水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《霞飛び②》第十五回

2010年06月30日 00時00分01秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《霞飛び②》第十五
そんな心境に左馬介は陥っていた。鴨下と長谷川は、左馬介の心中を知らぬげに、空を眺めて呑気に話し合っている。
「それじゃ、返しに行って参ります…」
「おう! 早(はよ)う戻ってこいよっ」
 なんでも、鰻政の商売上の都合からか、器(うつわ)を取りに来れないので…と、小僧が帰り際に鴨下へ懇願したのだという。いつでも取りに来れるではないか…と、一応はつっぱねて鴨下が云い返したそうだが、夏場はとてもそんな余裕はないと、反発を食らったという。要は、繁忙で手間がないということらしい。それで一人頭、五文をさっ引くから、器を届けて貰えまいか…と頼まれ、人のいい鴨下は了解したのだそうだ。それを長谷川から聞くにつけ、左馬介は鴨下の人の良さを改めて認識させられるのだった。
 鴨下が鰻政へ器を返しに出ると、道場内は長谷川と左馬介の二人きりとなった。ガラ~ンとして物音ひとつせず、人熱(いき)れの欠けらもないという殺風景な佇まいが広がる。
「左馬介…、この道場も、あと暫くだな」
「えっ! それは確かなことですか?」
「いやあ、別に今日明日、どうのこうのと云う話ではないが…。あと数年もすれば、鴨下一人になるだろうが…。それはよいが、その鴨下は如何ようにして稽古をするというのだ? 一人では、何も出来まい…」


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第六回)

2010年06月30日 00時00分00秒 | #小説
  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                       
    第六回
「この前さあ、不思議なお客様がいらしてね…。一見(いちげん)さんなんだけど…」
 私がグラスの酒をひと口飲んだ時、それを見ながらママが訴えるように語りだした。
「うそう、あの客、少し怪(おか)しいんじゃないって、お店を閉める時、云ってたんですよね」
「ほう…、何が怪しかったんだ?」
「それがさ、丁度、満君の座ってる席に座ってたんだけどね、その紳士。手持ちの鞄から紫の布切れに包んだ水晶玉を取り出してさ、カウンターへ置くのよ」
「んっ、それで?」
 私は奇妙な話は高い確率で割合と信じる方なので、早希ちゃんの話に耳を欹(そばだ)てた。
「で、さあ。カクテルをひと口美味そうに飲んでね、布切れをゆっくりと開けると、玉を覗き込んだの」
「この店に近く、幸運が訪れます。それがどういう形で起こるのか、今は云えません。この次、お寄りした時、お話の続きをしましょう、ってね。なんか意味深でさあ、イカサマにしちゃ真実味もあるし、気味悪くなってさ」
「それ、いつの話なの? ママ」
「つい最近よ。早希ちゃん、いつだったかしら?」
「確か…、えーっとね…。木曜…じゃなかった、水曜。そう、水曜の筈です、ママ」
「今日が火曜だから、一週間前か…」
「すぐ近くが交番だからさあ。まあ、余り恐くはなかったんだけどね」
「別の意味で怖かったんですよね」
「ええ…」
 ママの陽気な顔が幾らか曇ったように見えた。

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残月剣 -秘抄- 《霞飛び②》第十四回

2010年06月29日 00時00分01秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《霞飛び②》第十四
鴨下は、どうも剣士というよりか調理人に向いている風であった。
 鍋の近くには三ツ葉の数本が適度に刻まれて小皿に盛られている。念の入ったことに、その前には更に漆椀が置かれていて、至れり尽くせりに準備されている。こういった気配りは鴨下の生まれ持っての性分なのだろう。それが、外見の風貌とは全く異なっている点で、左馬介を笑わさずにはおかなかった。
 椀に汁を装って三ツ葉を入れ、それを持ってふたたび堂所へと戻る。長谷川の横の席へ座り、椀を置くと鰻重の蓋(ふた)を取る。夏場だから、まだ充分に暖かい。雨勢は少し弱まったようで、薄墨色に染まった空の塩梅も、少し薄まったようである。それでも、まだいつもの雨以上には降っていた。
「どうやら、峠は越えたようですね」
「…そうだな」
 鴨下が廊下の方を見て云い、長谷川が朴訥(ぼくとつ)に答えた。
 夕方には、あれほど降っていた雨が止んだ。いつ止もうと左馬介はよかった。明日からの行方(ゆくえ)が全く見えない左馬介である。新しい剣技を編み出す稽古の方法は勿論だが、何処で如何なる技を…など皆目、定まらないのである。定まらぬと云うより見当がつかないと表現した方が的(まと)を得ているのかも知れない。


