水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

よくある・ユーモア短編集-39- チャレンジ

2016年10月31日 00時00分00秒 | #小説

 晴耕雨読(せいこううどく)とは、よく言われる。その四字熟語の意味は、━ 田園で世間の煩(わずら)わしさを離れ、心穏やかに暮らすこと━ となる。晴れた日には外へ出て田畑を耕(たがや)し、雨の日は雨滴(うてき)の音を聞きながら静かに書物などを読んだり学んだりし、あるいは家内の諸雑事をのんびりとする・・ところから派生した意味らしい。誇張(こちょう)して意味を捉(とら)えれば、その日に出来ることをする・・すなわち、ムダを省(はぶ)くということにも繋(つな)がっていく。雨の日に田畑は耕せないぞ! 晴れた日には外でいくらでもすることがあるだろうがっ! と、いう訳だ。ところが、そうともかぎらないことが、世の中にはよくある。
「ああ…降り出したな。今日はやめるか」
 御台所(みだいどころ)は、仕方なく外出をとりやめ、居間に置かれた畳の上の座布団にふたたび座った。つい、今しがた立ったばかりだったから、まだ生(なま)温かい。さて、これからどうしたものか…と、御台所はこれからの行動を巡った。普段には思いつく雑事が、こういうときにかぎって浮かばず、御台所は、… と、空(から)になった湯呑(ゆのみ)の茶を啜(すす)ろうとし、? 空か…と、また置いた。次に腕を組んだ。そして徐(おもむろ)に部屋の隅(すみ)を見た。そこには偶然、半月(はんつき)ばかり前に買っておいた雨具のポンチョ[簡易なカッパのようなもの]があった。傘を買う目的だったのだが生憎(あいにく)、財布の持ち合わせが少なく、他に買うものもあったからポンチョにしたのだ。ポンチョは山、ハイキングなどで使うアウトドア装備の一つだが、まあ、いいか…と御台所は買って部屋の隅に置いたままになっていた。御台所は、よしっ! チャレンジだっ! ふと、御台所は某国の大統領や織田信長公にでもなった気がして、雨の中を耕してやろうじゃないかっ! と決断した。決断とは大仰(おおぎょう)な言い方だが、このときの御台所の意気込みは、やってやろうじゃないかっ! の意気込みで凄(すご)かった。ポンチョを身につけ雨靴を掃いていると、自分はそんな大物でもないか…と思いなおした。
 外は幸い土砂降りから小降りになっていた。ポンチョ姿の御台所は、鍬(くわ)を手にすると、畑を耕し始めた。割合と作業は順調に進み、苗床(なえどこ)の準備をした畑の畝(うね)は出来上がった。これで、あとは苗を植えるだけだ…と、安息の息を吐き、御台所は家の中へ戻(もど)った。世の中ではチャレンジ精神が不可能を可能にすることが、よくある。

