水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

疲れるユーモア短編集 (19)ジリ貧(ひん)

2021年02月28日 00時00分00秒 | #小説

 目に見えず、ヒシヒシと新型コロナウイルスのように少しづつ忍び寄ってくるのがジリ貧(ひん)と呼ばれる得体が知れない状況である。日本では貧乏神の仕業(しわざ)だとか言って、この状況を説明している。誰しも貧乏神にはとり憑(つ)かれたくはないだろうし、ジリ貧も嫌(いや)だろう。この状況に至れば、原因や理由なく疲れることになる。それも少しづつだから、傍目(はため)からはなかなか分かり辛(づら)いのが難点(なんてん)だ。^^ 実は、この文を書く私もジリ貧で弱っているのである。なんとかして欲しいくらいのものだ。^^
 とある家の庭先である。この家のご隠居が一本の鉢植えの老木を眺(なが)めながら呟(つぶ)いている。
「ジリ貧だのう…。今年は植え替えずばなるまい…」
 勢いを増した鉢物の植物は、数年に一度、植え替える必要が生じる。古い根や伸び過ぎた根を切除[カット]することで、樹勢がジリ貧になる前に植え替えるのである。樹木もケアしなければ疲れる訳だ。^^ この判断が大事で、時機を失(しっ)すると鉢物を枯らしてしまうことになる。ここのご隠居は盆栽歴が数十年で、その方面には長(た)けていた。
「お父様、そろそろお昼時(ひるどき)ですから、キッチンへいらしてくださいなっ!」
「おお、これはこれは未知子さんっ! では、そうさせてもらいますかなっ、はっはっはっ…」
 息子の嫁にはめっぽう弱いご隠居は、光沢(こうたく)のいい照かる頭を掌(てのひら)で撫(な)でつけながら、はにかんで返した。
「腹が減っては戦(いくさ)にならんでのう! 身共(みども)もジリ貧だけは、避(さ)けずばなるまい…」
 時代劇言葉で自分に言い聞かせるようにそう告げると、ご隠居は疲れる肩を揉(も)み解(ほぐ)しながらキッチンへと向かった。
 ご隠居も疲れるのである。^^

 ※ 風景シリーズから、お二人が特別出演してくださいました。^^

                   完


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疲れるユーモア短編集 (18)言い訳

2021年02月27日 00時00分00秒 | #小説

 何が疲れるかって!? それはもう劣勢に立たされて言い訳をするときだろう。それは自分が弱い立場にあるせいだ。立ち位置が高ければ、上から目線で相手を見下ろし、言い訳などする必要はない。逆に相手に言い訳をさせる立場にあり、その場合は当然、楽で、疲れるどころか逆に楽しくらいのものだろう。今日は言い訳をせねばならない、そんなお話である。^^
 テレビの国会中継が映っている。超有名な、とある委員会である。^^ 内閣の大臣達が質問の矢面(やおもて)に立たされ、苦しい答弁を余儀(よぎ)なくされている。
「だから言ったじゃないですかっ! 甘いにもほどがあるっ! 相手は見えないんですよっ! まるで透明人間のようなものなんだっ! 分かってるんですかっ!」
「袈裟(けさ)大臣っ!」
 主管大臣がゆっくりと進み出る。
「はい、分かっておりますっ! あの…言い訳になるようですが、私には見えません。では逆に、あなたに問います。あなたは見えてるんですかっ? そのウイルスがっ!」
「委員長っ!!」
「穴熊(あなくま)君っ…」
「開き直ってどうするんですっ! むろん私にも見えませんよっ! だから怖(こわ)いんじゃありませんかっ! 全国各地、患者だらけですよっ! VRE、耐性菌は怖いんですっ、大臣! こんなに患者が増えた責任は当然、あんたや内閣にあるっ!」
「そうだっ!」「解散だ、解散っ!!」「責任を取れっ、責任をっ!!」
 委員会席の野党席からヤジが飛び交う。
「ご静粛(せいしゅく)にっ!! …静かにしてくださいっ!!」
 委員長が懸命に制止する。それでもヤジは止(とど)まるところを知らず、逆に益々(ますます)、大きくなる。
「わ、私が悪いんですっ! だから、お、お静かにっ!!」
「委員長は悪くないっ!」「そうだっ!!」
 そのとき、主管大臣が静々(しずしず)と答弁席へ進み出た。
「ぅぅぅ…わ、悪いのは、す、すべて私ですっ! し、死刑にでも何(なん)にでもしてくださいっ!! ぅぅぅ…」
 主管大臣は言い訳をし、マイクロホンを倒しながら答弁席に泣き崩(くず)れた。
「そ、そこまで…。そ、速記を止めてくださいっ! 暫時(ざんじ)、き、休憩(きゅうけい)をいたしますっ!!」
 委員長が速記を止めさせ、委員会は疲れるように休憩に入った。
 まあ、疲れるこんな言い訳が現実とならないよう、議員諸氏のご検討をお祈りいたします。^^

