水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

生活短編集 22 箱モノ 

2014年03月31日 00時00分00秒 | #小説

「はい! 毎度、ありがとうございました」
「どうも…」
 引っ越しも済み、業者が帰った。遠藤は室内にうず高く積まれた段ボールの山を見回し、深くため息をついた。これから、この段ボールとの戦いが始まるのだ。段ボールを組立て荷づくりを始めた・・まではよかった。部屋のモノを入れていくにつれ、思いのほか箱の数が増えていった。少し整理した方がよかったか…と、入れたモノをもう一度出し、持っていくモノといらないモノに別けていった。すでにこの頃から少しため息が出ていた。業者が来るのが明日だから放っておく訳にはいかないと、また続け、ようやく夜8時過ぎに片づいたのだ。そして、今日である。遠藤はすっかり疲れていた。会社の仕事は疲れれば要領でなんとか凌(しの)げたが、プライべートな自分のことは手を抜く訳にはいかない。引っ越し作業がその例だ。まあ、それでも…と、ひと箱、ふた箱と開け、いつの間にか眠ってしまった。気づくともう朝の十時だった。日曜だからよかったが、これが月曜なら完全に遅刻である。遠藤はホッとため息をついた。そのとき、外で音がした。なんだろう? と窓から覗くと空き地に何かが建つようで、工事が始まっていた。すでに鉄骨が組み立てられていた。遠藤の脳裡に段ボール箱が浮かんだ。その瞬間、建物が段ボール箱に見えた。遠藤は目を擦(こす)った。また、ため息が漏れ、遠藤はテレビをつけた。国会の予算委員会が映し出されていた。野党議員が公共工事の無駄を削減する質問をしていた。
「箱モノばかり作って、何も使われてないじゃないですか! そんな無駄な予算をなぜ使うんです?! その予算で作ったものを維持できていれば、トンネルの落盤事故は起こらなかった! 違いますか?!」
「丸太建設大臣!」
「総理! 総理の答弁ですよ!」
 賑やかなこった…と遠藤は画面を見ながら冷(さ)めた目で思ったが、ただ一つ、箱モノという野党議員の言葉だけが心に残った。
 その夜、遠藤は夢を見た。段ボール箱が遠藤のベッドを取り囲んでいた。
『遠藤さん! 起きて下さい。私達は箱モノです』
 遠藤は薄目を開けた。段ボール箱が話していた。
「なにか?」
『いや、別にどうのこうのじゃないんです。余り毛嫌いされるのもなんですから、少しはイメージを回復しようと皆で集まったんですよ』
「そうでしたか…。いや、君達は役に立ってるんだけどね。役に立たない箱モノが多いってことです」
『確かに三次元は無駄なモノが多いようですね、反省します』
「いや、君達じゃなく、人間が反省することです…」
 そのとき、映像が遠退き、気づけば朝だった。朝日が昇っていた。遠藤は箱モノのトラウマから脱け出していた。

