水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

忘れるユーモア短編集 (77)分相応(ぶんそうおう)

2020年06月30日 00時00分00秒 | #小説

 全(すべ)ての人に言えることだが、人には分相応(ぶんそうおう)というものがある。もちろん、それは見えるものではないが、度量(どりょう)とも言える生まれついて個人に備わった性質のようなもの・・と解することができる。この分相応を忘れれば、人は奈落(ならく)の底へと身を沈め、落ちていくことになるから怖(こわ)ぁ~~い。^^
 とある安アパートの一室である。どこかの寺で撞(つ)かれる除夜の鐘がグォ~~~~ン…と鳴り響き、いよいよ年越しのカウントダウンが始まろうとしていた。餅月(もちづき)は、両肘(りょうひじ)の上に餅々とした美味(うま)そうな頬(ほお)を乗せ、あんぐりとした顔で『今年もこの安アパートで暮れるんだなぁ~』と、思うでなく思った。大学の友人、茶柱(ちゃばしら)は、裕福な家庭に生まれ、同じ一人住まいながら、高級マンション暮らしだったから、餅月にすれば随分、違うなぁ~…と思えた。だが餅月が茶柱を羨(うらや)ましく思ったか? といえばそうでもなく、自分にはこれくらいの暮らしが分相応だな…と思えていたのだった。
 数年が経ち、二人が社会人になると、立場がどういう訳か逆転した。茶柱の家は没落(ぼつらく)し、その影響で茶柱自身も不遇の暮らしを余儀なくされることになったのである。
「よかったら、僕の住んでたアパートがあるよ…」
「助かった! 有難う…」
 これが二人が話した人生最後の会話である。餅月はその後、出世し、マンション暮らしどころか豪邸暮らしのマンション経営者になったという。  このように、人の分相応を量(はか)るのは、実に難(むずか)しいという結論になる。^^ 
  
                       


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忘れるユーモア短編集 (76)判断力

2020年06月29日 00時00分00秒 | #小説

 成人して年を重ね、老(お)いれば自然と判断力が鈍(にぶ)る。体力の衰えは仕方ないが、判断力には個人差があり、鈍る人は鈍るし、鈍らない人は年老いても鈍らない。逆に益々(ますます)、冴(さ)える人もいるくらいで、人の身体(からだ)は不思議と言わざるを得ない。私の場合は世間相場でフツゥ~~の判断力と勝手に判断をしている。^^
 とある結婚式場である。
「おいっ! 大丈夫なんだろうねっ?」
「ええ、そらもう…。なにせ1時間は空(あ)けておりますから、重なるなんてことは、どう考えてもあり得ません!」  式場チーフに係の担当者は自信あり気(げ)に返した。
「そうか…。まあそこまで君が言うなら大丈夫なんだろう。よろしい! その進行で…」
 チーフが語尾を濁(にご)したのは、今一、信用できない不安があったからである。
 その一時間後、A家の披露宴は盛大に始まり、大いに盛り上がりながら時が流れていった。そして、B家が予約した時間にあと、数十分というところまできたが、いっこうに終わる兆(きざ)しがなかった。
「おいっ!! 大丈夫なのっ!? B家の親族が来始めたじゃないかっ!! 君に判断力がないとは言わんが…」
「いや、大丈夫ですっ! もう、終わりますからっ!」
「…そうかい?」
 チーフは益々、盛り上がって終わりそうにないA家の披露宴を垣間見たあと、疑わしそうな目つきで係員をチラ見した。そして、いよいよ十分前が来なくてもいいのにやって来た。B家の親族はほぼ到着し、披露宴会場の前でザワつき始めた。
「おい!!! どうすんだっ!! 終わらんじゃないかっ!!」
「大丈夫です! もう、終わりますって…」
 そのとき、A家の披露宴会場に奇跡が起きた。あれだけ盛り上がっていた会場が、一瞬にしてお開きになったのである。いくつものテーブル席に座る来賓(らいひん)客は、一斉(いっせい)に席を立ち、ゾロゾロと帰り始めたのである。この光景は、誰が見ても奇跡という他はなかった。
「ねっ! でしょ!!」
 係員はチーフに、したり顔で言った。
「ああ…。信じられんっ!」
 チーフは小声で言うでなく呟(つぶや)いた。
 このように、判断力があるかないかの判断は、判断力がないと判断できないのである。^^
  