                    完


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よくある・ユーモア短編集-38- 好(この)み

2016年10月30日 00時00分00秒 | #小説

 好(この)みは、人それぞれである。淵川(ふちかわ)は久しぶりに銭湯に入ろうと、今ではもう残り一軒となった銭湯・蛸(たこ)の湯へ向かった。ここは行きつけで店の従業員とは気心が知れていたから安らいだ気分で暖簾(のれん)を潜(くぐ)り、入口のガラス戸を開けることができた。いつも500円硬貨一枚を鯔背(いなせ)にポン! と番台へ置くと、これもいつものようにポン! と準備していたかのように間合いを置かず、テニスのリターン・エースのように数十円のお釣りが返ってくるのが常だった。ポン! と鯔背に置く所作は淵川の好みで、この好みに蛸の湯も合わせてくれるのが、滅法(めっぽう)心地いい淵川だった。
「ここへ置くよっ!」
「へいっ! 毎度…。今日はゆず湯でございますよ、ご主人」
「おっ! そうだったねぇ~。もう冬至かい…。また年の瀬だねえ」
 それには返さず、番台の主人はニンマリと笑顔を向けるだけだった。そして、淵川は外風呂へは必ずと決めている下駄(げた)を脱ぎ、靴箱へ収納して鍵を引き抜いた。このタイミングをまっていたかのように、番台の主人が、「ごゆっくり!!」と鯔背に声をかけた。これも個人的な好みで嬉(うれ)しい淵川だった。
 湯舟にどっぷりと浸(つ)かると、自然に鼻唄が出るというものである。淵川の場合、必ずといっていいほど♪奥飛騨慕情♪で、それもハミングのみで唄うのが好みだった。鼻唄が出るまでには湯舟に浸かって、およそ10分を要した。いわば車でいうアイドリングの時間である。最初は軽く身体を洗い、それから湯舟に浸かる・・という所作を淵川は必ず守っていた。これは好みというより、銭湯に入るマナーと心得ていたから、淵川は必ずそうしていたのである。
「おお淵さん! いよいよ年の瀬ですなっ!」
 浸かり友達の中洲(なかす)がザバッ! と湯舟に入り、ひと声かけた。
「これは! 中さん、でしたか…。いや、どうも」
 ちょうど、アイドリングが終わり、そろそろ唄を! と意気込んでいた矢先の淵川は、ギクリ! として閉じていた瞼(まぶた)を開けた。その拍子(ひょうし)に首まで浸かっていた頭の上のタオルが湯舟に落ちた。慌(あわ)てて淵川は湯の中からタオルを拾(しぼ)ると、ふたたび頭の上へ乗せた。格好が悪く、少し世間話をした挙句(あげく)
、結局、唄は出ず仕舞いとなった。
 好みにしている上がりのコーヒー牛乳を飲むと、少し調子が戻った淵川は、出せなかった鼻唄を軽く流した。
「おっ! ご機嫌ですなっ、淵川さん!」
 聞こえたのか、番台の主人が声を投げかけた。
「ははは…まあ」
 鼻唄を唄うのが好みですから・・とも言えず、淵川は笑って暈(ぼか)した。好みで無意識に決め込んでいることは、確かによくある。

                    完


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よくある・ユーモア短編集-37- さりげなく

2016年10月29日 00時00分00秒 | #小説

 高校2年の広次は日曜の午後、居間でテレビを見ていた。今となっては、もう古典芸能になった紙切り演芸が映っていた。紋付き袴(はかま)の衣装を身に付けた師匠風の年老いた芸人が、見事なハサミ裁(さば)きで三味線などのお囃子(はやし)にのせ、半折りにした一枚の白紙を切り分けていく。その、なんと器用で見事なことか…。広次はもの珍しさも手伝ってか、内心で凄(すご)いなっ! と思った。師匠風の年老いた芸人は切り分けると紙を広げて黒い板木の上へ置き、平たいガラス板を閉じながら客席へと見せた。
『━柳に舞子さん━ でございます…』
 次の瞬間、ドッ! と客席から賑(にぎ)やかな拍手が湧(わ)き起こった。
「おおっ! 珍しいなっ、紙切り芸か…」
 響く拍手の中、父親の広一が、知らないうちに居間へ現れていた。広一の現れようは楚々(そそ)としてさりげなく、猫がスウ~っと物音一つさせず姿を見せ、ゆったりと体を横たえる仕草によく似ていた。そのとき広次は、ふと思った。世の中には器用な人もいるもんだ。どれ、俺もやってみよう! と。広次はテレビを広一に任(まか)せ、さりげなく消えると自分の部屋へと入った。美術用のスケッチ帳の画用紙を適当な大きさに裁断し、片手に半折りの紙、もう片手にはハサミを持って切り分け始めた。何を切ろうか…と一応、考えてはいたが、結局、テレビでやっていた ━柳に舞子さん━ に決めた。上手(うま)くいくか自信がない広次だったが、それでもプロ芸人風に、さりげなく切り終わり、さりげなく広げてみた。現れたのは、柳に舞子さんではなく、一本の大木とお地蔵さんだった。広次は、こりゃダメだ…と諦(あきら)めの溜息(ためいき)を一つ吐(は)くと、何もなかったように、さりげなくスケッチ帳とハサミをしまった。誰でもさりげなく出来そうな仕草も、他人にはさりげなく出来ないことは、よくある。

                    完


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よくある・ユーモア短編集-36- 脇道(わきみち)

