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韓国時代劇ドラマ 「商道」① (2001年~2002年MBC)

 
 朝鮮王朝の宮廷が舞台ではありませんが、22代目王「正祖(チョンジョ)イサン」(1776~1800年)から23代目王「純祖(スンジョ)」(1800~1834年)、24代目王「憲宗(ホンジョン)」(1834~1849年)、25代目王「哲宗(チョルジョン)」(1849~1863年)の4代に渡る王の時代が、「商道」の主人公「イム・サンオク」が生きた時代です。
 このドラマは朝鮮最高の富豪であるイム・サンオク(1779~1855年)の波乱万丈な一生を描いた物語です。
 身分制度が強固な朝鮮の社会で賤民から奴婢へ、さらには生まれつきの商才で豪商の一員として活躍し、商いの道を追求し卓越した商いのプロフェッショナルとして朝鮮一の富豪になり、朝鮮に利をもたらせた人として賤民出身の商人でありながら、宮廷から「従三品」の地位まで授かります。
 医術を扱った「ホジュン」を演出したイ・ビョンフン監督が、商いを扱い、次から次へ巻き起こる波乱万丈なドラマ作りが面白く、次回が気になって仕方ありませんでした。売り手と買い手のかけひきや、商売を邪魔をするあくどい人間、商権をめっぐての激しい争い、ライバル豪商の娘との切ない恋愛も素敵でした。
 1話目の子供時代から面白く、父に習った中国語を使って小遣いを稼ぐサンオクが印象的で、ドラマにひきこまれてしまいました。
 4大豪商の商権をめぐり、次から次へ災難や命の危機などが訪れ、ハラハラします。
 「純祖」の時代の1811年に起きたホン・ギョンネの乱にも、心ならずも関わってしまいます。もともと貧しい人の味方であるサンオクは、晩年私財をなげうって民のためにつくします。
 朝鮮では遥か古代から大陸との貿易が盛んでしたが、「商道」では重い荷物を背負い極寒にも負けず、長い道のりをかけて中国の燕京(北京)まで商いをするのが、描かれており、ただ一言「昔の人はすごいなあ」と思って見ていました。
 狡猾な中国商人との商いは大変で、ドラマのハイライトシーンかもしれません。
 イビョンフン監督の作品では、「チャングムの誓い」「ホジュン」に隠れて話題になりませんが、韓国ドラマを代表する心に残る名作です。
 
 採点10点満点中8.5点
 
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韓国時代劇 朝鮮王朝 「イサン 正祖大王」(2007年~2008年MBC)

