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中央集権と雑誌

2012-02-03 23:38:35 | Bibliomania
ビジュアル雑誌の明治・大正・昭和@国立国会図書館(開催中~3月2日、無料)
TVもインターネットもない時代、雑誌は貴重なメディアであった。単行本よりも早く、新聞よりもまとまって、たくさんの情報を定期的に伝えてくれる雑誌。特に、絵や写真といったビジュアル面で、雑誌は人びとの「見たい」という期待を一身に背負っていた。災害、戦争といった国をあげての一大事から、皇族や著名な俳優の顔、ファッション、子ども向け雑誌、美術、写真…明治・大正・昭和の雑誌には大衆文化とともに、人びとの心をとらえたビジュアル表現が華開いている。
また、「よりリアルなものが見たい」という要望に応え、印刷技術も進化した。絵から写真へ、白黒からカラーへ、より多く、より速く。現代ではもう使われなくなった技術もあれば、現代の技術につながる大発明もあった。雑誌を舞台として、ビジュアル表現のための印刷技術も試行錯誤が重ねられ、その誌面には印刷史の貴重な足跡が残されている。
本展示会は、国立国会図書館の蔵書の中から、ビジュアル表現が特徴的な雑誌を集め、大衆文化を縦糸に、印刷技術を横糸に構成したものである。




【1】ビジュアル雑誌を支えた印刷技術
●小口木版─従来の木版が木の幹に平行にタテ切りした面を用いるのに対し、ツゲや椿など堅い木を輪切りした面を版とし、ニードルなど鋭い道具で彫って制作する。凸版。



●平版(石版)─元来は石灰石を版に用い、リトグラフとも呼ばれる。脂質を含む材料で描画した版面を水で湿らせ、油性のインキをのせると、インキが水をはじくので、最初に描画した部分にインキが付くのを紙に転写。



●多色平版(石版)─使用する色の数だけ平版を用意し、重ね刷りする。色分解の技術が確立するまでカラー印刷の主流であった。



●コロタイプ─すりガラス板の上にゼラチンを塗り、ネガフィルムを密着・露光させて版面を変質させる。ゼラチンがインキをはじくことで印刷され、玻璃(はり)版とも呼ばれる。現在では美術品のレプリカ作成など特殊な用途にのみ用いられる。



●網目写真版─写真ネガを網目のスクリーンを通して亜鉛版や銅板に転写し、網点(ドット)に置き換える。刻まれた網点の大小でモノクロ写真を表現しようとする手法。



●三点版・原色版─カラー原稿をイエロー、マゼンタ、シアンの3色のみで表現する手法。この3色に黒を加えたものは原色版と呼ばれる。3または4色のフィルターを通して画像を色分解し、各色ごとの版を重ね刷りする。色分解の原理は今も使われている。



●グラビア印刷─凹版。網目のスクリーンを通して焼きつけるのは網目写真版と同じ。版のくぼみ部分にインキを刷り込み、余分なインキを落としてから紙にプレスする。ドットの大小で濃淡を表現する網目写真版と異なり、インキの量で表現する。



●オフセットとHBプロセス版─平版を、いったんブランケットに転写したうえで、紙面に印刷する方式。2回転するので、描画が反転されず、そのまま印刷される。HBプロセスはオフセットのカラー印刷を簡便にしたもので、色分解でできた湿版のすりガラスに直接、色のレタッチ(修正)を行う。



【2】ビジュアル雑誌の展開
●災害─風俗画報118号・臨時増刊「大海嘯(かいしょう)被害録・上巻」の口絵、明治29(1896)年7月、東陽堂



●グラフ誌─国際写真新聞1号の表紙、昭和8(1933)年2月、新聞聯合社



●戦争─日露戦争実記1編より東郷平八郎海軍中将の肖像と戦艦三笠の写真、明治37(1904)年2月、博文館



●ファッション─an・an創刊号の表紙、昭和45(1970)年3月、マガジンハウス



●子ども─コドモノクニ9巻5号の表紙、昭和5(1930)年5月、東京社



【3】あの人気雑誌の創刊号
モーターマガジン1巻1号、昭和30(1955)年8月、モーターマガジン社


shikiko 紫式子 村崎式子 こけしきこ しきこ
長野県、盆地によって文化が違うので出身地だけど全貌よくわからん 1-10-2012

魚食のイベントでも聞いたよ。峠を越えて、隣同士の漁村でも、慣習や宗教が違ったりする。「津々浦々」って言葉が、そもそもそんな感じなので、明治政府が短期間で強力な中央集権国家をつくり上げたことは、やはり凄いなと。
上に掲げたさまざまな雑誌の時期表示が「昭和5(1930)年5月」とかなってても、それは「5月号」ってことで、実際に発行されたのはもっと前で、遠隔地への郵便・交通事情にかんがみて、いくらか先の表示にしてるわけじゃん。
中央も地方も挙国一致で、富国強兵・経済発展を達成しよう─との国策に、民間の出版社も貢献していた一つの表れともいえるのでは。



国会図書館からの帰途、内堀通りの皇居側はジョガーがうざいので、反対側を歩いたら歩いたで、交差点の信号で何度も止められる。そうか、各方面からの道路も、皇居の前で終わりなので、皇居側の内堀通りは信号で止められないからジョガーが多いということもあるのか。
国会議事堂や最高裁判所や各官庁が建ち並ぶ霞が関~日比谷近辺にはあちこちに警官・白バイが配置。みな武道の心得があったりして、再就職や老後の保障も手厚く、たいへんな資本が投下されているのだろう。



日本の中枢、いわば「脳」を守るため。
「脳科学者」としてマスコミで売り出した養老や茂木が、ことごとく原発推進に協力していた事実は、挙国一致・中央集権における東京と地方の関係の内実をあらわにするかのよう。
中央政府の宣撫機関としてのマスコミ。新聞や雑誌。
日比谷から神保町へ移動し、独りで飲食するお伴に夕刊を買おうとすると、都営地下鉄のキオスクはいつからか、すべて午後2時過ぎで閉じてしまうことになっている。夕刊紙などにとっては、ちょっとした打撃なのでは。
ネットやケータイの普及によって、官僚制の要衝であったマスコミ界の既得権も浸食されつつあるけれども、いまだお上の言うこと、著名人の言行をよりどころとする者が大多数であり、そうした形での従順さや知識欲もわが国の強みになっているのだろう。
情報の流れが今よりずっと上からの一方通行だった頃に「脳とは畢竟、電話交換器のようなものに過ぎない」と喝破した、どえらい小説家もいたものだが。

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