水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

短編小説 突破(ブレーク・スルー)[18]

2012年09月30日 00時00分00秒 | #小説


  突 破[ブレーク・スルー]
   (第十八回)
 
 二日目の夜、母の病床横に臥す。脈拍(プルス)を刻む機械音、緑色に浮き上がるベッドサイド・モニターに囲まれ、何か落ち着けぬ不安を抱いて圭介は瞼を閉じる。生と死を分ける間(はざま)の部屋に、静寂の時がただ流れる。 ━ 俺がやみくもに足掻(あが)いても、母さんの病状がよくなる訳じゃない。先を知るは神仏のみか…。母さんがよくなったら旅行に連れてってやろう。どうか、救って下さい ━
 そう巡った術中の想いが、ふたたび昌と二人の集中治療室(ICU)で甦って浮かんでくる。それでも、圭介はいつの間にか微睡(まどろ)んでいった。
 深夜、もう更けて三時頃なのだろう…。外科付きの看護師が点滴注射の袋(パック)を替えに入室して、圭介は微かな音に目覚めた。その圭介に気づいたのか、にこっと笑みを向けて、「大丈夫ですよ…」と、小さく慰めの言葉を吐き、去っていった。内科の井口さんとはまた違った感じの人だ…と、圭介は単に思った。それ以上の想いは、流石に今日は浮かばない。静穏なのだが、室内の照明は白色蛍光管の眩い光に覆われている。昌の体内から吸引排出されるドレーン装置と体内から装置を結ぶチューブが圭介の眼にはまた異様に映る。その光景を遮ろうと、圭介はふたたび瞼を閉じた。眠ろうと無理には思うが寝つけない。だが、人間である証か、ふたたび微睡んで、意識は次第に遠退いていった。
 昌の意識が戻り、口元を水に浸したガーゼで拭っていたものが、三島のOKもでて、吸い飲みで口を潤してやる。一日交代で智代とバトンタッチするため病院へと馳せると、その都度、母の容態に回復の兆しが増していた。


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短編小説 突破(ブレーク・スルー)[17]

2012年09月29日 00時00分00秒 | #小説


  突 破[ブレーク・スルー]
   (第十七回)
 
 駅を出て地下通路を昇り、月極(つきぎめ)の駐車場へ置いた車を始動する。いつもなら、適当に外食を済ませて帰宅するのだが、何故かそういった思考回路が働かない。車は自宅へとひた走っていた。ビル群が減って郊外へかかると、地平線が際立つ光景が展開する。日没近い太陽は昼間より幾分か大きく橙(オレンジ)色に染まり、上空は薄朱と橙色に蒼天が色づけられている。
「もう秋だな…」と、体感から、圭介はひと言、そう発した。
 手術(オペ)は予定されたとおり、木曜に行われた。五時間半に及んだ手術は、一応の成功をみたが、三島が説明したように、術後の再発がいつ起こるか予断を許さない。昌には胃潰瘍だ、と云ってある手前、圭介は再発時の話を如何に取り繕うかと術前は悩んだのだが、 ━ 先生の話は全て聞かなかったことにして、忘れりゃいいんだ。母さんが癌であることを… ━ と、勝手な論理で自分を納得させ、冷静であろうと努めていた。昌の余命は、恐らく…と、浮かぶ想いが心の深層を氷結させる。病から逃れようという気持ではないが、母の余生が短いとは、思いたくもなかった。
 手術の最初の夜は、智代が病室で寝泊まった。集中治療室(ICU)は完璧に他人を遠ざけて、万一の急変に呼応している。心臓の脈拍(プルス)を刻む音が、機械化されたされた音に変えられ、規則的
なリズムを奏でて室内に継続して鳴り響く。
 
三島の術後報告は、幸いなことに手術が順調に推移し、成功裡に集結した・・というものであった。


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短編小説 突破(ブレーク・スルー)[16]

2012年09月28日 00時00分00秒 | #小説


  突 破[ブレーク・スルー]
   (第十六回)
 
