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昭和博覧会③ 預金封鎖・財産税

2021-11-09 16:24:53 | 亡国クロニクル
すこし数字をあげてみたが、これくらいでは当時の深刻さを肌身にしみて感じるにはとても足りない。敗戦後すぐ、食糧難と同時に襲ってきたのは、とめどもないインフレーションだった。一般物価が戦前の65倍というけれども、この間の賃銀の値上りは28倍、とても追付かない。

昭和21年8月に厚生省が全国勤労者標準五人家族を対象に行なった調査で、ーケ月の平均実収504円40銭、支出は844円80銭、差引き赤字340円40銭、ひどいものだ。

追付かないうえに、もっと怖ろしい残酷なことが起っていた。〈預金封鎖〉──預金がおろせない。この預金封鎖もいまはほとんど忘れられ語られない戦後のーつだ。

それは突然やってきた。昭和21年2月17日の朝のことだ。終戦から半年後。 ぼくはその朝、新聞の朝刊を見た母親の驚きよう、あわてようをよく覚えている。我が家はなにしろ一家のかせぎ手の父親がシベリヤに抑留されたまま、いつ帰ってくるとも、いや生死のほどもわからない。何も収入がなく、小学生の子供二人をかかえて、たよりに出来るのは零細な貯金だけだが、居喰いとインフレの目減りだけでも気が気でないのに、お金が引き出せないと知って、母は本当に発狂したような顔をしていた。

前日のタ刻、銀行、郵便局の窓ロが閉った後、大蔵大臣渋沢敬三は、2月16日までに預け入れた預金、貯金、信託等は生活維持のために必要な金額、一家の世帯主300円、その他の人は一人100円までを毎月認める以外、当分の間自由な払出しは禁止となること、さらに現在通用している100円以上の紙幣は来月2日いっぱいですべて無効になる──と発表した。

一般の庶民にはまったくの寝耳に水、予防手段や防衛準備も、何も出来なかった。もちろんすぐ銀行に駆けつけても、とうにもならない。前出の統計でもわかるように、ひと月どうしても800円はかかるのだ。それなのに我が家は500円しか引き出せない。どうやって暮らしてゆけというのか。 ─(鴨下信一/誰も「戦後」を覚えていない/文春新書2005)


敗戦直後、渋谷駅前広場のヤミ市。上方のY字路が現在のSHIBUYA109前の道玄坂下(藤木TDC/東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く/実業之日本社2016)

敗戦によって財政運営は完全に行き詰まりました。昭和財政史の第11巻(政府債務)には、当時の政府内で、債務調整の検討がどのように進められていったのかが記録されています。大蔵省内では、①官業および国有財産払い下げ、②財産税等の徴収、③債務破棄(元本を返さない、債務不履行のことです)、④インフレーション、⑤国債の利率引き下げ、 以上五つの選択肢が上ったと『昭和財政史』には記録されています。そのなかで、GHQによる押しつけではなく、あくまでわが国の財政当局の判断として「取るものは取る、返すものは返す」という原則に象徴される対応が決定されていったのです。

具本的には、一度限り、いわば空前絶後の大規模課税として、動産、不動産、現預金などを対象に、高率の「財産税」(税率は25~90パーセント)が課税されました。これが「取るものは取る」です。それを主な原資に、内国債の可能な限りの償還が行われ、内国債の債務不履行そのものの事態は回避されました。これが「返すものは返す」です。民間銀行なども多く保有していた内国債を債務不履行とすれば、金融システムに大きな影響 が及び、民間銀行の倒産や社会的な混乱も抑えられなくなるため、財政当局は、「債務不履行」とは別の形で財政破綻する道を選んだものと思われます。

