百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

天恵緑汁

2021-04-21 23:49:32 | Weblog





春になるとやっぱり仕込んでしまうのが
「天恵緑汁」
ある人に言わせると「植物にあげるのも良いが、自分が飲んだ方が健康に良さそう」とのこと
なるほど酵素の塊だから身体には当然良いだろう
「天恵緑汁」とは
ヨモギやクズなどを黒砂糖と混ぜて容器に入れておくと、一週間ほどで発酵液(菌液)ができる。 一滴も水を入れなくとも、黒砂糖の浸透圧で植物エキスが抽出されるとともに、酵母菌や乳酸菌の働きで発酵する。 発酵が加わることで、単なる抽出液以上の効果が期待できる。
所謂、「植物活性剤」として活用するが、酵素液としても充分な効果が期待できる。

穀雨

2021-04-21 00:07:28 | Weblog
「穀雨」
なのに何故か「夏日」
あと半月で「立夏」を迎えるにあたっては
春もあと半月ということになる
ところで「穀雨花」は唐代以降中国で「百花の王」と称えられてきた牡丹の別名

昨今の微妙な中国とアメリカの関係
そしてその中の立ち位置すら選ぶことができないでいる日本
台湾とのバランスを今後どう保つのか
日本としての役割期待は、
今、10年、100年後どうありたいと望んでいるのか、あまり考えている時間はなさそうだ

小平奈緒語録

2021-04-19 23:34:51 | Weblog
今回のこのコロナ禍の中、オリンピックの開催は本当に正しいのか?
現代社会におけるオリンピック開催の意義はどうなのか?
オリンピック本来の精神に今一度立ち返り、見つめ直す時期を迎えているのではないか?
等々、さまざまな疑問の声が上がる中、今一度小平さんの『語録』を紐解いてみると
「私『小平奈緒』っていう生き方をしていきたいなと思っているので、『永遠に生きるかのように学べ、明日死ぬかのように生きろ』っていう(ガンジーの)言葉があるんですけど、そういう言葉のようなシーズンを送れたらいいかなと」(2017年4月会見)
「与えられるモノは有限、求めるモノは無限」(スポーツ雑誌「Number」2017年4月号)
というような“哲学者”的な言葉が残されている。だから、オリンピック開催の意義があるとか、ないとかいうのではないが、スポーツも極める人は“求道者”になる。
一つの道を極めるということは、深く永遠で、苦しいとか楽しいではなく、永遠に追い求めるということなのだろう。他人と競えば競うほど成績は上昇すると言われているが、今一番の人は更なる“高み”を目指し、己と競わねばならない。その姿はやはり“求道者”以外の何者でもない。

極私的

2021-04-18 23:01:05 | Weblog




「極私的(きょくしてき)」とはなんとも懐かしい響き。
この造語はあの鈴木志郎康がつくったもの。
映像作家で詩人の彼は、1968年、2冊目の詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』によりH氏賞受賞。
1974年の『やわらかい闇の夢』では一転平易な言葉で都市の中の個人を描き、それも驚きを持って受け止められたという。
映像は1961年から1977年までNHKに16ミリ映画カメラマンとして勤務 していたことは有名で、1999年には横浜美術館レクチャーホールにて映像個展「時の堆積は自然と人を復活させる」が開かれ、『15日間』(90分)1980年 16mmをはじめその当時までに撮られた25本の作品がまとめて上映されたという。

雨の日

2021-04-17 20:33:51 | Weblog




「雨の日」にあらためて「雨」のことを思う。
南の海では「台風」が発生したという。
最近は「集中豪雨」や「ゲリラ豪雨」に悩まされらことが多いが、東南アジア諸国では、雨季には洪水で毎年土壌が流されるという。
肥沃な土が流されることで古代文明は栄えたというが(所謂「氾濫農耕」)、なかなか現代社会では課題が多い。
実は台風はいつも発生しており、すべての台風が日本に接近・上陸するわけではない。8月や9月の台風が多く発生する時期に日本にまで接近し、上陸する台風が増えることで、夏の終わりから秋にかけてのみ台風があるかのような錯覚に陥っているだけである。
「雨」もあれば「晴れ」もある、すべてが必要で不可欠なものであり、さまざまな想定をしつつ自然との共生を図っていくことに人類は知恵を使うべきで、決して対峙すべきものではない。