「全快された方がいらっしゃるのも事実ですし…、しかし、一応のお覚悟は必要かと思われます。告知は希望されないということでしたので、病院側も極力伏せますが、末期となれば、自ずと悟られるでしょうから、そこら辺りのところはお二人にお任せを致します。結論から云えば、初期ではないが末期でもないということで、さきほど申しました通り、私どもも最善を尽くしますので…、希望は捨てられぬよう御願い致します」
 長々と続いた説明が漸(ようや)く終わった。暫(しばら)く静寂の時が流れ、「そうですか…」と智代が呟いた。姉さんにしては珍しいな…と圭介が思える智代の神妙な声である。圭介はただ黙って椅子に座ったまま上半身を軽く折って一礼した。
「それから…、申し忘れましたが、この手術同意書に記入して戴きまして、ナースセンターへお出し下さい」と、三島が加えた。
 暑気は既に失せ、陽射しの勢いにも翳(かげ)りが見え始めている。智代が今日は付き添うと云うので、圭介は自宅へ戻ることにした。さすがに今日は、いや最近はパチンコをやろうという気さえ起こらない。上空の茜空も、うろこ状の鰯雲が現れて澄み渡り、秋の訪れを微かに知らせるようになった。視線を下へと落とすと、アスファルトの汗ばむ熱気は去り、圭介は車が慌しく流れる光景を見ながら、歩道を緩慢に歩んでいた。けだるい虚しさだけが移動する軌跡の所々で襲ってくる。 ━ なるようにしか、ならん… ━ と、自らに云い聞かせ、地下通路への階段を降りていった。やがて、来た地下鉄の車輌に乗り、暫く揺れる。


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短編小説 突破(ブレーク・スルー)[15]

2012年09月27日 00時00分00秒 | #小説


  突 破[ブレーク・スルー]
   (第十五回)
 
 どれほど時が流れたのか知らないが、智代に肩を叩かれる。
「圭ちゃん…」と声がして、ふっと我に帰る。
「ナースセンターが呼んでるわよ」
 ん? と瞼を見開くと、井口という看護師の病室を去る姿が一瞬、眼に飛び込んだ。
 二十分後、圭介と智代はカンファレンス室に呼ばれ、三島に今後の治療方針、余命、その他の詳細説明を受けていた。三島は、圭介が想い描いていた性格とは裏腹に律義な医師とみえて、実は仕事に対して責任感をもっていたのだ。親切丁寧に昌の今後について語ってみせる姿には、最初に出会ったときの事務的な態度は微塵もなかった。
「そういうことで、定期検診をお受けになった時期からして、その時点では、恐らく病変、粘膜表面の異常もなく内視鏡でも見つけられなかったと思います。…手術は来週の木曜に予定しております。それまで進行を止める措置として、放射線、抗癌剤投与を行いますが、EMR、内視鏡の粘膜切除術は望めそうもありませんので、胃の出口の幽門部を残し、胃の三分の二以下を切除する縮小手術を施す予定でおります。リンパ節のマーカーが幸い良好で、転移が認められないと考えるからです。術後に再発がなければ、五年生存も可能ですが、スキルス進展様式ですと再発率は非常に高く、抗癌剤による化学療法を施しても一年が限度でしょう。恐らく、リンパ節への再発、腹膜播種などが考えられますが…。…まあ、やってみなければ分かりませんが、やれる限りのことはさせて戴きます」


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短編小説 突破(ブレーク・スルー)[14]

2012年09月26日 00時00分00秒 | #小説

 
 突 破[ブレーク・スルー]
   (第十四回)
 
 もう一人、奥の窓際の姉はやはり椅子に座っているが、圭介を一瞥(いちべつ)したのみで、また瞼を閉じてしまった。昌はまだ眠っている。室内は静穏である。
母が肝の据(す)わった性分であることは、子である圭介には当然分かっていることなのだが、それでも、病床に臥して病状も気にせず、安らかな寝息を立てている母は、圭介にはとても真似出来ず、ある意味で神々しかった。
「先生は?」と、智代が圭介の接近とともに小さく呟く。
「回診中だって…、すぐ終わるらしいよ。ナースセンターの連絡待ちだ」
 と、圭介が両手を左右の膝において、中腰で智代の耳に囁く。
「ふ~ん…」と小さく唸って、智代はまた瞼を閉じ、母と同調して眠る振りをした。
圭介は、壁際に折り畳まれて凭れ立つ、
予備のチェアーを開けて、自らも座った。概して、四床のベッドの患者達は、時間的なものもあったのだろうが、昌と同様に静かに横たわっている。目覚めている者が何名かいるが、その人々も無口である。恰(あたか)も、保育所に預けられた幼児の“オネムの時間”だ。
圭介はそう思うが、騒がしく話すことも憚(はばか)られ、智代に従って瞼を閉じ、
暫(しばら)くジッと待つことにした。
 昨晩は出来なかったこともあったのだろう。圭介は知らぬ間に微睡(まどろ)ん
だ。椅子の所為(せい)か、完全に眠ってしまった訳ではなかったが、スゥーっと意識が遠退いていった。