2016年10月28日 00時00分00秒 | #小説

 遠くに見えた建物の多さから、向こうの方がいかにも街らしい…と思った山畑は、その方角へと歩を進めることにした。ところが、行こうとする方向に道がない。細道は2、3あるのに、肝心の街に向かう幹線らしき道がないのだ。仕方なく山畑は脇道(わきみち)を伝って迂回(うかい)ルートで街に向かうことにした。登山では直途を迂回して登る[巻き登り]という手段もあるが、ここは平地である。そんな慎重な手段を使わずとも十分な余裕を持って街へ着くように思えた。ところが、それは少し甘かった。
「あの…すみません。この道を行けばあの街へ行けますよね?」
 山畑は付近の人らしい、畑を鍬(くわ)で耕(たがや)す農家の男に訊(たず)ねた。
「ああ、行こう思や、行けるども…」
 男は鍬で土を耕す動作を止め、朴訥(ぼくとつ)にそう返した。
「そうですか…。ありがとうございました」
 軽く頭を下げて礼を言い、山畑は歩き出そうとした。そのとき、である。
「だけんど、遠回りになるがのう。あんた、どこから来なすった?」
 後方から問いかけられ、山畑はビクッ! として立ちどまり、振り向いた。
「私ですか? 東京からですが…」
「東京かい。いいねぇ~都会(とけい)は。儂(わし)ら一生かかっても行けねえ土地だぁ~」
「いや、そんなことはないと思いますが…」
「なに言ってる。そんなことはあるだよ。あんた、知らねぇ~からそんな気楽(きらく)が言えるのさ」
「えっ? どういうことです?」
 山畑は気になって訊(たず)ねた。
「まあ、聞いてくれろや」
 男は長々と語り出した。話は脇道へと逸(そ)れ始めた。それから約小一時間が経過した。山畑は聞く一方になり、相槌(あいづち)を入れるだけだった。男は専業農家の悲哀を切々と訴えたのである。
「大変なんですね…」
「そうとも! そこへPTAだろ?」
「なるほど…」
 山畑はTPPだろう…とは思ったが、正さず思うにとどめた。
「子供は放っといても育つが、学校は放ってくれねえ~」
 あっ! そちらか。正さずによかった…と、山畑は思った。それから、教育の話へと入り、次第に脇道は複雑な様相を見せ始めた。山畑は腕を見た。すでに街で会う約束の正午まで1時間を切っていた。さりとて、道の脇道相場か、話の脇道からも抜けられそうにない山畑は焦(あせ)り出した。世間では物事の途中で脇道へ逸れることが、よくある。

                    完

 ※ 漏れ聞くところによれば、なんとか山畑さんは時間に間に合ったそうです。

 


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よくある・ユーモア短編集-35- 迷う

2016年10月27日 00時00分00秒 | #小説

 さて、どうしたものか…と、町川は迷っ来ていた。年の瀬が迫っていたこともあり、この機会を逃しては年内に出来ないかも知れん…と思え、大掃除を始めたまではよかったが、いるものと、いらないものを分別して整理し始めている間に、悩ましい芥(ゴミ)とも必要品とも判別がつかない物に遭遇(そうぐう)したのである。以前、使用した物で未知との遭遇ではなかったものの、長い間、使っておらず、悩ましいことに変わりはなかった。悩ましい・・とは囲碁のプロ棋士がよく使う言葉だが、囲碁を打ってる訳でもないのに、ピタッ! と町川の手は止まったのだった。さて、どうしたものか…と、町川は両腕を組み、迷うことになった。いや、いやいやいや…ああいう場合には必要となることもあるだろう…と、とりあえず必要品の方へ振り分けた。ところが、しばらく別の物を分別している間に、ふと、その物が目にとまった。いや、もう使うことはないぞ…と、町川はその物を芥の方へと分け変えた。そして、しばらくはそのまま分別作業が続いていった。そうこうするうちに昼近くなり、町川は空腹感に襲われた。まだ、3分の1も片づいていなかったが、まあ、夕方までには終わるだろう…と高(たか)を括(くく)り、中断することにした。さて! と冷蔵庫を開けると、昨日、焼いた味噌漬け魚のメロ[銀ムツ]が目に入った。これは町川の好物で、温かいご飯だと三膳以上は進む代物(しろもの)だった。片(かた)や、これも昨日、コンビニで買っておいたナポリタン・スパゲティの一品があった。さて、どちらを食すか…と町川は、また迷うことになった。大相撲の取り組みではないものの、町川の脳裏の中ではどちらも捨てがたく、両者は、がっぷり四つとなっていた。時間は刻々と過ぎていく。このままでは埒(らち)が明かん! と、町川は両者を一端、[水入り+行事預かり]とし、菓子パンを齧(かじ)りながらミルクを喉(のど)に流し込むことで、一番を落着させた。町川の潜在意識は、大掃除を優先していた。町川は、よしっ! と、ついに決断した。迷った出来事はすべて[行事預かり]として、先を急ごう…と。これでは徳川秀忠公の二の舞で、関ヶ原に遅参し、家康公に大目玉を頂戴することになるぞ…と大仰(おおぎょう)に考えた。
 大掃除を再開した町川は分別作業を行事預かりとし、掃除を優先して始めた。水をバケツに入れ、雑巾を出そうとした。ところが以前使った雑巾は、かなり破れていた。いい機会だっ! とばかり、町川は古いタオルを雑巾に下ろすことにした。さて、どれを? と腕を組むと、浴室のタオルと手拭(てふ)き用のタオルが頭に浮かんだ。どちらもかなり傷(いた)んでいたから、そろそろ変えよう…とは思っていた物だった。町川はまた、迷うことになった。これは行事預かりにはできない。手で拭く訳にもいかず結局、ちゃぶ台に偶然(ぐうぜん)あった布巾(ふきん)で拭く破目になった。
 ともかく、すべての作業が終わったのは、夜の7時前だった。ともかく終わったことは終わったが、行事預かりの諸事が多過ぎ、新年は開けたが町川の正月はまだ来そうにない。迷うことで予定が狂うことは、確かによくある。

