水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

泣けるユーモア短編集-24- 0.1MPa[メガパスカル]

2018年02月28日 00時00分00秒 | #小説

 0.1MPaとは0.1メガパスカルという空気圧のことである。0.1MPa=100KPa[キロパスカル]に等しい。
 鼬穴(いたちあな)はこの日、ネット通販で買ったコンプレッサーの到着を、今か今かと心待ちにしていた。自転車の空気入れが古くなったためか、今一、タイヤ空気の充填(じゅうてん)に手間取り、10分以上かかるため、すぐ出たいときに出られなかったから、コンプレッサーを欲しいな…とは常々思っていたのだ。しかし、値が高いから無理か…という発想も現れ、そのまま買わず終(じま)いになっていた。ところが、パソコンを検索(けんさく)すると、割合と手頃な価格で売られていたから、これはもう、入手する他は考えられない…と鼬穴は思い至ったのである。ところが、このことが、ぅぅぅ…と泣けることになろうとは、そのときの鼬穴は夢にも思わなかった。
 品物は思った以上に、早く宅急便で到着した。そうなればもう、梱包(こんぽう)を開けない訳にはいかない…という気分に鼬穴は襲われた。そして、取説[取扱説明書]に書かれた内容をウキウキと読み、そのとおり実行に移していった。
 鼬穴の軽自動車の適正タイヤ圧は前輪が160KPaで後輪が180KPaと書かれている。コンプレッサーの使用最高空気圧は0.7MPa=700KPaだったから、これはもう、十分にOKだ…と思った鼬穴は、イソイソと楽しげに作業にかかった。が、しかしである。取説どおり準備、接続をし、空気を充填しようとしたが、いっこう空気圧を示す器具の目盛が動かず、空気が充填されているのか充填されていないのかが分からないのである。それどころか、次第にタイヤ圧が減ってきているように鼬穴には感じられた。手でタイヤを触(さわ)ると、空気を入れる前より柔らかい。完全にアウト状態に至ったのである。鼬穴の気分はウキウキから、ぅぅぅ…と泣ける破目に陥(おちい)った。幸(さいわ)い、予備のタイヤがあったから取替え、ガソリンスタンドへ走ることになった。ガソリンスタンドで無事、空気が減ったタイヤの充填は出来たものの、鼬穴の心は曇(どん)よりと晴れなかった。まあ、自転車くらいは大丈夫か…程度に今は思っているらしい。哀れで泣ける話である。

                               完

 ※ 皆さん! なんとかしてやって下さい。^^


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泣けるユーモア短編集-23- 田園(でんえん)

2018年02月27日 00時00分00秒 | #小説

 皆さん、田園(でんえん)が荒廃(こうはい)すると、ぅぅぅ…と泣ける事実をご存知(ぞんじ)だろうか。もちろん、荒廃した農地を見て悲嘆(ひたん)に暮れ、思わず涙する・・というものではない。回り回って、ぅぅぅ…とならざるを得なくなる・・ということだ。この事実は不特定多数の国民をそうさせる。それは貧富に関係なく、程度の差こそあれ、等しく襲ってくる。実りを齎(もたら)した田園が雑草で覆(おお)われ、永田が草田になるとき、国は滅びることになる。当然、ぅぅぅ…と、国民は泣ける訳だ。
「最近、私の住む町も都会になりましてな。もうトンボもいませんわ…」
「ああ、そういや、お宅の周辺の夏の蛍、見ものでしたよね」
「ええ、困ったもんですわ。蛍は蛍でも空き缶が放(ほ)ったる・・でっさかいな」
「蛍と放ったる・・上手(うま)いっ!!」
「いやいやいや…そないなとこで感心してもろたら、どもならんわ」
「いや、失敬! しかし、永田が草田ではねぇ~」
「永田町と永田・・上手いっ!!」
「ははは…私のジョークも感心してもらえたようですな…」
「田園ジョークで盛り上がりましてもなぁ~」
「確かに…」
「泣けるご時勢(じせい)ですなぁ~」
「確かに…」
 二人は、それほどのことでもないのに、どうしたことか、ョョと泣き崩れた。

