最近、老眼・・・になった。歳だからしょうがないといえばしょうがないが、元来近眼だった者が遠視になる過程で正常な状態には戻らないものなのかナァ・・・というと、老眼はただ単なる遠視になることではないようで、調整力が衰える(筋力の低下)ことによるものだそうだ。いつの間にか筋力も衰え、身体もガタガタに・・・なんともカナシ。
老眼は中国語では、花眼(ホアイェン)というらしい。花がよく見える眼になったという意味で、花は近くでみるものではなく、ひとつの全体像として遠目でみるほうが味があるという考え方にもとづくもののようだ。
人間は歳をとる(人間に限らず、この世で生のあるものは全てだと思うが)、その歳をとる過程で体力がなくなり、知力??も衰え、ときどき何故生きているのか考えたりもする。でも、それもこれも考え方ひとつ。少しずつゆっくり、少しずつ落ち着いて、決して眼や耳にのみ頼るのではなく、五感+六感、心の眼を大切にする中で本当の姿や、本当の音に触れる訓練をしよう。この姿が、悟りに繋がる、そんな気がする。
老眼は中国語では、花眼(ホアイェン)というらしい。花がよく見える眼になったという意味で、花は近くでみるものではなく、ひとつの全体像として遠目でみるほうが味があるという考え方にもとづくもののようだ。
人間は歳をとる(人間に限らず、この世で生のあるものは全てだと思うが)、その歳をとる過程で体力がなくなり、知力??も衰え、ときどき何故生きているのか考えたりもする。でも、それもこれも考え方ひとつ。少しずつゆっくり、少しずつ落ち着いて、決して眼や耳にのみ頼るのではなく、五感+六感、心の眼を大切にする中で本当の姿や、本当の音に触れる訓練をしよう。この姿が、悟りに繋がる、そんな気がする。