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映画「シェルブールの雨傘」 " Watch What Happens" ② タンバ 4、ヘンリー・マンシーニ、ウェス・モンゴメりー

 

 

「タンバ 4」のアルバム「SAMBA PRIM」(1969年から、映画「シェルブールの雨傘」(1964年)で劇中で使われた”Watch What Happens”です。

 タンバ 4(Tamba 4)はブラジルの4人組グループで、1963年に結成されたタンバ・トリオ(Tamba Trio)のピアニスト・作曲家・編曲家のルイス・エサ(Luiz Eca)、ベース・フルートのベベート(Bebeto)、ドラムはオリジナルのエルシオ・ミリート(Helcio Milito)からルーベンス・オアーナ(Rubens Ohana)に変わり、ギターにドゥルヴァル・フェレイラ(Duruval Fereira)が加わっています

 ソフトで温かなベベートのフルート、ルイス・エサの繊細でスウィングするピアノ、穏やかで美しいストリングス。涼し気で気持ちの良いボサノヴァ・ナンバーになっています。

 

 

 

 ヘンリー・マンシーニのアルバム「A Warm Shade of Ivory」(1969年)から”Watch What Happens”です。ゆったりとしたクロード・ソーンヒル楽団を思わせるオーケストラ、美しいコーラスとピアノ、数ある”Watch What Happens”のカヴァーの中でも原曲の良さを十二分に表現しています。

 

 

 

 米国のジャ・ズギタリスト、ウェス・モンゴメリー(Wes Montgomery)(1923~68年)のアルバム「A Day in the Life」(1967年)から”Watch What Happens”です。

 ウェス・モンゴメリーは1950年代半ばから1960年代初頭まで兄弟のバディー、モンクと演奏をし、モンゴメリー・ブラザースのグループ名でアルバム」をリリースしました。1959年にリヴァーサイド・レコードから「Wes Montgomery Trio」でソロデビュー、「オクターブ奏法」で一世を風靡しました。

 1967年にA&Mレコードに移籍 クリード・テイラーのプロデュースでイージーリスニング・ジャズと呼ばれるアルバム「A Day in the Life」をリリース。ジャズ・ファン以外にも親しまれ、ジャズのレコードとしては異例のベスト・セラーになりました。

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映画「シェルブールの雨傘」 " Watch What Happen " ① サウンド・トラック より

 

 映画「シェルブールの雨傘」より"Chez Dubourg, le joaillier"·で、”Watch What Happens”のメロディーが使われています。

 「シェルブールの雨傘(Les Parapluies De Cherbourg)」はジャック・ドゥミーが脚本・監督した1964年のフランス・西ドイツ合作の恋愛映画です。主演はカトリーヌ・ドヌーブ(Catherine Deneuve)、ニーノ・カステルヌーヴォー(Nino Castelunuovo)、音楽はミッシェル・ルグラン(Michel Legrand)で、第17回カンヌ映画祭でグランプリを受賞しました。

 映画のセリフ・会話を全て音楽、歌にした画期的な映画で、ミッシェル・ルグランの音楽が高く評価され、主題歌は世界中でヒットしました。カトリーヌ・ドヌーブの歌は、日本でも人気のあったダニエル・リカーリ(Danielle Licari)が、カトリーヌ・ドヌーブの母のエムリ夫人の歌ははミッシェル・ルグランの姉でスウィングル・シンガーズのメンバーだったクリスティアーヌ・ルグラン(Christiane legrand)が吹き替えをしました。

 劇中で使われた音楽に英語の歌詞が付けられ、”Watch What Happens”のタイトルでスタンダードナンバーになり、多くの演奏家、歌手がレパートリーにしました。映画のサウンドトラックでは”Chez Dubourg, le joaillier”と”Récit de Cassard”でこのメロディーが使われています。

 

 

 

 「シェルブールの雨傘」のサウンドト・ラックから”Récit de Cassard”です。”Watch What Happens”のメロディーが使われています。

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アントニオ・カルロス・ジョビン (62)「ワン・ノート・サンバ」 タンバ・トリオ、シルビア・テリス、ブロッサム・ディアリー

 

 タンバ・トリオ(Tamba Trio)のデビュー・アルバム「amba Trio/Same」(1963年)から、”ワンノート・サンバ(Samba de Uma Nota So”です。タンバ・トリオはピアニスト、作曲家 編曲家のルイス・エサ(Luiz Eca)、ベースとフルートのベベート(Bebeto)、ドラムのエリシオ・ミリート(Helcio Mirito)で結成されました。ブラジル初のボサノヴァ・ピアノ・トリオで最高峰と言って良く、コーラスとベベートのフルート、ルイスエサの高度なアレンジが素晴らしいです。

 

 

 