 
                   完


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疲れるユーモア短編集 (17)+α(プラスアルファ)

2021年02月26日 00時00分00秒 | #小説

 足りないよりは少し多めの+α(プラスアルファ)を考えておいた方が無難(ぶなん)だろう。無難ということは、気分が疲れない・・ということにもなる。生活する上で疲れないのはいい方向だ。^^ 疲れると、ろくなことがない。^^
 網川(あみかわ)は、外出しようと準備し始めた。買い物程度の外出なら、取り分けて準備するほどではないが、その日は、近郊ながらも少し離れたとある町へ行こうと思っていたから、準備しよう…と思った訳だ。
『いや! いくらなんでも、そんなには、いらんだろ…』
 二、三枚、一万円札を財布に入れようとしたとき、網川は、ふと手を止めた。
『いやいや、不慮(ふりょ)の事故・・ということもある…。やはり、入れておこう』
 そう思い直した網川は、財布から出した一万円札を、ふたたび財布へ入れた。
『いやいやいや、たかが数時間のことだ。不慮の事故など起こらんか…』
 網川は、また思い直し、財布に入れた一万円札を取り出した。
『いやいやいやいや、アクシデント[不慮の出来事]は、そんなときに起こるもんだ。+αの方が安全だしな…』
 網川は、またまた一万円札を財布へ入れた。
『まてよっ! たかが数時間のことだ。やはり、そんな必要はないか…』
 網川が財布から、またまたまた、一万円札を取り出そうとしたとき、『またまたまたは、いいんですっ!』と、財布が怒って言った。いや、言ったように網川には聞こえた。
「はい…」
 網川は素直に頷(うなず)き、+αは考えないことにした。その後、網川は、とある街へ出かけ、財布を忘れたことに気づいた。すっかれ気疲れした網川は、そのまま自宅へUターンした。+αどころか、-α(マイナスアルファ)になってしまったのである。
 そんなことで…でもないが、+αの方がより安全で、疲れることもないようだ。^^

                   完


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疲れるユーモア短編集 (16)手間(てま)

2021年02月25日 00時00分00秒 | #小説

 手間(てま)がかかれば疲れる。私達が暮らす社会では、如何(いか)に限られた時間の中で、この手間を取り除くか・・に全(すべ)ての成否(せいひ)がかかっていると言っても過言ではない。それほど手間を省(はぶ)くことは重要なのである。ただ、手間を省いて、その分、楽をしたりサボるのは如何なものか…? 私には分からない。^^
 とある村役場である。今日は隣町の議員達が出張見学にくるというので、その配布資料の作成にコピー機が朝からフル回転している。
「俺なら、とても身体(からだ)がもたんよっ!」
「いや、ほんとっ! よく働くよな、この機械!」
「ああ、もう一時間はフル回転だっ」
「ああ、熱で焦げるほど熱いぜっ!」
「あと何部だっ!?」
「議員が30人だから…30×(かける)15-(マイナス)120=(イコール)… いくらだっ!?」
「知るかっ! まあ、いいや…」
「手間が大変だなっ! 3人で来いよっ!!」
「だなっ!」
 二人はつまらないところで意気投合した。
 手間は、機械でやろうと何でやろうと、多過ぎれば、疲れるほどかかるのである。^^

