農業をしていると、栽培技術もさることながら、販売をどうするかがどうしても大切になってくる。従来の農業は栽培のみで、あとは他人任せなことが多かった。しかし、これからは自らが販売するチカラを持つことが大事だと私達は考えている。
農産物は大抵がナマモノ、よって旬が必然的に決まってくる、時間が経つと劣化が始まる、劣化はそのものの価値の下落を意味し、何とか加工することでその価値を残したいと考える。しかし、その加工にはまたコストがかかる、周年作業が可能であれば設備を導入してとも考えうるが、農産物ゆえ、その設備が必要な時期は自ずと限定されるため、なかなかそうは上手くいかない。
加工方法や保存方法においてそれらの成分を変える事も可能だが、それによって価値を2倍や3倍にすることは難易度があり、どうしても加工や期間にコストがかかると考えると野菜等は“生(ナマ)”で販売するのが一番効率が良いということに落ち着く。
最近は、野菜だけではなく、果樹も同様の傾向にあるようだ。今年は、ミカンが豊作で出荷量が2割増になっているという。単純に豊作だと、《価格が暴落して手間がでない→手間が出ないと畑が荒れる→荒れだすと再生が難しくなる》という構図に陥りがちで、ミカン全体の消費量は1975年の半分以下になっており、ある地域では耕作面積も1/3になっているという。また消費量を本来支えるはずの果汁需要は一様に減退しているようで、今後その販売方法についても一考の必要がある。
農産物は大抵がナマモノ、よって旬が必然的に決まってくる、時間が経つと劣化が始まる、劣化はそのものの価値の下落を意味し、何とか加工することでその価値を残したいと考える。しかし、その加工にはまたコストがかかる、周年作業が可能であれば設備を導入してとも考えうるが、農産物ゆえ、その設備が必要な時期は自ずと限定されるため、なかなかそうは上手くいかない。
加工方法や保存方法においてそれらの成分を変える事も可能だが、それによって価値を2倍や3倍にすることは難易度があり、どうしても加工や期間にコストがかかると考えると野菜等は“生(ナマ)”で販売するのが一番効率が良いということに落ち着く。
最近は、野菜だけではなく、果樹も同様の傾向にあるようだ。今年は、ミカンが豊作で出荷量が2割増になっているという。単純に豊作だと、《価格が暴落して手間がでない→手間が出ないと畑が荒れる→荒れだすと再生が難しくなる》という構図に陥りがちで、ミカン全体の消費量は1975年の半分以下になっており、ある地域では耕作面積も1/3になっているという。また消費量を本来支えるはずの果汁需要は一様に減退しているようで、今後その販売方法についても一考の必要がある。