蝉が鳴いている。木岡はボケェ~~と、今日は何もしない日にしよう! …と決意した。決意するほどのことでもないだろう・・と思われがちだが、木岡の場合は決意するほど集中しないと、思わず動いてしまうのである。雑用が脳裏(のうり)に浮かべば、やってしまわないと気がすまない性格の木岡だったから、それも当然だった。ただ、傍目(はため)には、それほどのことじゃ…と映(うつ)るような小事なのだが…。そして、この日の朝も暑気が増し、すでに朝の10時過ぎには外気温が30℃に迫ろうとしていた。暑くなってきたな…と思ったとき、ふと木岡は、やり残したあることを思い出したのである。昨日(きのう)の夕方、やろうとしていた木に纏(まと)わりついた草の蔓(つる)取りだった。この時期、草の蔓は木に絡(から)んで伸び、放置すると樹木を枯らしてしまうこともあるから油断できない。その蔓取りを、暑い盛りに思い出さなくてもいいのに思い出したのだった。いやいやいや…、夕方、いや明日にしよう! と木岡は心に言い聞かせ、強く決意した。ところが、である。しばらくすると、足が勝手に動いているではないか。あれよあれよ・・という間に木岡は蔓取りをしていた。一端、動き始めた身体を、木岡はもう制御できなくなっていた。おいおいおい! 止まれ止まれ!! と心は命じるのだが、すでに身体は動いていた。働いていたのである。生まれながら身に具(そな)わった性向はどうしようもなく、木岡は何もしない日にしよう…という決意をやめることにした。すると、不思議なことに身体がボケェ~~と停止して止まった。蔓取りはすでに終わっていたが、それ以降、ようやく安息を得た木岡は何もしない日を実行できたのである。
意識をしないとボケェ~~として、何もしない日は割合、手に入れやすいようだ。
完
※ この話は、あくまでも木岡氏個人の場合であり、個人差があります。^^
以前は手元が不如意とよく言われたものだが、最近では死語に近く、最近の若い世代では余り使われなくなった言葉である。
「どうです課長、これから一杯?」
「いや、悪い悪い。どうも最近、手元が不如意で…。またなっ!」
「不如意?」
訝(いぶか)しげに若い室川は訊(たず)ねた。
「ああ、これがな」
課長の八木沢は親指と人差し指で円を描いた。
「お金ですか?」
「ああ、まあ…」
「私が出しますよ」
「ははは…部下のお前に奢(おご)ってもらう訳にいかんだろうがっ!」
「課長、今の世の中、その考え方は古いっ! ある者が出す! これで、いいんじゃないですかっ?」
「そんなものかねぇ~」
「はい、そんなものです」
夕闇が迫った飲み屋街である。八木沢と室川の湿気(しけ)た姿が萎(しな)びた飲み屋のカウンターにあった。
「親父さん、いつものやつ…」
「あ~~、すいませんねぇ、今日は不如意で切らしちまいまして…」
「不如意か…、不如意なら仕方がない。適当にあるもので…」
「へいっ!」
「今日は不如意がよく出ますね、課長」
「ああ、不如意の日は如来さんが忙(いそが)しくて来れないんだよ」
「はぁ?」
「いや、なんでもない。まあ、一杯いこう!」
八木沢は室川のコップにビールを注いだ。
「ああ、どうも…」
室川は美味(うま)そうにビールをグビグビっと飲み干した。
「冷えてますねぇ~~、如意だっ!」
「よかったなっ! 如来さん、間に合ったのか…」
「はぁ?」
「いや、なんでもない…」
暈(ぼか)すように八木沢はコップのビールを飲み干した。
「冷えてるなっ! 有難いっ! よかった、よかった…」
何がよかったのか、室川には分からなかったが、とにかく、よかったんだ…と思った。室川には意味を理解するのが不如意だった。
完
