ。
「新聞社へ寄って報道部っちゅうとこへ、まず行きまして、話をしたんですわ」
「ほう…、よく話してくれたね? っていうか、よく入れたね?」
「一人、僕の友達が雑誌社に勤めとりまんにゃけど、そいつと一緒に取材させて貰(もろ)たと、まあそういうこってすわ」
「なるほど…」それなら話は分かる、と私は溜飲(りゅういん)を下げ、次の言葉を待った。
「そいで、犯人の横顔ってゆうんでっか? そうゆうのを訊かして貰いましてん。都会っちゅうのは、ほんまに豪(えら)いことになってまんなあ…。僕らの町とは全然ちゃいまっせ。なんせ、一歩外へ出たら何が起こるや分からしまへん。油断もスキもないっちゅうやつですわ」
 漠然とした内容を語る悟君だ。私達二人には詳細が見えない。
「前置きはいいから、先を話してくれよ」と私は促した。
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小説・時間研究所 第28回

2008年06月28日 00時00分00秒 | #小説

  時間研究所    水本爽涼
                                                                      
    第28回
  翌週の土曜、三人は出会った。悟君などはもう、ウズウズしていたと言わんばかりである。私がメールした事件に関して何らかの情報を入手したのだろう。で、ウズウズな訳だ。一方、塩山の方は至極、冷静な面持(おもも)ちでやって来た。
「正夫はん、持ってきましたでぇ~」と、ニンマリした面相で悟君が囁(ささや)く。
「警察まで行ってきましたにゃ」
「えっ?」
 驚いた私は、彼に詳しく訊いた。なんでも彼は大都会(この町から半日はかかる距離にあるのだが)へ態々(わざわざ)お出かけになったらしい。これには私も塩山も幾らか驚いた。彼は情報を得るべく遠出していたのだが、その行動力には参った。ただ連絡しようと送ったメールが、彼をここまで行動させたとは…。それにしても悟君の行動は、辣腕(らつわん)のデカに匹敵する。
「やってくれたねぇ~」溜息とともに、塩山は賛辞? を述べ、悟君を労(ねぎら)った。
「で、君の方は?」と塩山に投げかけると、彼は仏頂面(ぶっちょうづら)で、「どうもこうも…。篠原さんに比べりゃ、ハハハ…、語るほどのこともないです。本屋を数件ハシゴしたくらいですから…」と、すっかり恐縮してしまっている。
「そんなこたぁないでしょう…。俺だって似たもんだ」と、一応は慰めた。
  事情を訊くと、塩山の勤めの関係で、予定していた情報収集が不首尾に終わったと言う。
「まあ、それは仕方ないんじゃないですか? 仕事が第一ですしねぇ」
「ええ、それはそうなんですが…」
  もう一つ煮えきらない鍋のような返答で、覇気もない。そこで私は話題を変えた。
「で、そういうことを踏まえて、[時]としては、こうした意味不明というか、通常の思考では難解な事件や出来事にスポットを当て研究していこうと思う」
「よろしいおまっ」「結構です」と了解が出て、久しぶりに確固たる活動方針が決定した。
  と、なると、次にすることといえば、観察する事件を絞り込んで探し出さねばならない。ひとまずは、私が提起した通り魔事件が研究の観察材料にはなるが、なにせ遠方の事件である。悟君は別として、普通ならば取材し辛(づら)い。日程、旅費、時間と、どれをとってみても難儀だ。しかし、ボツにするのは、遠方へ足を運んだ悟君に悪い気がする。そこで、今回に限り業務分担的な手法を用いることにした。もちろん行動部門は悟君に任せた。彼は気持ちよく承諾してくれた。遠方の取材は、私や塩山にとって勤めの関係で少し無理なのだ。その点、億万長者の悟君は上手くしたもので、働く必要もなく便宜が効くらしい。情報整理の分野は塩山が、そして私は情報分析を受け持つことになった。このテーマの研究期間は二ヶ月を目処とし、一応の区切りがつく迄とした。ところが、ここからが、全くブレーク・スルーそのものの観察となった。この事件への対応は、私が当初、予定していた活動ではなかった。というのも、情報整理の分野を受け持った塩山のひと言が、その発端となったのだ。
「村越さん、私が思うに、ここは一つ、行動心理学、精神医学、社会心理学などの専門的研究も必要になろうかと思います。例えば、大学の先生方の意見を拝聴するとか、もちろんそれには、私達が図書館で勉強する必要も生じるとは思いますが…」
「……、そうですねぇ、塩山さんの言うとおりかも知れない。俺たちの研究は、ややもすると上辺(うわべ)だけの所謂(いわゆる)、浅学非才って言うんですか? なんか、そんなふうになっていた傾向があります。今までの研究は、学者なら誰もが考える範囲のモノだったかも知れません。発想の転換、これは一つの冒険ともいえますが、人がやっていないことを馬鹿馬鹿しく思わず真摯(しんし)にやるっていうのも大事だと思いますしねぇ」
  私は塩山の発想に共鳴した。全ての事象において、人間の進歩はブレーク・スルーに尽きるのだ。ただ、変人と思われるのが厄介なのだが…。
                                                 続


