水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

冬の風景 (第八話) 雪の朝

2009年07月31日 00時00分00秒 | #小説
        冬の風景       水本爽涼

    (第八話) 雪の朝        

 今朝、僕が起きると、辺り一面は雪に覆われていた。それも何年かに一度という積雪に思えた。
 じいちゃんの慈悲で二十分、短くして貰い、寒稽古を済ませた後、シャワー室で汗を流した。その後、廊下を横切った時、
「参ったなぁ…。いやぁ、参った参った」
 と、父さんが珍しく早朝から起きだし、洗面所へとやってきた。何を参っておいでなのか知らなかったので、僕はひと言、「おはよう! ^0^ 」とだけ愛想をふり撒いて、居間へ行った。その時、裏戸が開いて、じいちゃんが上半身裸の姿で入ってきた。外は凍えそうな寒気の筈なのだが、飛び込んだという感じではなく、ゆったりとした威風堂々の出で立ちで、肩からは幾筋もの湯気が盛んに昇っている。顔は? と云えば、これはもう、皆さんがよく御存知の茹(ゆだ)った蛸の赤ら顔で、僕よりも健康優良児に見えた。片手には、いつもの竹刀を携(たずさ)え、笑っている。
「ははは…、洗い場で拭こうとしたんだが、この雪で生憎(あいにく)、足場が悪くてなあ…」
 そんなことで、じいちゃんにしては珍しく家の中で身体を拭こうと、汗を掻いた姿で入ってきたのだった。
「けっこう、積もってたね」
「そうだな…。ここ最近、見ない豪雪だ。三十、いや四十程はあったな」
「足が冷たかったけど、直ぐ温まった…」
「ははは…。正也には悪いが、これも長い目で見れば、お前の為だからな。頑張れ!」
 そう云って、じいちゃんは僕の頭を撫でてくれた。大蛸に撫でられ、まさか僕も伝染して蛸頭になるとは思えず、されるまま従っておいた。まあ、孰(いず)れにしても、師匠に逆らうなどということは出来ないのだが…。
 上手くしたもので、僕は未だ冬休みが二日程、残っていたので救われたが、父さんに天の助けは無かった。彼が、『参った参った』と口にしていたのは、通勤の交通を慮(おもんばか)ってのことだった。先程の話によれば、交通機関の乱れで、どうも会社への到着が遅れるらしい。年初の仕事の打ち合わせが朝からあるそうで、間に合うか冷や汗ものだという。僕は、じいちゃんと一緒に寒稽古をして、暑い汗を流しなされ…と、云いたかった。無論、口にするのは憚(はばか)られたから、想うに留めた。
 台所へ食事に行くと、父さんは既にテーブルにいて、バタつきながら味噌汁を喉に通していた。
「あなた、そんなに急いで…、身体に毒よ!」
 母さんにそう窘(たしな)められても、父さんは、ただ黙々と速度を上げて食べ続ける。
「恭一!! もっと、よく噛んで食べなさい!」
 母さんの後方には、仏様の光背のように光り輝く禿(はげ)頭のじいちゃんが立っていた。某メーカーのワックスZで磨いたような光沢なのは紛れもない。迂闊(うかつ)にも父さんは、じいちゃんを見落としていたのだ。じいちゃんの声を耳に受け、急速に父さんの食べるペースが落ちた。まあ、父さんも、この程度のものだ。
                                                      第八話 了