                               完


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泣けるユーモア短編集-22- 気分次第

2018年02月26日 00時00分00秒 | #小説

 いつもの通勤電車に揺られ、鰤尾(ぶりお)は疲れた身体を引き摺(ず)るように揺られて立っていた。今朝に限って、日々の疲れがドッ! と出たような身体の重さだ。満員電車だから両横も後方も人また人で、身動きが取れない。だから吊(つ)り革(かわ)に縋(すが)るように立っている他なかった。思わず、ぅぅぅ…と泣けてきたのは、そのときだった。
「ど、どうされました!? ご気分がお悪いんですかっ?!」
 唯一(ゆいいつ)、スペースがある前方座席の若い美人が、心配そうに鰤尾を窺(うかが)った。
「いえ、どうってことは…」
 語尾を濁(にご)して否定した鰤尾だったが、自分自身にも泣けた理由が浮かばなかった。
「どうぞ…私、次の駅で降りますから…」
 声をかけた若い美人は、スクッ! と急に立ち上がり、座席を譲(ゆず)った。吊り革に縋るように立っていた鰤尾にすれば御(おん)の字(じ)で、地獄で仏・・のような有り難さだった。
「どうも…」
 鰤尾は崩れ落ちるように座席に座っていた。すると妙なもので、美味(おい)しく煮つけられたように急に身体が軽くなった。目の前には若い美人が笑顔で立っている。この上なく美しい…と思えた瞬間、鰤尾の疲れは、なかったかのようにどこかへ消え去り、気分が喜びに満ち溢(あふ)れたのである。
 気分次第で、人は泣ける土砂(どしゃ)降りから快晴へと様(さま)変わりするのだ。

                               完


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泣けるユーモア短編集-21- 新旧

2018年02月25日 00時00分00秒 | #小説

 モノは新品の方がいいっ! と言ったり考えたりする人は、愚かしい人・・と断言してもいいだろう。多少はこのことを考慮に入れて行動しないと、ぅぅぅ…と泣ける破目に陥(おちい)るから注意が肝要(かんよう)だ。新旧に関係なく、新しくても古くても、いいモノはいいのだし、悪いモノは悪い・・ということに他ならない。
 とあるDIY専門店の中である。
「やあ! これはこれは…。山芋さんじゃありませんかっ!」
「いやぁ~! これは奇遇ですなっ、擂木(すりき)さんっ!」
「何かお探しですか?」
「いゃ~、以前から欲しいと思っておったものがありましてね、それを…」
「ああ、さよで…。家の修理かなんか?」
「ええ、まあ…。古い道具が手間取りますので、そろそろ多用途の新しいのを…と思いましてね」
「古い方はどうされるんです?」
「隠居ですねっ!」
「隠居?」
「はい! 万が一の予備ということでっ! 馴染(なじみ)み深い、いい代物(しろもの)でしてねっ!」
「なるほど…。昨今は使い捨ての時代ですからな。それがようございます」
「そう思われますか? 擂木さんも」
「はいっ! いいモノが減りました。なんか使い捨てて新しいのを買えばいい・・感覚の時代ですから!」
「そうそう! 労派[労働者派遣]法なんて、その最たるものですよっ! ぅぅぅ…」
 しゃべくり漫才のように語り合う二人の会話を、一人の女店員が声をかけようか、かけまいか…と、恨(うら)めしげに見守っていた。店の閉店時間がすでに過ぎていたのである。入店していた他の客達は疾(と)うに店の外へ出ていた。
「あ、あのう…」
 ついに若い女店員が声をかけた。
「おおっ! これは新しい、いいモノですっ!!」「ははは…これはっ! ですなっ!」
 山芋と擂木は新しく入った女店員を見て、思わずそう言った。
「はあっ?!」
「いや、なんでもありません。新しくても古くてもいいモノはいい・・という話です」
「…? もう閉店なんですが…」
「ああ、どうもすいませんっ!」「どうも…」
 二人は笑いながら謝(あやま)った。そこへ年季(ねんき)が入ったベテラン女店員が現れた。
「またのご来店をっ!」
「おっ! 古いのも、捨てがたいっ! ですな」「いいモノは、いいっ! ははは…」
 愛想いい声に、二人はまた呟(つぶや)いた。
「ええ、私は旧式ですけど、いいモノですからっ!」
「…」「…」
 ベテラン女店員の切り返しに、二人は絶句(ぜっく)した。
 新旧関係なく、いいモノはいいようだ。