テオ・ヤンセン

2021-04-16 21:42:50 | Weblog
昨日4月15日はレオナルド・ダ・ウィンチの誕生日
彼は1452年生まれなので、生誕569年にあたる。当時日本ではまだ室町時代、そんな時代のアーチストだが、彼は芸術家であり、さまざまな分野の研究者であり科学者であった。
数学や物理学、生物学から航空力学、天文学に至るまで、素晴らしい研究成果を残し、現代社会の成り立ちに大いに貢献している。
そんなレオナルドの再来と言われている現代のアーチストはテオ・ヤンセン。
彼は、物理学者であり、彫刻家。アートと科学の融合を目指している点で、レオナルド・ダ・ヴィンチと共通している。彼は祖国の環境問題等に深く考え、現代社会の抱える問題や未来に対してメッセージを送り続けている。

種子

2021-04-15 22:27:22 | Weblog
今年の新たなチャレンジは
「タンポポ」(Dandelion)
西欧では食用のタンポポがあり、何度か「タンポポの栽培を始めたいなぁ」とは思ってはいたものの、少しは何度かしたものの、本格的な栽培イメージを持ちきれていなかったため、今年が初めての挑戦になる。
イメージは小さな段階から順次収穫をして、収穫した葉っぱをサラダで食するのはどうかなぁと思っている。

啄木忌

2021-04-14 21:16:17 | Weblog





昨日4月13日は「啄木忌」
所謂、石川啄木の忌日
彼は小説も書き、詩も綴った
しかしもっともよく知られているのは「歌人」としての彼だ
薄幸な短い一生はなんとも辛く、働けど働けど楽にならなかった暮らしを続け、明治45年に27歳の若さでこの世を去るが、一部では友人から借金をして遊興費につかったともいわれている
そういえば、函館の立待岬に墓標が立っていた
生前の啄木の遺志により、遺骨は病死した東京から函館に運ばれ、函館滞在中に愛していた大森浜を望む場所に葬られたという
覚悟のある人生だったのか、なかったのかについては今更知る由もないが、もう少し丁寧に生きられなかったのだろうか

音楽

2021-04-13 22:02:53 | Weblog
「音楽」
「ある曲が私の人生を変えた!」
という人がいる
そういう人の人生にまで影響を与えるような曲を創りたいと思っている音楽家がいる
曲は風のようなもので、その時々を通り過ぎてゆくものが望ましく、時折思い出してもらう程度が良いという音楽家がいる
その音楽家は「人間は、そんな一曲に縛られた生き方をすべきではない」という
どういう人生が楽しいか、
曲に縛られている、いないに関わらず
結局、その人生が楽しかったかどうかなのだろう

2021-04-13 00:12:42 | Weblog





「樒(しきみ)」と「榊(さかき)」の見た目は似ているが、種類も使われ方も違う。
樒(しきみ)は仏事に、榊(さかき)は神事に使われ、それぞれ樒(しきみ)はシキミ科、榊(さかき)はツバキ科の植物となり、種類が異なる。
樒(しきみ)は、根や葉、花に至るすべての部分に毒を持っている。特に、実の部分は毒性が強いことから「悪しき実(あしきみ)」と言われ、その言葉から、シキミという名前が付けられたと言われています。
榊(さかき)は成長すると12mほどの高さにもなるという。若い枝は緑色をしているが、成長すると淡い灰褐色になる。葉の長さは10cmぐらいで、縁にはギザギザがないきれいな楕円形をしている、葉の色は深緑色で、やや厚みがあり、表面につやがあるのがその特徴的といえる。