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の風景 (第七話) タコづくし

2009年07月30日 00時00分00秒 | #小説
        冬の風景       水本爽涼

    (第七話) タコづくし        

 蛸が凧を揚げている…と云えば、これだけでもう、読者の方々は笑って戴けると思う。更に僕は、その蛸の横で上空に高く揚がった凧を見ているという寸法だ。勿論、蛸と云やあ、某メーカーの洗剤Xで磨いた光沢を放つ、じいちゃんの禿(はげ)頭である。ここ数年…とは云っても、飽く迄もこれは僕の知る限りにおいてであり、本当は僕が生まれる遥か以前から揚げられていたようだ。
 さてその凧は師走も半ばとなると、じいちゃんの竹取りから始まり、ひご作り、紙貼りを経て、今日のような試し揚げとなる。そして、これが成功裏に終われば、絵の具により色彩が施され、晴れの正月を迎えて揚げられるのだ。これも、僕の家では冬の風物詩の一つになっていて、僕は大いに楽しみにしているのである。
「まあ、少し違うが、これでよかろう…」
 何が少し違うのか迄は僕にも分らないが、兎も角、今年の凧は、じいちゃんに及第点を貰えたようだった。凧が蛸に…と思えば笑えるから、ここは我慢して続けたい。
 正月が明けた。
「おめでとうございます」
 と、父さんが云う。
「いや、おめでとう…」「おめでとうございます」「おめでとうございま~す」
 と、じいちゃん、母さんが続く。そして僕も小さな声で続く。
 何がおめでたいのか? と最近迄は思っていた僕だったが、唱歌♪一月一日♪の歌詞中の、♪…終~わりなき世のぉ目出たさをぉ~♪を聞いて、漸(ようや)くその意味を解したところだった。その挨拶を家内で交わし、晴れてお節(せち)と雑煮になる。僕の家の雑煮は関東風のお吸いもの仕立てだ。僕は雑煮の後、好物の酢醤油蛸を軽く一膳の御飯で食べるのが至福の極みなのである。僕は酢醤油蛸も含めて、これを、━ 正月の三ダコ ━ と呼んで崇(あが)めている。勿論、残りの二ダコとは、じいちゃんの蛸頭と空に揚げる凧であることは云う迄もない。
「父さん、今年はいつ揚げるんです?」
 父さんが雑煮を食べながら云った。じいちゃんはそれに、「フガフガ…」と直ぐ返した。口の動かし方からして、恐らくは、『風のある日だ!』と、云ったように僕には思えた。事実、元旦は終日、風が無く、凧にお呼びは掛からなかった。姥(うば)芸者さんのようなものであろうか(失礼! 子供の僕が語るような内容ではないが…)。部屋の片隅でその凧は寂しそうにしていた。まあ、酢蛸は僕に食べられて満足だったろう。それと、じいちゃんの蛸頭だが、これは相変わらずの照かりで、衰える気配は毛頭ない(禿頭だけに)、と云っておこう。
凧も数日中には揚がるだろう。三者三様に、年の始まりをタコづくしで寿(ことお)いでいる。
                                                      第七話 了


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の風景 (第六話) 電気炬燵

2009年07月29日 00時00分00秒 | #小説
        冬の風景       水本爽涼

    (第六話) 電気炬燵        

 そろそろ寒くなってきたということで、父さんは今日、物置から電気炬燵を出して茶の間へ据え付けようとした。ところが、ここで大事件が勃発した。…と、書けば、お宅の家で何か起こるのは父親がいる時だけだな、と云われる読者の方々も多いと思うので、父さんの名誉のために、これだけは云っておきたい。大事件とは、僕が多少、オーバーに云ってることで、そう大した事柄なのではない。しかも、それは父さんの所為(せい)ではなく、クーラーだけでは足元が…と思った父さんの偶然が、引き起こしたことなのである。その辺りをご理解戴いた上で、話を起こすとしよう。
「フゥ~、クーラーだけでは寒いな。おーいっ! 電気炬燵は物置だったなー?!」
「はーい! 確かその筈です!」
 父さんが茶の間でバタバタして、少し離れた所にいる母さんに訊ねた。母さんは少しトーンを上げて、すぐ父さんに返した。父さんはそれを聞き、物置へ向かった。日曜だったので、僕は家にいた。木枯らしが去り、秋に替わって冬将軍の第一陣が、『コンチワッ!』と、勢いよく小雪と伴に訪れた寒い朝だった。
 早く出して貰いたいので、僕も父さんの尻に従って物置へ行った。じいちゃんの寒稽古の声が、風に乗って聞こえていた。
「よしっ! あった、あった。正也、そこのコードだけ持ってってくれ」
 父さんは電気炬燵を持って茶の間へと入った。設置を終えた父さんは、コンセントへ繋いでスイッチを入れたが、肝心の赤外線ランプが点灯しない。
「…こりゃ、ヒューズが切れたかぁ?」
 恐る恐る裏返して父さんが凝視すると、確かにヒューズが切れていた。父さんは溜め息をつきながら物入れから修理工具と予備の温度ヒューズを取り出し、悪戦苦闘の末、漸(ようや)く取り替えた。
「よーしっ! これでOKだっ!」
 ニコッと笑ってスイッチを入れた瞬間、父さんの顔が、また曇った。点灯しないのだ。
「妙だなぁ~。これ以上は無理だしなぁ…」
 首を捻りつつ、何やらブツブツと云っていた父さんは、暫く炬燵と睨み合った挙句、ついに意を決して電気屋へと出かけた。母さんが、「もう、ご飯ですよ!」と云ったが、心ここにあらずで、一切、喋らず無言だった。
 その後、上手い具合に替えのパーツが入手出来たのか、父さんは喜び勇んで帰ってきた。
「おい、どうした? 恭一」
「いや、どうも故障のようでして、替えを…」
「フン! 儂(わし)みたいに寒稽古をしてりゃ、そんなもんは全くいらんのだ! 情けない…。なあ、正也」
 僕は父さんの手前、黙っていた。
 父さんにすれば、日曜だというのに寒い中を仕方なく準備して、その結果、修理に至り、更には買い替えの為に外出する破目となり、サッパリなのだ。そこへ輪をかけて、某メーカーの洗剤Xで磨いた光沢を放つ蛸頭の小言(こごと)である。我が家としては小事件だったが、父さんにとっては散々な一日となってしまった。だが、世界の各地では悲惨な戦闘による犠牲者が未だ絶えない昨今だから、今日の炬燵の一件は大事件とは云わず、茶飯事として喜ばねば罰(ばち)が当たるだろう。