                                     


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忘れるユーモア短編集 (75)パターン

2020年06月28日 00時00分00秒 | #小説

 日々の小さなことは、うっかり忘れるのに、どういう訳かパターン化された習慣を忘れないのは不思議といえば不思議だ。ほらねっ! また始まったわ、いつものワン・パターン…などと他人や家族から陰(かげ)で囁(ささや)かれようと、本人はいっこうお構いなし、というのがパターンなのである。^^
 とある広場を速足で歩き、初老の男がしなくてもいいのにジョギングをしている。^^ それを遠目で見守り犬を散歩させる一人の女性・・その男の妻である。
「ったくっ! 今さらしたって遅いわよっ!」
 彼女の言うのも無理からぬ話で、実は数ヶ月前、夫が医者から、軽い指導めいた小言(こごと)を言われたのだ。言われたことが気になった夫は、さっそくジョギングを始めたのである。ところが、始めたのはいいが、雨の日も雪の日も・・という入れ込みようで、しないと一日が終わらない・・などという悪いパターンが定着してしまったのだ。妻としては、それまでは度々(たびたび)行っていた旅行もままならず、お冠(かんむり)となった次第である。
 皆さん! 忘れることなくいいパターンを心がけましょう。^^
  
                                     


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忘れるユーモア短編集 (74)後退

2020年06月27日 00時00分00秒 | #小説

 前作(73)の前進する思考も大事だが、ココッ! というときに後退する思考も忘れることなく絶えず考慮したいものだ。後退する時期を忘れると、得た利益を無くしたり失ったりすることになる。ガックリと肩を落として項垂(うなだ)れるのは誰だって嫌(いや)だろう。私だって嫌だ。^^
 とある証券会社である。一人の顧客が係員と応接椅子に座り、対峙(たいじ)して話をしている。
「だから売ってくれと言ったじゃないかっ!」
「いや! あのときは、もう少し待ってくれと、確か申されましたが…」
「そんなこたぁ~絶対ないっ!! 君の聞き間違いだっ! えっ! どうしてくれるっ! どうしてくれるんだっ!!」
「どうしてくれるんだっ! と申されましても、こうしてくれっ! とは申せませんが…」
「そりゃ、そうだ。…馬鹿野郎っ! そんなこと言ってんじゃないっ! あと少しお待ちになって売られればっ! と君は確か言ったはずだよっ!?」
「それは言ったかも知れませんが、この前じゃなかったはずです。この前は株価が後退局面でしたから…」
「後退局面で後退せず、売らなかったから、あんな値が下(さ)株になったんじゃないかっ! 田畑(でんばた)の株とは訳が違うぞっ!」
「…それは違いますね、確かに…」
「そんなとこで私に同調してどうすんだっ! えっ!!」
「どうも、すいません…」
「もう下がっちまったもんは、しょ~~がないっ! さぁ~て、どうする…」
「おやっ? お知りじゃなかったんですかっ? 今朝、急反発して、倍近くにハネ上がりましたが…」
「ええぇ~~~っ!!!」
「売られますか? どうされます?」
「そ、それを早く言わんかっ! まっ、待ってくれっ!」
「そうですか…」
 係員は呆(あき)れ果て、ショボく頷(うなず)いた。
 その数日後、株価はふたたび反転し、下がり始めたのである。後退の時期を失うと、まあ、こうなる訳だ。^^ 
 
                                     