 シルビア・テリス(Sylvia Telles)のアルバム「The music of Mr,Jobim」(1965年)より”ワンノート・サンバ(Samba de Uma Nota So)”です。ブラジルで録音され、米国ではKAPPレコードからリリースされました。シルビア・テリスは英語のイントネーションが良く、全曲英語で歌っています。シルビア・テリスは1960年のアルバム「Amor Em Hi-Fi」でも”Samba de Uma Nota So”を録音しています。

 

 

 

 ブロッサム・ディアリー(Blossom Dearie)の”ワン・ノート・サンバ”です。英国のRonnie Scott’s Jazz Clubでのライブ「Blossom Time at Ronnie Scott's」(1966年)に続く、2枚目のライブ・アルバム「Sweet Blossum Dearie」(1967年)からです。

 

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1967年のポップス ㊽ ヤング・ラスカルズ「ガール・ライク・ユー」「ビューティフル・モーニング」(1968年)

 

 ヤング・ラスカルズ(Young Rascals)の”ガール・ライク・ユー(A Girl Like You)”です。ヤング・ラスカルズは1965年にフェリックス・キャバリエ(Felix Cavaliere)、ディノ・ダネり(Dino Danelli)、エディー・ブリガッティー(Eddie Brigati)、ジーン・コーニッシュGene Cornish)の4人で結成されました。黒人音楽をベースにしたブルー・アイド・ソウル・バンドで1965年11月にシングル”I Ain't Gonna Eat More”でデビュー、1966年2月にリリースした2枚目のシングル「グッド・ラヴィン(Good Lovin)」が全米1位のヒットになりました。

 1967年7月にリリースされた3枚目のアルバム「Groovin'」から黒人音楽だけでなく、アレンジに凝ったポップス・ロックへ音楽性を広げていきました。このアルバムからは"グルーヴィン"が全米1位、”高鳴る心(How Can Be Sure)”が全米4位にランクされました。

 ”ガール・ライク・ユー(A Girl Like You)”(日本ポリドールDat-1024)は、米国では"グルーヴィン"に次ぐシングルとして1967年7月にリリースされ、全米10位、カナダでは1位にランクされました。エディー・ブリガッティーとフェリックス・キャバリエの作品で、リード・ヴォーカルはフェリックス・キャバリエです。

 日本ではTBS「今週のベスト10」では10月8日に18位で初登場、1週だけランクされました。私はラスカルズの曲で一番好きで、イントロのピアノにホーンセクション、コーラスが加わり、2分すぎからの間奏に大胆にハープが使われるアリフ・マーディン(Arif Mardin)のアレンジの素晴らしさにはつくづく感心してしまいます。

 

 

 

 グループ名をヤング・ラスカルズからラスカルズ(Rascals)に変えて最初のシングル、”ビューティフル・モーニング(Beautiful Morning)”です。フェリックス・キャバリエとディノ・ダネリの作品です。米国では1968年3月にリリースされ、最高位3位にランクされました。1968年6月にリリースされたアルバム「Time Peace The Rascaks'Greatest Hits」に収録されています。

 TBS「今週のベスト10」では7月21日に20位で初登場、8月11日に最高位14位、8月25日に15位までランクされました。「洋楽ヒットチャート大事典」(八木誠著)では1968年年間チャートで85位に選ばれています。

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清越坊の女たち~当家主母⑦

 

 

   このシーンは最終回ラストのシーンになります。セリフはありません。歌が流れる1分弱のシーンです。

 ようやく難題から解放されてほっと一息。織機に向かう翠喜は幻を見ます。

 翠喜の前に魏良弓が現れて手を差し伸べます。優しく微笑む魏良弓に導かれるように立ち、抱き合い、手に手を取って楽しく舞います。しかしそれもつかの間、幻影の中を去って行く魏良弓

 美しい幻のシーンは1分弱で終わりますが、翠喜には最高の喜びを与えました。それまで良弓を想う余裕もなかったのですから。

 生前は抱き合うこともなく、手を握り、体を寄せ合い、肩にもたれかかるようなプラトニックな恋愛、幻の中の魏良弓は健やかで、久しぶりの再会でうれしさのあまり翠喜の胸の鼓動が聞こえてくるようでした。

 「あの人に会うため私はずっと走り続けている。あの人の肩にもたれ心の内を話したい。あの人は私の側にいる。私の命が尽きる時まで」

 とっても切ないシーンでした。最愛の人を亡くすとこんな感じで幻を見るのかしらと思ってしまうような

 魏良弓の切なく儚い幻は翠喜を新しい道へと誘いました。翠喜は緙絲(こくし)の技術伝承のために江南から広い世界へと向かうのでした。

 

 ナレーション

 清朝の中後期、江南におけるこくし、絹織物の発展に伴い、じょせいは織子や張り子として街に出た。女性は生産活動を通じ経済的地位を向上させた。そして家庭内外でも立場も強くなった。女性たちは支配され、売買される立場から抜け出せるようになった。

 

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