 張嬉嬪(チャンヒビン)の子第20代王「景宗王」(キョンジョン)が在位4年で逝去した後、チャンヒビンの仇敵チェ氏(後の淑嬪)の子が第21代王「英祖」(ヨンジョ)(1724~1776)として即位します。英祖は朝鮮王朝歴代最も長生きし、在位期間も52年と最も長い王でした。
 英祖は母が宮女の下女で卑しい身分であったため、劣等感もあり、賢い王となるよう非常に努力した王でした。政局は小論派(景宗派)と老論派(英祖派)に分かれており、老論派を徴用しましたが常に党派争いはありました。
 英祖の子、「荘献世子」は第2王后「貞純」(ジョンスン)と老論派の陰謀により、謀反の罪で父英祖の怒りを買い、廃世子になり1762年に米びつの中で餓死してしまうという痛ましい出来事があります。この時代のドラマには「大王の道」(1998年MBC)があります。
 ドラマ「イサン正祖(チョンジョ)大王」は無念の死を遂げた荘献世子の子イサンが、第22代目王になりその治世までを描いたドラマです。
 イサンは10歳のときに、祖父の英祖王によって米びつに閉じ込められた餓死寸前の父を助けようと、父の蒔絵を祖父に渡します。しかし祖父は取り合ってくれず、父の最期を迎えることになります。父の死はイサンの生き方にも大きく影響します。
 英祖王は孫のイサンを世孫として認めますが、無理難題を押し付けて厳しく接します。その裏にはイサンを王世孫と認めない貞純王后と老論派の画策がまたしてもあり、イサンは一つ一つ無理難題を解決して行きます。今で言う広報にあたる図画署のソンヨンとの愛、固い友情で結ばれたテスの活躍、王族の陰謀、暗殺未遂と王になるまで波乱万丈な半生を送ります。
 英祖王の逝去後、イサンは第22代目王「正祖王」(チョンジョ)(1776~1800年)となり、晴れて父親の無念を晴らし、地位を回復します。老論派を牽制し、数々の改革、例えば「身分制度が強い朝鮮で優れた庶子を登用する」、「人民の声を直接聞き入れ政策に反映する」など、大幅な政治改革を行いました。
 重臣たちの反抗もあり、朝廷内部ではかなり不満も溜まっており、改革の先方を担うホングギョンとの行き違い、盟友を流刑にするしかない正祖、老論派との権力争いで王になっても心穏やかな日がありません。唯一やさしい王妃と側室のソンヨンがイサンの安らぎでした。遷都の計画もあり、予定地水原に着々と建設していきます。
 歴代王の中で、民衆の声も聞き、優れた政治経済改革をすすめた王「正祖」でしたが、1800年夏に突然倒れてしまい亡くなってしまいます。その原因は重臣による毒殺とも噂されましたが、近年学者の研究により胃の病気でなくなったとの説が有力になりました。
 この時代を背景としたドラマには、図画署と絵師キムホンドとシンユンボクを描いた「風の絵師」(2007年SBS)があります。
 
 
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ユリサンジャ 「新婦へ」

 
   この歌は1999年の3rdアルバムに収録されている大ヒット曲「新婦へ」です。これでユリサンジャは愛の歌や結婚を祝福する歌を歌う男性デュオグループになりました。
 それぞれソロ活動していた二人は1996年にユリサンジャを結成します。2001年の5thアルバムに収録された代表曲「愛してもいいですか」は、ドラマ「パリの恋人」でパクシニャンがキムジョンウンのためにピアノの弾き語りで歌った歌です。韓国ドラマファンには「愛してもいいですか」のほうがよかったのですが、二人が歌っている画像が見つからないので、「新婦へ」をUPしました。
 
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ユリサンジャ 「Gee」(少女時代) レアグルーヴ、スウィートソウル風アレンジ

  KBS「7080」は1990年代以降の歌手が出演するようになって、最近は「7090」から「70~2010」になってる感が強くなってきました。カンスジも1990年代の歌手だし、このユリサンジャも現役の人気男性デュオです。
 「7080」にもよく出演するユリサンジャ。左の人がパクスンファ、右の人がイセジュンです。美しくてソフトでかわいらしいハーモニーで、他の歌手やグループとの共演も多く、いろいろな歌手の声と相性がよく、気持ちのいいハーモニーを聴かせてくれます。
 ユリサンジャが凄いのは音楽性がとても高く、どんなジャンルもこなしユリサンジャ風にアレンジしてしまうところです。
 なかでも二人の即興は楽しくて、この画像は「ユヒョルのスケッチブック」(KBS音楽番組)からですが、少女時代のヒット曲「Gee」をユリサンジャがグルーヴィーなスウイートソウル風にアレンジしていて、素晴らしい出来栄えだと思います。客席からは笑い声が聞こえてきますが。
 他にはワンダーガールズの「テルミー」を「ユンドヒョンのラヴレター」で、バラエティー番組「スターゴールデンベル」ではス-パージュニアと「Sorry,Sorry Sorry」を少しですが一緒にハモっています。またイセジュンがM4(10年来の友人同志で結成された4人のプロジェクトグループ、「CAN」のペギソン、キムウオンジュン、チェジェフン、イセジュン)で忙しい時、パクスンファ一人でこの番組に出演し、ギターを片手にアイドルグループの歌の即興をしていました。
 雰囲気はソフトですがトークすると結構辛らつです。へたに媚びないのがまた良いところなのかもしれません。だってユリサンジャの音楽性を真似る人はいないと思いますので。
 
