どうしてもっ! と意気込んでも出世できるものではない。こればっかりは、それでも…と個人が思ってもダメなのである。^^ 要は、社会がその個人を受け入れてくれるか否(いな)か? にかかっているのだ。では、出世した者が人間としてランクが上なのか? と問えば、これも否定されることになる。人としての出来、不出来は地位、名誉、裕福などといったものとは、また別の問題と言えるだろう。議員に当選したからといって、すべての議員が政治を良くする能力があるか? は別ということだ。^^ 頭脳明晰(ずのうめいせき)な一流大学出身者は、すべて仕事が出来るか? という疑問も同じ内容の話となる。^^
とある地方のとある町に住むとある男が、議員になって出世してやろう! と意気込んでいた。幸い、親から引き継いだ資金や有力な地盤はあったから、当然、当選だろう…と、マスコミは予想していた。ところがこの男、人当たりがいけなかった。そうなると、世間の評判も余りよくならない。三段論法(さんだんろんぽう)で選挙の票も入らず当選できない・・ことになる。結局、何度、立候補しても落選が続いていった。だが、それでも…と男は諦(あきら)めなかった。
そしていつしか、男は80の坂を越えていた。
「もう、おやめになったらいかがですか? お耳も遠くなられましたし…」
秘書が小声で遠慮ぎみに言った。
「ああ、目もな…」
男は分かったような口ぶりで、呟(つぶや)くように返した。ところが、男はそれでも諦(あきら)めていなかった。ぅぅぅ…まだまだっ!! と意気込んでいたのである。
時が流れ、男は90近くになっていた。そして選挙の日が巡った。その結果、どういう訳か男は当選した。世間の同情票による当選だった。
『ついに、出世したぞっ!』
男は満足げな満面(まんめん)の笑(え)みで翌日、息を引き取った。
まあ出世は、それでも! と意気込むほどのことではない・・ということだろう。^^
完
人が生きていく上でトラブルは付(つ)きものだ。そうしよう! と行動したことが、そうさせまいっ! と阻止(そし)されたとき、トラブルとなる。軽度であれば、双方が、それでも! の程度を下げ、相手の意を汲(く)むことで解消される訳だが、強情(ごうじょう)に一歩も引かないと、トラブルの火は益々、燃え盛(さか)ることになる。
小学生の兄弟が、食べた食べないで言い争(あらそ)っている。
「お前が食べたから無くなったんだろっ! 他に誰がいるんだ!?」
「僕は食べないよぉ~、兄ちゃんっ! パパじゃないっ!?」
「いや、探偵の僕が調べたんだっ! お前に違いないっ! 顔にそう書いてある。正直に白状しろっ!」
「そんなぁ~~!」
弟は必死に否定するが、それでも兄は一端(いっぱし)の探偵きどりで追撃(ついげき)の手を緩(ゆる)めず、トラブルは続く。そこへ洗濯を終えた母親が現れた。
「何よっ! さっきから喧(やかま)しいわねっ!」
「こいつが、僕が残しておいたお餅(もち)を食べたんだっ!」
「ああ、冷蔵庫のっ? アレはパパが食べたみたいよっ!」
「なんだ、お前じゃなかったのか…」
「ふぅ~~ん…」
そこへ父親が現れた。母親は慌(あわ)ててキッチンへ去った。
「どうしたんだ?」
「ははは…パパが食べたのか?」
「なにをっ?」
「お餅」
「餅? なんだ、それはっ?」
「冷蔵庫のお餅、パパじゃないのっ?」
「? いや?」
「ママがそう言ってたよ」
「じいちゃんじゃないかっ?」
「じいちゃんは敬老会でいなかったよ」
「ばあちゃんも…」
弟が兄に追随(ついずい)した。
「そうか…。なら、ママだなっ! ははは…」
「スゥ~っと消えたからねっ!」
「だなっ!」
三人は小笑いし、トラブルは呆気(あっけ)なく解消した。
トラブルは、それでも! と熱くならなければ、割合簡単に消えるようだ。^^
完
人の行動は、なかなか予定通りにはいかないものである。だがそこで、挫(くじ)けることなく、それでも…とアグレッシブに動くのが気力である。気力が削(そ)がれれば、最初に動こうとした行動自体が無意味となる。
とある駅前の駐車場である。一人の男が予定が狂ったのか、自分の車の前で氷結したように呆然(ぼうぜん)と立っている。いや、立ち尽くしている・・と表現した方がいい落ち込み方だ。
「… どうされました?」
隣りの駐車スペースに車を止めていた男が車に乗ろうとしたとき気づき、声をかけた。