                    完


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よくある・ユーモア短編集-34- 見解(けんかい)

2016年10月26日 00時00分00秒 | #小説

 双方の意見対立が起き、見解(けんかい)の相違だっ! と物別れになることが、世の中ではよくある。見解は人それぞれで、自分の見解を他人にも当てはめようと主張するとトラブルになりかねない。各個人は見えないオーラにも似たシールドで包まれていて、そこへ侵入しようとする他人に対し、自然と自分を守る防御態勢に入る訳である。
「厄介なことになったなっ!」
「どうされたんですっ?」
 朝から町内会長の東崎が悩みながら副会長の岩波に愚痴った。というのも、正月早々、町内会の会計をしている舟出(ふなで)が急な発作で亡くなったのだ。さあ! 大変なことになった…と東崎は思った。注連縄が取れない松の内とはいえ、同じ町内会の役員である。町内会長としては無碍(むげ)に見て見ぬふりはできないが、さりとて松の内だからな…と考えた訳だ。
 一方、急な不幸に見舞われた舟出家では、松の内ということもあり、密葬でとりあえずは済ませ、松が取れてから改めて告別式だけやろう・・ということで話が纏(まと)まっていた。そこへ現れたのが東崎である。
「町内会としては放ってはおけませんからな。ここはひとつ、町内葬ということで…」
 東崎は勝手な自分の見解を語った。それを聞かされたのは、舟出の息子で銀行頭取の砂雄である。
「いえ、それは困ります。密葬にして、告別は別の日にやらせてもらいますから」
 砂雄は突(つ)っぱねた。砂雄は少し意固地なところがあった。
「いやいやいや、それでは町内会長の私が困る。ここはひとつ、私の言うとおりに…」
「なにをおっしゃいます。こちらこそ、お願いしますよ。別の日にお別れの会とかを町内で開いて下されば、それでいいじゃないですかっ!」
 意固地な砂雄は興奮し出した。
「困った人だっ! それじゃお亡くなりになったのを町内会が無視したことになる!」
「無視もなにも、知らなかった・・でいいじゃないですかっ!」
「知らなかったって、あんたねっ! こんな20軒ばかりの狭い町内ですよ。それに、私の家はあんたの斜め向かいだっ!」
 東崎も興奮し出した。両者の見解は完全に逆だった。
「まあ、とにかく私の家は密葬でやらせてもらいます。葬儀社も、すでに手配してますからっ!」
「ああ、お好きにっ!! しかし、今後は町内会としてお宅は考えさせてもらいますよっ!!」
「考えるって、どうするつもりですっ!! この町内から追い出すとでも言われるんですかっ!!」
「いや、そんなことは言ってない。言ってないが、いろいろあるっ!」
 東崎は興奮したまま舟出家を去った。意固地に自分の見解を通そうとすると厄介(やっかい)なことになることは、よくある。その後、町内会と舟出家がどうなったかまでは、聞いていない。