                                完


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生活短編集 21 験(げん)かつぎ 

2014年03月30日 00時00分00秒 | #小説

 ありとあらゆる全(すべ)てのことに験(げん)をかつぐ男がいた。この男の名は北矢洋二といった。験をかつぐとは、ある種の呪(まじな)いである。過去によい結果だったから、それと同じことをして吉兆を呼び込もうとする行為だ。
 白々と夜が明け始めた頃、北矢は自宅の離れにある専用の洞(ほら)の中で護摩木を焚いていた。今日の朝食のおかずは何にしよう…と迷い、精神を集中するためである。昨日(きのう)の朝は厚焼き卵を添えたが残念な一日になってしまったのだ。『よし! ここはひとつ験をかつごう…』と北矢は思った。三日前は納豆に白ネギを刻んで入れたものを添えたが、これがどうして、抜群の好結果を生んで、北矢フードの売り上げは跳ね上がったのだった。その験をかつごうというのである。そうと決断すれば北矢の動きは速い。アッ! という間に朝食の準備が整い、食べ終えていた。その間(かん)およそ15分。早食いは消化に悪そうだが、北矢は生れもって胃腸が弱く、雑炊とかお粥(かゆ)にして主食のご飯がわりにするのが日常だった。
「店長! また大口が舞い込みました! どうします? アルバイトを雇(やと)わないと品が揃(そろ)えられませんよ!」
 食後、洗い物をしていた北矢の携帯に責任者の坂波から一報が入った。
「ちょっと待ってくれ! 十分後にこちらから連絡する」
「分かりました…」
 坂波は携帯を切った。北矢は足早にそそくさと、ふたたび洞へ向かった。洞へ入ると座り込み、一心に護摩木焚きである。そして、五分ばかりが経過した。
『今を遡(さかのぼ)ること二年前…あのときもアルバイトを雇おうとしたんだ。ところが、その日を境にどういう訳か売れ行きが落ち始めたんだった…。よし、これだな!』
 北矢は立つとすぐ携帯を手にした。
「坂波君か! 悪いが大口は無理だ。当分は小口にしてくれ!」
「分かりました!」
 その日の夕方、坂波から北矢にまた携帯が入った。
「店長! 小口にしてよかったですよ。朝に電話した大口の取引先ですが、先ほど不渡りを出し、倒産しました!」
「そうか、よかったじゃないか。ははは…」
 坂波の携帯が切れた直後、北矢は夕飯のおかずを何にしようか…と護摩木を焚いていた。五分ばかりが過ぎ、おかずが決まった。北矢はそそくさと、炊事場へ向かった。どうも、しゃぶしゃぶに決まったようである。験がいいおかず、ということのようだ。
 これは余談だが、北矢が北矢フードへ出勤した日は一度もない。すべては坂波が店長代理で店を取り仕切っている。そのすべての采配(さいはい)は北矢への携帯で決まるのである。

                                完


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不条理のアクシデント 第五十話 ひまわり荘 

2014年03月29日 00時00分00秒 | #小説

 ひまわり荘の住人は朝、太陽が昇り始めると、どの部屋の者も一斉(いっせい)に起き出す。そして、日没とともに一斉に眠るのだ。太陽が顔を覗(のぞ)かせない日は一日中、眠るという奇妙な生活を繰り返していた。で、ややこしい日はどうなのか? といえば、それぞれが自由で、好きな時に起きて眠るというのが通例になっていた。当然、近所の住人達は異端視し、煙(けむ)い目で彼等を見ていた。ひまわり荘は下階が左右5室づつ並ぶ10室で、二階も同じ構造で作られて10室分あったから、計20室構造のアパートである。
 アパートの表はチラホラと野草が生える空き地になっている。朝、入口から出てきた一番、古株の寺崎が両手を広げながらストレッチを始めた。その少し前から軽めのストレッチをしているのが元林である。こちらも同じくらい古くからこのアパートに住んでいる。二人は仲のいい中年女だ。
「あ~~、いいお天気ですわねぇ!」
 寺崎が元林に声をかけた。
「ええ! ですわね」
 いつもの挨拶と見え、ストレッチをしながらスンナリと元林は返した。するとしぱらくして、一人の老人が、ゆったりと出てきた。高山である。この男は、ひまわり荘の大家(おおや)を兼ねた住人で、いわばアパートの長老的存在だった。高山は女性二人と少し離れたところでストレッチを始めた。
「おはようございます!!」 「おはようございます!!」
 寺崎と元林は同時に高山へ挨拶の言葉を投げた。
「ああ、おはようさんです!」
 高山も二人に声を返した。しばらくすると、残りの17人が全員、背広、カーディガン、ジャージ、割烹(かっぽう)着など様々な服装で無秩序に出てきた。しかし、空き地の決めごとのように男女にきっちり分かれていく。いつの間にか二集団に別たれ、身近な者と挨拶を適当に交わしながらそれぞれストレッチをやり始めた。このストレッチも各自各様に身体を動かしているから、傍目(はため)には実に不 揃(ふぞ)いで見苦しい。そんな他人の目はお構いなしの住人達だった。
 今日は決められた家賃納付日である。ところが、滞納してもひまわり荘では大家からの請求がない。いわば、自由納付の決まりになっていた。大家の高山はこのアパートをボランティア気分で貸していた。いつでも納められるときに納めて下さいという方針で、要は、あるとき払いの催促(さいそく)なし、というやつである。だから、借りてから一度も納めていないという住人も数名いた。高山も忘れるほどで、形ばかりの帳簿は作っていたが、計算をしたことがなかった。お金を徴収しないアパートとしてギネスに申請すれば、間違いなく登録されることは疑う余地がなかった。ただひとつ、高山は気に入った者にしか部屋を貸さなかった。書類審査とかではなく、早い話、肩書などはどうでもよく、人間性である。これは! と高山を唸(うな)らせれば、まあ、衣食住(いしょくじゅう)の住の心配は本人が出ていくと言わないかぎり一生、保障されたと言ってよかった。 
「皆さん、今朝は月終わりの晴れの日ですから、ご都合がよろしければお持ち下さい。待っております。ああ、お悪い方は結構ですよ。いつものように朝から夕方まで私はおりますから、好きなときにノックして下さい」
「と、いいますと、大家さんは今日もカップ麺ですか?」
「はい、その予定をしております」
 一同からドッ! と笑声が起こった。
「では、これで解散しましょう。その前に、いつものご唱和をお願いします。よろしいですか? …今日も和(なご)やか、ひまわり荘! はいっ!!」
「今日も和やか、ひまわり荘!!」 「今日も和やか、ひまわり荘!!」
 大家の高山に続き、全員が唱和する。
「明るく、のどかに暮らそうよ! はいっ!!」
「明るく、のどかに暮らそうよ!!」 「明るく、のどかに暮らそうよ!!」
 全員が、ふたたび唱和した。 
「皆さん、有難うございましたぁ~~!」
 高山が他の住人達にお辞儀すると、他の者達もお辞儀し、ざわつきながら解散していく。出勤する者[太陽が出ている日とややこしい日だけ勤務する条件付きアルバイト]、ジョギングをする者、趣味を楽しむ者、小説家を目指す者…種々、雑多だ。ひまわり荘の一日が始まった。