                                                      第六話 了


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の風景 (第五話) 食べもの

2009年07月28日 00時00分00秒 | #小説
        冬の風景       水本爽涼

    (第五話) 食べもの        

 僕は年に似合わず里芋の煮っころがしが好きだ。それに加え、じいちゃんには悪いが、茹(ゆだ)った蛸のスライスを酢醤油で戴く…、というこの二つに尽きる。勿論、食べものには好き嫌いがない僕だから何だって食べるのだが、まあ、この二点である。あっ! それに銀鯥(むつ)の味噌漬け焼きも捨て難い。って云うか、僕にとっては法外で髄一のご馳走なのである。
 今年の正月も恒例のお節(せち)料理が食卓を賑わせた。毎年、母さんが重労働に汗して家族のために調理してくれるのだから、感謝して賞味せねばならないだろう(とか云いつつ、食べる段になると味わうことのみに気が走り、その感謝の念を忘れがちな僕なのだが…)。
「そろそろ、お節も飽きてきたなあ…」
「馬鹿者!! 世界には食いものがない人々も多くいるんだっ! そういう罰(ばち)当たりを云うんじゃないっ!」
 じいちゃんの食卓での落雷は珍しい。
「…すみません、そうでした」
 頭を下げ、父さんは殊勝な態度で謝った。
「ん? …いや、儂(わし)も少し興奮したかな。ハハハ…」
 じいちゃんは父さんが素直に謝ったことが嬉しかったのか、直ぐ相好を崩した。
「さあ、夕飯にしましょ…」
 母さんもテーブルに加わって、いつもの食事風景が展開した。
「武士は食わねど高楊枝…とは云うが、昔の武士は食らう事より武道を尊んだそうだ」
 かなり難しいことを、じいちゃんは食べながら、フガフガと云った。
「食べものが無かった時代に、その精神ですからね。昔の人は大したもんだ…」
「そうそう。今は食いものがあり過ぎて捨てたりする御時世だからなあ…」
「はい…。幸せな日本だけに余計、残念です」
「その通りだ。今日の恭一は偉く物分かりがいいなあ。まるで別人だぞ」
「いやあ、そうでもないんですが…」
 父さんは謙遜したが、じいちゃんに褒められたのが、まんざらでもない様子だった。
「酢蛸は、もうなかった?」
「昨日、全部、食べたでしょ」
 僕は、ついうっかりして、昨日、最後の残りの四切れを食べ尽くしたことを忘れていた。出来のいい僕にしては失態である。
「里芋の残りが、あったぞ」
 じいちゃんが賑やかに笑って下段のお重を指さした。僕の好物だということを、じいちゃんは知っていて残してくれていたのだ。蛍光灯に照らされた笑顔は、正に茹った蛸で、頭の照りも某メーカーの洗剤Xで磨いた光沢を放つじいちゃんである。その姿からは、とても剣道の師範だとは想起出来ない。
 馬鹿げたことを話しているうちに、今年の冬休みも、とうとう残り少なくなってきた。

                                                      第五話 了


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の風景 (第四話) 生体リズム

2009年07月27日 00時00分00秒 | #小説
        冬の風景       水本爽涼

    (第四話) 生体リズム        

 寒い寒いと、たまの長休みで父さんが五月蠅く吠える。冬は誰だって寒いんだから、せめて一家の長はデン! と構えていて欲しいぐらいのものだ。
「お、お前は…」
 じいちゃんは呆れたのか、父さんを叱ろうともせず、そうとだけひと言、云った。そのじいちゃんの上半身は裸で、つい今し方、朝の寒稽古を終えたばかりの汗まみれだ。当然、身体からは湯気が立ち昇っている。僕もじいちゃん程ではないにしろ、やはり汗まみれで、全く寒くはない。
 この生体リズムの個人差を僕の家を対象に一人一人、分析すると、父さんは崩れやすく、じいちゃんは年からすればかなり頑丈だ。母さんと僕はほぼ安定、云わば普通である。だからどちらかと云えば、父さんは運動で幾分、安定させる努力をした方がいいのかも知れない。
 寒稽古の後、じいちゃんは湧き水の洗い場で身体を拭き、僕はシャワーで汗を流して朝食となる。運動の後だから当然、ご飯も美味しく二膳は優に食す。じいちゃんは最低、三膳だ。父さんはと云うと、からっきしで、半膳かトースト一枚が関の山だ。今朝もパジャマの上にジャージを羽織った身形(みなり)で、寒そうにパンを齧っている情けない駄目親父なのである。その父さんも、いつだったか一度、じいちゃんの寒稽古に加わったことがある。まあ、結果は云う迄もなく玉砕で、三日坊主の三日も持たず、二日で音をあげた。しかも翌日には高熱を発し、会社を休むという体たらくで、これには流石の母さんも呆れ果てたという過去がある。いつかも云ったと思うが、父さんは体育会系では決してなく、身体が弱いという訳ではないが、生体リズムを崩し易かった。そうかといって、それは病院にかかる程でもなく、いつも春先には治る一過性なのだ。要は、冷え症的な問題を抱えているらしかった。人一倍、寒がるのは、その所為(せい)かも知れない。
「あなた、これ…」
 母さんが父さんに手渡したもの、それは使い捨てカイロだった。
「ああ…、すまないな」
 食事の後だし、休みだし、父さんにとっては時間に追われない至福のひとときで、彼は茶を啜りつつ新聞に目を通して寛(くつろ)
ぐ。
「フン! 嘆かわしい奴だ。武士など、とても勤まるまい…」
 じいちゃんは既に諦めているのか、ぼそっと吐くだけで直接、父さんへは語り掛けない。ただ、顔だけは興奮により赤らみ、例の茹った蛸に近づきつつあった。頭も光沢を増し、窓ガラスから射し込む陽光を一身ではなく一頭に受けて輝かせている。決して某メーカーのツヤ出しZで磨いた訳ではない。エコが叫ばれる昨今、僕はじいちゃんの余熱を父さんに回す有効利用の方法はないものかと、真剣に考えている。じいちゃんの熱気と父さんの冷え症が相殺されれば幸甚の極みである。