                    完


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よくある・ユーモア短編集-33- 温(ぬる)い人 

2016年10月25日 00時00分00秒 | #小説

 人と人のトラブルは、ほぼ双方の興奮状態から生れる。片方が風に柳と受け流せば、いくら片方が興奮したり相手に絡(から)んだとしても、そう大したトラブルにはならない。この場合、風に柳と受け流す人を温(ぬる)い人という。将棋や囲碁で温い手を放てば、これはもう敗着となるが、人と人の場合はトラブルが避(さ)けられる上に穏やかにコトが収(おさ)まるから正解となる訳だ。
 某市役所の財政課では当初予算の原案が模索されていた。
「君ねっ! いつもイラつくんだよなっ!」
「はあ? どういったことでしょうか?」
「どういったことも、こういったこともないっ! こ、これは何かね?!!」
 課長の薄着(うすぎ)は今年、配属された若手職員の衣(ころも)に絡んでいた。衣にはその意味が分からず、訊(き)き返したのだが、薄着は怒り顔で片手にしたコピー用紙を振って叫んだ。
「はあ、課長が言っておられたヒアリング用の予算要求書の付表書類ですが、それが何か?」
 衣は風に柳と薄着の声を右から左へと受け流し、冷静に言った。
「それが何かも、これが何かもないっ! これが付表かねっ! よく見てみたまえっ!!」
 薄着の声のボルテージは益々、上がり、顔は茹(ゆ)で蛸(だこ)状態に赤くなった。
「課長、余り興奮されると、お身体(からだ)に障(さわ)られます…」
「やかましいわっ! もういい。おい、織村(おりむら)君、君、これ引き継いでやってくれんか」
「えっ? 私ですか? 分かりました…」
 振られた織村は一瞬、ギクッ! としたが、素直に受けた。その隙(すき)に衣はトイレへとスウ~っと消え去り、トラブルは未然に防がれた。
「あれっ? 衣は?」
「衣さんは今、トイレへ…」
 織村は課長席で見回す薄着へ返した。
「ああ、そうか…。まあ、いい。温い風呂は入った気がせんからな」
「はあ?」
「いや、なんでもない。ははは…」
 薄着の顔は赤から黄色そして緑とは変わらず、普段どおりの平静な顔つきに戻(もど)った。温い人がその場にいると、和(なご)むことが世の中には、よくある。

                    完


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よくある・ユーモア短編集-32- 出鼻(でばな)

2016年10月24日 00時00分00秒 | #小説

 さあ、これからっ! というとき・・この瞬間が世間一般では出鼻(でばな)といわれている。だから、その機先を制すことは、出鼻を挫(くじ)くとなる訳だ。
 快晴の天気に、小又(こまた)は気分よく家を出ようとしていた。施錠し、さあいよいよ自転車を・・と動かし始めたとき、おやっ? と前の道に落ちている捨てられたゴミに気づいた。誰が人の家の前へ…と少し気になった小又は、このままにもしておけないと、自転車を一端、止めた。この瞬間、小又は出鼻を挫かれていた。家の鍵を開けた小又は、塵取(ちりと)りと箒(ほうき)を手にして再び外へと出た。無論、そのゴミを掃き取るためである。そして、ゴミを処理したあと、もう一度、施錠して自転車を動かそうとした。そのとき、アレッ? と小又は停止した。さて、自分はこれからどこへ向かおうとしていたのか? と。小又は目的を忘れたのである。小又はふたたび自転車を止め、立ち尽くした。はて? と思い出そうとしたが、思い出せない。
 小猫を背中のリュックに入れて背負い、手にはリードのついた小犬を連れて散歩する近所では評判の風変わりな梳井(すくい)が家前の小道を通りかかったのは、ちょうどそのときだった。梳井は立ち止った。
「やあ、小又さん、おはようございます。お出かけですか?」
「ええ、まあ!」
 咄嗟(とっさ)のことでもあり、小又は、おはようございます・・とも言えず、唐突に短くそう返した。
「それはそれは…。じゃあ!」
 梳井はふたたび歩き始め、遠ざかっていった。なにが、それはそれはだっ! と少し怒れた小又だったが、いいこともあった。あっ! そうそう、トイレット・ぺーパーだったな…と出た目的を思い出したのである。危ない危ない! 出鼻を挫かれ、運を落とすところだった。買物がトイレット・ぺーパーだけに…と、小又は親父ギャグを頭に浮かべてニタリとし、颯爽(さっそう)と自転車を漕(こ)ぎ始めた。
 家の外で出鼻を挫かれることは、確かによくある。