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忘れるユーモア短編集 (73)前進

2020年06月26日 00時00分00秒 | #小説

 気分は前向きにっ! と心を震(ふる)え立たせれば、妙なもので自然と日々の生活が充実するのだから不思議だ。当然、その逆もアリで、心を前進させなければ日々が同じ繰り返しのリズムとなり、マンネリ感に苛(さいな)まれることになる。要は、バカな繰り返しのリズムである。そんなことを続け、人は浦島太郎になっていく訳だが、そうならないためには、亀の甲羅(こうら)に乗って竜宮城へ行かないことである。^^ まあ、これは冗談だが、前進の心は人生に必要に違いない。^^
 ここは、とある省庁の庁舎である。
「課長、統計データばかり前進させるのは余りよくないんじゃないでしょうかっ!?」
「前進っ! ははは…君はいつも面白いことを言うねっ!」
「だから企画課へ回されたんでしょうか?」
「いや、そんなことで、でもないんだろうが…。人事部の考えは私らには分からんっ!」
「泣く子も黙(だま)る人事部管理課!」
「通称、人管っ! まあ、泣く子は黙らんだろうが…」
「データを積み重ねて資料ですよね? そんな予算があれば、直接、国民生活を助ける予算へ回せばいいと思うんですが…」
「まあ確かにそうだが、今はデータの時代だからな…。君には悪いが、その考えはストップさせんとっ!」
「前進できませんか?」 「ああ、ストップ! 赤信号っ!」
「私の考えは正解だと思うんですが、まあ仕方ないですねっ!」
 前進を忘れることが社会では要求されるのである。^^
 
                                     


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忘れるユーモア短編集 (72)あの手この手

2020年06月25日 00時00分00秒 | #小説

 物事や人に勝つためには、あの手この手と策を巡らすのが相場とされる。だが、勝とう! と思うあまり理性を忘れ、間違いを犯す・・ということがよくある。もちろん、理性を失わないで策を巡らせば、それに越したことはなく、物事や人にダメージを与えられる。まあ、そんな場合は、あの手この手ではなく、あの手とかこの手くらいの感覚だろう。^^
 とある新幹線のホームである。
『まもなく、列車が到着いたします。危険ですので…』
 駅構内のアナウンスがホームに流れている。ホームに設置されたのベンチ椅子から立とうとした老人がフラフラと眩暈(めまい)を起こしたかのように、ふたたびペンチへ蹲(うずくま)った。
「どうされましたっ!? 大丈夫ですかっ!?」
 隣りのベンチ椅子に座っていた男が心配げに声をかけた。
「だ、大丈夫です…。あの手この手と考えて、三日ほど食べられなかったものですから…」
「あっ! そうでしたかっ!」
 老人が大丈夫と知るや、男はぞんざいに老人から離れていった。
 人はどうしてもこうなりがちだが、こんな場合、ぞんざいにならない心を大切にしたいものだ。もちろん、私も含みます。あの手この手と考え、心は行動させますから、要注意!^^
  
                                     


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忘れるユーモア短編集 (71)ぞんざい

2020年06月24日 00時00分00秒 | #小説

 ぞんざい・・という言葉がある。一般的には取り扱(あつか)いが無造作で荒っぽい・・などという意味合いで使われる場合が多い。中年の旦那さんが、奥さんの自分に対する扱いを、最近、あいつ、ぞんざいになったな…などと言って溜(た)め息を吐(つ)かれるアノ類(たぐ)いだ。新婚当時の気分を忘れることで生じる現象だが、どの頃から生じるのか? は私には分からない。^^
 日曜昼前、とある普通家庭のリビングである。今年、ピッカピカの小学一年生になった子供が母親に叱(しか)られている。
「ったくっ! 誰に似たのかしら。まあ、百歩、譲(ゆず)っても私じゃないわよね…」
 母親は、ぞんざいに散らかされた子供の遊び道具と子供を見ながら愚痴った。
「おい、どうしたっ! 昼飯は、まだかい?」
「はいはいっ!」
 母親は夫を、ぞんざいにあしらった。
「ったくっ! 俺は借りもんの亭主かよっ!」
 ブツブツ愚痴りながら、夫はキッチンへと消えた。
「早く、お片づけ、なさいよっ! お昼なんだからっ!」
「はぁ~~~いっ!!」
 母親が小言(こごと)を浴びせながらキッチンへ姿を消す後ろ姿に、子供は可愛く返した。ここは愛想を振りまくのが得策…と判断した懸命の読み筋(すじ)である。^^
 さて、その後のリビングがどうだったか? だが、多くは語らないことにしよう。子供の肩を持つ訳ではないが、こんな場合はぞんざいに忘れる方が騒ぎになりにくく、得策なのだ。^^ 
 