                                                      第四話 了


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の風景 (第三話) 教養人

2009年07月26日 00時00分00秒 | #小説

        冬の風景       水本爽涼

    (第三話) 教養人        

 久しぶりに都会の叔母と従兄弟が家へやって来た。大人同士の会話もいいとは思うが、子供同士の会話というのも、それはそれでいいもので教養深く乙なものだ。話は弾んで、年末年始の諸収入の話となり、クリスマスでせしめた贈りもの談義も大いに盛り上がってサミットは閉幕した。その従兄弟も帰り、今日はもう、いつもの家族の会話が展開している。
「未知子さん、お疲れでした。毎年のことながら、ご苦労をかけます」
「あらっ、お義父さま。そんなお気遣いは無用に願います。ここが実家なんですから、お帰りになって当然ですわ」
 最近、嗜(たしな)み始めた碁の本を僕が居間で読んでいると、そんな二人の会話が聞こえてきた。その話が途切れて暫くすると、僕がいる居間へ父さんが入って来て、続けてじいちゃんも姿を現した。偶然だろう…と、気に留めずに読んでいると、二人はいつの間にか将棋を指し始めた。いつぞや、二人には暗黙の了解が存在しているらしい…とは報告したと思うが、今夜のがその典型的な例で、プロ野球のサインらしきものがあるのでは…と睨むほどである。二人の教養は、まあ将棋ぐらいだが、僕ほどの教養人となると、碁となる(と云えば、読者の皆様に対し嘘をつくことになるので、五目並べと訂正しておく)。
 さて、碁も将棋も教養の程度では遜色ないが、僕には将棋が庶民的ながら今一、俗っぽく思える。まあ、五目並べでは偉そうに語れないのだが、碁を打つ人と聞けば、少し教養人に思えるのも確かだ。
「おい、正也。何、読んでんだ?」
 父さんが将棋を指しながら僕に声を投げた。
「ん? 五目並べの本だけど…」
「五目並べか…。父さんや俺の跡を継いで、将棋をやれ。…なら、三代目も夢じゃない」
「まあ、お前、そう云うな。正也には正也の生きる道ってもんがある。それに、五目並べと馬鹿にするが、なかなかどうして、奥深いものなんだぞ。連珠と云って、プロの有段者もいる」
「ほお…、そうなんですか? …王手!」
「ウッ! いつもながらズルい奴だ。儂(わし)にしゃべらせておいて油断させるとは…。呆れてものも云えん!」
「父さんが勝手に話してんじゃないですか」
「うるさい! 黙りおろぉ~~!!」
 某メーカーの風呂用洗剤Yで磨いたタイルの如く、ピカッ! っと光るじいちゃんの時代劇言葉が炸裂して父さんを直撃した。父さんは防御のバリアを張って、いつもの、だんまりを決め込み、己が身を守る。暗黙の了解が出来た関係はどこへやら、両者間に暗雲が漂う。しかし上手くしたもので、そこへ母さんが台所の片づけを終り、チューハイのレモン割りのコップを盆に載せて入ってきた。無論、アテの小皿も載せてだ。この瞬間、二人の機嫌は一変し、すっかり仲良くなってしまった。僕は二人の様子を見て、この教養人の方々には、とても勝てない…と確信した。
        
