交番に日参しては土下座し、交番前の片隅で半時間ばかり平伏する男がいた。交番の高科(たかしな)巡査は、始めは見て見ぬふりをしていたが、その男が雨の日も風の日も休まず日参するものだから、半月ほど経ったある日、ついに交番椅子から重い腰を上げた。
「あんたね! こんなところで風邪をひくよ。礼拝かなんか?」
高科の言葉に、男は相変わらずひれ伏したまま首を横に振った。
「違うのか…。じゃあ、なにか訳でもあるの?」
「有難いんです…」
ひれ伏したまま、男は小さな声で呟(つぶや)くように言った。高科には男の言った意味が分からなかった。それに少し事件性がなくもない…と思えた。
「どういうこと?」
「この交番が有難いんです…」
「交番が有難い? …」
高科は益々、分からなくなった。
「よく分からないからさぁ~中へ入って聞くよ。まあ立ち話・・いや、座り話もなんだから…」
高科はとりあえず男を立たせようとした。
「あとからにしてください。もう、10分ほどですから…」
平伏したまま男は高科に話し続けた。まるで地面と話してるようだ…と高科は思ったがそれは思うにとどめた。
「そうかい…それじゃ、あとで」
そして10分が経過したとき、男は静かに地面から立ち上がると自分の意思で交番へ入った。
「まあ、座って。聞こうじゃないか、その有難い訳とやらを…」
「実はこの建物のお蔭(かげ)で私は死なずに済んだんです…」
話によれば、高科がここへ赴任する数年前、男は生活苦から生きる気力を失い、自ら命を絶とうとしていた。それが、前任者の低居巡査から投げなしの金を貰(もら)い、死なずに済んだのだという。
「そうだったのか、低居巡査のお蔭で…」
「いえ、話にはまだ続きがあるんです」
「んっ?」
高科は訝(いぶか)しそうにその男の顔を見た。男は静かに語った。
「私はそのお蔭で立ち直ることが出来ました。それからというもの、この建物がどういう訳か、低居さんに見えて有難いんです…」
「建物が…?」
それ以上は訊(たず)ねず、高科は奇妙なサスペンス風の男を帰した。
完