水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

短編小説集(53)不滅の原理 <再掲>

2024年10月05日 00時00分00秒 | #小説

 千代田は想い巡っていた。この世に生じたものは移ろいとともに消え去っていく。たとえそれが泰然自若(たいぜんじじゃく)として動かない山や川などの自然であろうと、宇宙次元での長い時の流れの中では移ろい、消えては生まれるのだ…と。この不滅の原理は、物理学で[エネルギー保存の法則]というらしい…と千代田が知ったのはつい最近のことだった。アインシュタインというメジャーに知られた偉い学者先生が相対性理論とかで考えだした質量・エネルギー等価原理で、E=mC^2の数式で表(あらわ)したと書かれていた。千代田にとっては、そんな小難しい知識はどうでもよかった。第一、彼には物理学の知識など皆無だった。もっとシンプルに考えたかったのである。
 遠い親戚の法事があり、千代田は父親の代理で席についた。なんとも、居心地が悪く、借り物の猫のように末席で飲み食いし、話しかけられれば適当に応対して静かな聞く人になりきっていた。
「いやぁ~~、ああなるのかねぇ~。お骨あげのときは愕然(がくぜん)でしたよ」
「そうでしたか…。僕は何度か、そういう場に臨(のぞ)んでますので…」
「馴(な)れりゃ、どうってことないんでしょうがね…」
「ええ、まあ…」
 知らない親戚の男の酌(しゃく)を杯(さかずき)に受けながら、千代田は普通に応対していた。話す言葉とは裏腹に、この酢もろこは実に美味(うま)い…と思っていた。そしてふと、ある想いに至り、千代田の箸(はし)が止まった。
「どうかされましたか?」
 遠い親戚の男が訊(たず)ねた。
「あっ! いや、べつに。ははは…」
 愛想笑いをして誤魔化(ごまか)し、千代田は箸を動かした。千代田が思ったのは、もろこは食べられて消える。消えるが、僕のエネルギーになる。じゃあ、人は? ということだった。幸い、遠い親戚の男は深追いせず、用を足しに席を外(はず)した。千代田は、ひと安心して、苦手な日本酒をやめ、いつも晩酌(ばんしゃく)で飲むコップのビールを飲み干(ほ)した。遺体は骨だけだ…と、千代田は祭壇に安置された骨壺を遠目で見つめた。一瞬、祭壇の遺影が動いた。いや、動いた気がした。千代田は目頭(めがしら)を擦(こす)った。気のせいか…と、また酢もろこを摘(つ)まみ、コップに瓶ビールを注(そそ)いだ。そうだ! と閃(ひらめ)き、胡坐(あぐら)を掻(か)いた膝(ひざ)をひとつ、ポン! と打った。
「えっ? どうかされました?」
 そのとき、遠い親戚の男がニヤけながら席へ戻(もど)ってきた。膝を打ったところを、どうも見られていた節(ふし)があった。
「ああ、いや、なに…。急用を思いだしましてね。そろそろ、失礼を…」
 丁度、頃合いでもあり、千代田は席を立つとお辞儀して玄関へ向かった。家人の老女が急いで送りに出た。
「少し早いですが、急用がありまして…。この辺りで…。お疲れの出ませんように」
「ご丁重に…態々(わざわざ)、痛み入ります。本日は、どうも遠いところを有難うございました」
 家人の老女は決まり文句のように流暢(りゅうちょう)に言葉を流した。立て板に水だな…と千代田は思った。千代田の家は、そう遠くはなかった。
「いえいえ…」
 千代田は家を後(あと)にし、歩きながら考えた。あっ! 消えた遺体は、魂(たましい)と分離するんだ…と。身体の魂の分離・・これが、すなわち死か…。千代田は不滅の原理を単純に理解した。