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第五回)

2010年06月29日 00時00分00秒 | #小説

  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                            
    第五回
「ダブルでいいわね?」
「うん…」
「ママ、ダブル…」
 早希ちゃんは注文をママに入れ、ツマミの焼きスルメにマヨネーズを添える。そしてその小皿をカウンターへ置いた。
「仕事じゃないんでしょ? こっちへ来なさいよ」
 椅子に座りながら、早希ちゃんは私をカウンター席へ誘った。会社での接待は必ずと云っていいほど、この店を使わせて貰っていたのだが、いつも座るテーブルは決まっていた。私が他のテーブルへ座っている姿を誰も見た者がないほどの徹底ぶりで、或る種、拘(ごだわ)りの域を超えているようでもあった。店の二人が、そのような私の徹底ぶりを、どの程度、変に思っているか訊いていないので分からないが、私としては別にどこへ座ってもいいのである。しかし、その席がどうも落ち着くのだ。それで自然と無意識に腰を下ろしているという、ただそれだけの話だった。
 私はカウンター席へ移り、椅子へ腰を下ろした。丁度、ママが水割りを作り終えたところで、私が座ると同時にタイミングよくグラスがテーブルへ置かれた。


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残月剣 -秘抄- 《霞飛び②》第十三回

2010年06月28日 00時00分01秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《霞飛び②》第十三
鴨下は長谷川に云われた手前、雨漏りが多少、気になっていたが、素振りには出さず、ゆったりと堂所へ移動した。長谷川も、その後方に続いた。雨勢が強まったお蔭で、それ迄の暑気は幾らか薄れ、暖かな風の中にも冷気が混ざり心地よい。その風が、開け放たれた戸口より雷鳴とともに入ってくる。雷などを恐れる者は堀川一門には誰一人としてしない。腕で劣る鴨下でさえ、そこまで肝(きも)は細くなかった。
 堂所で二人が鰻重を半ば食べ終えた頃、左馬介が現れた。
「左馬介さん、厨房に肝吸いが温めてあります。…前と同じ鍋です」
 左馬介は、その言葉を耳にして鴨下へ軽い礼をすると、堂所から厨房へと回った。
「これは夕立と云うよりか、夏の嵐だ…」
 長谷川が笑いながら隣に座る鴨下に話し掛けた声が、左馬介の背に響いた。
 厨房には竃(へっつい)に乗せられた見慣れた鍋があった。その鍋の蓋(ふた)を取ると、鴨下が云った通り、肝吸いの出汁(だし)が時折り湯気を立てて煮えている。焚き木は上手い具合に消えるでなく、かといって燃えるでもない状態だ。簡単なようで、このように頃合いにしておくというのは或る種の才能とも云えた。


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第四回)

2010年06月28日 00時00分00秒 | #小説

  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                
    第四回
 人通りは天候の加減か、いつも程はなく、私は、とある行きつけのスナックのドアを開けた。その店は、いつだったか、時研の村越さんや悟君と闊歩した通りを少し奥へ入った細い路地の雑居ビルにあった。
「あらっ、満君じゃない。今日はお一人?」
 ママの明日香さんは四十半ばの小股の切れ上がったなかなかの美形で、こんなことを云っちゃなんだが、年増男のわりには色気があった。
「ん? まあ、見ての通りですよ…」
 すると、もう一人、『スナック・みかん』の看板娘の早希ちゃんが店奥から顔を出した。彼女は、れっきとした女である。。…だろう。…ほぼ、間違いないように思う。私はこの早希ちゃんに幾らかホの字で、行きつけの店にしている節が正直なところなくもない。二人とも源氏名だから本当の名までは知らず、まあその程度の付き合いに終始していた。実は、もう少し早希ちゃんに近づきたかったのだが、どうもシャイな性格が邪魔をして、全く関係は発展する兆しを見せなかった。
「まあ、悟君。今日は一人なのね…」
「そうさ、一人で来ちゃ悪いかい?」
「あらっ、少し怒ってる? 可愛い!」
 ニコッと笑った早希ちゃんの顔で怒りを忘れてメロメロになってしまうのだから、私もまあ、その程度の男だ。