高桑は最近、頭の毛が薄くなり始めた。気にしないようにはしている高桑だったが、やはり、あるところにないのは、どう考えても格好が悪いという隠れた気分がある。頭部の薄い毛の部分と濃い毛の部分は、貧富の差なのだ。豊かでいい暮らしをする富裕層は、毛がいくらでも伸ぴる首筋から耳付近に集中し、なんとも始末に悪い。どんどん伸びるからで、この手合いに限って金に困らず、それどころか日々、どんどん金が手元に入り、使い道に困っているのだ。そこへいくと頭頂部分の毛は全然、生えず、むしろ日々、心細く減り続け、広がるのである。これは恰(あたか)も貧困層の益々(ますます)、強まる生活苦に似てなくもなかった。貧富の差を縮めるには金の流れの仕組みに一定のルールが設定されなければならない。豊かな生活を継続すると、なんらかの一定のリスクが伴う・・というものだ。どんどん伸びて減らない裾毛(すそげ)を軽く処理でき、逆に減った毛は一定量、減ると逆に生え始める・・というルールである。高桑はそのとき、ふと思った。そんな都合のよいルールなどできる訳がない…と。現に、薄くなった頭頂部の毛は生えて濃くはならない・・としたものだ。毛生え薬があれば問題はないが、それは医学的な発明を待たなければならないのだ。貧富の差も同じで、富裕層は余剰(よじょう)の金を貧困層にトリクル・ダウン[滴(したた)り落とす]訳がなく、益々、増える富にニンマリと北叟笑(ほくそえ)むくらいのものである。これは数年前の年末、OECDが指摘していたな…と高桑は巡った。その状況は、酒好きの者が一合(いちごう)枡(ます)に並々(なみなみ)と注(つ)がれた酒を溢(あふ)れさせまいと舌で愛(いと)しむように舐(な)め啜(すす)る姿に似ていなくもなかった。貧富の差をなくすには、酒を一合枡に注がないことだ・・と高桑は瞬間、思ったが、それはまた話が違うな…と、すぐに全否定した。
完
世の中には目立たないものの、ピカッ! と光を発する隠れた輝く存在がいる。この輝く存在は表立った動きがないから、周囲の者には分かりにくい。その輝く存在が分かるのは、その者がいなくなったときである。ところが、そのときすでに輝く存在はいないから、周囲の者はアタフタ・・と戸惑うことになる。だが、輝く存在はもういないのだから、あとの祭りでどうしようもない。ぅぅぅ…と探して悔(くや)やんでも、もういないのだから無駄だ。では、どうしよう? ということになるが、天(あまの)岩戸に隠れたお日さまをふたたび出てもらえるようドンチャン騒ぎをするしかない。
『あら…いったい、なにを騒いでいるのかしら?』
お日さまが訝(いぶか)しげに少し様子見(ようすみ)された瞬間を捉(とら)え、天岩戸(あまのいわと)を開けた手力男(たじからおの)命(みこと)の強力(ごうりき)で、グイッ! と一気に開けてもらうのだ。すると、輝く存在が現れる・・という訳だが、まあ昨今(さっこん)、そんな神話のような話にはならないだろう。
では、どうするのか? 方法はなくもない。お供物(くもつ)を供(そな)え、護摩木(ごまぎ)でも焚(た)いて祈祷(きとう)をすれば・・となるのだが、保証の及ぶところではない。
完
きっちりしないと気がすまない人がいる。そんなこと、どうでもいいじゃないかっ! …と傍目(はため)には思える細かいことでも、その人にとっては許されない重要なことなのだ。実は、この細かいことには、隠れた悪い内容[魔]が潜(ひそ)んでいるのだが、世間一般はそれに気づかない場合が多い。だから、細かいことを気にする人は医学、技術、科学など、なんらかの特異な才能の持ち主と言っても過言(かごん)ではない。ただ外見上は、どこか変な人に映るのが難点だ。
プレゼン[プレゼンテーション=会社説明会]の前の日の夕方、会社の仕事が終わり、課員達が退社した課内で二人の男が話している。
「さあ、これから美味(うま)いものでも、どうだい?」
「いいですね! でも、これはやっとかないと明日、さし障(さわ)りがありそうですから…」
「どれどれ…。なんだ! プレゼンのコピーじゃないか。明日でいいよ、明日で! 十分に時間はあるから…」
課長の豚岸(ぶたぎし)は細かいことだ…と軽く見た。
「いえ、明日にしましょう! プレゼンが終わってから」