 
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カン・スジ 「紫色の香り」

 

   日本で活躍したことも知らず、韓国にカン・スジのようなアイドルがいることもまったく知らなかった私が始めて見たカン・スジは、ドラマ「青い鳥はいた」(KBS1997年)で女優さんだと思っていました。「7080」のおかげで生のカン・スジを見ることができ、その歌に感激し、CDを買い遅ればせながら、カン・スジファンになりました。
 映像で見ても今だにかわいらしく、1990年代デビュー当時のリボンや帽子、フリルのついたドレスを纏った正当派アイドル、カン・スジを見たかったなあと思います。
 カン・スジの魅力はアイドルとしての容姿もさることながら声の魅力です。やさしさ、はかなさ、可憐さがあり、強い女性の多い韓国の女性たちにはアンチファンもいたそうですが、男性には圧倒的な人気がありました。
 容姿、声、楽曲の良さと3拍子そろっていますね。ユンサンの曲と相性が良く、この「紫色の香り」も1990年のユンサンの曲です。
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韓国時代劇ドラマ 朝鮮王朝 「張ヒ嬪(チャンヒビン)」③

 

 

   キム・ヘスの重戦車ぶりが最大限に発揮された名作です。廃妃まで息もつかせないほど、圧倒的な緊迫感でドラマは進行します。廃妃後、朝廷や臣下の屋敷のシーンから巷のシーンが多くなってやっとほっとする感じでした。それもつかの間、また宮中、就善堂でじたばたするチャン・ヒビンが呪いの祈祷を始めると、緊張感が増し、最後の最後までヒビンらしいしぶとさを見せてくれました。

 ラストの景宗の即位シーンで、青空に浮かんだヒビンの満足そうな爽やかな笑顔が印象的でした。
 KBS時代劇は重厚感が特徴ですが、ともすると息苦しさも感じるような重苦しい雰囲気もあります。またそれが歴史を作った人物たちを生々しく描くことにもなり、大河ドラマとして面白く、史劇としても価値のある作品になっていると思います。
 
 「チャン・ヒビン」役を演じたキム・ヘスは、早口でチリチリ話すセリフ回しが独特でした。キム・ヘスの重量感が、誰も敵わない向う所敵なしという雰囲気で、王をたぶらかした稀代の悪女「チャンヒビン」の演技を成功させたのでしょう。
 
 「粛宗(スクチョン)」役のチョン・グァンリョル、「演技は目です」と言い切る最高の役者です。母との確執、良政を敷こうとする王の顔、ヒビンに誘惑されてしまう王、臣下を排除する恐い王、復位した王妃を慈しむ王、いろいろな演技を見せて見ごたえのある大型時代劇ドラマができました。
 
 「王の母、明聖大后」を演じたキム・ヨンエは猛母として、カリスマ性も感じられ、ドラマの前半を盛り上げました。キム・ヨンエでドラマが引き締まった感もあり、ヒビンがあのように恨を持つ悪女になった原因を作った烈母で、冷水を浴びるシーンは圧巻でした。
 
 「王妃」役を演じたパク・ソニョン、気高く美しくて徳もあり、感情移入して応援したくなりました。最初の実家のシーンからかわいらしく、廃妃になり病気でやつれても気高い美しさを見事に演じました。「王の女」の主演でもあり、「春の日は行く」「真実」から応援している素晴らしい女優です。
 
 「チェ淑媛(スグォン)」役のパク・イエジンも演技力のある女優です。一見無表情のようにも見えますが地味な内面の演技力は素晴らしく、「バリでの出来事」「君に出会ってから」「テジョヨン」「善徳女王」など様々な魅力を見せてくれます。
 