他方、戦時補償債務を切り捨てるため、国民に対して、政府の負っている債務と同額での「戦時補償特別税」の課税が断行されました。そして、これらの課税に先立ち、1946年2月、順番としては一番先に、預金封鎖および新円切り替えが行われたのです。 ─(河村小百合/中央銀行は持ちこたえられるか -忍び寄る「経済敗戦」の足音/集英社新書2016)


国債借入金残高の対国民所得比率等の推移(中央銀行は持ちこたえられるか)

1932年の株式市場は、11月からのリフレ政策開始を大歓迎した。株価は年末までの2カ月間で33.2%も上昇した。しかし、日銀が国債売りオぺを行っていることが株式市場関係者の間で知られるようになると、33年1~3月にかけて株価は一旦急落を見せた。そういった反応を高橋(是清大蔵大臣)と深井(英五日銀副総裁)は想定していたと思われる。彼らは過度に株式市場に迎合せずにリフレ政策を運用しようとしていた。 東洋経済新報33年2月21日号は、23人の経済学者、金融機関の経営者・エコノミスト、 ジャーナリスト、政治家の国債売りオぺに対する評価を掲載した。当時の空気が生々しく伝わってくるため、一部を紹介しよう。

立教大学教授の竹村豊太郎氏は、日銀を激しく批判した。「株式界では採算を無視した熱狂的大衆買によって大相場出現の慨があった。それが日銀の行動をきっかけにしてあの瓦落を超した。買方が日銀を怨むのも無理はない」「相場思惑をいつも不健全視するのが第一に間違いである」「景気は思惑から、である。その景気の芽を摘むには慎重な注意を要する」

中外商業新報経済部長の小汀利得氏も、「日銀は不当なる通貨調節の常習犯」「(今回の 売りオぺは)全財界に無用の波乱を惹起し、轟々たる世論の対象となるに至った」と述べ、 時事新報記者の西野喜輿作氏は、「刻下必要なるリインフレーションの進行を阻害する」と売りオぺを批判した。

京都帝大助教授の谷口吉彦氏は、「せっかく沸きたったところへ冷や水を浴びせかけて、 インフレ景気の出鼻を挫いてしまった日銀の出動は、株式界から見ればなるほど小づら憎いほどの処置であったに相違ない。またインフレ景気に随喜する産業資本の立場から見れば、まことに思慮なき仕わざである」と当時の空気を描写した。しかし谷口氏本人は過度のインフレを警戒していたので、この売りオぺは「最も機宜をえた処置」と評価した。ただし、先行きは悲観的な見方を示した。「国民はいま換物運動に夢中である。金から物へ、 債券から株券へと急ぎつつある国民に公債を売りつけるためには余程の安値でなければむづかしい」「国民一般の購買力は、仕事も増さず所得も増さずに、ただ物価だけ上がって行っては、所詮は行詰りに逢着するの外あるまい」

景気研究所長の勝田貞次氏は、「聞く処によると、日銀当局者は今回の公開市場政策をば、成功なりと称して得々たりとのことであるが、若し、そうであるとしたら何たる近視眼者であることよ」「インフレの本質は通貨数量の増加よりも通貨流通速力の増大、通貨不信の発生にある。インフレは長い長い潜伏期問を経た後に、俄然として大爆発するものであって、その爆発するや、日銀のオプ・オぺなんぞの手におへるものではない」と述べた。

ダイヤモンド主筆の安田興四郎は政策の枠組みへの疑問を呈した。「大インフレーション政策を実行しながら、低金利の永続を予想するは痴人の夢に類する」「歳出総額を大に削減しない限り、大インフレーション時代の到来は必死不可避の状勢である」。

以前はリフレ政策を強く主張していた高橋亀吉も、「財政上のインフレは通貨が支出された瞬間において、物価高、為替安の作用を発揮するもので、(日銀の売りオぺによって)回収される通貨はかかる作用が発揮された残骸に過ぎない」と危険性を語るようになった。 ─(加藤出/日銀、「出口」なし! 異次元緩和の次に来る危機/朝日新書2014)


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