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短編小説 突破(ブレーク・スルー)[13]

2012年09月25日 00時00分00秒 | #小説


  突 破[ブレーク・スルー]
   (第十三回)
 
「そうですか。…でしたら先生もご承知だと思います。今…十分前ですね。もう戻ってこられるでしょうけれど…」
 若い看護師は、かなりの長身で、しかも痩せ面(おもて)である。最初は戻れと云ったものが、約束していると聞くと、腕時計を見て対応を少し躊躇(ちゅうちょ)した。
容貌は取り分けて美人というのでもないが、どこか男をそそらせる妙な色香を漂わせている。昌の病室を受け持つ井口という看護師と比較するつまらない自分に、
━ 俺は女には、からっきしだ…。駄目だ駄目だ… ━ 
 
と自省して、「それじゃ、とりあえず二階で待機してますので、先生が戻ってこられたら宜しく…」と、軽い会釈をして二階へと取って返す圭介である。
 二階の内科病棟、204号室である。圭介はそこへと近づいているつもりなのだが、類似した病室が通路の左右にずらっと並んでいて、母の病室だけが目立った特徴を兼ね備えている訳でもなく、宝籤(くじ)の当選番号を探す気分で病室番号を見て進む。孰(いず)れは慣れてスイスイだ…と、妙ちきりんなことを思いながら、漸(ようや)く母の病室へと辿り着いた。
 病室内の四床のベッドには、介添えの家族と思しき三人が、戻ってきた圭介を一斉に見た。そして、三人はそれぞれのベッド脇のチェアーに座って、軽く会釈をする。圭介も、無視する訳にはいかないから、それに倣(なら)って同じように礼を返した。


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短編小説 突破(ブレーク・スルー)[12]

2012年09月24日 00時00分00秒 | #小説


  突 破[ブレーク・スルー]
   (第十二回)
 
 本当のところは、圭介の方が眠いのだ。二時間も早く目覚めて熟睡できた感じが全くない上に、体がけだるかった。姉はシャキ! っとしていて、静かに昌の寝顔をほんの束の間、見ると、室外廊下へと出た。圭介も従ったが、
「あんたさぁ、ナースセンターへ行って、先生のご都合とか面会場所を訊いたら?」
 と、昌や他の患者に聞こえないように気遣って、小さい弱めのトーンで呟いた。
「ああ…」と、圭介は返して、姉を残してナースセンターへと向かう。二階の内科病棟をエレベーターで直下して一階へ出ると、俄かに人熱(いき)れがムッとする。多くの外来患者などが辺りを右往左往して徘徊している。そして、各科の待合椅子に座る大概の人々は、何をするでもなく、ただじっと自分が呼ばれるのを待っている。勿論、数人の声高に話をしたがる人々もいるにはいるが、辺りの静まった雰囲気に、すっかり浮き上がってしまっている。圭介はそんな状況を自らの両眼のアングルに捉えながら、軌跡を描いてナースセンターへと急ぐ。一階は、二階とは異質の雑踏感があった。
「204号室の土肥です、…内科病棟の。三島先生にお会いしたいのですが…」
「外科の三島先生ですか? 一寸(ちょっと)、待って下さい。……、三島先生は只今、回診中ですので、終り次第、二階のナースセンターへ連絡致します。済みませんが、そちらへ戻ってお待ち下さいますか?」
「あのう…十時に会うお約束なんですが…」


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短編小説 突破(ブレーク・スルー)[11]

2012年09月23日 00時00分00秒 | #小説


  突 破[ブレーク・スルー]
   (第十一回)
 