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小説・時間研究所 第27回

2008年06月27日 00時00分00秒 | #小説
  時間研究所    水本爽涼
                                                                        
    第27回
 次の日、メールが入った。悟君(携帯画面1)からだった。と、暫(しばら)くして、塩山(携帯画面2)からも届いた。

  携帯画面1
受 信 メ ー ル 一 覧
   ∥∥ ○!
   報告です
   怖いけど、面白いテーマです^^
   篠原悟
☆ 001  4/14 17:30 
  サ ブ ▲ 
  メニュ- ▼   決定 戻る
    ↓   
  携帯画面2 
受 信 メ ー ル 一 覧
  ∥∥ ○!
  報告
  お知らせします
  塩山満
☆ 001   4/14 17:50
  サ ブ ▲ 
  メニュ-▼   決定 戻る

  俄かに忙しくなってきたぞ…と、私は思った。遂に[時]の活躍の場が訪れたのだ。今迄、目的意識が定まっていなかった問題は、これで解消できた訳である。すっきりとした気分が戻りつつあった。

  携帯画面1      
受信メール1    
T 07/4/14  17:30
satoru@ ○○○○○.ne.jp
File  怖いけど、面白いテーマです^^
 なかなかのテーマだと思います。テレビでも、
この事件やってました。僕なりにデータを集め、
次回までに詳細を持参しますんで期待しとって
下さい ^^
    ↓
  携帯画面2      
受信メール2    
T 07/4/14  18:40
shioyama@ ◎◎◎◎◎.ne.jp
File  お知らせします
 さすが村越さんです。私も同じ着眼点で、関
連マスコミ誌、報道関係を調べます。後日には、
必ずいいネタをお見せしますので、ご期待のほ
どを…。わざわざ有難うございました m(_)m

 二人とも、やる気になっているようだ。私もノンビリとはしていられない。とはいっても、事件が起きた大都市までは記者でもあるまいし、すぐ出かけるという訳にはいかなかった。で、取り敢(あ)えずは、睨まれるのを覚悟で、例の親父がいる本屋へ直行して、めぼしい資料を集めることにした。だが、はたして48時間前に起こった事件の資料が入手できるかは疑問であった。意を決して、私は本屋へ向かった。
                                                 続
                                                          