                   完


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疲れるユーモア短編集 (15)楽な姿勢

2021年02月24日 00時00分00秒 | #小説

 楽な姿勢でいれば疲れることはない。疲れるのは楽な姿勢をしていないからである。そんなことは当たり前だっ! と怒る方もおられようが、まあそこは、板わさ[蒲鉾(かまぼこ)のスライスを茹(ゆ)で、それを盛りつけた皿に、少量の出汁(だし)醤油と山葵(わさび){擂(す)り下ろした本山葵なら猶更(なおさら)よい}を垂(た)らし、酒や温かいご飯に添えて召し上がるという安価で涎(よだれ)の出そうな一品(いっぴん)^^]などで盛り上がっていただき、お許しを願いたい。^^
 とある街の通勤電車に揺られ、箱宮(はこみや)は今朝も勤務地の庁舎へと向かっていた。馴れているとはいえ、残業続きでは疲れるのも無理はない。箱宮も例外ではなかった。
『次はぁ~鼻毛(はなげ)ぇ~鼻毛ですぅ~~。毛抜(けぬき)線はお乗り換えでございますぅ~~』
 もう鼻毛か…と、吊革(つりかわ)に掴(つかま)りながらウトウトしていた箱宮は馴れで目覚めた。いつの間にか両脚は、くの字のように折れ曲がり、無意識で楽な姿勢になっていた。箱宮が目を開けた途端、電車は鼻毛の駅ホームへ、スゥ~っと滑(なめ)らかに侵入し、停車した。乗降ドアが自動に開き、次々と乗客が降りていく。箱宮もその流れに巻き込まれるかのように降りていった。だがどういう訳か、両脚は、くの字の姿勢を保ったままなのである。周囲の者から見れば、ぎこちない姿に見えなくもない。別に悪いことをしている訳ではないから傍目(はため)を気にする必要はないが、どうも不格好(ぶかっこう)この上ない。だが、箱宮はすっかり疲れていた。疲れ果てていた。両脚は意思とは裏腹(うらはら)に、くの字の姿勢で改札口へと向かっていたのである。その後、改札口を出た箱宮は、くの字の姿勢を保ったまま入庁した。
 身体は疲れることのない楽な姿勢を知っているようである。^^


                   完


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疲れるユーモア短編集 (14)攻守(こうしゅ)

2021年02月23日 00時00分00秒 | #小説

 世の中の出来事の全(すべ)ては攻守(こうしゅ)で構成されている。どういうこと? と問われれば、まあ、そういうこと…と返す他はない。^^ 事実、そうなのだから、考えても疲れるだけだろう。^^ 例えば株や宝くじ、馬券、パチンコなどで儲(もう)けて得(とく)をする人がいたとすれば、必ず損(そん)をする人が逆にいるということである。世の中は、実に上手(うま)く出来ている訳だ。今日はそんな疲れるような馬鹿馬鹿しいお話である。^^
 馬鞍(うまくら)は疲れていた。疲れる原因が何なのか? 馬鞍にはそれが明確に分かっていた。職場で守りに入ったからである。? と、首を傾(かし)げる人もおられようから、もう少しかみ砕いて説明すれば、攻めているときはよかったのである。?? 益々(ますます)、分からんぞっ! とお怒りになるだろうから、詳細に説明することにしよう。馬鞍は上司の課長、鐙(あぶみ)に言われる前に…と、密(ひそ)かに先回りして予算書の草案を作っておいたのである。要は攻めていた訳だ。ところがである。その労は報(むく)われず、全てをやり直す破目になったのである。政府対策の甘さから全国各地に蔓延(まんえん)したVRE[耐性菌]により、毎年、計上される予算額が調停されない見通しとなったためだ。ぅぅぅ…と、泣けるような思いで馬鞍は攻めから守りへと撤退(てったい)を余儀なくされた。攻守、所(ところ)を変え、急遽(きゅうきょ)、計上する予算を修正しなければならなくなったのである。完全な負け戦(いくさ)だった。しかし、世の中はそう捨てたものではない。^^ 『全軍撤退じゃ…』と、深い溜息(ためいき)を吐きながら馬鞍がデスクで仕事に取りかかり始めたそのとき、新たな朗報が飛び込んできた。新たなワクチンの開発が成功したという朗報だった。守りを覚悟していた馬鞍は攻めへと思考を方向転換させ、にやけた。馬鞍が先回りして作っておいた予算書の草案が復活し、攻守はふたたび逆転したのである。
 このように、世の中の出来事は、どう変化するか分からない・・という疲れる妙味(みょうみ)を秘めている。この妙味は芸術や芸能の域(いき)を遥(はる)かに超越し、実に面白い。^^