                               完


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不条理のアクシデント 第四十九話 十一段 

2014年03月28日 00時00分00秒 | #小説

 プロ棋士二人による囲碁十段戦の対局が繰(く)り広げられている。辺りは静寂のみが支配し、時折り、パタパタと扇子を動かす音や記録係の読み上げる声などが小さく聞こえるだけで、あとは一切の気配がなかった。突然、後手番の平田十段の右手が動き、碁笥(ごけ)の白蛤(はまぐり)石がピシッ! と盤上に音高く打たれた。
「白18の4、ツケ」
 半分、睡魔に襲われウツラウツラと頭(こうべ)を垂れていた源田九段は、その石音にハッ! と目覚めた。うんっ? と打たれた白石を見つめると、次の瞬間、源田九段は那智黒石をより大きな音でピッシッ!! と盤上に打った。
「黒18の5、ハネ」
 すぐに平田十段の手が動いた。
「白18の3、ヒキ」
 記録係の声が静かに響く。盤上を見た源田九段が、ウッ! とひと声あげ、顎髭(あごひげ)に片手をやりながら揉(も)み始め、考え始めた。そして20分が経過したとき、考え倦(あぐ)ねた末(すえ)の源田九段は静かに黒石を一目(いちもく)盤上の隅に置き、対峙して座る平田十段に軽く頭を下げた。
「ありません…」
「えっ!?」
 平田十段は手の扇子を握りしめ、驚いた。時計係と記録係の二人も同時に「さあ?」と顔を見合わせ、首を傾(かし)げた。無言の時が束(つか)の間、流れた。歴史的な前代未聞の珍事が棋院で起きた一瞬だった。
「ひ、平田十段の中押し勝ちでございます…」
 平田十段はこの一番に勝ち、十段位を防衛したのである。
「いやぁ~参りました。平田十一段」
「はぁ?」
 平田は源田の言葉が解せず、顔を窺(うかが)った。それでなくても、なぜ源田が投了したのかが平田には皆目、分からなかったのだ。かねてより囲碁界では奇才の変人と言われる源田である。
「ははは…ジョーク、ジョークですよ。それじゃ、お先に…」
 顎髭をふたたび撫(な)でつけると、源田は席を立った。実はウツラウツラとしていたとき、源田九段は朧気(おぼろげ)に夢を見ていたのだった。その夢の中では雲の階段が続いていて、丁度、十段目が、やや広めの踊り場になっていた。そこには平田十段が悠然と笑顔で座っていて、源田九段を手招きしていた。源田九段は九段目の階段を踊り場へ昇ろうとするのだが、どうした訳か足が動かなかった。平田十段は、『それじゃ、お先に…』と言うと、立ち上がって十一段目の階段に昇り、腰をふたたび下ろした。そのとき、ピシッ! と石音がして、源田九段は束の間の夢から現実に戻されたのだった。夢の階段は十一、十二、十三段…と、ずっと続いていた。