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小説・時間研究所 第26回

2008年06月26日 00時00分00秒 | #小説
  時間研究所    水本爽涼
                                                                      
    第26回
  古新聞を見ていると、スーパーボールの記事が目に飛び込んできた。サッカーなどでも同じなのだが、目的達成のため集団でオフェンスが相手陣のディフェンスを崩す訳だ。これはまさしく敵陣突破を目的とした火花を散らす格闘競技である。ブレーク・スルーだって同じである。真(ま)正面(しょうめん)からぶつかる肉体同士の闘争ではないが、既成概念を守ろうとする思考とそれを超越しようという思考の闘争なのである。私はふと、このことに思い当たった。
 一日の流れのなんと早いことか…。悟君や塩山が帰った後、放置されたままの古新聞を読み耽(ふけ)り、時が経つのを忘れていた。もう昼近くになっている。
 [時]が目指す咄嗟(とっさ)の判断とその思考研究、これにはかなりの蓄積されたデータが必要になるとは言った。心理学で説く1+(プラス)1=(イコール)2とならないのが人間思考の不思議さだから、前後ゴフンという時間の軌跡を追う。研究の原点はコレだった。私達は、また脇道へ逸(そ)れてしまったのだ。探偵団の必要はなかったし、他人を観察したって、その行動心理などは本人に訊ねなければ分かる訳がない。心理の変化は他人には洞察できない。だからそれを知るには、自分達が自分達自身を観察する以外にはない、というのが導ける結論である。だが、この結論は過去に試みた記憶があった。早い話、堂々巡りをしているようなのだ。だとすれば、同じ轍(てつ)を踏む訳にはいかないから、何らかの方策を考案せねばならない。私はアレコレ考えた。要は観察方法のブレーク・スルーである。
 勤めで会社ビルにいても、途中の通勤車中であっても、[時]のことが脳裏を掠(かす)め、全てに集中できない。集中できないということは、全てに充足感がない。肉体的な疲れという虚脱感ではないが、精神的な覇気が生じないのだ。これでは駄目だ、と自分に言い聞かしてはみたが、一週間は瞬く間に過ぎ去った。
 土曜の朝、グッタリ疲れて眠りについた昨夜の余韻がまだ残っている。ベッドの目覚ましをボヤッと虚ろに掴むと、既に九時半近くになっている。いつもの惰性でトースト、スクランブルエッグ、サラダ菜、コーヒーで朝食とする。全てが単調である。朝刊を適当に捲り視線を泳がせていると、そこに或る記事が載っていた。通り魔殺人事件の記事であった。私は一瞬、凍りついたが、ふたたびその記事を読み続けた。ブルマンの優雅な味わいと殺伐とした記事が、どこかマッチしない違和感があった。何の怨恨もない若者が通りすがりの通行人を数人、無差別に殺傷したのだ。咄嗟(とっさ)の犯行……、私達の研究が強(あなが)ち無意味ではないと、このとき初めて思った。
 読み終えた私は、暫(しばら)く放心状態で何も考えずボォーとしていたが、真摯(しんし)に取り組まねば…という別の感情が、やがて芽生えていった。
━━通り魔殺人━━
 発生前後のゴフンという時間に何があったのか・・・、このゴフンに秘められた行動心理は、私達の研究を成果とする大きな鍵に思えた。ふたたび少年探偵団か…と私は考えた。だが、この場合、白衣は目立ち過ぎるように思える。それはともかく、犯人の生活感、その育った環境、起爆剤となったゴフンという時間の状況、どれをとってみても、かなり難解である。精神的に覇気が生じない虚脱感は、いつの間にかすっかり失せていた。
 二週に一度の会合だが、生憎(あいにく)、今日はその回りの土曜ではない。で、私は浮かんだテーマを忘れないよう、取り敢(あ)えず連絡だけはしておこうと考えた。
 まず塩山に携帯をする。メール送信を適当な文章で綴り(携帯画面1→2→3、6)、その後、悟君にも同様のメール(携帯画面4→5→3、6)を送った。

携帯画面1        
宛先1 ☆21     
shioyama@<小> ◎◎◎◎◎.ne.jp</小> 
  ↓
携帯画面2
タイトル ☆122
緊急情報
研究会テーマ
  ↓
携帯画面3、6
本文 ☆118
今朝、新聞を読んでいて、通り魔殺人という面白いテーマを発見、次回に報告したいので、これに関する多くの情報を入手してもらいたい
  ↑
携帯画面5
タイトル ☆122
緊急情報
研究会テーマ          
  ↑
携帯画面4
宛先2 ☆19
satoru@ ○○○○○.ne.jp

 本当のところを言うと、“今まで書いた原稿用紙にして約170枚にも及ぶ物語は、飽くまでプロローグに過ぎなかった…”と言っても過言ではない。時間研究所のドラマチックな物語は、実はこの時点から始まったのである。
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小説・時間研究所 第25回