 「トンイ」(2010年MBC)ではイ・ビョンフン監督(チャングムの誓い)で、チェ淑媛の子供時代からヒビンの時代まで描いています。しかし私はキム・ヘス、チョ・グァンリョル、パク・ソニョン、パク・イエジン、キム・ヨンエ、チョン・ソンモの配役の「チャン・ヒビン」を見たばかり。
 ハン・ヒョジュ、チ・ジニ、キム・ユソク、イ・ソヨン、ペ・スビン、パク・ハソンの配役の「トンイ」がどうしても見ていられなくて、違うドラマだと思えばいいのでしょうが、「チャン・ヒビン」と比べるとあまりにも軽量級。とはいっても、イ・ビョンフン監督作品なので数年経てば見ることができるかもしれません。
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動物園(トンムルウォン) 「君を愛するよ」

 
 
  韓国のフォークグループ「動物園(トンムルウォン)は「コンサート7080」によく出演しています。動物園は1987年に結成され、25年にわたる音楽活動を続けています。
 UPした画像は当時のミュージックビデオから、1995年のヒット曲「君を愛するよ」です。この曲は韓国の結婚式に歌われる定番曲で、韓国音楽のスタンダードナンバーとして今でも人気があります。
 暖かな歌声とコーラスハーモニー、スティールギターを効果的に使った素晴らしいアレンジで、間奏のトランペットソロも曲にぴったりです。AOR・ウェストコーストロックを好きな人たちにも合うのではないでしょうか。  (Kann Drao)
 
 

 

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ホン・ソボム「火遊び」


 

 

  新規投稿 11月30日 
 

ホン・ソボムはKBSテレビ「コンサート7080」に毎年出演するおなじみの歌手でした。髪型とサングラス・ルックスが井上陽水に似ているので、勝手に韓国の井上陽水と呼んでいました。

 建国大学在学中、大学2年生の時にバンド「Oxon79」を結成しメンバーになりました。1980年TBC「若者の音楽祭」で「Oxon79」は「火遊び」で金賞を受賞。

 ホン・ソボムは1989年に32歳でソロ歌手になり、自作やのロックバラード「I Didn't Want Love for You」を発表しました。ソロ歌手としてデビュー後、CMソングや英国のポップ・ロック・バンドのカヴァー「Living Next Door tu Alice」などのヒット曲をリリースしました。    

 1994年KBSラジオ番組「ホン・ソボム」のDJとなり、ラジオのDJとして活躍しました。映画「珈琲」の主演俳優としてスクリーン・デビューもしました。彼は、その多才な娯楽性から、学際的なアーティストと呼ばれていました。

 

 

 

今年65歳のホン・ソボム。妻のチョ・ガプキョンと共にKBSテレビ「不朽の名曲」に出演して「I Didn't Want Love for You(나는 당신께 사랑을 원하지 않았어요)を衰えを微塵も感じさせない歌声を披露しました。

 この動画は2023年5月のMBCテレビ「アルムダウン・コンサート」からです。

 以前の記事

   KBSワールではドラマだけでなく、5年くらい前から音楽番組も観るようになりました。毎週観るようになったのは「コンサート7080」と「開かれた音楽会」です。
 「コンサート7080」は1970~80年代の音楽を中心にした番組で、KPOPやバラードやトロット(演歌)と違う、韓国の人たちに愛されている多くの歌手と曲を知りました。
 「7080」によく出演する歌手の一人がホン・ソボムです。大学生バンドの「オクスン80」のメンバーで、1980年代に「火遊び」「Living Next Door to Alice」などのヒット曲があり、その後ソロ歌手として活動します。「火遊び」は今でも人気があり、韓国歌謡のスタンダードナンバーになっています。
 「7080」での持ち歌は「火遊び」と、イギリスのポップス系ロックバンド「SMOKIE」の1977年のヒット曲「Living Next Door to Alice」,「I'll MeetYou at Midnight」と、アメリカのプログレッシヴハードロックバンド「KANSAS」の1977年のヒット曲「Dust In the Wind」です。
 「SMOKIE」は日本では知られていませんが、韓国では50万枚以上売れた初の洋楽アルバムとなるほどの人気だったそうです。
 UPした画像は1990年のテレビ番組からですが、ステージには火がたかれ、火花が飛び、ロック調の曲なのにバックの女性コーラスの人たちは韓服を着て小太鼓を叩いています。
 ホン・ソボムは今は井上陽水のような髪型にサングラスをしています。 
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韓国時代劇ドラマ 朝鮮王朝 「張禧嬪」②