                 THE END


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短編小説集(52)てんとう虫曲線 <再掲>

2024年10月04日 00時00分00秒 | #小説

 田所謙一は物事に対するとき、どうしても柔和になれない性格だった。要は、人や出来事に対して丸くなれないのである。人の場合だと、相手の話を愛想よく聞くとか、聞き上手(じょうず)になる・・といった類(たぐい)だ。どうしても自分の思いを直に返すものだから、相手との話し合いは、ほとんどの場合で角(かど)が立ち、尖(とが)った。挙句の果てには、二度と君とは口を聞きたくない! となり、関係が決裂した。こういう男が職場で役に立つのか? といえば、はっきり言ってNo,!![駄目]だろう。だが、捨てる神あれば拾う神ありで、Don,t Worry!![大丈夫]だった。彼は会社の備品倉庫で一日中、話さない物との整理や収納に明け暮れていた。周囲には誰も人はいず、彼は出勤するとタイムカードを押し、昼になれば買ってきた弁当を会社の電子レンジでチン! して食べ、持参の魔法瓶の茶をマグカップで飲んだ。そして、また仕事をし、退社時間になると、タイムカードを押して帰宅するのだった。会社も一本筋が通った男としていつか役立つだろう…と田所を首にはせず、温存したのである。そんな角(かく)ばった田所の角(かど)が取れ、曲線のように丸みを帯びたのは、ひょんなことだった。
 その日、田所はいつものように会社備品の確認しながら整理をしていた。確認は備品台帳を睨(にら)みながら備品と照合する。睨むのが人ではないから問題は起きなかった。田所が見つめる台帳の上にどこから飛んで来たのか、一匹のてんとう虫が舞い降りた。なんとも綺麗な背模様と曲線に、田所は睨むでなく見つめた。すると妙なことに、田所の心の尖りが削(けず)られ始めた。もちろんそれは、目には見えないメンタルなものだった。一時間後、そのてんとう虫はフワッ! と舞い上がり、どこかへ消えた。田所は一時間、ただじっと、そのてんとう虫を見続けていたことになる。そして一時間が立ったとき、田所の心はすっかり削られ、丸くなっていた。
「君、人が変わったそうだね。なにか、あったの? あの尖りの田所さんが? って、社内で評判だそうじゃないか」
 社長室に呼ばれ、田所は直接、社長に訊(たず)ねられた。
「ええ、まあ…。てんとう虫曲線です」
「んっ? …なんだ、それは?」
 社長は訝(いぶか)しそうに田所を見た。

              THE END


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短編小説集(51)馴染[なじ]みたい… <再掲>

2024年10月03日 00時00分00秒 | #小説

 村越は裕福が故(ゆえ)に気苦労が絶えなかった。
「あっ! おはようございます」
「おはようございます」
 勤務日で村越が自動開閉門を開けようと、戸外のボタンを押したときのことである。表の舗道で冗談にも美人とは言えないご近所の中年主婦、戸神佐知江と池島妙子が挨拶をしていた。まあ、それはいいとしても…と村越は思いながら見ていた。どうせ、無視(シカト)だろ! と少し怒(いか)り気分で思ったが、案の定、二人は村越の姿に気づくと無視し、避けるように家内へ引っ込んだ。その素早さといったら、尋常のものではなく、恰(あたか)も、素早い独楽(こま)ネズミのようであった。いつものことだから、さほど腹立たしくもなかったが、村越にすれば朝からどうも気分がよくない。それでも、かろうじて怒りを鎮め、村越は車を発進した。今朝、お抱え運転手の寺崎が気分が悪くなった・・と電話してきたからで、そのときは仕方ないな…と思った。すぐに他の運転手を回してくれ! と実家へ連絡を入れると、悪いときに悪いことは重なるもので、五人いる常駐運転手の誰もに空(あ)きがないという。村越にとって会社など、どうという所ではなく休めばよかったのだが、生憎(あいにく)、経済団体主催の親交ゴルフコンペがあり、父親に頼まれてそうもいかなかったのである。で仕方なく村越は、「今日だけだぞっ!」と、誰に言うでなく大声を発し、ハンドルを握る人になったのである。内心、村越はご近所と馴染(なじ)みたい…とは思っていた。だが、相手国が好戦的では村越としても厳戒体制で臨(のぞ)まねばならなかった。まるで、今朝のテレビに映っていた地中海だな…と、運転しながら村越は、ぶつくさ思った。道の途中で、いつもなら見える景観が消え、霧が俄(にわ)かに出てきて、車の視界を遮(さえぎ)った。村越はおやっ? と思った。霧が出ることなど、天気予報は言っていなかったからである。村越はヘッドライトを点灯させ、自転車並みの速度で走った。10分ばかり走り、会社まで残り半ばというところで霧は急に消えた。村越はやれやれ…と思った。しかし、その安堵(あんど)感は一時(いっとき)のことだった。
 会社へ着いたとき、驚愕(きょうがく)の光景を村越は目にした。エントランスに座って笑顔で出迎えてくれるはずの若い美人受付嬢の二人がいなかった。いや、いることはいたのだが、それは村越が今朝見た不美人の中年主婦、戸神佐知江と池島妙子の顔をした受付嬢だった。村越は瞬間、Oh! My God! これは夢だ…と思った。だが、夢とは思えない現実感が村越の感覚にはあった。二人は当然のように、村越を笑顔ではなく無視して視線を机上へ伏せた。
「おはよう!」
 社内で村越の方から声をかけるなどということは前代未聞の珍事だった。それが、現実に起こっていた。村越に馴染みたい…と思う深層心理が働いたのである。その瞬間、戸神と池島の顔が消え、いつもの若い美人受付嬢の笑顔に変化した。村越は目を擦(こす)った。
「おはようございます。…社長、どうかされました?」
 愛想よい笑顔で受付嬢が訊(たず)ねた。
「いや、なんでもない…」
 村越が社長室へ入り椅子へ座った途端、辺りは霧に閉ざされた。村越が、なんだ! と立ち上がると、不思議にも霧は一瞬で消えた。そこは出かける前の村越の自宅だった。村越は、ゾクッ! と寒気を覚えた。腕を見れば出たときの時間だった。まあ、仕方がない…と、村越は戸外へ出て、自動開閉門のボタンを押した。表の舗道では、戸神佐知江と池島妙子が挨拶をしていた。この光景は今朝あったはずだ…と村越は思った。そのとき、二人は村越の姿に気づいた。
「おはようございます! 村越さん」
 何かが違っていた。
「あっ! おはようございます!」
 村越は思わず笑顔で返し、馴染んでいた。

