水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《修行①》第七回

2009年06月30日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《修行①》第七回
「今日は夕餉に茶が飲めますよ」
 話題を変え、一馬が明るく続けた。月に一、二度は、近郷の坂出(さいで)屋という繊維問屋から貰ってきた出涸らしの茶っ葉を干したも飲めるのだ。淹れたところで茶独特の薄黄緑色は消え失せ、赤味がかった、それこそ正真正銘の薄茶色と呼べそうな茶なのである。しかも、味は? というと、煎じ薬の様相を呈し、とても茶とは呼べそうもな物(しろもの)なのだが、これがどうして、慣れとは恐ろしいもので、度(たび)重なれば、妙に懐かしい味に思えるのだった。それが今夜だ
と云う。
 左馬介は、ついうっかり忘れていたから、一馬の言葉を耳にすると、わず顔が綻(ほころ)んだ。この茶っ葉は捨てずに干し、最後は
粥にして食べてしまうから、全く無駄がなかった。
 葛西には食事が出来る店もあるし、汁粉屋だってある。勿論、団屋もあったから、銭と暇(ひま)さえあれば幾らだって美味いものは味わえたし、茶も飲めた。だが、堀川道場での五年間は、その暇が余りなかった。五年が経ち、幻妙斎が腕に応じて允許(いんきょ)を与えれば、一応は自由の身となれる。即ち、外出も自由だし、外での飲み食いも出来るのだ。丁度、今の道場には、その立場の者がいなかった。今、師範代をやっている蟹谷も来年は六年目となるから、恐らくは、この客人身分となる筈であった。


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残月剣 -秘抄- 《修行①》第六回

2009年06月29日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《修行①》第六回
「さきほど、…稽古の折りですが、獅子童子が寝ていたのを御存知でしたか?」
 一馬が次の問いを投げ掛けた。
「えっ! いや、私は気づきませんでした」
 知ったかぶりをするのが嫌いな左馬介である。そこは素直に否定
した。
「そうでしたか…。いえ、ただ伺っただけのことです」
「稽古するのが精一杯で…。樋口さんに声を掛けられたこともあり
ましてねぇ」
 左馬介は罰が悪くなり、首を片手で掻きながら小笑いして暈した。
「獅子童子が眠っていたということは、先生が見ておられた、という
ことです」
「幻妙斎先生が、ですか?」
「そういうことです」
 樋口に、『剣は芝居ではないぞ!!』と指摘されたことも、先生は
御存知なのだろうか…と、左馬介は巡っていた。
「我々の動きを、全て先生はお知りなのですよ。ははは…、とても
小細工など出来ません」
 今度は、一馬の方が小笑いをした。いつの間にか、握り飯は二に食べ尽されていた。


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残月剣 -秘抄- 《修行①》第五回

2009年06月28日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《修行①》第五回
 昼は握り飯と沢庵で済むから、一馬や左馬介は随分と助かる。それに、秋小口ともなり、食物が腐る心配、早い話、食物の足が遅くなったことで非常に好都合で有難かった。
「どうです? もう慣れましたか?」
 一馬が握り飯を頬張りながら訊ねた。左馬介は予期せぬことだっ
たのか、思わず喉を詰め、茶碗の白湯(さゆ)を小忙しく飲み干した。
「あっ! すみません。驚かせてしまいましたね…」
 漸く喉を潤した左馬介は、少し荒めの息で、
「いいえ…、私が悪いんです。食い意地が張っておりました。少し稽
古の所為(せい)で腹が空いておりましたもので、つい急ぎまして…」
 と、体裁を繕って、謝りの云い訳をした
「それで、どうなんです?」
「なんでした?」
「ははは…、もう道場に慣れられたかを訊ねたんですよ」
「あ、ああ…。そうですねぇ…。最初の頃に比べますとね」
「入梅の頃でしたね。早いもので、もう三月(みつき)ですか…」
「はい。今では、一馬さんと組稽古をさせて貰える迄になりました

 左馬介は満足げな顔で沢庵を一切れ口中へと放り込み、噛み始めた。ポリポリと歯切れのよい低い音が口を伝わり頬から流れた。


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残月剣 -秘抄- 《修行①》第四回

2009年06月27日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《修行①》第四回
 後ろを見た左馬介と樋口の目線が合った。
「…役者ならば、それでもいいがな」
 と、意味あり気に云い捨て、スクッ! と、側板から背を外す。そして、
小笑いしながら一歩一歩と床板を踏みしめるかのように出て行った。
 左馬介は、樋口に言葉を返せなかった。それが何故か…は、左馬介自身が一番よく知っている。返したくとも返せなかった。要は、完全に心理を見透かされていた。詳しく云えば、見よう見真似の真似稽古をしている…と、樋口に見破られたことが一瞬で分かったのである。それ故、返せなかった。ただそれだけのことである。樋口静山は遣える…いや、堀川の者達は尋常の遣い手ではない。自分も早く業(わざを磨かなくては…と、左馬介は思いながら竹刀を上段に構えると、一
馬めがけて打ち込んでいった。
 獅子童子は相も変わらず熟睡の態で、毛並みを上下に揺らしてい
る。
「よしっ! 朝は、これまでっ!!」
 蟹谷が門弟達に向かい、声高に云った。その声には流石に驚いたのか、瞬時に眼をギロッ! と開けると、老猫は、ゆったりとその場を去った。門弟達は小声で談笑しながら汗を拭く。無論、全員が足を掛けから出口へと運ばせている。その中には、左馬介も当然いた。