係長の牛舟(うしぶね)は何かあるといけない…と、重く見た。
「そう? なら、そうするか…」
次の日の朝、急に原因不明の停電が起き、コピーが出来なくなった。だが、すでにプレゼン用のコピーは牛舟の残業で完成していた。
「ははは…細かいことじゃなかったな! 助かったよ!」
「よかったですね、課長!」
「ああ…」
その日の夜は、二人にとって美味い肴(さかな)と美酒(びしゅ)のお疲れ会になった。
完
オリンピックの表彰式が行われている。そのテレビ画面を見ながら、ふと、白滝(しらたき)は思わなくてもいいのに思ってしまった。銅メダルより銀メダル、銀メダルより金メダルの方がいいのか? と。この価値の違いは誰が決めたんだろう? という素朴(そぼく)な疑問である。そもそも、金も銀も銅も金属である。希少だから・・という一面は分からなくもないが、銀にしたって銅にしたって、決して金に劣(おと)っているとは思わないだろう…と。要は孰(いず)れも金属だということだ。ということは、鉛でもアルミニウムでもいい訳で、そう力むこともないのである。白滝は、そうなんだ…と、隠れた意味に初めて気づいたように頷(うなず)いて納得した。
多くの人がその物の価値を決めるのである。だが、白滝はそうは思えないから決めないのだ。決めようと決めまいと、いいじゃないか…というのが白滝が出した結論だった。価値の違いなど、どぉ~~でもいい…と白滝は思った。
「やった、やった! メダル、メダルだぞっ!」
父親が狂喜して白滝を見た。振られた白滝は、俺も、ここは喜ばないといけないんだろうな…と喜びを演技で露(あらわ)にした。
「よっしゃ!」
最善を尽くして結果が駄目でも、白滝にとってそれはメダルにも勝(まさ)る価値に思えた。しかし、世間はやはり過程ではなく結果を重視するのだ。全力を出せたか? は本人以外、分からないだろう…と思ったとき、白滝はコップに入った飲みかけのビールを、うっかり零(こぼ)してしまった。この油断がいかん! と白滝はオリンピック選手にでもなった気分で気を引き締(し)めた。すき焼き鍋の糸こんにゃくが煮つまり過ぎていた。
完
なんといっても、お盆には人を引き寄せる隠れた魅力がある。宗教的なことは棚(たな)上げするとしても、否応(いやおう)なしに帰省ラッシュが始まってワイワイと故郷(ふるさと)が賑(にぎ)わい、お盆が過ぎると何ごともなかったように知らないうちに終息する。これがお盆の魅力の一つである。その二、として、どういう訳か、いつもより美味(おい)しいものを食べられるというのも魅力の一つである。まあこれは、めったに出会わない深い縁の人々との出会いによって得られる恩恵で、隠れたお盆の魅力・・ともいえる。さらにその三、は季節の移ろいを実感できることだ。日々、何事も変化なく生きていると、季節の移ろいを実感できなくなる、ボケェ~~とした日々の繰り返しになるからだ。お盆に限ったことではないが、季節の風物詩があると、ああ・・こんな季節か…と実感できる訳だ。まあ、このように、お盆の魅力はいろいろとあるのだが、美味しいもの! が、老若男女・・子供からお年寄りまで、男女を問わず魅力となるベスト1(ワン)に違いない。
完
テレピが、ガナっている。フッ! と目覚めた宇奈月は薄目を開け、テレビ画面をボンヤリと見た。いつの間にか眠ってしまったようだった。隠れた疲れが溜まっていたせいだろう…と宇奈月は軽く考えた。ところが、である。ウトウト…とする前と今とでは、テレビ画面が違っていた。夏の怪談じゃあるまいし、んっな馬鹿な…と宇奈月はもう一度、テレビ画面を食い入るように見つめた。柔道で優勝したはずの男子選手が銅メダルを首から下げ、表彰台の最下壇で観客に笑いながら手を振っているのである。確か、ウトウトする前は決勝に勝ち、優勝を決めたところだったが…と宇奈月は眠ってしまう前の状況を辿(たど)った。だが、どう考えても、その選手は一位の金メダルのはずなのである。宇奈月は、相当疲れてるな…と思わざるを得なかった。画面が違う・・そんな非科学的なことが起ころうはずもなく、宇奈月は、しばらく無理をしていたから、ゆっくり休むか…と疲れのせいにした。