                                完


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不条理のアクシデント 第四十八話 腰かけ峠 

2014年03月27日 00時00分00秒 | #小説

 今から数百年ほど前、とある山村に彦一という百姓が暮らしていた。その男が耕す田畑は、どういう訳か、山一つ越えたところにあった。いわゆる飛び地である。どうしてオラの田畑(でんばた)さ、山向こうにあんだ? と日頃から彦一は不思議でならなかった。彦一以外の村の者達は朝、田畑へ出て耕作し、昼になれば持参の昼飯を食べ、夕方前にまた家に帰れば事足りた。だが彦一の場合、そうはいかない。他の者達と同じ分の耕作をするには早く家を出て山を越えねばならないのだ。そして、山向こうにある田畑へ着いた早朝には、すぐ耕作を始める必要があった。だから、暗いうちから起きて朝飯用の握り飯を作らねばならなかった。朝飯は家を出て歩きながら齧(かじ)り、竹筒の水を飲んで渇きを癒(いや)した。しかも昼に飯を食らうのはいいが、八つ時には耕作をやめ、日暮れまでに家へ戻(もど)らねばならなかった。人の倍は働いたことになる。
 そんな日々を彦一が続けていたある日のことである。いつものように彦一は家を出て山の峠に差しかかった。あとは下りである。脚が勝手に下りて行くから、ほっとひと息つける気分になれるところだ。この峠は昔から腰かけ峠と呼ばれ、一度、腰を下ろすと天の使いが声をかけるまで立ち上がれない・・という腰かけ石の謂(いわ)れが伝わっていた。毎朝通る峠だから、彦一は当然、その腰かけ石の前を通った。しかし、村に伝わる謂れも知っていたから、彦一は見て見ぬ振りで通り過ぎるのだった。心では、そったら馬鹿な話だばねだ…と思いながらも、やはり怖さも手伝って通り過ぎていたのである。だが、その日は、少し彦一の気分が昂(たか)ぶっていた。同じ村に住む多恵という娘を嫁にする話が纏(まと)まったからである。彦一は浮かれていた。少し気分が昂ぶり過ぎ、峠に出た頃には疲れがどっと出た。そんなこともあり、彦一は腰かけ石に座ってしまったのである。すでに辺りは黄昏(たそが)れが迫っていた。しばらく座っていると、ようやく疲れも取れ、あとは下って村さ戻るだ・・と彦一が腰を上げようとしたときである。どうしたことか、彦一の身体は石に吸い寄せられたようにびくとも動かなかった。立とうとしても立てないのである。彦一の額(ひたい)に冷や汗が流れ始めた。そして、とうとう漆黒の暗闇が辺りを覆った。梟(ふくろう)の鳴く声がどこからか聞こえる。山下の村の灯りがチラホラと見えるのが彦一の唯一の救いだった。そのとき、一陣の風が舞った。赤い光が一瞬、輝き、声がした。
『なにをしておる、彦一よ! 浮かれるでない。この石に座ってはならぬ。今度(こたび)だけは日々の精進に免じて助けて遣(つか)わす。以後は、心せよ』
 声のあと、ふたたび赤い光が一瞬、輝き、風が舞った。彦一は嘘のように立つことが出来た。その後、彦一はその石には二度と座らず、妻と二人で幸せに暮らしたそうである。