                  THE END


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短編小説集(50)とりあえず<再掲>

2024年10月02日 00時00分00秒 | #小説

 いや、間にあわないことも考えられる…と、寝床で藤木は時刻表を睨(にら)みながら思った。とりあえず、そうなる失敗を避けるためにも一本前の6時の列車に乗ろう…と、決めた。そうすれば心に余裕も生まれ、ゆったりとした快適な旅の始まりが約束されるはずだ。時間はもう深夜域に入ろうという午後10時である。藤木は目覚ましを5時にセットし直し、両目を閉ざした。そのとき、また雑念が浮かんだ。鞄(かばん)に詰めた忘れものはないだろうか…もう一度、確かめておこう、と。布団を撥(は)ね退(の)け、藤木は枕元に置いた鞄を開けた。下着類、靴下…と確認し直す。まあ、ひと通りは間違いなく入っているようだ。藤木はそのときまた、おやっ? と思った。財布はどこだ? 確か…出がけに背広の上着に入れようと、とりあえず鞄に収納したつもりだった。いや、確かに収納した…と藤木は思った。その財布が見つからないのだ。これは偉いことになったぞ…と、藤木は些(いささ)か慌(あわ)てた。財布の中には前もって買い求めておいた切符やカードも入れていたから、事は重大だった。見つからないと、いくら早く目覚めても完璧(かんぺき)にアウトだ。藤木は、はて? と思いあぐねた。あれこれとそのときの状況を思い浮かべ、しぱらくして漸(ようや)く藤木は閃(ひらめ)いた。あっ! そうだ…鞄に入れたことを忘れるといけない、と思い直して、とりあえず上着へ戻したのだった。藤木はホッ! と安心し、溜息をついた。そして布団へ、ふたたび潜(もぐ)り込んだ。目覚ましは11時近くになっていた。もうこれで熟睡できるだろう…と、藤木は目を閉ざした。夜泣き蕎麦屋のチャルメラの音が遠くに聞こえた。藤木は俄かに腹が減っていることに気づいた。そうなると、もう寝つける訳がない。チャルメラの音がやけに喧(やかま)しく腹立たしかった。藤木は起き上がると、とりあえず何か食べようと台所の戸棚からカップ麺を出した。保温ポットの湯は、まだ十分にあった。湯をカップ麺に注ぎ、しばらくして食べたが、まだ硬かった。それでも食べ終えると、少しほっこりした。もうこれで眠れるだろう…と藤木は思った。食べ終えたカップをゴミ箱へ捨て、藤木は口を漱(すす)ぎに洗面台へ行った。洗面台で口を漱いでいると、髭(ひげ)を剃っていなかったことに気づいた。出がけにバタバタするのは嫌だから、とりあえず剃っておこう…と藤木は髭を剃った。洗面台の掛け時計の針が11時半を指していた。藤木は少し慌(あわ)てた。剃り急いだ藤木は頬を切った。血が滲(にじ)み出て、頬を伝った。藤木はいっそう慌て、ティッシュを取りに小走りした。小走りしたのがいけなかった。敷居で躓(つまづ)き、しこたま腰を打った。大丈夫だろうと立ち上がると片足が痛かった。捻挫(ねんざ)していたのだ。まあ、シップすれば、とりあえず、なんとかなるだろうと藤木は思った。幸い、薬箱にはシップ用の貼り薬があった。頬をティッシュで拭(ぬぐ)うと、血はもう止まっていた。藤木はもう何もしないで大人しく寝よう…と思った。とりあえず、これで心配事はなくなったんだ…と思えた。藤木は再々度、布団へ潜り込んだ。ようやく眠気が訪れ、藤木は寝入ることができた。
 5時になった。目覚ましが、けたたましく鳴り響いた。藤木は飛び起きた。そのとき、昨夜、シップした足に激痛が走った。見ると赤くはれ上がっていた。軽い捻挫ではないようだった。藤木は旅することを断念し、とりあえず病院へ行くことにした。歩かないと痛まないから、もう少し寝よう…と、藤木は、とりあえず布団へ潜り込んだ。そのとき、枕元の鞄が、ははは…と笑ったような気がした。藤木が見上げると、枕元は静まり返っていた。気のせいか…と藤木は思い、とりあえず目を閉ざした。だが確かに、鞄はクスクスと声を潜(ひそ)めて笑っていたのだった。

                 THE END


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短編小説集(49)変わる<再掲>

2024年10月01日 00時00分00秒 | #小説

 久しぶりに出会った大学同期の篠崎と下川は大学に向かって歩いていた。
「あれっ? ここは平塚ビルじゃなかった?」
 下川が首を捻(ひね)った。
「ははは…、いつのことを言ってんだ。半年前から元山クリニックじゃないか」
 篠崎は上手に出て笑った。
「あそこも変わってる…。嶽地(たけち)煙草屋だったけどな」
「ああ、今はメイド喫茶だぜ。こんな近くに出来て勉強できんのか? ははは…」
「だな…。あの世の冥土じゃなくメイドか、ははは…。よく、OKでたな」
「まあ、風俗系じゃない喫茶だからさ」
「そうか…。ご時世ってやつだ。まあ、二十五年前と今じゃな」
「ははは…そういうこと」
 二人は笑いながら大学正門を入った。
「あれっ? 校舎は?」
「変わったって、この前、年報に出てたろ?」
「年報に? 見落としたか…。跡地は駐車場なんだ」
「ああ…。俺は大学職員だから、構内のことは何でも訊(き)いてくれ」
「そうだったな」
「付近も大部分は分かる!」
 自慢げに篠崎は言った。
「そういや、お前も変わったな。単位ではあれだけ小心者だったお前がなあ~、ははは…」
 今度は下川が笑って上手に出た。
「氷は溶ける。建物も変わるし、人も変わるさ…」
 篠崎は危うく踏んばった。
「ああ…。変わって欲しくはないけどな」
「新しいものでも古いものでも、いいものはいいし悪いものは悪い」
「変わるのは、悪いものであって欲しい」
「そうだな…。飽くまで理想だが…」
 二人は食堂の椅子へ座った。篠崎と目が合った賄いの寿子がニコッ! と笑って頭を下げた。篠崎も笑いながら会釈した。
「少し老けたけど、おばちゃんは変わらんな」
「ああ…」
 気づいた下山も笑顔で会釈した。その瞬間、食堂から見た外の風景が一変した。黄色く色づいた銀杏(いちょう)の葉が、取り壊されたはずの古い校舎にハラハラと舞い落ちていた。二人は目を疑った。

                  THE END


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