「おいっ! 夕飯にしてくれっ!」
キッチンへ回った宇奈月は、洗い場に立つ後ろ姿の妻へ偉(えら)そうに声をかけた。
「あらっ! どちらさま?」
振り返った妻は、宇奈月が見たこともない女性だった。画面が違うのである。
「…」
宇奈月は返答に躊躇(ちゅうちょ)した。そのとき、宇奈月の目の前の映像が揺れ、意識が遠退とおの)いた。気づくと、やはりテレビがガナっていた。表彰台に立つ男子選手は、やはりメダルを首から下げ、笑っていた。しかし、選手が立つ表彰台の位置は最上壇で、首から下げたメダルは金メダルだった。
「それでいいんだよ…」
宇奈月は思わず呟(つぶや)いていた。画面が違う・・などということは、ないのである。
完
年々、夏の暑さは増しも最近では35℃超えの猛暑日が珍しくなくなってきた。二酸化炭素削減対策がいろいろと叫ばれているが、こうなったのには隠れた原因があることを余り世界は意識していない。その原因として、世界規模で進み続ける人類の文明化がある。黒煙と炎を上げて燃え続ける陸や海上の油井(ゆせい)などは、その最たる一例だ。文明を進歩させる上で、責任が付随することを意識せず、人類が文明を突き進めている点が猛暑の原因だということを、人々は、まだ認識していない。これは地球保全の上で大きな問題である。このままで推移すれば、猛暑は益々、広がり、一歩、家の外へ出れば、人がコンガリと美味(うま)そうな焼肉に焼きあがる・・・ということにはならないだろうが、肌を火傷するくらいのことにはなるかも知れない。まあ人類もアホ馬鹿ではないから、当然、その対策を科学的にやるだろうが、猛暑で迷惑を蒙こうむ)るのは人類以外の生物である。それでなくとも今現在、多くの生物が絶滅し、絶滅危惧種も増加の一歩を辿(たど)っているという。
とある町のとある町内である。一人の汗かきの男が、身体中、汗ビッショビリになりながらやってきた。男は暑苦しいのか、パタパタと扇子を煽り続ける。
「いやぁ~暑いですなぁ!」
声をかけられた男は、暑苦しいのが来た…と思いながらも、そうとは言えず、顔を緩(ゆる)めた。
「ははは…いや、ほんとにっ! 猛暑日らしいですねっ!」
「そうそう。猛暑日で、もう、しょ~がないっ! ですかなっ! ははは…」
言われた男は一瞬、寒さを感じたが、すぐに倍ほど暑くなった。猛暑の下手(へた)なダジャレを言っている場合ではないのである。
完
朝から蜆(しじみ)は綻(ほころ)んだパジャマを針と糸で繕(つくろ)っていた。蜆に言わせれば、綻んだ衣類と使えなくなった襤褸(ボロ)は、まったく異質のものだという。どう違うのか? を簡単に説明すると、綻びは修理可で襤褸は修理不可のただの破れた布(きれ)という内容が隠れているらしい。どちらも同じ布なのだが、使用できるか? での選別だそうだ。さらに、傷んだ衣類でもその傷み具合で破れと綻びの二段階に分別できるのだそうだ。綻びは、まだ大した破れではない軽度のもので、破れは、中程度以上に繕いを必要とする衣類ということになる。ふ~~~ん…と聞かずに聞いていたが、友人の言うのを無碍(むげ)にも出来ず、ほお! と一応、相槌(あいづち)は入れておいた。まあ、そんな話はともかくとして、破れた衣類は誰でもそのままには出来ないから、ついつい弄(いじ)って繕いたくなるものだ。そんなことで・・でもないが、蜆は朝から綻んだパジャマを繕っていた。
「お大事に! 無理をなさらないよう…」
繕いを終えた蜆は、そう呟(つぶや)くようにパジャマに語りかけたという。それを聞いた私は、初めて聞き耳を立て、変わったやつだ…と思ったが、まあ友人のことでもあり、黙ってお汁(つゆ)を啜(すす)ったというようなことだった。破れた衣類とはまったく関係ないが、夏に蜆汁は精がつき、いいと聞く。
完