「い、いや、なんでもありません…」
「ああ、そうですか。それならよかった。じゃあ!」
男は車の前ドアを開け、乗り込もうとした。そのときである。
「あっ! あの、もし…」
「はあ? …はい、なんでしょ?」
「つかぬ事をお訊(き)きしますが、この左横で屋台を出されていた焼き芋屋さん、ご存知(ぞんじ)ないですか?」
「ああ、焼き芋屋さんですか。焼き芋屋さんならこの場所に樅(もみ)の木が植えられるそうで、裏地へ引っ越されましたよ」
「ああ、なるほど…。そういう変化でしたか。ははは…小さい変化でよかった!」
「えっ!?」
「いや、なんでもありません…」
男は、行動を変化させず、それでも立ち続けていてよかった…と、心の底で得心した。
変化が起こっても、それでもと、冷静に対処するのが、行動を上手(うま)くいかせる秘訣(ひけつ)のようだ。^^
完
それでも! と意気込まなければ、総(すべ)てが楽になる。また、それでも! と意固地(いこじ)にならなければ、総てがスンナリと流れる。ところが人は、目に見えない魔の力に苛(さいな)まれ、自我(じが)という蟠(わだかま)りを持つことになる。蟠れば、意気込んだり意固地になる・・と、まあこうだ。そうならないためには、自分を勘定(かんじょう)に入れず、自我を捨てれば楽になる訳だが、世間はそれを許さず、魔は虎視眈々(こしたんたん)と機会を窺(うかが)っている。まあ、私に言わせれば、弱っている人々をそこまで苦しめないでもいいのに…とは思える。^^
明日(あす)に予定されている、とある綱引き大会の練習が、とある体育館で行われている。そこまで…と、誰もが思うほどの熱の入れようで、開始は夜の7時過ぎだったから、もうかれこれ3時間が過ぎようとしていた。
「そろそろ、止(や)めにしませんか、コーチ!」
「いやっ! もう、30分!」
「いやぁ~、皆さん、もうお疲れなんですからっ!」
「いやいやっ! このままでは3位の銅メダルも取れん!」
「銅メダルなんて、どう[銅]でもいいじゃないですかっ! 鉄でもアルミニウムでもっ!」
「う、上手(うま)いっ! いやいやいやっ! もう少しの練習で取れるんだっ! 取れれば、今までの練習の苦労が消え、皆、楽になるっ!」
「銅を忘れれば、あなたが楽になるっ!」
「…」
その返しに何を思ったか、コーチは矛(ほこ)を収(おさ)め、練習を終えた。
翌日、チームは番狂わせで3位決定戦に勝ち、どう[銅]でもいい銅メダルを獲得した。^^ 当然、コーチを含む皆は楽になった。
要は、力(りき)まなければ楽になる訳だ。^^
完
お相撲(すもう)の土俵際(どひょうぎわ)で、力士が危(あや)うく寄り切られそうになり、それでも、ぅぅぅ…と、必死に踏(ふ)ん張(ば)る姿は観戦する人々を興奮させ、なにも汗など握らなくてもいいのに、手に汗を握らせる。^^ 踏ん張った挙句(あげく)、逆転して勝とうものなら、ヤンヤの喝采(喝采)となる。これはお相撲に限ったことではなく、どのスポーツ、いや、人々が暮らすすべての生活にも言えることなのである。
とある公園のトイレ前である。イベントがあった関係からか、長蛇(ちょうだ)の人の列が出来ている。
「おっ! まだ、踏ん張っておられますなっ!」
先ほどまで一緒に並んでいた中年男がまだ並んでいる中年男に声をかけた。声をかけた涼(すず)しげな表情の男に対し、並んでいる男は限界が近いのか、催(もよお)しを必死に耐える表情だ。
「ああ、あなたはっ! …『ちょっと抜けますから』とかなんとか言っておられましたが…」
「はあ、もう済みました。ははは…」
男は、ゆとりの表情で返した。
「済みましたとはっ!?」
限界が近いこともあってか、並んでいる男の声は鋭さを増した。
「ははは…コレ、ですよっ!」
ゆとりの男は片手に持った袋を徐(おもむろ)に並んでいる男の前へ差し出した。少し匂いがしたから、並んだ男もピン! ときた。
「ああ、そういうことですか…」
「ええ、そこに手頃(てごろ)な繁(しげ)みがありましたので、そこで…」
「なるほどっ!」
「もう一枚、袋ありますから、よかったら、お宅もどうですっ?」
「はっ、はいっ!! おっ、お願いしますっ!!」
男は神や仏に祈るかのような声で懇願(こんがん)した。そして渡された袋を手にすると、疾風(はやて)のように茂みの中へと消え去った。