                                              第三話 了


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の風景 (第二話) 氷結

2009年07月25日 00時00分00秒 | #小説
        冬の風景       水本爽涼

    (第二話) 氷結        

 冬の風物詩といえぱ、僕達の田舎では軒(のき)から垂れ下がる氷柱(つらら)だ。キンコンカン! と、叩いて遊んだり、叩き折ってキャンデーよろしく齧ったりする楽しみがある。だが、これで遊ぶ場合は、突き刺して大怪我に至る危険も大いにあるから、悪ふざけは厳禁だ。
 今朝もじいちゃんと半慣習的な寒稽古を済ませた後、身体を拭いていると、垂れ下った氷柱が、ふと僕の眼に止まった。じいちゃんも気づいたようで、軒をじっと眺めている。
「昨日の晩は冷えたからなあ…」
 じいちゃんは夜冷えが厳しかったことを強調する。水が凍って氷柱になる訳だが、屋根の雪解け水で氷柱が出来るという自然の壮大さには、唯々、脱帽するのみである。勿論、某メーカーのツヤ出しZで磨いたように光り輝くじいちゃんの頭は、その比ではないのだが。
 さて、科学を紐解けば、水は流れ動くが氷は動かない。恰(あたか)も時間が閉ざされたかのようである。
「一昨年(おととし)の正月は入れ歯で難儀したから、今のうちに歯医者で調整しておくか…」
「じいちゃん、それがいいよ」
 じいちゃんが早くも正月の食い気に想いを馳せている。これも、よ~く考えれば、過去の失敗が氷結した記憶として残っているのである。ならば、映画やVTRなどはどうだ? と、僕は考えた。過去の作品でも、今、観ようとすれば観れるではないか。が、その疑問もすぐに判明した。要は、動いていても、その時空は限りがあるのだ。一定の時間という氷結した時空でのみ動き得るのである。ひょっとすると、僕はアインシュタインを超越するのか(と思うのは大間違いで、実のところ、そんな偉大な訳がないのだ)。それでも、担任の丘本先生も認める学才があることは紛れもない事実である。ただ、天才には及ばないようだ。
「今朝は危なかったよ。うっかりして、道で滑るとこだった…」
 夕方、帰宅した父さんが、背広を脱いで母さんに渡しながら、そう云った。
「そう…、注意してね。冬は凍るから…」
 母さんは云うほどは心配していないように僕には思えた。そこへ、じいちゃんが現れた。
「お前の滑り癖は小さい頃から治らん。大学も三浪だったしなあ…」
 父さんは聞こえていない素振りをして押し黙り、じいちゃんを無視した。こりゃ、まずいな…と、僕は思ったが、案に相違して、じいちゃんは追撃を敢行せず、光る頭に手をやると、撫でながら消えた。母さんがいて、ばつが悪かった、ということもある。通りすがりに僕の前で、ふと見上げたのは、じいちゃんが大事にしている額縁である。その額縁には、『極上老麺』と書かれ、氷結していつも僕達家族を見下ろしているのだ。何故、額装せねばならない程の重要物なのかは、今もって僕には分からない。これは、アインシュタインでも分からない謎だと思う。

                                                      第二話 了


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の風景 (第一話) 本音

2009年07月24日 00時00分00秒 | #小説

        冬の風景       水本爽涼

    (第一話) 本音        

 朝起きると、初霜が降りていた。庭や家の前の畑は白々と輝き、白砂を敷きつめたようだった(と、いうのは少しオーバーな建て前上の云い回しなのだが…)。
「フゥ~。ひと汗、掻くと気分がいい…」
 僕に云うでなく、上半身裸で汗を拭きながら、じいちゃんが笑顔で呟くように云った。じいちゃんの身体からは湯気が出ていて、それが朝陽に照らされて昇っている。僕は丁度、洗顔を済ませた後、タマとポチに餌をやり終えたところだった。洗い場で手を洗っているところへ、じいちゃんが庭からやってきたのだ。じいちゃんは手拭いを湧き水に浸けて絞ると、また身体を拭いて気持ちよさそうに云った。
「おい正也! 明日から恒例の寒稽古だったな。…いつもより三十分、早く起きろよ」
「うん! 分かってる」
 嫌だ! と本音を漏らせばいいのだが、毎年この時期に付き合わされる半慣習的な行事なので、敢えて逆らうことなく今年も、じいちゃんに奉仕することにした。いつぞやも云ったと思うが、事を荒げたくないその場凌ぎの性格は、たぶん、父さんの遺伝子によるところが大だと思う。だが、よくしたもので、じいちゃんの遺伝子は父さんから僕に繋がり、運動神経は、まあ程々である。剣道も時折りやっている内に、今や一級である。頭の方も頗(すこぶ)る好調で、これは母さんの遺伝子によるものだと断言でき、天才少年、現る! と、地方新聞の紙面を賑わせた程の出来ようなのである。担任の丘本先生などは、僕の知能を高校生並みなどと持ち上げる。これは決して自慢ではないのだが、話題にすること自体が自慢だと思えるから、反省して読者の皆様にはお詫びしたい(などと云うけれど、実はこれも僕自身をよく見せたいという本音の心が云わせるものなのである
)。
「別にペコペコされたくもないさ、ハハハ…」
 と、父さんは食事中、母さんに笑って暈した。別に出世しなくともいいと云いたいのだろうが、彼の心の奥底は大見えで、そう云うことで見栄を張り、自分を自分で慰めている節がないでもない。
「そうは云うがな、恭一…」
 と、じいちゃんはそこ迄を云い、珍しく口を噤(つぐ)
んだ。じいちゃんは本音で語ることが多いから、今夜は精一杯の我慢なのである。
「別に気にしてませんから、お義父さま…」
 と、母さんは繕(つくろ)
い、微笑んで僕の顔を見た。彼女の内心には、あなたの不出来な分は正也が補って余りある…という本音が見え隠れする。
 夕食後、ゴルフのクラブを居間で磨く父さんに、「おう、よく光っとるな。某メーカーのツヤ出しZだな」と、じいちゃんが声を掛けた。
「はい、助かってます…」
 と素直に父さんは小声で返した。その小声の奥には、恐らく次に浴びるであろう嫌味を未然に回避する緊急避難的な彼の本音が隠されているのだろう。
 大人は建て前で生き続ける。僕は本音で生きたい…と、頑張っている。