                                  完


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不条理のアクシデント 第四十七話 豆腐売り 

2014年03月26日 00時00分00秒 | #小説

 今からもう、五十年ばかり前の話である。串木町にある細い路地伝いをいつも通る豆腐売りがいた。その年老いた豆腐売りの名は誰も知らなかったが、それでも滅法、美味(うま)いという評判が立ち、小一時間もすると、瞬く間に売り切れとなった。それもそのはずで、豆腐売りが自転車の荷台に積んで売るのだから、数は限られているのだ。豆腐だけでなく、油揚げも美味で好評だった。豆腐売りはすべて売れると音もなく消え去った。その気味悪さに、誰も豆腐売りのあとを追う者はいなかった。
 串木町には古くから祭られているお蔭(かげ)稲荷という小さな社(やしろ)があった。言い伝えによれば、人に助けられた狐がお礼にと、この辺りの住人を守っているのだという。なんでも、病気が退散したとか、枕元に狐火が燃えたとか・・話は十や二十では尽(つ)きず、人々は祠(ほこら)と社を奉納して参るようになったという話である。豆腐売りの油揚げや豆腐がすぐ売り切れたのも道理で、串木の住人はその買った油揚げをその社へ供えた。その油揚げは次の朝、綺麗に消えていた。
「ふん! どうせ、獣(けもの)かカラスの仕業(しわざ)に決まってる」
 串木の住人は誰彼となく、そう言った。
 ある日、またいつもの年老いた豆腐売りがどこからともなく現れた。自転車にはゴム球の先に金属製の笛が付いているラッパがあり、指でゴムを握ると、♪パプゥ~~、パプゥ~~♪と、鳴り響くのだった。その音がこの日も聞こえ出した。女房達は我先にと鍋を持って路地に急いだ。そして、この日もいつもより早めにすべてが売り切れとなった。
「ほんとに美味しいし、安いんで助かるわぁ~」
 一人の中年女がお世辞含みで言った。豆腐売りは手拭(ぬぐ)いを頭から顎(あご)にかけて巻いて括(くく)り、さらに薄汚れた帽子を阿弥陀に被(かぶ)っている。その頭を無言で軽く下げた。なにか話を期待していた中年女だったが、返事がないから黙って去った。皆が家へ戻ったのを見届けた豆腐売りは、辺りを見回すとスゥ~っと自転車とともに霞(かすみ)に変化(へんげ)した。それを二階の物干し台から見ていた男がいた。豆腐売りに声をかけた中年女の亭主である。どうも女房に豆腐屋が消える最後を見届けるように言われていた節(ふし)があった。男は霞の流れていく方角を目で追った。すると、霞はお蔭稲荷の鳥居の中へ入って消えた。男は妙だぞ? と訝(いぶか)った。その日の深夜、男はお蔭稲荷をじっと監視した。すると、誰もが寝静まった真夜中、一匹の狐が供えられた油揚げを自転車の荷台に積んだ箱へ入れ、木(こ)の葉を一枚置くとなにやら呪文をかけた。荷台の箱はたちまち白煙に覆(おお)われた。そして白煙が消えると、狐は箱の蓋(ふた)を開けた。箱の中には豆腐やら油揚げが一杯に入っていた。油揚げは供えられたものではなく、新しい油揚げに変化しているようだった。男は近づき過ぎて、滑(すべ)りそうになった。その音を狐は見逃さず、たちまち、自転車とともに姿を消した。
「まさか…」
「いや、ちげぇねぇ~!」
 亭主は女房に、かくかくしかじか…と一部始終を話した。次の日以降、豆腐売りは姿を見せなくなった。そして、供えられた油揚げも次の朝、そのまま残るようになった。
 そんな串木町のお蔭稲荷に纏(まつ)わる話を私は子供の頃、聞かされた記憶が残っている。