2008年06月25日 00時00分00秒 | #小説
  時間研究所    水本爽涼
                                                                      
    第25回
  翌朝は晴れていた。私は昨日の残りのカレーを二人に出した。献立に苦慮したとき、私は決まってカレーにすることにしている。これが一種の習慣(habit)となっていたのだが、昨日のカレーは案に相違して、我ながら上出来だった。で、残りモノながら、二人に振舞ったのである。彼等は空腹の所為(せい)もあったのだろうが、実に豪快に片づけてくれた。
「正夫はん、料理上手(うま)いでんな」とは、悟君の方便であろう。ターメリック、シナモン、コリアンダー、クミンなどの配合が絶妙らしい。
「昨日の続きなんですけど、機械で癒されたり安息を得たりするのは、人間に許されると思うんです。決して怠惰のための道具じゃなきゃね。ブレーク・スルーで捉えるデジタル技術があります。この前、テレビ番組でやってたんですが、ありゃいいな、って思いました.正直なところ、映像美、癒される空間演出の点で実に素晴らしい想像芸術でした」と、塩山は力んで言った。
「うん、そういうのって人間の能力なんだな。機械を上手く生かすことで安らぎの時間は持てる。機械が何たるかを知る人間には、上手く奴らを使い熟(こな)す技量が備わっている。しかし残念なことに、そういう人間はごく限られた一部しか存在しない。大半の者は機械に使われ、齷齪(あくせく)と時間に追われるんだなあ。それもフン単位でね。だから“ゴフンという時間”を研究する俺達の出番となる訳さ」
  我ながら上手く言えたなあと、と思った。所長として面目躍如である。正直なところ、塩山が言ったブレーク・スルーの世界など私には全く意味不明だったのだが、彼に今更、“ブレーク・スルーって何?”などと訊ける訳がない。その会話以降、妙にブレーク・スルーという言葉が脳裏から離れなかった。
  私の住む平凡な田舎町にも都市化の波は押し寄せている。それに伴い次第に消えゆく田園風景と長閑(のどか)な佇まい━━これは、ゆったりとした時間経過を肌で味わえる感覚なのだが、そうしたものが少しずつ薄れて消えていく。その一方、文明に支えられた豊かさや利便性、そして生活手段の飛躍的な向上に私達は慣らされつつある。やがては、長閑(のどか)さ、そのものが消え失せ、時間に追われながら齷齪(あくせく)するのだろうか…。
「今日はこれで返りまッさ。また何かタイムリーなテーマが出てきたら声をかけておくれやす」と言って悟君は帰っていった。そのとき彼は何を思ったか、カレー鍋を持って帰ろうとした。台所へ持っていくつもりだったのだろうが、ついうっかり忘れてしまい出口へ向かう。こういう間の抜けたところが悟君の持ち味で面白いから、研究所のメンバーとして捨てがたい奴だと、私に思わせるのだ。彼は照れて鍋を玄関の隅へ置く。塩山も思わず笑いながら帰り支度(じたく)をした。
  彼等が帰った後、私は雑然と広がった食後の後片付けを済ませた。それが済むと本屋へ行った。どうもブレーク・スルーが気になる。
  まだ朝だから本屋に人の気配はなく、私は人目を気にする必要もなくブレーク・スルーに関した本を片っ端から漁った。
  小一時間ほどして、塩山が言った意味は理解できるようになったが、そういう思考というか研究というのか、そんなものを創造する人達がいるんだと知らされた。或る意味で、機械文明を逆手に取ったスピリチュアルな長閑(のどか)さの創造なんだ…と思えた。この発想が既成概念から突破している。
  本屋の主人は余り私が熱心に読み耽るので、最初はそうでもなかったが、三十分もするとジッと私の方を見て、渋い顔をする。私は目線が合ったものだから愛想笑いを返して、また読み続けた。私が町内会の組長をしていたことも幸いしてか、直接の小言は貰わずに済んだ。だが、主人の眼光は、さも“買ってくれるんでしょうな…”と言わんばかりで、流石(さすが)に私もこれ以上の長居(ながい)は無用と遁ズラを決め込んだ。
  ブレーク・スルーと私が研究する時間と人間思考の相関関係、両者には全く関連がないように思えたが、乗りかかった船である。それに、何がどう転んで“瓢箪(ひょうたん)から駒”になるとも限らない。研究自体が暗礁に乗り上げていた矢先だったので、私としては打開策を得るべく暗中模索の気分だった。
  ブレーク・スルーとは、直訳すれば“突破”の意味である。科学、医学、経営学、文学など、あらゆる分野で進展開を可能にする。即ち、既成概念を打破し、その概念を突破して新しい概念を構築すること、まあそういうことらしい。本屋に入るときと出るときの私では、このことを理解した為か、全く発想が変わっていた。ゴフンという時間で人間が咄嗟(とっさ)に判断して動く軌跡の研究、これだって立派なブレーク・スルーなんだ、と私は思った。当然、本屋を出た後である。こんな馬鹿な研究をしている者など、世界中を探しても私達以外はあるまい。しかし、よく考えると、馬鹿げたと思う者は既に既成概念に毒された患者と見るべきであり、私達の発想は兎にも角にも革新的な新機軸なのだ。人間の進歩はこうした積み重ねの歴史でもあった筈だ。発明はブレーク・スルーの産物である。だから、悟君、塩山、そして私の研究だって脚光を浴びる日が来るかも知れない。
  私の考えがブレーク・スルーの一貫だと思うと、その後の活動の全てが変化しだした。
  まず、観察に熱が入るようになる。怠惰となりがちな観察も馬鹿らしくなくなると、割合、耐え忍べるものである。最初、悟君も塩山も私の変化に少し戸惑っていたが、事情を説明すると納得した。塩山などは、自分のひと言が私の発想を変化させたと知ると恐縮してしまった。それ以降、私達の研究活動は一からの出直しを余儀なくされた。
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小説・時間研究所 第24回