                                                     第一話 了


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の風景 特別編(下) 芸事

2009年07月23日 00時00分00秒 | #小説

        秋の風景       水本爽涼

    特別編(下) 芸事      

 ♪更けゆくぅ~ 秋の夜ぉ~ 旅の空のぉ~♪
 父さんのハーモニカが物悲しく響く。それは決して上手くて物悲しく響く、というのではなく、何年も吹いている割には、さっぱり上達しないから僕には物悲しいのである。だが一応はメロディとして聞こえてくるから、僕はそれに合わせて小さく唄っている訳だ。上空には十六夜の月が煌々と輝いている。昨日は十五夜でお団子を食べ過ぎたのだが、その次の夜ということになる。
「なんだ、正也。まだ寝んのか?」
 土曜の夜ということもあり、僕はいつもより三十分ほど長く居間で寛(くつろ)いでいた。この日は珍しく、父さんは将棋盤を広げておらず、庭へ出てハーモニカを下手に吹いていた訳だ。風呂上がりのじいちゃんは、いつもの赤ら顔の茹(ゆ)で蛸である。
「明日は日曜だから…」とだけ、暈して応対すると、じいちゃんは怒るでなく、「そうか…。いい月夜が続くなあ」と、やんわり返し、美味そうに手にした缶ビールをグビグビッと三分の一ほど飲み干した。じいちゃんは、父さんのハ-モニカが上手かろうが拙(まず)かろうが、どちらだっていいのだろう。聞こえてくる音色など、どこ吹く風だ。これが師匠たる風格というものか…と、思える。小難しく云えば、泰然自若とか云う奴である。
「正也、まだ起きてるの? 早く寝なさい!」
 父さんだけじゃなく、僕も母さんには“青菜に塩”なのだ。
「うん!」
 敢えて逆らう必要もなく、また逆らうだけの正当な理由も見当たらず、更には“青菜に塩”なので、僕は自分の部屋へ撤収することにした。父さんのハーモニカに合わせて唄っているから…などとは口を裂けても云えないし、父さんには悪いが全く聞くに堪(た)えない演奏なのだから、一抹の理由にもならない。芸事の大会とかに出場するほどの腕ならば未だしも、……だ、からだ。
 僕が自分の部屋へ入った時、ピタリと父さんが吹く音は止まった。まあ、それなりに自己満足したのだろう…と、また思えた。
 芸事と云えば、じいちゃんの抜刀術、母さんの生け花がある。僕には…と考えると、多少、他と比較すれば頭脳明晰(めいせき)みたいだという以外には何もない。無論、父さんの下手なハーモニカは入るべくもないから、何もない。ただ、会社では宴会部長らしいから、宴会芸はそれ相応のものらしいが…。あっ、忘れるところだった。じいちゃんには隠された、もう一つの芸事があった。それについては先だってもお話ししたと思うが、馬術である。じいちゃんは、僕がもう少し大きくなったら教えてやるという。某メーカーの洗剤で磨いたような光沢を放つ蛸頭は、残念ながら候補規定を満たさず、芸事に入る…と迄は云えない。総じて我が家の構成メンバーは、誰もが少なからず芸事、或いは芸事らしい事を熟(こな)
す、と一応は定義づけられるだろう。僕だって、生まれ持って頭脳明晰なのかは知らないが、やはり努力もしなければ丘本先生に絶賛される迄には至っていないのだ。だから僕も、或る種の普通人にはない才能(芸事が出来る技量)があるのだろう。
 そうは云うものの、学芸会が間近に迫っていた。僕はこの中で、演目である浦島太郎に出演が決まっていたのである。主役の太郎なら文句なくいいのだが、生憎(あいにく)、僕は亀の役なのだった。じいちゃんは、「おいおい、そうガックリするな、正也。準主役なんだからな、亀は…」と、慰めのような、そうでもないような云い回しで僕を和らげた。この亀の台詞は、幸いにも太郎ほどは多くないのが玉にキズだった。出来のいい僕は残念ながら台詞覚えが苦手で、他の人の倍ほどは必要なのだ。その学芸会が迫っていた。場所は学校の講堂だった。あっ! これも云ってなかったと思うが、僕の学校は明治時代に建てられた建造物で、県の指定文化財にもなっている立派な建物なのだが、その講堂で行われたのである。何でも、じいちゃんが云うには、戦前は講堂が奉安殿になっていたらしい。道場に
例えると、丁度、前方の神前構造のような感じらしい。勿論、戦後は取っ払われて、今は何もない。そこで行われた学芸会の演目、浦島太郎劇の出来については、後日、語るとしよう。そんな話は別に聞きたくもない…などと、おっしゃられる方々も、まあ我慢して聞いて戴きたいと思う。━
 それから二週間後である。学芸会は無事終わり、僕は芸事らしきことを演じた。思ったよりは上手く演じられたようで、観覧席の父さんや母さんにも好評であった。亀の仮装を身に着けていたのが功を奏した格好で、シャイな僕としては仮装に助けられた訳だ。勿論、今、流行りのユルキャラとかのスッポリ被る仮装ではなく、ハリボテの甲羅を背負い、帽子風に作られた役絵キャップを被るといった具合だった。兎にも角にも、僕の亀役は無事終わったのだが、まあ、概してこんな程度で、そう大した話ではない。総じて、家族を芸事で語るなら、抜きん出て、といった技量の芸(プロ芸)を熟す者はいない…と結論づけられる。とかなんとか云っているが、実はそんなに小難しいことを僕は思っていない。じいちゃんが馬に乗ろうが、母さんが花を生けようが、父さんが宴会で踊り唄おうが、そんなことは、ど~でもいいのである。飽く迄も、芸事に皆さん精通しておられる…と分かって戴ければ、それで充分なのだ。しかし、この話はここだけにして貰いたい。僕がそんなことを云っていたなどと吹聴されては困るのだ。じいちゃんの耳にでも入れば、師匠からは恐らく破門を云い渡されるだろう。じいちゃんの弟子としては誠に辛いのである。母さんにしたって、風当たりが強くなるのは必定と思われるから困るのだ。まあ、父さんだけは大した影響もないように思えるのだが…。孰(いず
)れにしろ、我が家の連中は少し素養がある程度のもので、まずマスコミに騒がれる、というような出来事にはならないだろう。
 秋の虫達が賑やかに秋を唄っている。実に上手い。じいちゃんは蛸頭を照からせている。実に素晴らしい。父さんはハーモニカを奏でている。実に拙(つたな)
い。母さんは枯尾花を花瓶に生けて飾る。実に見事だ。傍(かたわ)らに置いた三方(さんぼう)
の上のお団子、これは実に美味そうだ。この秋、もう一度くらいは食べられるだろうか…。こんな下劣な計算をしている僕は、実に、さもしい。もう少し高尚で頼もしい存在になりたい…とは思っている。