                  完


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疲れるユーモア短編集 (13)発想

2021年02月22日 00時00分00秒 | #小説

 発想が豊かだと疲れることは余りない。意固地(いこじ)に思いつめそうな想いを捨て、他の発想へと移動できるからだ。♪京ぉの五条の橋の上ぇ~~♪ の歌で知られた牛若丸さんの八艘跳(はっそうと)びのような感じ・・と思っていただければいいだろう。^^ 弁慶さんは四苦八苦(しくはっく)した挙句(あげく)、降参して家来になった・・という逸話(いつわ)が残っている。嘘(うそ)か誠(まこと)かは別として、発想の貧(まず)しい者が豊かな発想の持ち主に話を合わせれぱ、かなり疲れることは、はっきりしている。^^
 とある観光地へ向かう鈍行列車内の風景である。子供連れの夫婦が話をしている。
「… だから、冷えた茶じゃ美味(うま)くないだろ」
「そんなこと言っ立ったって、今、買っとかなきゃ、あとから買えるかどうか分かんないじゃないっ?」
「んっ? ああ、そうか…。いや、待てよっ! 次の次は静岡だろっ!? 静岡っていえばお茶じゃんっ! きっと、売ってるさっ!」
「それもそうね…」
「だろっ!? …それにしても、この流れる風景… いいねっ! ずぅ~~っと見ていて、疲れることがないっ!」
「新幹線じゃ、もう着いてるもんねっ!」
「ああ…。早く着き過ぎて、逆に疲れるぜっ!?」
「まあ、お安くついたしねっ!」
「お泊りのクーポン券は当たりくじだしなっ!」
 三人はその後、ゆったり気分の旅を満喫(まんきつ)した。
 このように、何かにつけてゆとりのある気分だと、疲れることから解放されるようである。^^

                  完


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疲れるユーモア短編集 (12)無意識

2021年02月21日 00時00分00秒 | #小説

 いつやらの短編集で意識を題材にした話を掲載したと思うが、今日はその逆の無意識を題材に取り上げたい。
 意識すれば疲れるのに、無意識だと疲れることは、まずない。無意識にする行為として癖(くせ)があるが、すぐ鼻糞(はなくそ)を穿(ほじ)る・・という汚(きたな)いのから、周囲にいる人を不快にする貧乏ゆすり・・とかだが、本人はいっこう疲れることなく、気分を発散することで逆に寛(くつろ)げるのだから勝手なものだ。^^
 とある高校の授業風景である。
「おい! 蛸崎(たこざき)っ! その訳はっ!」
 早弁[昼食の弁当を午前中に食べ、昼食にまた食べるという高校生男子が得意とする技(わざ)。ただし、オリンピック競技の正式種目には認定されていない。^^]を済ませたあとの授業で眠気を感じた蛸崎は、教科書を開いて立て、机に突(つ)っ伏(ぷ)して爆睡(ばくすい)していた。その姿を教壇の上から見ていた教師の酢味(すみ)は、鋭い声で一括(いっかつ)した。
「… 〇#”▽%’●”…」
「おいっ! 蛸崎っ!!」
 爆睡する蛸崎を隣の席の生姜(しょうが)が揺り起こした。
「… んっ!」
「訳だよ、訳っ!」
「んっ!? …訳?」
 蛸崎は、何事だ? と言わんばかりに両手を広げ、大欠伸(おおあくび)を一つ打った。教師の酢味が赤ら顔で怒ったように見つめている。
「あっ! 僕、部活が続いて疲れるんです。で、今日は腹も減って、さっき食べましたっ! それが訳ですっ!」
 その途端、教室内は爆笑の渦(うず)と化した。教師の酢味も、釣られていつの間にか笑っていた。
 若者が疲れると、まあ、いろいろな珍事が起こる・・というお話である。^^

 
                  完


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疲れるユーモア短編集 (11)要領

2021年02月20日 00時00分00秒 | #小説

 要領が悪いと、いい場合に比べ、余計に疲れる。すると当然、物事が悪い方向へ進む・・と、話はまあ、こうなる。^^ 誰が決めた訳でもないが、それが事実なのだから、しょうがない。^^ 物事が上手(うま)くいかない上に疲れるのだから、これはもう、どうしようもない。^^
 とある中央官庁で勤務する蒲下(かばした)は、その日も残業を余儀なくされていた。前年度予算の決算書作りである。
「与党の議員さんが作りゃいいのになっ!」
 そう嘯(うそぶ)いてはみても、作るのが予算を執行する蒲下の仕事なのだから、どうしようもない。^^ しかし、その仕事も残業が二週間続けば、さすがに疲れる。疲れると、思うに任(まか)せないし、間違いも生まれてくる。
「おいっ! 蒲下君っ! 一円、間違っとるじゃないかっ!!」
 夜の七時が回った頃、ウトウトしかけた蒲下のデスクの後ろから声をかけたのは、課長の采田(さいだ)だった。
「一円!? なんですか、それはっ!」
「それはっ! も、これはっ! も、ないっ! 不用額が一円違うじゃないかっ! 予算現額-(マイナス)支出済額だよっ!」
「ええ。予算残額=(イコール)不用額ですよねっ!?」
「ああ、予算残額=(イコール)不用額だよっ! 馬鹿野郎っ!! そんなこと言ってんじゃないっ!!」
 采田は少し切れ始めた。課長補佐の蒲下としては、どこがっ!? 気分である。
「ここだよ、ここっ!!」
「ああ、そこですかっ! そこは、それでいいんですっ!!」
「よかないだろっ!!」
「いいんですよっ! 課長が昨日(きのう)、一円、間違えたじゃないですかっ!!」
 昨日は、「そうそう、そうだったね…」と素直に間違いを認め、「去年の決算書の出しっぱなしを見てたよっ! 俺も要領が悪いなっ! 書棚(しょだな)へ戻(もど)してから見りゃよかった。ははは…」と笑い飛ばした采田である。それが、一日経てば、もう忘れている。おいっ! 昨日を忘れたんかいっ!… とジロッと一瞥(いちべつ)し、采田の顔を窺(うかが)う蒲下の気持も分からないではない。だが、そんなことを言える訳もなく、蒲下は思うに留(とど)めた。
 蒲下は帰路の屋台でおでんを突(つつ)きながら一杯やり、いつもより余計に疲れる身体を労(いた)わっていた。
 要領が悪い上司を持つと、自分のことでなくても、いつもより余計に疲れる訳である。^^