2008年06月24日 00時00分00秒 | #小説

  時間研究所    水本爽涼
                                                                        
    第24回
「最近の世の中、人間が時間に弄(もてあそ)ばれてるんじゃないですか? 私には、そう思えるんですよ」
  塩山が違った角度からの発言をした。
「と、いうと?」不意を衝(つ)く発言に、私は咄嗟(とっさ)に訊ねていた。
「篠原さんが言ったことを絡めて考えてみると、妙な具合に辻褄(つじつま)が合うんですよね。つまり、人間は便利さって奴に慣れてしまい、機械を動かして自分の目的を達成しようとしたんです。しかし、最初はそれでよかったけれど、今じゃその機械に頼らないと何も出来なくなっているんです。これは一種の退化現象と言えるでしょう。で、その機械の管理、修理、購入に齷齪(あくせく)して、余計に気忙(きぜわ)しくなっているのです。ということは、時間にゆとりが感じられない。即ち、時間に翻弄(ほんろう)されているってことです。その点、植物は動く必要がありませんから、静かに時の流れを噛みしめているんです。或る意味では、時間と五分に渡り合ってるとも言える。まあ、そういうことだと私は思うんですが…」
「人間は原点へ戻るべし、という見解ですか? …なるほど。時間を噛みしめられない人間は、よく考えれば惨めなもんですねぇ。文明がない長閑(のどか)な時代の方がよかったのかも知れません。俺達[時]はゴフンという時間の持つ意味を研究していますが、行き着くところはその点にあります。長閑(のどか)さのない今の世は、人の心までも狂わせちまってる。咄嗟(とっさ)の判断も妙な方向へ展開したりする。で、訳の分からない事件が横行したりするってことですか…」
「僕もそう思いまんな」「そうですね」と、二人が同調した。
「文明が起こした悲劇ってとこかな」
「豊かさの代償ですね。仕方ないんでしょうね…」
  少しずつ、[時]が目指す研究方針から遠ざかる話題になってきていた。だが、この点もよく吟味しないと、人が判断する方向性は見えてこない、とも言える。
  また深夜になってしまっている。三人はいつものようにブースの炬燵(こたつ)を囲んで雑魚寝(ざこね)した。今日は店屋物もとらず、即席のラーメン(生卵を切らし、今回は熱湯を注ぐのみ)という簡略な振る舞いに終始して、アルコールも出さなかった為か、二人ともすぐには寝つけないようだった。
「人が自分で動くと、世の中、少しはよくなるんでしょうか?」
  呟くように塩山が語る。部屋内は漆黒だが、下弦の、か弱い月明かりが、寝ている塩山の輪郭を微かに理解させる。私の隣だから、視点を定めて彼を見ている訳ではないが、薄蒼く浮かんで分かる。不気味だ。異様にも映る。
「そう…、機械だけが動いてちゃ、人間は何の進歩もないですかね、ハハ ハ …」と、私は単に返してみた。
「ヘヘヘ…、そうでんなあ」
 悟君もやはり起きていて、話に乗ってきた。
「実はさ、俺、この研究を題材(テーマ)にして小説でも書こうかと思ってんだ」
「へぇー、どんなタイトルでんにゃ?」
「“時間研究所”にしようかと思ってる。飽くまで仮題だけどな」
「そうでっか…。頑張っとくれや…。で、わてらも登場しまんのか?」
 月の光を浴びて、
悟君の笑顔が浮かび上がる。
「ああ、勿論さ。登場して戴こうと考えている」
「上手いこと書いとおくれや。特に僕のとこは」と彼は畳み掛ける。薄闇に三人の笑声が響いた。結果の成否は別として、私はこの研究所を旗揚げしてよかったと思った。
                                                 続


