これ、最近流行りの「ひこにゃんフィギュア」です!
“国宝・彦根城築城400年祭”のイメージキャラクターで、猫ちゃんがモデルになってるのです。頭には、なんと井伊家由来の赤備えの兜をかぶっています。赤備えの兜とは、朱塗りの武具で特に武勇に秀でた武将が率いていた事が多く、後世に武勇の誉れの象徴として語り継がれているものです。
なぜ猫ちゃんがモデルになったのかというと、江戸時代に彦根藩第二代藩主・井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかった、丁度そのとき、この寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしてため寺に立ち寄り休憩した。すると雷雨が降りはじめ、雨に降られずにすんだことを喜んだ藩主・直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、豪徳寺は盛り返したといいます。 和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔ったそうです。後世に境内に招猫堂がたてられ、猫が片手をあげている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)がつくられるようになったのが招き猫の由来だそうです。ちなみに、この縁で豪徳寺は井伊家の菩提寺となり、桜田門外の変で暗殺されたあの井伊直弼の墓もこの豪徳寺にあるそうです。
“国宝・彦根城築城400年祭”のイメージキャラクターで、猫ちゃんがモデルになってるのです。頭には、なんと井伊家由来の赤備えの兜をかぶっています。赤備えの兜とは、朱塗りの武具で特に武勇に秀でた武将が率いていた事が多く、後世に武勇の誉れの象徴として語り継がれているものです。
なぜ猫ちゃんがモデルになったのかというと、江戸時代に彦根藩第二代藩主・井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかった、丁度そのとき、この寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしてため寺に立ち寄り休憩した。すると雷雨が降りはじめ、雨に降られずにすんだことを喜んだ藩主・直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、豪徳寺は盛り返したといいます。 和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔ったそうです。後世に境内に招猫堂がたてられ、猫が片手をあげている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)がつくられるようになったのが招き猫の由来だそうです。ちなみに、この縁で豪徳寺は井伊家の菩提寺となり、桜田門外の変で暗殺されたあの井伊直弼の墓もこの豪徳寺にあるそうです。