                  完


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疲れるユーモア短編集 (10)紛失

2021年02月19日 00時00分00秒 | #小説

 若いときはそうでもなかったものが、年老いてくると時折り、物を紛失したりする。自分で紛失しよう! と考える人はない。^^ だが、この事態は戴(いただ)けない。^^ 長年使っていた物なら、取り分け落ち込むことになる。心が疲れる訳だ。^^ 私もつい最近、何かの機会に貰(もら)ったプラスチック製の安いボールペンを病院で紛失してしまった。(9)にその題材をベースにお話を書かせてもらったのだが、安かろうと長年使っていれば愛着も湧(わ)き、実に辛(つら)いものだ。貰った安いボールペンは何本もある。あるにはあるが、失(な)くせば辛いことに変わりはない。今は少し気分も癒(い)えたが、まだ心のどこかに悲しい気分が残っている。まあ、ポケットに挿(さ)す根元の折れた部分とかを何度も修理したものだから、破棄(はき)する人もあるに違いない物だったのだが…。前書きが長くなったが、今日は、その(9)をさらに掘り下げた紛失のお話である。^^
 とある独居老人の家である。朝から残りもので食事を済ませた老人が新聞を読もうと、歯を楊枝(ようじ)でシーハーシーハーさせながら緑茶を啜(すす)り、眼鏡(メガネ)ケースを開けた。だが、肝心の眼鏡がない。
「んっ!?」
 老人は、妙だ…? と刹那(せつな)思った。それからというもの、老人の失踪(しっそう)者ならぬ失踪物捜査の格闘が始まった。小一時間が経(た)ち、やがて昼も少し回った。 
「まっ! 食ってからだ…」
 老人は一端、見切りをつけ、昼食にしよう…とキッチンで好物の素麺(そうめん)を湯がき始めた。用意した出汁(だし)に摺(す)り下ろした山葵(わさび)をいれ、それを啜(すす)りながら炒(いた)めた特上肉を摘(つ)まむ・・というものだ。これが老人の最も好きな昼どきのパターンだった。
 さて、その食事も満足げに済ませた老人は、ふたたび紛失した眼鏡の捜索を始めた。始めたが、出てこないものは出てこない。そして無意味な数時間が過ぎ、とうとう黄昏(たそがれ)どきとなった。
「まっ! 食ってからだ…」
 老人はふたたび見切りをつけ、夕食にしよう…とキッチンで好物の鯥(むつ)[メロ]の味噌漬けを焼き始めた。
「これが美味(うま)いんだ、これがっ!」
 老人は紛失した眼鏡のことなど忘れたかのように独りごちた。
 あったか~~い炊きたてのご飯で味噌漬けを頬張り、満足げに夕食を済ませた老人は、食器を洗い終わると、欠伸(あくび)を一つして呟(つぶや)いた。
「さて! ひとっ風呂(ぷろ)、浴(あ)びるかっ!」
 紛失を忘れたかのように浴室に向かった老人は、自動タイマーで張った湯舟の湯を確認したあと、脱衣場で脱衣し始めた。上着を脱ぎ、下着を首から脱ごうとしたとき、頭部に異物を感じた。眼鏡だった。紛失ではなく、ズゥ~~~っと身に着けていたのである。
 こんな紛失と呼べない紛失もあるにはある。こんなゆとり気分なら、疲れることもないだろう。^^


                  完


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