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小説・時間研究所 第23回

2008年06月23日 00時00分00秒 | #小説

  時間研究所    水本爽涼
                                                                      
    第23回
「八百半(やおはん)の娘とは、その後どうなってんだ?」
「どおって、別にどないもなってまへんでぇ。沙貴ちゃんは僕の片想いでっさかい…」
「同じ会社なんだからチャンスもあるでしょうが…告白できる…」
 私が訊ねたことに、塩山も介入した。
「ハハハ…、二人とも、そう攻めんといて欲しいでんな」
 照れて、悟君は軽く往なした。この話は、詳しく云っていないが、実は内々に、悟君が私と塩山に打ち明けていた過去の経緯があったのだ。悟君の逸話として、ここで云っておく。
 一時間ほどノンビリして、私達は繁華街へ戻った。この町唯一のメインストリートだ。私達が歩くすぐ傍を、爆音を上げて数台のバイクが走り去った。
「この辺りも、だいぶ都会になりましたなあ。賑やかな奴らやな、あいつら…。そういや、八百半のドラ息子も、以前は連中の仲間だったんでっせ」
「広夫君がかい? そりゃ、初耳だなあ」
「そうでんねん。あのドラ息子、どないもこないもならん奴でね、精吉っあんも手を焼いとりましたんや」
「それは過去のこったろ? 今は自転車で全国一周してるって聞いたぞ。余り悪く言うもんじゃない、君の相手の兄貴なんだから」
「関係ないですわ。沙貴ちゃんには片想いしてるだけでっさかい」
「都会になっていくのが、いいのか悪いのか…」
 突然、塩山が意味不明なひと言を発した。そのひと言で私と悟君の会話は途絶え、ふたたび沈黙の行脚(あんぎゃ)が始まった。白衣姿で闊歩(かっぽ)する正体不明の三人。どう考えても、他人の目には挙動不審に映ることだろう。しかし、当の私達は全然、気にならないのである。すれ違った人々は、医者が三人、横一列で闊歩する姿に違和感を抱くだろうが、まあ不審者と思われることはない、と鷹を括っていた。違和感を抱かれたとしても、“病院から食事にでもお出かけか…”と思う程度だろう、という潜在意識が巡っていた。
 歩く道すがら、フラワーショップが右前方に近づいてきた。別に入るでもなく通り過ぎようとしたその時、陳列棚に置かれた時計草の鉢がショーウインドウのガラス越しに見えた。その瞬間、両脇に二人を従えて歩く私は立ち尽くした。二人は急に私が止まったものだから、? と、怪訝(けげん)な表情で訝(いぶか)っている。横一線で歩く三人を上空から俯瞰(ふかん)すれば、直線模様が一時、V字型に折れ曲がったということになる。
「どうかしたんですか?」
 不審に思った塩山が、ポツンと訊ねた。
「いやなあに…、時計草の鉢が見えたので、買おうかと思ったんですよ」
「[時]に時計草か…、いいかも知れないですね」
「そうでんなあ…」
 二人も私の見惚れているショーウインドウを見遣る。
 結局のところ、私はその鉢植えを買い求めたのだが、この鉢が[時]のブース、所謂(いわゆる)、私の部屋に研究所のシンボルとして置かれることになった。
 その後、ブースに戻り、少なからず語り合った。
「植物の感性で考えると、動物である私達の動きは、本当に速く見えるんでしょうねえ…。愚かな動きも、利口な動きも、それなりに客観的に…」
「塩山さん、いいこと言うなあ。そのとおりですよ。植物は不動だから、冷静に我々人間を見ているのかも知れない」
「僕もそう思いますわ。樹齢何百年の大木もあるし、長い歴史の中を生きてまんにゃさかいなあ…」
「そう、それ。時間の流れの本質を、実は植物の方が知っていたりして…。君もなかなか、いい見方してるよ」
 塩山に褒められ、悟君は自慢顔である。その単純さが返って好判断、好結果を生むとも考えられる。とすると、悟君はやはり[時]にとっては欠かせない存在である。
「うむ…。俺達は少し動き過ぎていたのかも知れない。樹木になった気分で、じっと動かず気長に観察すれば、何か掴めたのかも分からんなあ…。次回からは[時]の方針は、そうしますか?」
「いいですよ」「かまいまへん」と塩山、悟君が同意して、私達は探偵(動)から大木(静)へと行動を変化させることになった。確かに言われてみれば、結果を得んが為に対象に拘(こだわ)り過ぎていた嫌いがある。客観的に好結果を得る為には、余りチョコマカ動いてはいけないことを私達は忘れていたのだ。上手(うま)い具合に方針転換できたのも、偏(ひとえ)に悟君の奇抜な発想の賜物である。
                                                 続