 チャンヒビンの傍若無人ぶりはますますエスカレートしていきます。徳の高い王妃は我が子のように王子の誕生を祝福しますが、ヒビンに拒絶され王子を抱くことはできません。
 政局も要職には南人派が占め、側室のキム貴人の叔父は処刑されるなど西人派の処分が相次ぎ、歴史上に残る政争と粛清「己巳換局」(キサファシグク)が起きます。ヒビンの言葉が王命と言われるほど権力を持ち、王妃までも親族やキム貴人を助けてくれるようヒビンに頼みます。
 王妃は王子の産着を針子の下女に頼んでヒビンに届けさせますが、その産着に針が残っていて、それが原因で王子が熱を出します。ヒビンは下女を拷問にかけ、王妃の女官に責任を問いますが、王妃がすべて責任を負います。そのとき助けられた下女が後のチェ氏です。
 ヒビンは王妃の座を狙い王子の産着針の事件もあり、さらに陰謀を企み、廃妃に動きます。王も廃妃に賛成しますが、前代未聞のことで、南人派の大臣たちからも反対され、朝廷は大荒れになります。王は条件をつけて大臣の賛成を得て、人徳もありやさしくて美しい王妃は廃妃になり、実家へ戻ります。悲しんだ民らは実家の前で泣き崩れます。
 実家では王妃自ら「私は罪人」といい、母屋ではなく粗末な離れで過ごし、母と謹慎中の兄は本家へ戻します。食べるものもなく、病に伏せていく廃妃でした。
 ヒビンがとうとう新王妃の座につき、栄耀栄華を極めます。
 巷では廃妃の復位の動きが静かにおきます。流刑された西人派が書いた、王とヒビンの小説が出回り、張り紙騒動もあり、子供たちのわらべ歌としても、ダメ王として歌われていきます。民が動かした復位の動きでした。
 王妃に助けられた針子の下女チェ氏が廃妃の復位運動に大きく活躍します。王に小説を渡すことに成功します。チェ氏の廃妃を思う気持ちに王は感激し、二人は結ばれてチェ氏は承恩を受け、側室チェ淑媛(スグォン)になり、子も授かります。チャン王妃は激怒します。
 廃妃はろくな食事もとれず病気は悪化し、体は虫刺されで化膿し、かわいそうな状態になります。国の財政が窮乏しているにもかかわらず相変わらずの贅沢三昧、チェ淑媛に毒をもるなど悪行が発覚し、チャン王妃は幽閉され、チャンヒビンに降格されます。同じ頃チャン王妃の兄や南人派の悪事も発覚し、処分されてしまいます。病気の廃妃は復位し、宮中に戻ってきます。
 チャンヒビンは幽閉されている就善堂で、ご法度である「呪いの祈祷」を毎夜行います。復位した王妃は病気のため亡くなり、ヒビンが埋めていた呪いのしゃれこうべもみつかります。王は怒りますが、「燕山君」の件もあるので禍根を考え、ヒビンの子王世子のために賜薬(死薬)を躊躇しますが、臣下の膨大な上訴により、ヒビンは賜薬の刑になります。ヒビンは最後まで王世子を楯に抵抗し、無理やり戸板で押さえつけられて、薬を飲まされて亡くなります。この事件は辛巳獄事(シンサオクサ)と言われています。
 第19代王の粛宗(スクチョン)が亡くなって、ヒビンの子が第20代王「景宗(キョンジョン)」(1720~1724)に即位します。
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韓国時代劇ドラマ 朝鮮王朝 「張禧嬪(チャンヒビン)」(2002年KBS)