                           完


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不条理のアクシデント 第四十六話 選挙 

2014年03月25日 00時00分00秒 | #小説

 竹谷は国政選挙を終えて帰ってきた。よく考えれば、今日しなければならないことはあった。だが、今まで行かなかったことはなかったから、台風が接近する中、惰性で行った・・というだけのことである。お蔭で傘が一本、強風で駄目になったが、まあ、買い替えようと思っていたからいいか…と軽く流した。竹谷は誰がいいとかは全く決めていた訳ではなかった。しかし、投票所へ行くことだけは前夜、決めていた。投票所へ入り選挙用紙を係員からもらい、鉛筆で記入した。昨日(きのう)、最後に耳に入った選挙演説の立候補者を書いた。なかなかいい声で演説が上手く、マスコミが注目していたから印象に残ったということもある。政策とかは、まったく竹谷の念頭になかった。
 帰って暖房を入れ、竹谷は温(あたた)かいココアを喉(のど)に流し込んだ。その途端、ふぅ~っと身体が和(なご)み、人心地ついた。
 深夜、選挙速報を見ながらふと、竹谷は思った。期日前投票が出きるのだから、当日だけじゃなく、三日ほど有効期間を設けたらどうなんだろう。そうすれば投票率も50%を下回ることがないんじゃないか…と。有効期間が三日の投票券である。一票の格差も確かに問題だが、民意を反映させるには制度も弄(いじ)らないと駄目だろうと、竹谷は、また思った。選挙のたびに一票の格差問題で選挙無効の訴えが起こる昨今だが、なんか足元を見忘れているように竹谷には思えた。
 仕事疲れからか、いつの間にか竹谷はウトウトした。竹谷は晴れ渡った青空を見ながら歩いていた。ポケットには選挙用紙があった。目の前に投票所が近づいてきた。不思議なことに投票所の方が竹谷の方へ近づいていた。竹谷は、おや? っと思い、立ち止った。投票所は竹谷の前、数mのところまで近づくと、ピタリ! と止まった。
『お待ちしておりました!』
 竹谷はギクッ! とした。総理大臣以下、テレビでよく見る顔がずらりと並んでいた。竹谷は、まるで自分が国賓(こくひん)待遇にでもなった気分がした。そのとき、電話が鳴る音がした。竹谷は懐(ふところ)へ入れた携帯を弄(まさぐ)ったがバイブはしていなかった。辺りを見回したとき、建物や人々の姿がぼやけ、意識が遠 退(の)いた。
 竹谷が気づくと、部屋の電話が鳴っていた。竹谷は夢を見ていたのだった。
『お待ちしております!』
「えっ?! どちらさまで…」
『先ほど投票所前でお会いしましたが…』
 話のあと、笑い声がした。竹谷は、そんな馬鹿な! と思った。そしてゾクッ! と身体に寒気(さむけ)を覚え、怖くなった。