                    完


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よくある・ユーモア短編集-31- タイミング

2016年10月23日 00時00分00秒 | #小説

 今日は久しぶりに友人と会ってランチでも食べるか…と勝手に意気込み、枯木(かれき)は繁草(しげくさ)に電話しようと受話器を手にした。タイミングが悪かったのか、生憎(あいにく)、相手は話し中で、『ツゥ~~~~』と鳴る通話音しかしなかった。
[なんだ、話し中か…]
 そう思った枯木は、しばらくしてから、もう一度かけようと電話を切った。この微妙なタイミングのづれで枯木の意気込みは半減し、萎(な)えた。それでも完全に意気込みが消えた訳でもなく、しばらくすると枯木はふたた電話を手にした。今度はタイミングがよかったのか、相手の声がした。
『はい、繁草ですが…』
「俺だよ、俺」
『えっ? どちらの俺さんですか?』
「ははは…馬鹿野郎! 俺だよ、枯木だよ」
『枯木さん? そういえば、どこかで聞いたような…。ははは…冗談、冗談。枯木、久しぶりだなっ! で、何か用か、九日(ここのか)十日(とおか)』
「ははは…相変わらず面白い奴だ。いや、なに…これという用じゃないが、一緒に昼でもと思ってな」
『ああ、そうだったか…。定年後は暇(ひま)を持て余してるんだが、生憎、今日は昼から自治会の会合があってな。会長だから抜けられんのだっ! すまんが、別の日にしてくれんかっ』
「会長さんか! そりゃ、大変だな。いや、俺はいつでもいいんだ。ふと、思っただけだからな」
『すまんな、また電話してくれっ』
「ああ、分かった。それじゃ…」
 枯木は電話を切った。この段階で枯木の意気込みは消失していた。そして日は流れた。
 ある日の朝、枯木の電話が鳴った。
『俺だ、繁草だ。どうだ今日、昼でも?』
「ああ繁草か…」
『いやなに、あれから電話がないもんだから気になってな。こちらからかけたんだ』
 枯木は繁草の声を耳に受けながら躊躇(ちゅうちょ)していた。枯木は昼から俄かな所用で出かけねばならなかったのである。よりにもよって、この日だけ駄目だったのだ。
「すまん! 生憎、今日は同窓会があって具合が悪いんだ。別の日にしてくれんか」
『ああ、そうか…。いや、俺はいつでもいいんだ。それじゃ、また』
 電話は切れた。それ以降、まだ二人は出会えず、昼をともに食べていない。一期一会とはよく言うが、タイミングが一つ狂うとコトが運ばないことは、よくある。

                    完


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よくある・ユーモア短編集-30- 情

2016年10月22日 00時00分00秒 | #小説

 世の中は人と人との情の絡(から)み合いで維持されている・・と言っても過言ではない。その条理も、個人差はあるものの、一定の度合いを超えて一方通行になれば破綻(はたん)する。
「あなたがその立場なら、どういう気がします?」
 小谷にそう言われ、徳竹は確かに…と思った。だが、次の瞬間、角(かど)が立つ言い方をしているのは、あんただろ? と思えた。まず、上から目線の言い方であることに加え、相手の立場と気持を考えない言い方なのだ。
『ははは…それは言えません。漏(も)れると具合悪いでしょ? そう思いませんか?』
 自分がその立場ならなら、笑みを浮かべ、柔らかくそう言うがな…と徳竹は思ったが、角が立つことを忌(い)み嫌う徳竹は思うに留め、口には出さなかった。
「それはそうですね。いや、すみません」
「数値が今一ですね。反省しているかどうか次回、もう一度、やりましょう」
 そう言われた瞬間、徳竹は、カチン! と頭にきたが、切れずに我慢した。反省するだと? なんという粗雑な言い方だ…と思ったのである。そして、こりゃ駄目(だめ)だな…と思え、他を当たることにした。
 情に絆(ほだ)される・・これは電子機器の人工知能では認識されない、いや、認識できない未知の分野とされている。情は人の世を構成する重要な部分だが、近年、この重要な情けが失われつつあると徳竹は思っていた。そして、今日また、この現実に直面したのである。
『反省する・・というのは相手の存在を認めていない自分が正しい! と決めつける自己主張だろ? 他に言い方があるでしょ?』
 徳竹は、ふたたび思うに留め、口には出さなかった。
「どうも、有難うございました…」
 そう言い残し、徳竹は椅子を立った。この瞬間、二人の縁(えにし)は切れた。情の交錯(こうさく)が絶たれれば縁も切れるが、人それぞれの想いの違いにより、多様な人間模様が生み出される。日常生活で確かにこんなことは、よくある。 

                    完


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