                                完


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泣けるユーモア短編集-20- 適度

2018年02月24日 00時00分00秒 | #小説

 適度とは、ほどよい状態・・ということだ。熱くもなく冷たくもない、ほどよい湯加減・・これはもう、寒い冬場に浸(つ)かれば老若男女(ろうにゃくなんにょ)、堪(たま)らないはずだ。世の中では、あらゆることに言える事実だ。
 とある公民館の一室である。あちらこちらで、老人達二人が向かい合い、将棋や囲碁が指されたり打たれたりしている。
「いやいやいや、それはダメでしょっ! 桂馬(けいま)の高飛び、歩(ふ)の餌食(えじき)っ! 飛車を打たれて詰(つ)みですっ!!」
「詰む訳がないでしょ!? それは見損(みそん)じです。この石には生きはありますよっ! 後手一眼ができ、二眼ですからっ!」
「二眼できてるって? 必死がかかってるじゃないですかっ! 即詰(そくづ)みでしょうがっ!」
「いやいやいや、六目半のコミは出ないでしょう」
「コミ? ? …なんだ、碁でしたか…」
 そんな会話が、耳が遠いご老人の間で(か)わされている。これが混線問答といわれる高齢者特有の会話である。この程度ならまだ適度な会話として成立するのだが、ここへボケ老人が加わると適度とは言えなくなるから厄介(やっかい)だ。
「ええっ! 私ゃ、昼はザル蕎麦(そば)と決めとるんですわっ!」
「なにもそんなこと言ってないでしょ! 詰みだ・・と言ったんですっ!」
「私はコミは出ない・・と…」
「ブランド牛のヒレステーキ、美味(うま)いんですよ」
「ぅぅぅ…」「ぅぅぅ…」
 適度が消えると話がややこしくなり、泣ける。

                                完


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泣けるユーモア短編集-19- 意識

2018年02月23日 00時00分00秒 | #小説

 人の意識は、あるときは邪魔になり、またあるときは必要となる二面性を持っている。
 とある病院の病室である。
 ほぼ20年、意識が戻(もど)らなかった妻の意識が、どうしたことか不意に戻った。付きっ切りで介護をしていた亭主は、そのときビミョ~な気分に苛(さいな)まれていた。それには当然、理由がある。
 数年前、若い美人看護師が異動し、熟年でそれなりに綺麗な看護師が病室の係となった。最初のうちは、どうってこともなかったのだが、ふとしたことがきっかけで、この亭主と看護師の間が妙なことになった。妙というのは、もうお分かりだろうが、ナニである。そのときの一場面である。
 病室の窓近くに一人の見舞い客が置いていった花束が置かれていた。そこへ、検温に訪れた看護師が入ってきた。
「あらっ! 綺麗なお花ですこと…」
「ああ…知り合いが見舞いに来てくれたんですよ…」
「そうでしたの…。花瓶に飾りましょうね」
 看護師は花束を手に取ろうとした。そのときである。
「あっ! 私が…」
 亭主は慌(あわ)てて椅子から立ち、看護師が手にした花束を持とうとした。そのとき二人の手は触れた。これはいかん…と、サッ! と手を引く亭主。そのとき合う二人の目と目。これはもう、ナニでとなる。言っておくが、ナニとはホの字のことである。ホの字? でお分かりにならない方は、惚(ほ)の字と書けば、さすがにお分かりになるだろう。要は、二人の間に互いを意識する、よからぬ恋愛感情が芽生(めば)えたのである。その後、ナニはアレになり、コレとなっていった。そうして、あんなことやこんなことが起ころうか・・と危ぶまれた矢先、突如として妻の意識が戻った。
「… … ここは?」
「おっ、お前! ぅぅぅ…」
「奥様っ! ぅぅぅ…」
 亭主は思わず寄り縋(すが)って泣き、看護師もその瞬間、ベッドへ駆け寄って泣き声になった。
 亭主としては、看護師に意識を削(そ)がれて惚の字だから、妻の意識が戻ったことがよかったのか悪かったのか、泣けるビミョ~な心理だ。看護師の方も、惚の字が頭で踊っているからビミョ~である。
 その後、コトの顛末(てんまつ)がどうなったか? まで、私は知らない。
 ただ、意識は泣けるビミョ~な心理を与える・・とは言える。それが嫌(いや)なら、無我の境地(きょうち)になる禅(ぜん)でも組むことだ。