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小説・時間研究所 第22回

2008年06月22日 00時00分00秒 | #小説
  時間研究所    水本爽涼
                                                                      
    第22回
  データというものは蓄積をするというのが肝要だ、というのが私達の結論であった。単一の事象というのは、偶然に起こるということもあり得る。それが度々(たびたび)起こればそれはもう偶然ではなく必然である。データは、微細で取るに足らないことでも残す必要があるのだ。そして息の長い積み重ねが大切だと結論づけられる。、その点、前回の総括で引用した観察データは余りにも稚拙であった。短い期間で、ゴフンという時間に起こる事象や軌跡の因果関係などを掌握できる筈はないのである。短慮にして、私はそれを忘れていた。所長としては誠に申し訳ない失態だが、二人には敢(あ)えて言わず、今後の活動に生かそうと勝手に思ったりした。そういうこともあって、それ以降は結果を求めず観察を続けていった。地道なコツコツとした研究である。
  相変わらず、私の部屋は一種独特のブースとして、益々その存在感を大きくしている。悟君などは、玄関からブースに至る家の通路を、さも自分の家と言わんばかりに無遠慮に闊歩して出入りしている。その点、塩山は礼儀を弁(わきま)えている。慣れた今でも我が家に来ると、一応チャイムを押す。そうして、私の声を待ってから玄関に入るという律儀(りちぎ)さ? があるのだ。どちらが是で、どちらが否だと私は言わない。こうした洞察力が培(つちか)われたのも、[時]で得た能力のお蔭なのかも知れない。
 それからまた半年程が経過したのだが、この頃には新たに“時研・所員証”なるカードを発行するに至った。この所員証は、当然ながら写真、証明印入りである。益々、本格的になった訳なのだが、参加者は所長の私を含め、相も変わらず三人であった。だが私達には、そこら辺のいかがわしい宗教団体やテロ集団では断じてないという誇りと信念があった。
「幼稚園だったか…、いやあ、小学校にはもう通っていましたかね。その頃、“探偵団ごっこ“とかなんとか、そういうので遊んだ記憶があります。でも、あの頃は探偵になりたかったからとか、…何かそういう漠然とした気持でした。私達が今やっている研究所は、その意味では相当、意味深い緻密(ちみつ)なものです。ですが、実は、幼い頃の夢の延長なのかも知れません。なにせ私達は、この出で立ちで闊歩(かっぽ)しているんですからねぇ。世間から見れば、一風変わった者達に映ると思います」
  塩山が、いつだったか、そう漏らしたことがあった。確かに言われてみれば、そうである。だが、私達には私達なりの論理がある。
 満開のソメイヨシノが土手伝いを歩く三人に戯れかかる。世は四月初旬、暖気を含む微風も時折り私達の頬を撫でる。そういえば、二年前にも私達はここにいた。草叢(くさむら)にドッペリと寝そべって、空の観察をしていた記憶が甦(よみがえ)る。
「こんな何にも束縛されない時間って、人生で案外、少ないんですよね」
  突然、塩山が口走った。私は頭上に咲き乱れる桜の花弁に見惚れていたが、その言葉で、ふと我に帰り塩山を見て、「ええ…、特に最近では長閑(のどか)な時の流れっていうのか、何かそういう雰囲気がなくなったんですよね」と、単に返した。
「そうです。最近は慌ただしく時が流れる感がします。しかし、よく考えると、人そのものは余り動かなくなったように思いますよ。機械、特に自動車、電車、飛行機、船など、そういうもので人は移動して行動軌跡を描きますが、よく考えてみりゃ、人そのものが動いているんじゃない。人は機械を操作したり、それらに乗っているだけだってことです」
「そうでんなあ。農業、林業、漁業と全て最近は便利になりよりました。機械様々ですわなあ…」
「いいこと言うじゃん、悟君にしては。そうなんだよなぁ…、耕作にしても耕耘機、収穫にはコンバインとかね…。確かに昔に比べりゃスピードアップされ、労力は低減された。でもその分、人はルーズになってるとも言えるぜ。ルーズなのに収穫は多い」と、私。
「文明って奴の所為(せい)ですかねえ?」と、塩山。
「そう、文明って名を借りた人間の怠惰でしょう。俺達は自己弁護して、“時代の流れ”とか何とかで片付けてしまいますが…」と、ふたたび私。
  いつの間にか白衣を脱ぎ、三人は去年のように土手にドッペリ仰臥(ぎょうが)していた。うららかな春の空域、なんとも言えない最高の心地よさである。
「正夫はん、僕らの研究しとること、よう考えたら、なんか無意味なように思えまんにゃけどな」
 大自然の懐(ふところ)に抱かれ、私達は春の香りに酔いしれていた。そこへ悟君の衝撃的なひと言だ。
「…って、なぜ?」と私は尋ねた。
「ほやけど、そうでっしゃろ。僕が思うには、人間なんてもん、時間なんか気にせんと、なるようになれと生きた方が面白いんと違いまっか? 結果として、ようもなりゃあ、悪うもなる。そんでええんと違いまっかいな?」
「それを言ったらお終いですよ。私達が研究している意味がなくなる」と、塩山が即座に否定して抑えた。
「それはそうでっけど…」
 悟君は鎮火してしまい、また押し黙った。
「コツコツコツコツだよ、悟君。焦りは禁物、気長にいかんとな」と言うと、悟君は、「はあ…」と腹に納めたが、確かに彼が言うのが本筋なのだろう。人生には偶然に生じる不確実性があってこそ、良し悪しは別としても初めて意外な展開が起こり、充実した人生となるのである。だが私は所長である。悟君に同調する訳にもいかず、教師が生徒を諭すような言葉を吐いていた。
                                                 続