こういう場合の、それでも! は危険で、踏ん張らない方がいいようだ。踏ん張ると漏らすことになる。^^
完
音声を通じての情報・・これが、言った内容だ。それに対し、紙の上に記(しる)したり印字した内容・・これが、書いた内容である。双方とも情報を伝達する内容は変わらないものの、相手に伝わったあとの効果や記憶、判断力に大きな差異を生じる。言った内容だと、「ははは…そんなこと、言ったか?」などと惚(とぼ)けられ、それでも諄(くど)く追求した挙句(あげく)、言ったっ! 言わないっ! となり、変化しやすい。その点、書いた内容はその内容が紙上で固定しているから、変化しにくい。それでも・・と念を押したり伝えたい重要な内容が書面となる理由だ。
とあるパン屋の店前である。パンを買う! 買わない! の言い合いが子供と母親の間で発生していた。母親としては人目(ひとめ)もあり、一刻も早く立ち去りたいのだが、子供は駄々(だだ)を捏(こ)ね、そうさせまいとしている。
「ねっ! もういいじゃないっ! お菓子があるんだからっ! ねっ!!」
「やだ、やだっ!」
それでも、子供は頑強(がんきょう)に抵抗する。
「もうっ!! 次、買ったげるからっ! それでいいでしょ!? ねっ!!」
「…それじゃ~、これに一筆(いっぴつ)、書いてよっ!」
子供は服のポケットから鉛筆と手帳を取り出した。
「ったくっ! こういうことは、しっかりしてんだからっ!!」
母親は渋々(しぶしぶ)、次は買う・・という内容を書き記した。それでも、子供はさらに念を押す。
「サイン、サインっ!」
「もうっ!!」
母親は半(なかば)ば怒りながら、サインした。
「まあ、いいでしょ!!」
やっと子供は得心し、矛(ほこ)を収(おさ)めた。
「なにが、『まあ、いいでしょ!』よっ!」
と不満を呟(つぶや)きながらも、母親は歩き出した子供に一応、安心した。
後日(ごじつ)、パンが買ってもらえたのかどうか? を私は知らないが、書いた内容だから、たぶん買ってもらえたのだろう…と思う。^^
完
人の身体(からだ)とは上手(うま)くしたものだ。冬の寒い時期、厚着をして風邪(かぜ)を何度も引いたものが、それでも! と我慢して薄着で過ごした年は風邪を一度も引かなかった・・という事例がある。理屈(りくつ)から言えば、筋の通らない話だが、現に引かなかったんですっ! と言われれば、そうなんだ…と納得する他(ほか)はない。医学的なら、身体の免疫力が高まったんですよっ! とお医者様が言われることだろう。冬場の寒風摩擦(かんぷうまさつ)なども同じ予防法かと思われる。
とある女子大学である。女子学生ばかりの教室中に男子学生が一人、座っている。紅一点! などと揶揄(やゆ)されるその逆で、白一点! なのである。^^ それでも、男子学生は怯(ひる)む様子も見せず、堂々と着座(ちゃくざ)している。男子は入学が出来ないという校則もなく、自分の意思で試験を受けて入学したのだから、女子学生の色香にそれでも怯まないというのも当然に思えた。
時は流れ、その男子学生は久しぶりに高校の同級会に出席することにした。就職している者もいて、会は大層、盛り上がり、二次会の運びとなった。
「知ってる店があるっ!」
その筋では常連の通(つう)もいて、その同級生に誘われるまま、その学生は色気漂う二次会の店へと入っていった。ところが、である。他の同級生達はすぐ色気でデレェ~~となったが、その学生だけは、まったく変化の兆(きざ)しを見せなかった。
「あらぁ~~、お兄さん、どうかしたのぉ~~っ?」
店の若い娘(こ)にチヤホヤされたものの、それでもその学生に変化の兆候(ちょうこう)はなかった。これが白、一点! の免疫力である。^^
それでも! とマイナスを我慢すれば、いつの間にか免疫力ができ、マイナスはプラスへと変化する訳だ。^^
完
何が起こるか分からないから楽しみがあり、それでいて安心できない怖(こわ)さを含んでいるのが日々の生活(くらし)である。私達はそれでも、そんな一日を繰り返して生き続けている訳だが、出来れば満足がいく充実した一日にしたいと考える。とかなんとか偉(えら)そうに書いてはいるが、その実、グデェ~~ンとしたり寛(くつろ)いでいたい…と思っているのが私の本音(ほんね)である。^^