 クーデターで第16代王に即位した「仁祖」(インジョ)の時代は西人派の派閥政治でした。この時代は中国では明と後金の戦国時代で、朝鮮王朝は「親明、反後金」を鮮明にしたので、後金からの侵略が後を絶たず、外交に苦しみます。
 その後、後金が清になり、朝鮮は清の冊封国(名目的な君臣関係)になります。「仁祖王」の息子で清の人質になり、新しい思想で朝鮮に帰ってきた「昭顕世子」は、父「仁祖王」や西人派と仲が悪くて早くに亡くなります。王による毒殺という噂もあり、世継ぎには、「仁祖王」の弟が第17代王「孝宗」(ヒョジョン)として即位します。
 この頃のドラマとしては「イルジメ」「フュージョン時代劇快刀ホンギルドン」などを観ましたが、まだ朝鮮の歴史を知らなかった時なので、見ていてもあまりわけがわからなくてドラマだけを楽しんでいました。。
 
 「張禧嬪」の時代は第19代王「粛宗」(1674~1720年)(スクチョン)の時代で、「粛宗」の母は先代18代王「顕宗」(ヒョンジョン)の妃「明聖大后」で西人派です。「粛宗」とは血の繋がっていない祖母の第16代「仁祖王」の第2王妃、「荘烈大王大后」がいます。南人派です。西人派と南人派の争いがあります。
 「粛宗王」と母の「明聖大后」は仲が悪く、大后としては王を守りたい一心ですが、王と王妃が天然痘に感染し、王妃が亡くなったことを王に知らせなかったことで、回復した王は決定的に母を許せなくなりました。
 「粛宗王」は朝廷の謀反、派閥争いの中、飢える民を案じる良い王様として良政を敷きます。
 オクチョン(後のチャン・ヒビン)と王は、市中見回りのときに出会います。オクチュンは女官になった初日に再び王と宮中で出会い、その夜王と結ばれて承恩をうけます。
 同じ頃、2人目の王妃も宮中へ入宮します。王妃は容貌も心も美しく、非の打ち所のない女性なのですが、王はオクチョンの誘惑や、涙の演技に夢中になり、王妃は毎夜一人寂しく王を待つことになります。王妃は西人派、オクチョンは南人の推薦を受ける南人派で、今後両派は激しく争うことになります。
 王と結ばれたオクチョンは大后の猛反対にあい、宮中を追い出され、命を狙われ、流産をします。
 大后は王が天然痘に感染したため、祈祷をしますが、薄氷の張った冷水を300回あびて亡くなってしまいます。オクチョンの入宮を阻む人がいなくなって、「チャン淑媛(スグォン)」(側室の1番下の階級)として宮中入りをはたしますが、6年の歳月が流れていて、その間は王族の東平君に匿われていました。
 オクチョンのいない間、西人派の推すキム貴人が側室として入宮しますが、王は見向きもしません。
 王の寵愛を一人占めするチャン淑媛(スグォン)は王妃への反抗も露骨になり、朝廷の臣下を陥れ、王はチャン淑媛の進言で大臣を罷免させるとも噂されます。人徳のある王妃ですが、チャン淑媛の行いにはきびしい叱責をします。
 王妃の兄(ミンジヌ)は王の怒りを買い、罷免され、素行の悪いチャン淑媛の兄(ヒジェ)は王の前で一芝居を打ち、朝廷へ。
 チャン淑媛は階級があがり淑儀(スギ)になり王子を産みます。王は王子を第1王子として認め、チャン淑儀は「禧嬪(ヒビン)」(側室で1番上の階級)へ格上げされ、チャン禧嬪(ヒビン)になります。子供を産めない王妃は肩身がせまくなり、とうとうチャン・ヒビンが権力を手にし、後ろ盾である東平君、南人派が勢いづきます。
 西人派の長老が王子の称号の取り下げを願いますが、王は怒り、3代続く権政を誇っていた儒学者である長老を追放し、西人派の大臣たちも罷免します。
 チャンヒビンの王子誕生で政局が大きく変わっていきます。
 
 採点7点 (10点満点)
 
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