                                  完


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不条理のアクシデント 第四十五話 天下の回りもの 

2014年03月24日 00時00分00秒 | #小説

 リストラで働き場を失った釣海は、ハローワークの失業保険金でどうにか月々の生活を凌(しの)いでいた。そして、今日もハローワーク通いである。最初のうちはよかったが、半年もすると係の堀田は釣海を見るたびに嫌な顔をするようになっていた。
「少し高望みなんじゃないですか? 釣海さん。この辺りのランクで手を打たれた方がいいんじゃないでしょうか…」
「ええ、それはまあ、そうなんでしょうが…。今一つ、私にはしっくりしないんですよ」
「まあ、お電話しておきますから一度、行ってみて下さい。私も上から言われるんで…」
 堀田は後ろに座る上役席をチラ見し、頼み顔で軽く頭を下げた。
「分かりました。じゃあ、とりあえず行ってはみます」
 [行ってみます]とは言わず、[行ってはみます]と、[は]を入れたのが釣海の味噌である。一応、あなたの顔は立てましょう・・という上手投げの言いようだから本末転倒で、どちらが係員なのか分からない。実は堀田は釣海の近所で顔なじみだった。子だくさんで平職員の堀田の生活も、なかなかどうして、自分と変わらず大変なように釣海には見えた。だから、出世して金を少しでも家計へ…という気持も分からないではなかった。ともかく、そんなことで、釣海は堀田が紹介した潮路干物(ひもの)産業へ行くことを了解した。
 潮路干物産業は割合、分かりやすい海岸伝いにあった。外見はどう見ても漁村の一軒家だった。
「うちは家内規模でやってますんで、そう多くはお出しできませんよ」
「やはり、そうですか…」
「どこへ行かれても、ご希望の額を出すところは…」
 ねぇ、あんたもその辺は分かるでしょ? という顔を潮路はした。
「はあ…」
「まあ、この額でよろしければ、いつからでも来て下さい。お待ちしてます」
 案の定、希望した額はもらえそうになく、釣海は、ご返事はハローワークから…と暈(ぼか)し、潮路干物産業をあとにした。帰る途中、釣海は携帯で堀田を呼び出し、かくかくしかじか…と伝えた。
『やはり、駄目でしたか。まあ、仕方ないですね。一応、私の顔も立ちましたし…』
 堀田の声は最後の方が聞こえないほど小さくなった。
『えっ?! はあ。まあ、そういうことで…』
 語尾を濁して携帯を切るのが、いつの間にか釣海の常套(じょうとう)手段になっていた。
 ハローワークへ行く日がまた巡り、釣海はハローワークの通用門を潜(くぐ)ろうとした。そのとき、ふと後ろから釣海は声をかけられた。
「ははは…また、お見かけしましたね。私も失業中でして…」
 釣海が振り返ると白髭(しろひげ)の初老の男が笑って立っていた。釣海にはまったく面識がなく、見た覚えもなかった。こんな男…いたかな? と、釣海は訝(いぶか)しげに軽く頭を下げた。
「我々にはなかなか回りませんな、金は。天下の回りものといいますが…」
「はあ…」
「そのうち、あなたには回るでしょうが。ははは…」
 二人は一緒に自動ドアを入った。
「釣海さん!!」
 堀田が渋顔で釣海を呼んだ。上司の手前、内心とは別の作り顔である。釣海はレギュラー席のように馴れた所作で堀田に対峙(たいじ)して座った。
「あのう…あの方も失業中なんですか?」
 釣海は小声で堀田に訊(たず)ねた。
「えっ?! どなたです?」
 堀田は辺りを見回した。釣海も見回したが、一緒に入ったはずの男の姿は忽然(こつぜん)と消えていた。
「あれっ? おかしいなぁ~…」
 そんなことがあり、相変わらず釣海はハローワークへ通っていたが、その日は振り込みの日だった。釣海は引きだしたあとの通帳と現金を確認して唖然(あぜん)とした。通帳残高は1億を超えていた。

                               完


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不条理のアクシデント 第四十四話 揃[そろ]えて下さい 

2014年03月23日 00時00分00秒 | #小説

 日々、仕事に追われる野上は弱音を吐かない性格からか、窶(やつ)れながらも頑張っていた。帰宅するのがやっとで、いつも玄関で靴を脱がず、崩れるように爆睡しているのだった。気づけばいつも深夜帯の十時を回るのが常であった。空腹対策はそうなることを見越して、駅近くにある常連の食堂で済ませ、改札を潜(くぐ)った。そんな毎日が続いていたが、この日もいつものように残業を済ますと野上は常連の食堂で食事を済ませ、箸を置いた。すでに野上の意識は時折り朦朧(もうろう)とし、睡魔が忍び寄っていた。
『あっ! お客さん。揃(そろ)えて下さい!』
 野上は、辺りを見回した。客はもう一人いたが、その男は少し離れたカウンターで静かにラーメンを啜(すす)っていた。声はこの男ではない…とすれば誰だ。野上は店主を見た。店主は調理に集中していた。どうも店主でもなさそうだ…と思った。残るのは若い店員だけだった。調理待ちで、金属トレイを片手に隅に立っている。
「今、なにか言った、君?!」
「…?」
 野上に声をかけられ、店員は怪訝(けげん)な顔をして自分を指さした。
「そう!」
「えっ? なにも言ってませんが…」
「揃えて下さい、ってさ」
「はあ?」
「まあ、いい…。親父さん、勘定、ここへ置くよ!」
「へい、まいどっ!!」
 店主は野上を見ず、声だけ投げた。信用というほどのことではないが、注文や支払いの額が同じという、いわば常連客という馴染みの愛想だ。野上は空耳の内容が気になったのか、乱雑に置いた器を整えて立った。野上が後ろ向きになったとき、また声がした。
『そうそう…』
「えっ?!」
 野上は振り返った。
「お客さん、どうかされました?」
 店主が訝(いぶか)しげに野上を見た。
「いや、どうも…」
 野上は眠気のせいだ…と思った。駅→車内→駅と、どうにか耐えたが、家へ戻った途端、やはり野上は睡魔に襲われた。気づけば、いつものように靴を履(は)いたまま眠り、玄関に横たわっていた。気づいた野上はフラフラと立ち、靴を脱いで奥の間へ行こうと後ろを向いた。そのときである。
『あっ! 旦那さん。揃(そろ)えて下さい!』
「んっ? …」
 野上は突然、声を背に受け、振り返った。だがそこには、静まり返った玄関があるだけである。やはり、睡眠不足のせいだ…と野上は思った。野上は、ふたたび後ろを向いて歩き始めた。
『だめだめ! 揃えて下さい!』
 野上は確かに声を聞いたぞ、と再々度、振り返った。しかし、状況は同じで、静まり返った玄関があるだけである。野上はひと通り辺りを見回し、最後に玄関下へ視線を落とした。すると、乱雑に脱ぎ捨てた革靴が散らばっていた。野上はきちんと揃え、下駄箱の上へ置いた。
『そうそう…』
「えっ!?」
『それでいいですよ、もう…』
「ええっ?!!」
 野上は置いた靴をじっと、見つめた。
『だから、もういいんですよ。今後もきちんと、揃えて下さい』
 野上は自分の耳を疑ったが、声は厳然と聞こえていた。
『そうすれば、仕事も捗(はかど)り、片づきますよ』
「はい…」
 野上は靴に返事をしていた。
 それ以降、野上は物をきちんと置くことにした。すると、不思議なことに野上は仕事に追われなくなり、野上から疲れや眠気は消え失せていった。