                                     


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忘れるユーモア短編集 (70)なんとなく

2020年06月23日 00時00分00秒 | #小説

 これはっ! このことだけはっ! と思った内容を忘れることは、まずない。ところが、なんとなくホワァ~~と思った内容[思いつき]は、忘れないでおこう! と、そのときホワァ~~と思って忘れるものだ。^^ これは思い入れへの深さの違いで、脳への刺激が強いか弱いか? の差と解される[詳しくは心理学者の先生方にお訊(たず)ね下さい ^^]。
 とある会社の中途採用試験の面接会場である。会場前の廊下の長椅子には、面接を待つ数人の中年男がボケェ~っと座っている。
『次の方、お入りください…』
 厳(おごそ)かに構内アナウンスが流れる。
「…私ですなっ?」
「ええ、さようで…」
「お先、です…」
 楚々(そそ)と立った男は朴訥(ぼくとつ)に待つ数人に軽くお辞儀をし、入口ドアを開けた。
 中の面接会場である。男は、ゆったりとドアを締め、面接官席の前に立つと一礼した。
「受付番号とお名前をお訊ねします…」
 面接官席の中央に座る男が馴れた声で話し出す。
「216番、場哉(ばかな)と申します」
「フルネームでお願いします…」
「場哉門道(ばかなかどみち)、通称、馬鹿な問答でございます」
「…通称は結構です。…この会社を受けられた動機をお話し下さい」
「…動機ですか? 動機は別にこれといってありません。ただ、なんとなくですな」
「なんとなく? と、いいますと?」
「募集広告に出ていた・・という、ただそれだけのことです」
「ただそれだけのことって、あなた! どこの会社でもよかったってことですか!?」
「はい、まあ…。どうせ、ダメだろうと思っておりましたからな…」
「ってことは、これまでに何度も会社面接をされている、ということでしょうか?」
「はい、そうなります。ここで37社目ですかな」
「さ! 37社っ!! …すごいですねっ! で、全部ダメだったってことですか?」
「はい! ダメだったから、ここにこうしている立っている訳です…」
「そらまあ、そうなりますね…」
 面接官はドジな質問をした…と顔を歪(ゆが)めた。
「あの…私も一つ、お訊ねしたいのですが…。よろしいでしょうかな?」
「はい、どうぞ。なんでしょう?」
「ここで待っていて、なんとなく気づいたのですが、私、216番ですな?」
「ええ、そうですよ」
「待っている方は、私を含め数人ですが、…他の方は?」
 チェッ! 嫌(いや)なことを訊(き)きやがるっ! と、面接官は少しムッ! としたが、答えない訳にはいかない。
 「ははは…、都合で数日に分けたんです」
「そうでしたか。それにしても少ないですなっ!」
 その言葉を耳にした面接官は、大きなお世話だっ! …と、なんとなく怒れた。
「あっ! どうも…。もう、お引き取りいただいて結構です。結果は後日、郵送いたします。ごくろうさまでした…」
「どうも…。あっ! 番号札(ばんごうふだ)、忘れる前に返しときます」
 番号札を返却された面接官は、二度と来るなっ! と、なんとなく思った。
 このように、なんとなくは、なんとなく忘れるような、どうでもいい内容なのである。^^ 
 
                                     

 


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忘れるユーモア短編集 (69)貸(か)し借(か)り

2020年06月22日 00時00分00秒 | #小説

 貸(か)した内容は忘れないが、借(か)りた内容は忘れる・・というのが一般の人である。いや、私は貸したものはあげたものと思っておりますから…などと嘯(うそぶ)く人ほど、内心では、早く返せっ! このクソ野郎!! などと思っているに違いない。^^ こう書けば、人を性悪説で語っているようで恐縮だが、事実、こういう人が多いのも事実だから仕方がない。^^
 Aという会社はBという会社に数千万円の約束手形を振り出した。Bという会社はCという会社から数千万円の商品を仕入れ、その買掛金をAという会社が約束手形を落とす最終期限日に支払うことで合意した。合意したCという会社はAという会社に数千万円分の材料費支払いの買掛金を抱えており、その期限日はBという会社がAという会社から約束手形分を受け取る最終期限日だった。ということは、A→B→C→Aという資金流動の構図ということである。で、結論がどうなったのか!? そこが皆さんのお知りになりたい点だと思う。^^ まあ、語らない訳にはいかないだろうから、結果だけ語っておこう。A、B、C三会社の負のスパイラル[渦巻き]は今も続いており、今後も、ずぅ~~っと続くそうである。どこかの国の歳入欠損財源に苦しむ国債発行の構図に似ていなくもない。^^
 借款(しゃっかん)のように貸した内容は忘れてもいいが、借りた内容は忘れることなく早く返す+返せる努力をした方がいい・・という結論が導(みちび)ける。^^
 
                                     


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忘れるユーモア短編集 (68)戦後

2020年06月21日 00時00分00秒 | #小説

 早いもので先の大戦から70年以上が経過している。私は戦後、この世に現れたので、^^ 終戦以前のことは知らないが、マスコミや芸能方面が、どうたらこうたら[どうのこうの]と報じたり演じてくれるお蔭(かげ)で、世間相場の知識は持ち合わせているつもりである。
 当時を知る人も年々、少なくなり、時の流れの中でその頃の苦しさが風化していく現状は悲しいことだ。子供の頃、駄菓子がなく、母親がその場しのぎに作ってくれた三角折りにした竹の皮の中に、梅干を漬け込んだ紫蘇と紫蘇の汁を入れたのを三角折りした竹の皮の隙間(すきま)からチュッチュラ、チュッチュラと吸っていた懐(なつ)かしい記憶が甦(よみがえ)る。^^ それだけ当時は物資に事欠いていたことを裏づける証拠でもある。ところが、昨今(さっこん)のように豊食の時代に至り、当時を忘れる世間の風潮が強まっている事実は実に嘆(なげ)かわしいかぎりだ。…とか偉(えら)そうに思いながら、私は美味(おい)しいコーヒーを啜(すす)っている訳だ。^^
 仲がいい、とある二人の老人の会話である。
「多くの犠牲(ぎせい)の上に今の平和があるんですからな…」
「そうそう! 先の大東亜戦では数百万の犠牲者が出ましたっ!」
「はい、さようで…。終戦当時のスイトンなんて、今の子は知らんでしょ!」
「ははは…ですなっ! 空腹で無くなりゃ、いい時代でしたっ!」
「年月が経てば忘れるもんですなっ! 私らだって今は苦しかった記憶が懐かしく甦るんですからっ!」
「人は、なかなか凝(こ)りませんっ!」
「はい! また、キナ臭(くさ)くなってきましたっ!」
「あと数十年もすりゃ、また木阿弥(もくあみ)じゃないんでしょうかっ!」
「元(もと)のねっ!」
「はいっ! こういう元は、よくないですなっ!」
「ははは…よくない、よくないっ!」
 二人は散々、語り合った挙句(あげく)、行きつけのファミレスでフルコースの美味(おい)しい食事を終え、満足げに帰宅した。
 時の流れは、戦後のすべての人を忘れる方向へと導くのである。^^
  
                                     


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