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残月剣 -秘抄- 《修行①》第三回

2009年06月26日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《修行①》第三回

 幻妙斎は無論、そのことについては何も云わなかったし、師範代の蟹谷が注意するところも左馬介は見たことがなかった。その訳が何故なのかは、今もって左馬介には分からない。
 さて、獅子童子は、すっかり寝入ってしまった。老猫の背中が小刻みに上下している。季節は漸く秋の涼風が時折り戦(そよ)ぐ季節となっていた。その涼風が、この稽古場にも流れてくる。腕組みをする樋口静山は、その風を団扇(うちわ)代わりにし、身体を場内の側板に預けるように凭(もた)れ、そして稽古を観ている。ただ観るだけで、樋口は組稽古をしようと、自ら進み出たことがない。いや、これは左馬介が知っている限りの話なのだが、左馬介が皆に話を訊いても、誰一人として樋口が組稽古をする場を眼にしたことがない、と答えたことを考え合わせると、樋口は門弟というよりか、堀川道場の客人待遇なのではあるまいか…と、左馬介は思うようになっていた。樋口が稽古を観ていることなど全く気づかず、左馬介は一馬の打ち込みと受けを真似た、所謂(いわゆる)、真似稽古を続けていた。そこへ、樋口の声が後方から響いた。
「おい、秋月! 剣は芝居ではないぞ!!」
 左馬介は一瞬、打ち込みを止め、後方を振り返った。樋口が腕組みをしながら側板に凭(もた)れ、欠伸をしたところだった。


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残月剣 -秘抄- 《修行①》第二回

2009年06月25日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《修行①》第二回

 真似ることは愚直だが、愚直も業(わざ)なりと云われれば、そうとも考えられるのである。碁や将棋にも真似碁とかの言葉が存在する程だから、一概に愚かしく間違っているとも云えない。それが作戦だな…と、相手に思わせる効果もあった。
 珍しく、老いた猫がのっそりと入ってきた。獅子童子であることは紛れもないのだが、昨日までと異なり、床に座っていない左馬介は全く気付かない。受けにしろ打突にしろ、今日は一馬と対峙して稽古をしているのだから、余所見(よそみ)をしている場合ではなかった。獅子童子がいるということは…、云う迄もなく、幻妙斎がこの付近に存在することを意味する。だが、門弟達は気づいてはいない。それもその筈で、人の気配は全くない。獅子童子は門弟達が稽古で激しく渡り動き、尚且(なおか)つ、大きな掛け声を響かせることなどは意に介せず、
道場の片隅でゆったりと眼を閉じると、眠りだした。
 四半時もしただろうか。そろそろ朝稽古も終わろうとした頃、葛西の
地の者、樋口静山がいつもよりか早めに道場へ現れた。
 この樋口静山は、葛西宿と近隣の郷村、三百十余戸を所轄する代所の代官である樋口半太夫の次男坊なのだが、自他ともに認める偏屈者で、堀川道場では、ただ一人、勝手気儘(きまま)が許された門弟であった。


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残月剣 -秘抄- 《修行①》第一回

2009年06月24日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《修行①》第一回

  堀川の朝稽古が始まった。道場へ戻った山上の姿もある。左馬介は一馬と組稽古を許される迄になった。その許しがでたのは、つい今し方である。山上が復帰したことを蟹谷が師範代として皆の前で報告し、山上がその言葉を受けて、迷惑をかけた旨の詫びと復帰出来る謝意の挨拶をした後、蟹谷が組稽古に加わってもよし、と告げたのだった。
 一馬と打ち込み稽古をしていると、漸く自分も門弟になれたのだ…と、左馬介には思えてくる。昨日までは、ただの雑用係に過ぎなかった者が…とも思え、沸々と滾(たぎ)る喜びが心の内を駆け巡ってい
た。
 打ち込み十徳(業[わざ]を激しく早く、打ち強く、息合いを長く保ち、腕の力を自由にし、長太刀を自由に遣[つか]え、臍[へそ]下納まり体崩れず、眼明らかにして、打ち間は明らかなり、手の内は軽く冴え出る)と、その持つ意味などは全く知らない左馬介なのだ。所謂(いわゆる)、俗に云う自己流であった。 稽古は打突と受けを交互に行う。だから、一馬の動きを見よう見真似でやっていれば、外面(そとづら)的に一応の格好はつく。正確に云うなら、師範代の蟹谷や他の門弟達の眼には、それなりの動きに見える訳である。左馬介は一馬の動きを完璧に真似た。


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残月剣 -秘抄- 《騒ぎ》第三十回

2009年06月23日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          
《騒ぎ》第三十回