                                            秋の風景 特別編(下) 了                            


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の風景 特別編(上) スーパーじいちゃん

2009年07月22日 00時00分00秒 | #小説


        秋の風景       水本爽涼

    特別編(上) スーパーじいちゃん      

 
じいちゃんを自慢する訳ではないが、うちのじいちゃんは、他のじいちゃんとは少し違うように思える。いや、これは、随分違うと云い直さねばならないのかも知れないが…。
 何がそんなに違うのか? と問われれば、まず第一に剣道の師範の資格を持つ、ということだ。そんな人は他にも一杯、いるぞ…と云われるお方も、まあ、我慢して戴いて聞いて貰いたい。その第二として、馬術が得手ということである。これは、じいちゃんが若い頃に身につけた特技で、器用に乗り熟(こな)
す上に、競馬クラブの名誉会員でもあるのだから、そんじょそこらのじいちゃんとは違って大したものだ…と思える。別に競馬が好きとか、そういうんじゃなく、云わば、武士の嗜(たしな)み、と捉えている向きが強いのである。先だっても、こんなことがあった。
「おっ! 秋の天皇賞だな…」
 父さんは日曜なので、テレビで競馬中継を見ている。そこへ、じいちゃんが風呂場から蛸頭に湯気を立てて現れ、ひと言、そう云った。僕は仕方なく父さんに付き合わされている格好だ。
「恭一は買わん割りには、結構、当てるな」
「ははは…、そう云いますが、私は馬のことは少し五月蠅いですよ」
 そう云って、父さんは少し見栄を張った顔でじいちゃんを眺めた。
「馬鹿を云え。お前のは、ただの馬通(つう)だ。儂(わし)の如く、馬の何たるかが全く分かっとらん!」
 いつもの落雷である。父さんは、笑顔を引っ込め、真顔になった。
「だいたい、馬のことを語るのは百年早いっ! 飼い葉やり、寝床作り、馬糞や身の世話
、体調管理…そんなことをしている者の云うことだっ!」
 じいちゃんは次第に、お冠(かんむり)である。
「はい…、すみません」
 ただ、ひと言を謝って返しただけで、後の父さんは、ただの聞く人になった、…いや、聞く人に成り果てた。無論、僕だってそうなのだが…。
「まあ、二人とも儂の話を聞くんだ…」
 こうなっては、万事休す…である。最低、小一時間は覚悟せねばならない。じいちゃんは、馬のことを諄々(くどくど)と語り始めた。今回、ラッキーだったのは、十分ぐらい経った頃、母さんが台所へ現れ、夕飯の準備を始めたことである。前にも云ったと思うが、じいちゃんは母さんに、からっきし弱かったから、少しトーンを下げ始めた。
「正也! 早く入ってしまいなさいっ!」
 輪をかけて、そこへ母さんの風呂催促である。日曜だから少し早かったのだが、じいちゃんも話を中断せざるを得ない。
「まっ! 今日は、これ迄にしよう。続きは、またな…。正也、風呂だっ」
 この場合の僕は軽く腰を上げた。重い腰を上げることは、よくあるだろうが、軽く腰を上げたのは、この場合の僕ぐらいだろう。
 風呂から上がると、外はもう暮れ泥(なず