                               完


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泣けるユーモア短編集-18- 先読み

2018年02月22日 00時00分00秒 | #小説

 これから先、起こるであろう…と考え得る読み筋(すじ)を誤(あやま)ると、取り返しがつかない失態を呼ぶ。これが囲碁、将棋、チェス、トランプなどの場合では敗着(はいちゃく)となる。囲碁、将棋などのプロ棋士が、プロ風に、「見損じですね…」とかなんとか、いかにも私は専門家だ…と言わんぱかりの上から目線で語る先読みのミスだ。これは何も対戦や試合などに限ったことではなく、すべての社会生活で起こり得る事実なのである。
 春近い、とある定食屋の前を二人の社員が話しながら次第に近づいてきた。
「フフフ…今日の日替わり定食は焼肉だろっ!」
 東雲(しののめ)は勝ち誇(ほこ)った口ぶりで、もう一人の同僚(どうりょう)、黄昏(たそがれ)に言った。
「ははは…それはお前、先読みが甘いっ! 俺の直感だと、昨日(きのう)のアレからして…そう! たぶん、生姜(しょうが)焼きだっ!」
「んっ? その根拠(こんきょ)はっ!」
「だって、お前。昨日はトンカツだったろ?」
「ああ、まあ…。それが、なぜ生姜焼きだ?」
「そら、そうさ。俺のデータ分析によれば、トンカツの次の日は、ほぼ100%の確率で生姜焼きなんだっ!」
「ほう…それはなぜだ?」
「さあな? たぶん、余った豚肉をスライスして生姜焼きにするんじゃないか? 材料費の関係でなっ!」
「なるほどっ! そういや、うちの会社もそうだな…」
「ああ…有効利用って訳だ」
 二人が店前の暖簾(のれん)を上げ、店内へ入ると、その日の日替わり定食はアジフライだった。黄昏の先読みは完全に甘く、ハズレだった。黄昏は面目(めんもく)を失い、ぅぅぅ…と、テンションを下げた。
 先読みが甘いとテンションを下げることになるようだ。

                                 完


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泣けるユーモア短編集-17- 雪(ゆき)

2018年02月21日 00時00分00秒 | #小説

 雪(ゆき)も適度に降るなら、いい風情(ふぜい)となり、趣(おもむき)を醸(かも)すのだが、降り過ぎれば、いかがなものか…などと国会答弁のようなことを言わねばならなくなるから困る。さらに、時間に追われているときなど、[雪かき]という余計な手間(てま)をかけさせられ、思わず、ぅぅぅ…と泣けることにもなるから考えものだ。まあ雪不足に悩まされ、降れば降るほど有り難いスキー場などは別なのだが…。
 夕暮れが迫る、退庁直前の町役場の一コマである。
「またかっ!」
「なにがです?」
「降り出したじゃないかっ! 雪がっ!!」
 課長の捨場(しゃば)がサッシ窓を指さし、課長補佐の屑川(くずかわ)に愚痴(ぐち)った。
「私に言われても…」
 屑川としては言葉を自分にポイ捨てられた気分がし、面白くないから思わず返した。すると、どういう訳か、捨場は突然、ぅぅぅ…と泣き出した。泣けるようなことを言った訳でもなく、泣ける状況でもないから、屑川は思わず訝(いぶか)しげに捨場の顔を窺(うかが)った。
「これから大事な人に逢(あ)うんだよっ!」
「えっ?」
 それが泣けること? と、益々(ますます)、屑川は分からなくなった。
「三十数年ぶりのね、私の初恋の人。ぅぅぅ…」
「ああ、そうなんですか…」
 屑川とすれば、それが雪とどういう関係が? くらいの気分である。
「外だよ、外! 駅の外! 待合い場所がっ!」
「はあ!」
「寒い上に、雪だよっ! 彼女は態々(わざわざ)、田舎(いなか)から出てきてくれたんだよっ!」
「はあ!」
「寒いじゃないかっ! 冷えるし、濡(ぬ)れるじゃないかっ!」
「ええ、まあ、そうなんでしょうね…」
「君というやつはっ! 不人情だなっ! ぅぅぅ…」
 屑川は理解できず、もう一度、捨場の顔をそれとなく窺った。
 雪は、ぅぅぅ…と泣ける状況を作る場合もあるのだ。

                                  完


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泣けるユーモア短編集-16- 縁起絵巻(えんぎえまき)