━ …スキルス癌の5年生存率は30%以下か… ━ と、悲嘆に暮れたりもする。
━ いや待てよ…、生存率は手術時の進行度によって異なるか… ━ と、また喜色ばむ。そして意識の中で、そのことを過大評価して、 ━ 手術して、肝転移、リンパ節転移、それに腹膜播種がなければ… ━ と、淡い希望を抱いたりする。そして、そのことを信じようとする。親に対する子の真情である。
 圭介がパームという意味不明な名の喫茶店を出ると、智代は既に数歩ほど歩んでいて、焦れたように佇んでいる。バタついて接近する圭介に、「あんた、相変わらず動きが鈍いわね…」と嫌味を一つ吐く。姉の性格は充分過ぎるほど分かっているから、今更、怒る気にもなれないが、気分がいいものではない。
「十時まで、まだ二十分はあるじゃないか」
 一応の反撃をするが、圭介の声は小さく、呟く程度である。ビル側の歩道を智代がカツカツ・・と靴音も小気味よく、鋲打ちした渋め紫のハイヒールで歩いている。追いつく態で横に並び、病院へと急ぐ。姉とこうして歩くのも随分、久しぶりだ…と思うでもなく感じる圭介である。
 交差点信号に近づいた頃、その前方に関東医科大学付属病院の壮大な建造物がその全容を現した。
 二人が病室に入ると、昌がすでにパジャマに着替え、病床で眠っていた。血色のよいその寝顔を見遣ると、いったいどこが悪いんだ…とさえ圭介には思えてくるのである。


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短編小説 突破(ブレーク・スルー)[10]

2012年09月22日 00時00分00秒 | #小説


  突 破[ブレーク・スルー]
   (第十回)
 
 会話の途中にウエートレスがやってきて、智代はコーヒーを注文したのだが、それも会話に合わせるかのように何の違和感もなく、さも当然のように素早く注文した訳で、その注文して運ばれたコーヒーを、これもまたいつの間にか、物怖じしない仕草で素早く飲む。姉に店を出ようと云われ、圭介が慌てて残ったコーヒーを口へ運んだ時には、既に姉は飲み干して空としている。
「何してるの? 早く行きましょ」
 嗾(けしか)けられて席を立とうとする圭介の前に、それもいつの間にか一万円札が一枚置かれている。━ 随分、羽振りがいいんだなあ… ━ と妬(ねた)みつつ
圭介はレシートと札を慌しく掴みレジへと向かう。智代の姿は既に店内にはない。
 圭介は、何ごとかに物怖じしている後ろ向きなネガティブ思考に自己嫌悪していた。そして、いつの間にか医者の言葉を否定して、というより、先生だって看立てが狂うってこともあるに違いない…と、昌の病状を善意に解釈し、しかも自分にそう云い聞かせて得心しようとしているのだ。今の心境には、
そういった気弱さがあった。それは肉親の情の発露であり、誰しもがそう思うことなのだろう。無論、骨肉の争いをしている親子もいるであろう。だが、世間一般の親子であるならば、親は子を、子は親を、差し迫った状況の下で安泰を願うに違いないのだ。圭介は、三島の事務的な診断結果を聞いたあの時の場面を想い返すと、無性に寂れるのだった。だから否定し忘れよう、母は必ず快方へ向かう…と、思おうとする。そして、長年行ったこともない公立図書館へ足を運び、専門書で調べたりする。


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短編小説 突破(ブレーク・スルー)[9]

2012年09月21日 00時00分00秒 | #小説


  突 破[ブレーク・スルー]
   (第九回)
 
「無論だよ。それよりさ、姉さん。母さんに悟られないよう、出来るだけ明るく振舞ってくれよ、それと言動には呉々も注意して…」
「そんなこと、あなたに云われなくたって分かるわよ!」と、既にいつもの強気の性格を露(あらわ)にして話す智代であったが、言葉が途切れると、一瞬だか虚ろな表情になる。姉にもやはりショックだったのか…。学習塾を切り盛りするという男勝(まさ)りな姉だが、今回は流石に
応えたようだ、と圭介は思った。
「二ヶ月ほど前だったかしら…、昼前に寄ってさ、話していたら、店屋物をとろうという話になってね、鰻重を注文したのよ。それで、届いて食べたんだけどさ、母さんったら、余り食べないのよ。どうかしたの? って訊いたら、『食欲がね…』って云うから、少し怪(おか)しいなあ、と思ったのよ。母さん、鰻が好物だったし…」
「ふ~ん…、そんなことがあったのか。スキルス癌はバリウムを飲んでも発見されないことが多いそうだよ。病巣が普通の進行性の癌のように噴火口状に盛り上がらず、横へ全体に広がるためなんだそうだ…」
 圭介は、姉を少しは凹ましてやろうと、三島が説明した内容の一部を端折って、さも自分がそうした知識を持っているかのように語った。
「偉く物知りなのねぇ…。そんな専門的なことはいいけどさ…、手術はいつ?」
「それを、これから訊きに行くんだろ? 出来るだけ早い方がいい、とは云っておられたが…」
「そう…、じゃあ出ましょうか」


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