)んでいた。秋の陽は釣瓶落とし…とは、よく云ったものだ。ふと見ると、じいちゃんは庭に出て落ち葉を掻き始めた。剣道の猛者(もさ)だけのことはあり、僕とは違って一意専心である。滑るほどに照かった禿げ頭に一匹の赤蜻蛉が止まっていることなど全く知らぬ気で、見事な熊手の捌きである。某メーカー製の洗剤で磨いたような頭の輝きは、ただただ見る者をして唖然とさせるのだから大したものだ。別に光頭会に入会している訳ではないが、毎日の手入れは欠かしたことがない。それも、刀剣の手入れをした後、必ずと云っていいほど鏡の前へ立つのだから、これはもう恐れ入るばかりの日課なのである。
「おっ、銀杏(ぎんなん)
ですか…」
 夕飯の茶碗蒸しを食べながら、箸で実を探し当てたじいちゃんが、ポツンと云った。
「ええ…そうです
。お義父さまがこの前、拾ってらした実ですわ」
 家から五分ほど歩いた所には、古いお社がある。その中の鎮守の森に、一本の大層、大きな銀杏(いちょう)の木が聳(そび
)えており、毎年、たわわに実をつけるのだ。じいちゃんの銀杏(ぎんなん)拾いも、今や恒例となった我が家の行事の一つで、僕も時折り、特別ゲストとして参加させて貰っている。ところが、銀杏は食すまでが、ひと苦労なのである。まずは実の中の種を出す工程がある。さあ、これで食べられると思いきや、さにあらず。続いて、種の殻を割る工程が今や遅しと待ち構えている。まあ、割るのは便利な道具(例えば、ペンチとか)があるから、力はそういらないが、何とも面倒で手間がかかる訳だ。じいちゃんは、そういうこともした上で、恍(とぼ)け顔で母さんに、『おっ、銀杏ですか…』と、云ったのである。母さんに十七目を置いていることもあるが、じいちゃんには口で表現出来ない包容力というか、偉大さというか…何かそういったオーラが漂っているのである。これは、光り輝く禿げ頭の力によるものではない。じいちゃんに自ずと備わった仁徳のようなものであろう。銀杏の話に限らず、じいちゃんは何かにつけて偉大なのだ。以前にもお話ししたと思うが、菓子を食べる僕を見て、真剣の刃に打ち粉をしつつ、ニヤッ! と笑うじいちゃんなど、皆さんのご近所におられるだろうか。そうは、いない…って云うか、恐らく皆無ではなかろうかと僕は思う。お日様は輝きを放って生命を育み、僕達が生きる上での様々な必要物を恵んで下さるから有難いのは当然だが、僕のじいちゃんだって、なかなかどうして、お日様の相手ではないものの、少しは輝きを放ち、恵みを与えてくれるのだ。この輝きは、決して光る頭だけということではない。まあ、スーパーマンと迄は云えないが、大したスーパーじいちゃんなのである。同じ親子なのに感性や性格が父さんとはかなり、いや、全く違う。父さんだって、大会社でそれなりに働いて、安定したヒラを維持しているのだから大したものだが、じいちゃんに至っては、何事につけて僕に良き手本を示してくれる師匠だから、スーパーの称号を付与したいのである。母さんも…とは思うが、出来はいいものの、僕に対して小言が多いというマイナス点があるから、時期尚早の感は否めず、申し訳ないが、ほんの少し先に延ばした次第である。まあ、間近とは思うのだが…。父さんは残念ながら該当欄には初めから入らず、即断の評価で却下された。だから、スーパーの称号を持つのは、我が家で唯一、じいちゃんだけなのだ。食糧生産、気概、健康面、どれ一つ取っても、じいちゃんを抜きでは語れない我が家なのである。だから、僕が大学を卒業し、日本のスーパーマンとして飛び出す日まで、長生きして欲しいと願うばかりだ。
 今夜も、素晴らしくいい名月が上空に輝いている。

                                            秋の風景 特別編(上) 了


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする