(第八話) 雪の朝
今朝、僕が起きると、辺り一面は雪に覆われていた。それも何年かに一度という積雪に思えた。
じいちゃんの慈悲で二十分、短くして貰い、寒稽古を済ませた後、シャワー室で汗を流した。その後、廊下を横切った時、
「参ったなぁ…。いやぁ、参った参った」
と、父さんが珍しく早朝から起きだし、洗面所へとやってきた。何を参っておいでなのか知らなかったので、僕はひと言、「おはよう! ^0^ 」とだけ愛想をふり撒いて、居間へ行った。その時、裏戸が開いて、じいちゃんが上半身裸の姿で入ってきた。外は凍えそうな寒気の筈なのだが、飛び込んだという感じではなく、ゆったりとした威風堂々の出で立ちで、肩からは幾筋もの湯気が盛んに昇っている。顔は? と云えば、これはもう、皆さんがよく御存知の茹(ゆだ)った蛸の赤ら顔で、僕よりも健康優良児に見えた。片手には、いつもの竹刀を携(たずさ)え、笑っている。
「ははは…、洗い場で拭こうとしたんだが、この雪で生憎(あいにく)、足場が悪くてなあ…」
そんなことで、じいちゃんにしては珍しく家の中で身体を拭こうと、汗を掻いた姿で入ってきたのだった。
「けっこう、積もってたね」
「そうだな…。ここ最近、見ない豪雪だ。三十、いや四十程はあったな」
「足が冷たかったけど、直ぐ温まった…」
「ははは…。正也には悪いが、これも長い目で見れば、お前の為だからな。頑張れ!」
そう云って、じいちゃんは僕の頭を撫でてくれた。大蛸に撫でられ、まさか僕も伝染して蛸頭になるとは思えず、されるまま従っておいた。まあ、孰(いず)れにしても、師匠に逆らうなどということは出来ないのだが…。
上手くしたもので、僕は未だ冬休みが二日程、残っていたので救われたが、父さんに天の助けは無かった。彼が、『参った参った』と口にしていたのは、通勤の交通を慮(おもんばか)ってのことだった。先程の話によれば、交通機関の乱れで、どうも会社への到着が遅れるらしい。年初の仕事の打ち合わせが朝からあるそうで、間に合うか冷や汗ものだという。僕は、じいちゃんと一緒に寒稽古をして、暑い汗を流しなされ…と、云いたかった。無論、口にするのは憚(はばか)られたから、想うに留めた。
台所へ食事に行くと、父さんは既にテーブルにいて、バタつきながら味噌汁を喉に通していた。
「あなた、そんなに急いで…、身体に毒よ!」
母さんにそう窘(たしな)められても、父さんは、ただ黙々と速度を上げて食べ続ける。
「恭一!! もっと、よく噛んで食べなさい!」
母さんの後方には、仏様の光背のように光り輝く禿(はげ)頭のじいちゃんが立っていた。某メーカーのワックスZで磨いたような光沢なのは紛れもない。迂闊(うかつ)にも父さんは、じいちゃんを見落としていたのだ。じいちゃんの声を耳に受け、急速に父さんの食べるペースが落ちた。まあ、父さんも、この程度のものだ。
第八話 了