とある時代のとある小学校で運動会が行われようとしている。予行演習、今風に言えばリハーサルの連続で、一日一日が瞬(またた)く間に過ぎ去ろうとしていた。そして本番当日が巡り、呆気(あっけ)なく終ってしまった。
生徒達が学校から姿を消し、あと片づけを終えた二人の教師がジィ~~っと放心したかのようにグラウンドを見渡している。
「終わりましたねっ、先生!」
「そうですねっ、先生!」
まあ、どちらも先生だから先生と相手を呼び合う訳だが、ネームバリューのある先生の肩書(かたが)きを呼び合いたい節(ふし)がなくもなかった。
「ここまでの一日一日は長かったですが、今日の一日は短かかったですねっ! 先生」
「はい! 確かに…。お疲れさまでした、先生!」
「いやいや、先生こそっ!」
「いやいやいや、先生こそっ!」
二人は傷ついた獣(けもの)がお互(たが)いを労(いた)わり合うかのように、それでも相手を先生先生と呼び合い、慰め合った。
ここで問題である。皆さんは、この二人の先生方が、やれやれ無事終った…と安堵(あんど)されているとお思いだろうか? 事実は、そうではなかった。二人は運動会までの日々を、快適な気分で送っていたのである。終った今となっては、それでも巡る明日からの教壇の日々が心苦しく思えた訳だ。
素晴らしい一日は意外と短いから大事にしたいものである。^^
完
身体(からだ)にバイオリズムといわれる一定の繰り返しリズムがあるように、日常の生活の中にもそうした同じパターンの繰り返しがある。それが邪魔されたり出来なくなると、人は戸惑ったり、調子が狂ったりすることになる。出来ないと、心が落ちつかず、残り時間が少ないのにそれでも! とやってしまう訳だ。詳細は心理学者の方に訊(たず)ねないと分からないが、これは日々の生活リズムを取り戻(もど)そう! とする深層心理の働きではないか? と思える。
毎週、決めた日はなかったが、ほぼ決まったパターンが定着していた葉牡丹(はぼたん)は、その日も同じように買い物に出ることにした。ところが、いざ目的の店へ着いてみると、財布を忘れていることに気がついた。そんなことは今までになかった! と自分に腹が立った葉牡丹だったが、忘れた以上、買い物は出来ない。家からこの店までは数Kmあったから、別の日にしてもよかったのだが、葉牡丹は、それでも! と意気込んで家まで財布を取りに戻った。週末に買い物をする・・という見えない生活リズムが、いつの間にか葉牡丹の心の奥底に定着していたのだ。
無事に買い物を終えて家に戻った葉牡丹だったが、いざ、昼食にしよう! と意気込んだとき、買い忘れた醤油の小瓶のことを思い出さなくてもいいのに思い出してしまった。思い出せば、居てもたっても居られない葉牡丹である。電子レンジでチン! して、湯気(ゆげ)を立てる美味(うま)そうなパスタを目の前にしながら、それでも! と、葉牡丹はハングリー精神で買い足しに出た。
時間は遅くなり、パスは冷えたものの、それでも葉牡丹の心は満たされた。パスタをふたたび、チン! し、葉牡丹は満足げにパスタを啜(すす)った。それでも、やり遂げた葉牡丹の達成感は大きかった。
それでも! と生活リズムでやる行為は、本人に達成感が起これば、それでいい訳である。^^
完
人は働けば当然、疲れることになる。すると空腹になり、体力を戻(もど)そうと食事をしたり休養したりする。これはなにも人に限ったことではなく他の動物にも言えることだが、誰しも疲れるのは嫌だろうし、楽をしたい…と思うだろう。いや、私は…などと意固地(いこじ)に思いながら、それでもと働く人だって、働き続ければ疲れる訳だ。^^
とある町役場である。
「大丈夫ですかっ!? 課長補佐。昨日(きのう)も遅(おそ)かったじゃないですかっ! 終(しま)いには過労死しますよっ!」
「ああ、余りいいこともないし、過労死したい気分だよっ! これだって課長の命令だからなっ!」
「突っ返せばいいじゃないですかっ!」
「それが出来ればな…」
「してくださいよっ!」
「ははは…出来ない出来ないっ! 課長補佐なんてなるもんじゃないなっ!」
「なに言ってるんですかっ! 僕なんてずっと係長で、管理職なんて羨(うらや)ましいかぎりですよっ!」
「こんなに疲れた俺を見て、それでもなりたいかっ?」
「はあ、なりたいですっ!」
「ははは…まあ、頑張りなさい。なれば分かるさ」
それでも…は、自分の意思でないと余計に疲れるのだ。^^
完