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残月剣 -秘抄- 《霞飛び②》第十二回

2010年06月27日 00時00分01秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《霞飛び②》第十二
だから、立て続けの鰻となったのだろう。当然、懐具合が充分だから出来たのであって、多人数の賄いがあった昔ならば、そのようなことは絵空事であった。
「有難うございます。では、遠慮のう…。後から参りますので…」
 そう云うと、左馬介は長谷川と別れて自分の小部屋へと向かった。入れ違いに玄関へ鴨下が現れた。
「左馬介さんの声がしたようですが…」
「そうよ、今し方な…。しかし、大降りになる前に戻ってよかったぞ。あれを見い…」
 長谷川が指さす外は、土砂降りの雨簾(すだれ)であった。鴨下は、長谷川が指し示す方向をじっと見た。
「ほんとだ…。こんな凄い雨は、久しく見たことがありません。どこぞ、雨漏りせねば、ようございますが…」
「ははは…。相変わらず、お前は歳の割りに脆弱だなあ。そのような小賢(ざか)しいことを考えず、捨ておけい。だから、剣も上達せんのだ…」
 鴨下は、つまらないことで長谷川に叱責され、手抜かった…と思えたのか、顔を顰(しか)めた。雨は益々、その雨勢を強めていた。


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第三回)

2010年06月27日 00時00分00秒 | #小説
  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                 
    第三回
 秋の夜は何故か物悲しく、アンニュイな気分になる。いつの間にか私はカーラジオの音楽を流していた。目と鼻の先に街のネオンが輝きだした頃、急にフロントガラスが雨滴で濡れ始めた。小一時間も前は、夕日が辺りを染めていたのだ。それが嘘のように時雨だしている。女心と秋の空か…、いや、それは男にも云えることだが…などと妙な想いを巡らせながらワイパーを回した。それも束の間、もうコイン駐車場のPという標識が見えてきた。この駐車場には何度か車を入れたことがあるから要領は知っていた。他の駐車場と異なり、どういう訳かここだけが六時間二百円という法外な格安料金だった。そんなこともあってか、いつも満車近くの混み具合で、入れられるかどうか…と冷や汗ものだったのだが、この日は幸いにも空きスペースが何ヶ所かあり、ラッキーという他はなかった。私は車を止めると、折り畳みの雨傘を取り出し街を漫(そぞ)ろ歩いた。こんなこともあろうかと常時、車の中には雨傘を忍ばせておいたのだが、今回は大当りの部類といえた。街には初秋の風が漂い、雨滴もそう強くはならなかったから、歩行に難儀するということは幸いなかった。

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残月剣 -秘抄- 《霞飛び②》第十一回

2010年06月26日 00時00分01秒 | #小説

         残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《霞飛び②》第十一
夏の夕立ちは、時折り、こうした豪雨となる。今日が正にそれだった。
 左馬介が玄関で人心地をついた。濡れた着物を手拭いで拭きながら外の雨模様を眺めていると、そこへ長谷川がドカドカと廊下を歩いて現れた。
「おお…、よう降ってきおったわ。左馬介、少し濡れたか?」
「えっ? いえ、そう大したことは…」
「そうか…」
 それ以上は訊かず、長谷川は話を転じた。
「つい今し方、鰻政の鰻が届いたところだ」
「また、ですか?」
「なんだ? 何か不足か?」
「いや、そういう訳じゃないんですが…。この前もお相伴に与(あずか)ったところですから…」
「ははは…。食える時に食っておくのよ。俺もお前も、勿論、鴨下もそうだが、堀川を出れば、もう食えるかどうか分からんぞ」
 豪胆と云うか、恐れを知らぬと云うのか、長谷川には心の直なところがあった。猪でもあるまいが、こう…と思えば、その考えを曲げることなく実行せねば治まらない性向があった。


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第二回)

2010年06月26日 00時00分00秒 | #小説
  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                 
    第二回
 そういや、窓から差し込む夕日はすでになく、静寂(しじま)に混ざる薄闇が辺りを支配しているではないか。要は、とっぷりと暮れた陰鬱な課内に一人いて、しかも陰気に何をするでもなくポカンとしていた訳だ。時研で村越さんや悟君と活動していた頃は、確かに多忙で居眠りなどをして上司に注意されたりはしたが、仕事はアグレッシブに熟(こな)していた。それが今は、何か身体に穴が開いたような空虚感に苛(さいな)まれている。
「…あっ! 禿山(はげやま)さんでしたか。もう帰りますから…。どうも、すみません」
「いいえ、私も仕事ですから見回っとるだけで、別に急がれなくても…」
「いやあ、どうも。ははは…最近、どういう訳か、よく考えごとをしてしまいまして…」
「いろいろお有りで、お疲れなんでしょう。それじゃ…」
 禿山さんは、それ以上のことは語らず、制帽に軽く手をかけるとお辞儀してドアを閉じた。彼の気配が消え、私も机(デスク)の施錠をすると席を立った。黒茶の手提げ鞄が、この日に限って妙に重く煩わしかった。
 車を運転しての帰宅途中、急に繁華街へ出たくなった私は、ハンドルを街へと切った。

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