2018年02月20日 00時00分00秒 | #小説

 柚子山(ゆずさん)胡椒寺(こしょうじ)には開祖(かいそ)豆腐大師(とうふだいし)の時代から伝わる絵巻物が大事に保管(ほかん)されている。国の重要文化財に指定された所謂(いわゆる)国宝で、そのレプリカが一年に一度、前立てでお立ちの仏様のように特別拝観になるという情報を得た食気(くいけ)は、心勇んで当日、寺へと出かけた。奇妙なことに、この縁起絵巻を拝観した者すべてが、ぅぅぅ…と涙して寺を出る・・という曰(いわ)く付きの寺ということもあり、食気の心は寺へ着く前から、すでに寺を拝観しているような気分になっていた。
『ははは…いくらなんでも泣ける、ということはないだろ…』
 バスに揺られ、車窓に流れる景色を見ながら、食気は馬鹿馬鹿しい話だ…と思った。
『次は胡椒寺前、胡椒寺前でございます…』
 車内アナウンスが流れると、食気はすぐにボタンを押した。バスを下りた途端(とたん)、拝観を終えた観光客が涙に暮れながら停留所で待っているではないか。それも全員が、である。
「そんなに泣けるんですか?」
 思わず食気は、その中の一人に訊(たず)ねていた。
「ええ、そらもう! ぅぅぅ…」
 何がそんなに泣けるんだっ!? …と、食気の好奇心は益々(ますます)、高まっていった。拝観料を支払い、仏様そっちのけで絵巻物の展示コーナーを覗(のぞ)くと、そこは剥(む)かれたタマネギで満ち溢(あふ)れているではないか。それも、みじん切りにされているから堪(たま)らない。タマネギから放散される硫化アリルという物質で辺(あた)りは満ち、当然、拝観者達は、ぅぅぅ…と涙せずにはいられなかった。入った食気も例外ではなかった。
「ぅぅぅ…、そら泣けるはずだ」
 寺から出た食気は、ようやく得心がいって呟(つぶや)いた。風変わりな寺もあるものだが、聞くところによれば、寺の僧にも分からない寺に伝わる慣習だそうだ。絵巻物の内容は美味(おい)しく湯豆腐を食べる極意図で、なんてことはなく、どうも見せないようにするため・・とかなんとかのセコイ理由らしかった。まさか、寺が? と、余りのセコさに泣ける話ではある。

                                  完


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泣けるユーモア短編集-15- 悴(かじか)む

2018年02月19日 00時00分00秒 | #小説

 冬の冷気(れいき)は手足を凍(こお)らせる。身体(からだ)が冷え、思わず、ぅぅぅ…と、泣けるような痛みが手足を襲う。これが悴(かじか)む・・という注意信号で、身体がなんとかさせよう! としているのだ。放っておけば、痛みは失せ、悴みも消えるが、これはもう、注意信号を超えた危険信号で、冷気による細胞の壊死(えし)が始まっていることになる。まさに、ぅぅぅ…と、あとから泣ける状態になるのだから怖(こわ)い。悴む手足を温(あたた)めようとストーブなどの暖房器具に近づけると、冷えは消え心地(ここち)よくなる。が、暖め過ぎると、今度は血行がよくなり、痒(かゆ)くなってくる。ボリボリと掻けば、皮が剥(は)がれ炎症となるから厄介(やっかい)だ。
 羽柴(はしば)議員の主席秘書を務(つと)める村雲(むらくも)は、朝から羽柴に怒られ、身体が悴むように萎縮(いしゅく)していた。
「もう少し頭を使いたまえっ! 普通常識だろうがっ!!」
「どうも、すいません…」
 頭を下げてみたものの、村雲には怒られた意味が分からなかった。だが、ここは謝(あやま)っておくに限(かぎ)る…と反射的に頭を下げたのだった。
「私がスキ焼のネギ好きだとは、君もよく知ってるはずだっ! それに、よりにもよって、玉ネギとは…」
 村雲は何を勘違いしたのか、長ネギではなくタマネギを多量に買ってきたのだった。肉好きなら分かるがなぁ~…と思いながらネギを買い、頭が回らなかった・・ということもある。
 鍋(なべ)に大量のタマネギが放り込まれ、スキ焼がグツグツと美味(うま)そうに煮え始めた。白滝(しらたき)、菊菜(きくな)、少しの安い牛肉、大量のタマネギ・・見た目はともかくとして、それなりに美味いのか、羽柴は何も言わず箸(はし)を進める。
「おいっ! もっと食えよっ!」
「はっ! 有難うございます…」
 村雲は、また何か言われはしまいか…と疑心暗鬼に陥(おちい)り、悴む思いで箸が全然、進まない。グツグツ煮える熱い鍋、益々、冷える村雲の悴む心・・両者が羽柴の前で相対的な構図を見せていた。

                                  完


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