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小説・時間研究所 第21回

2008年06月21日 00時00分00秒 | #小説
  時間研究所    水本爽涼
                                          
    第21回
  そんな心の動きがあった所為(せい)か、「やっぱり、こちらにしよう」と、再度立って反対面のボックス席へ移動した。二人は怪訝(けげん)な表情を一時したが、それでも不満は漏らさず私に追随した。夫々(それぞれ)の注文をウエートレスが置いて去った後、私達はコーヒーやミルクティーを啜りながら長談義へと突入した。悟君は注文のナポリタンを頬張っている。コーヒーはお茶代わりに飲んでいた。私と塩山の会話は眼中にない。総括のための集合だったが、結果的に悟君を除く二人の討論会の様相を呈してきた。内心では、“こんな筈じゃなかったんだが…”と思いつつも、“まあ仕方ないか…”と諦(あきら)めて、塩山と話を続ける。悟君は時折り頷(うなず)くが、全く話には参加しない。
  階下の席と比較すれば、二階席はガラーンとしていて、私達以外、客はいなかった。そんな殺風景な中に白衣姿の三人である。よく考えてみると、かなり異様である。女性店員も、恐らく、「どこかのお医者様方かしら?」とか、思ったに違いない。だが、私達は悪びれることもなく、席に長時間、定着していた。
「時間研究をするのが本来の私達の目的じゃない。判断を誤ったとしても、二度とその時に戻ってやり直せない以上、判断を迅速かつ的確にできる理性ってやつを磨くしかない、ということです」
「村越さんが言われるとおりだと、私も思います」塩山も同調した。
「で、今迄の観察した結果などに基づいて考えるならば、人は慣性を好む、ということです。未知の不確実な出来事に苦悩するよりか、今迄の事例や経験則に照らして、最も安全で確実な道を選ぼうとする。これが慣習とか決め事と言われる社会常識なんですが、これでは新しい可能性が生まれないことになる訳です。発明、発見、芸術などは、どれをとっても全て新機軸ですからね…。ゴフンという時間の中で、人間にはいろんな思考回路がめぐります。しかもそれは、人に対するときと事物に対すときとでは速度が違う。人に対するときは回路が俊敏です。それもその筈で、相手の変化に絶えず自分が変化して返答しなければならないという緊張感があるからなんですね。一方、事物に対すときは、回路がゆったりしている。事物は変化しにくいですから、客観できる余裕みたいなものが意識に潜在しています。俺達が観察対象を、一時的にしろ人から事物へ変えたのも、ある意味ではこの考えと通じるところがあるからですが、今はその点を考慮に入れてるでしょ?」と私。
「そうですね。ゴフンという限られた時間の中では、論理立てて考えられない直感性、即断力が要求されますから、それは心の鍛錬を待つしかないということになります」と塩山。
「僕は、あんまり細こう考えるのが苦手なんで、すぐ動いてしまいまんなあ」と悟君が珍しく話に参加した。彼は直感で行動するようだ。
「おっ、やっと食い終えたか?」
「いや、まだですにゃけどな。あんまり何もしゃべらんのも気が引けて…」
  そう言って、悟君はニンマリした。そこへ店のウエイターが迷惑そうに現れた。
「あの…すいません。もう閉店なんですが…」
 のんびり語り合い、私達はいつのまにか時が過ぎ去るのをすっかり忘れていた。深夜の十一時近くになっていた。
  私と塩山は飲み物とケーキ程度だったが、悟君の場合は三品ばかりオーダーしていたので、最後の注文と必死で格闘している。彼の旺盛な食欲には、私ならずとも表彰状の一枚ぐらいは出したいと思うに違いない。ただただ、脱帽するのみである。
「悟君、待ってやるから、そんな慌てずに食えよ」と私が助け舟を出したことで、彼のペースは幾らか落ちた。がっつく悟君と白衣姿、どう見ても不釣り合いだ。
「それにしてもこの制服、けっこう高(たこ)うつきましたなあ…」
  語るのも馬鹿馬鹿しく思え、「うん、そうだなあ」と曖昧(あいまい)に暈した。
  三人が店を出ると外は冷気に包まれていて、物音ひとつしなかった。もう町は眠っていた。
  私と塩山は、気分が何か一つシックリしない。それというのも、総括が導けなかった不完全燃焼の為なのだが、悟君だけは至極、満足そうである。三品も片づけたのだから、それも当然なのだが…。
  その後、私達[時]の研究は、成果を得るべく二週に一度のペースで観察行を続け、データを蓄積していった。
                                                 続

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