 蟹谷達は委細構わず、熊次の方へ迫ろうとする。残った子分四人は、そうさせまいと最後の抵抗を試み、前に立ちはだかる。だがそれも、無益であった。前は子分四人に任せ、逃げ腰で後退(あとずさ)りする熊次。子分達は熊次を守ろうとするが、三人が放つ威圧感に少しずつ押され、思わず左右に割られた。こうなれば熊次に逃げ場はない。瞬く間に三人に斬り刻まれ、柱へしがみついたが、遂には土間へと崩れ落ちた。眼(まなこ)を開けたまま息絶えたもの凄さに恐れをなし、四人は刀を振り捨てると、一目散に出入りの戸口へと殺到した。そして、未だ戸口を出ていない手負いの三下を散々に踏みつけ、千鳥屋から逃げ去った。
 最後に残されたその三下は、這う這う(ほうほう)の態(てい)である。漸(ようや)く戸口を出たところを、蟹谷に呼び止められた。
「『二度と悪さはするな』と云われたと、帰ったら伝えよ!」
 蟹谷は笑いながら少し威厳を込めて云うと、刃にべっとりと付着した血糊を斬られて倒れている子分の着物の袖で拭った。そして、ゆっくりと大刀を鞘へと納めると、傍らにいた樋口や山上も釣り込ま
れて同じ仕草をする。
「これで用心棒の口も、ふいになったぞ」と、山上が愚痴る。
 三人は互いの顔を見合わせると、安堵の高笑いを交わした。
「悪いことは云わん。また堀川へ戻れ」
「決めの特例で、お許しが出ればな…」
 道場の決めの特例が幻妙斎によって出る可能性は、今回の場合、訳有りということもあり、誰の眼にも明らかだった。

                                   (騒ぎ) 完


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残月剣 -秘抄- 《騒ぎ》第二十九回

2009年06月22日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          
《騒ぎ》第二十九回

 次の刃は、五郎蔵の三下数人からの打ち込みであった。蟹谷は初めに飛び込んだ三下を下段から斬り上げ、上段から下ろした刃で二人目を仕留めた。三人目は山上が腹を水平斬りにする。二人に出来る隙を樋口が守り、後方から二人をめがけて打ち込んできた二人を、容易(たやす)く袈裟に斬り倒した。残るは七人ばかりとなった。熊次、政太郎、それに加えて、目に小柄(こづか)が刺さり脱落した者を含む子分が五人である。熊次と政太郎は、既に勝ち目がなくなったことを見越して、千鳥屋からの脱出を考えていた。
「そなた達、堀川の者に勝てるとでも思おておったのかっ!」
 皮肉交じりに、蟹谷が余裕の戻ったひと言を放った。そうまで云われては、五郎蔵一家の侠気が騒いで腹立たしい。
「なにいっ!!」
 特に負けん気が人一倍強い熊次は、そう返すと右の手の平に唾(つば)を吐きかけて強がって見せた。予想に反して、先に斬り掛かったのは政太郎の方である。だが、手練(てだれ)の三人を相手にするなど、所詮は詮無きことであった。
 政太郎は三方から斬り刻まれた。余りの痛手に断末魔の叫び声すら出せず、もがき崩れる。片目に小柄(こづか)を受けた三下は、恐る恐る見つからないように土間を這いながら戸口へと向かう。その様は、恰(あたか)も一匹の芋虫であった。


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残月剣 -秘抄- 《騒ぎ》第二十八回

2009年06月21日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          
《騒ぎ》第二十八回

「遂に、取り囲んだ円陣は左右に割れ、一本の道が三人の前に広がった。なおも前へ前へと押し進む三人は広い間口の土間へと下り立った。狭ければ、多少の腕があっても危うい。狭ければ、対峙する距離も障害物の為に狭くなる。例えば、障子や襖越しに囲まれれば、障子や襖が障害となって対峙する相手が見えないから、隙が生じて殺(や)られ易くなる。障子などからブスッ! っと刃を一気に数本、刺されれば、恐らく躱(かわ)すことは至難の業(わざ)だろう。だから三人は、取り敢えず間合いが保てる広い土間へと下り立ったのである。
 こうなれば占めたものとばかり、三人は打ち掛かった。ふたたび取り巻き始めた最も内側の六人が、瞬く間に斬られた。堀川の門弟達は、剣の修行と相俟(あいま)って、身心の鍛錬もしている。特に身体では、刀を持つ両腕(かいな)の増強に力が注がれた。優に一般人の二倍ばかりの腕力(かいなぢから)を誰もが有した。腕力が強ければ、自ずと手にする大刀は軽く感じる。故に、その余力を刃の打突に利用出来る上に、刃を返す素早さも増すのである。そんなことで、居合い斬りほどではないにしろ、堀川の門弟達は、かなり遣(つか)えた。その中でも、ここにいる蟹谷真八郎や樋口静山は腕が冴える。
 さて、土間へと下りた後、六人を瞬く間に切り倒した三人は、暫し息を整えた。


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