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百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

ウルグアイ

2014-02-07 20:31:04 | Weblog
ウルグアイで、世界ではじめて『大麻合法化』が決まった。
オランダでは販売は合法化されているが、栽培は違法となっている。
今回ウルグアイの法制化が図られた内容は、治安維持のために大麻の栽培や販売を許可、その詳細は1ヶ月40㌘の購入と年間480㌘(6株)の栽培を許可するというもの。
アメリカでは医療用として合法化、ワシントン州やコロラド州では嗜好用大麻の解禁へ進行している。大麻はタバコとは異なり薬事効果があり、燃料・医療・衣料・祭事等々様々な用途になり得る、今後日本でも検討されるべきものなのかもしれない。

フィギュアスケート

2014-02-06 20:38:58 | Weblog
「フィギュアスケートは、スポーツというより、芸術として捉えている」というのは町田樹(まちだたつき)さん。
「スケートは、辛いことばかりだが、良いときも悪いときもフィギュアスケートに向かい合い、諦めずにコツコツと努力を続けていれば、いつかいいことがあると信じられる。99%は辛いばかりだが、その先には1%の光がある。その1%の光にはすごく価値がある。」という言葉になにがしかの“確信”を感じる。

感性の農業

2014-02-05 21:14:41 | Weblog
『農家はみんなartistだ!』とサティシュ・クマールはいう。
彼のお母さんは、「神は時間をたっぷりつくって下さった。人間の手はなんでも紡ぎだすことが出来る、豊かさの象徴。こんな時間に満たされ、神から頂いた手があるのに、更に何を望むのか?」といったという。
そんな彼からみて農を営む者は、自然と共に歩むことで自然から大きな慈しみを全身で受け何でも創り出すことが出来る“artist”だということのようだ。
朝陽を浴びて輝く葉の先端の一粒の露や何とも寒い朝に地表を支えるかのように直下起つ霜柱、秋の落葉の見事なコントラストや春の若葉のはちきれそうなエネルギーを全身で感じる、それが豊かさであり、それらは所有するものではなく、それらは楽しむもの、仕事と遊びは表裏一体、全ての仕事はアート、仕事の中に楽しみや喜びを見出だし、そして自己表現として植物や動物を育てあげる。決して工場のように決まったことを決まった時間に行うという作業ではなく、たっぷり時間と愛情を注ぎ、その過程でやはり大切なのは“感性”(感じる力)なのではないか?という意味だと私なりに理解している。

チョコレート

2014-02-04 21:04:58 | Weblog
「カカオの産地はアフリカに多く、温暖化の影響で農地が減少しているようだが、カカオの穫れる地域は多い。
しかし、政治的な混乱が続き貧困層が多く、安い賃金で働かされ、穫れたカカオは先進国がかっさらっていく。
子供たちは奴隷のように働かされ、負の連鎖は続く。」と毎日新聞の紙面で野坂昭如は語る。
そんな中、『バレンタイン一揆』を日本の普通の女の子3人は企画した。
アフリカのガーナで出会ったたくさんの子供たちは、カカオ農園で働かされ学校にも通うことができない「児童労働」で、収穫したカカオの味はもとよりチョコの味も全く知らない。
そんな現実を突きつけられた彼女たちは『バレンタインデーに、フェアトレードでつくられた、ほんとうの愛のあるチョコレートを、日本のみんなに選んでほしい。』とそんな想いを胸に企画したのが『バレンタイン一揆』。

知足の農業

2014-02-03 20:58:12 | Weblog
農業が知足というよりも、自然と寄り添って歩くということは知足でなくてはならないのではないかと思うことが多々ある。
菜根譚(さいこんたん)
『 都来眼前事、知足者仙境、不知足者凡境。
 総出世上因、善用者生機、不善用者殺機。 』
無欲に徹して淡々と働き、その結果を無条件に全て受け入れることがこの世の理想郷であるが、
足るを知らず不満ばかりを述べていれば、この世は地獄のようなもの

感謝の農業

2014-02-02 21:23:38 | Weblog
「感謝の気持ちを表そう!」という会社がある。
毎朝朝礼で誰か一人が必ず「昨日あったことの中で『感謝の気持ち』を表す」ことを、その会社は日課にしていた。
「○○さんありがとう!昨日は仕事を手伝ってくれて。」
「○○さんに、お茶をいれてもらいました、ありがとう!」
「遅刻しそうになっていたら、お母さんが駅まで車で送ってくれました、感謝します。」等々
『そんなことが“感謝”なんですが?!』
もっと自分を伸ばしてくれる、
もっと自分に成長をアシストしてくれる、
もっと自分に厳しくしてくれる、
そういうことに何故感謝できないのか!とその会社の社長は残念がる。
“感謝”とは、他人に対して自分にしてもらったことに対して御礼の気持ちを持つこと。ということから考えると、どんなことに対しても“ありがたい”と思える素直な気持ちを持つことが大切で、感謝するということと自己に厳しくなるということは少し分けて考えた方が良さそうだ。
自然と共に歩む『農業』は、いろいろなことに対して“ありがたい”と思う必要がある。人間の持つ“力”なんかはたかがしれている、及ばない“力”に虚しさを覚えるのではなく及ぶ“力”に感謝することから始めたい。

祈りの農業

2014-02-01 23:26:45 | Weblog
「言霊」を信じる人がいる。
農業をやっていると自分の思い通りにならないことが多すぎる。
暑ければ暑いで文句をいい、寒ければ寒いで愚痴をいう。雨がない日々が続くと晴れの日を待ち、日照りが続くと雨乞いをする。
自然とはそんなもので、我々に何が出来るというものではなく、農業を行うときの心得として必要なことは、その天真爛漫な自然に身も心も委ね、変に欲ばらない覚悟を持つことのようだ。
農業とは、そうはいいながらも、ただ偶然うまくいくことや、不思議と思いが伝わることも多く、日々なんとか“風”を感じながら農業が出来ればそれだけで十分幸せになれるものなのだか。
そんな中、「かわいいね、ありがとう!美味しく育ってね!」と声をかけながら育てた野菜と「バカ野郎!おまえなんか嫌いだ!」といって育てた野菜(実際そんなことをいいながら栽培している人を見かけたことはないが)では、出来も味も違うという。「言霊」は人だけでなく植物にも伝わる、とその人はいう。
「言霊」の力は自分でも試してみないとわからないが、人間の限られた“力”ではどうしょうもない大自然と共に生きる(生かせていただく)のが農業だと考えると、やはり謙虚になって『祈る』(お願いというより、ただ祈る)ことがもっとも大切なことなのかもしれない。