                             完


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不条理のアクシデント 第四十三話 ため息 

2014年03月22日 00時00分00秒 | #小説

 三日前に降ったのだから、もう一度くらい降るだろうが、ここしばらくは降らないだろう…と山並は軽く思っていた。だが、その考えは甘く、朝起きたとき、雪はまた降り積もっていた。
「なんだ! またかよ…」
 静かな佇(たたず)まいの雪景色は好きだが、また疲れるか…という雪 掻(か)きをする自分の姿がふと、頭を過(よぎ)り、山並の口からため息が洩(も)れた。まあ、そんなことを思っても仕方がないか…と思いなおし、山並はふたたび深いため息を吐(つ)きながら、とりあえずベッドを出た。
 それからの小一時間は山並にとって重かった。だが、身体が勝手に動き、いつの間にか山並は雪掻きを終えていた。ふと、腕を見ると、もう昼近くになっていた。山並が、やれやれ…と家の中へ入ろうとしたとき、天から声がした。
『疲れさせて、すみません…。でも、私も仕事なんですよね。降らせなさい! と上から命じられれば降らさねばなりません』
 山並は雪空を見上げ、耳を澄ませながら見回した。しかし、どこにもその姿は見えない。気のせいか…と山並は視線を地面へ落とした。
『ははは…私は見えませんよ!』
「あの…僕に何か用ですか?」
 山並は声を探しながら雪空に訊(たず)ねた。
『いえ、そういう訳でもないんですが、少し時間が出来たもんで、声をかけたまでです』
「上って、誰ですか?」
『空を支配されておられる崇高(すうこう)な存在です。私達はお傍(そば)にも寄れません』
「ふ~ん…そうなんですか」
 山並は見えない存在と違和感のない普通の会話をしていた。他人が見れば、ひとりごとを呟(つぶや)くおかしな男と映っただろう。
「でも、僕だけになぜ?」
『それはあなたが、ため息を吐かれたからです。一度ならず二度までも…。私にも見栄がありますからね。一応、雪ですから』
「確かに、あなたは雪のようですが、それがなにか?」
『ですから、あなたに働いてもらったのですよ』
「と、言いますと?」
『私の仕事は人に働いてもらって、お幾ら? という存在なんですよ』
「言われている意味が分かりません」
『私も、あなたになぜこのようなことをお話しているのか分かりません』
 山並と雪の声は、ともに笑ったあと、深いため息を吐(つ)いた。

                               完


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