湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

未来とは過去を乗り越えること

2010-09-20 18:27:48 | Weblog
今日からお彼岸です
姉達が来訪し、ひとしきり話し、帰りました
敬老の日だそうで、姉達は父にプレゼントを持ってきました
秋モノのポケットの沢山あるベストです
これからの季節に外に出る時は便利です
よく、高齢者が着て散歩をしています

私はポケットの多いベストは便利だと思います
財布や携帯電話、眼鏡ケース・・・等々、持ち物は多いのですが
バッグを持ち歩くのは嫌いなので
ポケットの多い上着が必要です

普通の背広のポケットに、いろいろと入れていますと着崩れます
バッグを持ち歩くのは趣味ではありません
いつも悩むのですが・・・よい方法はありません
そのくせ、持ち物は増えるばかりです
眼鏡の要らない生活に憧れますが
目は悪くなるばかりです

年齢を重ねるごとに、持ち物が増えていきます
捨てることの重要さを説く人も多いし
私もその考えに部分的には賛成です
人生の残り時間を考えながら生きていますと
どうせ読めない本や、見ない映画のビデオを処分してもいいわけです

人生の残り時間とは、単純にあと何年生きるかという問題ではありません
情熱がどこまで続くかという問題でもあります
体力、気力がどこまで続くかという問題でもあります
子供達の成長との兼ね合いもあります
子供が成長すれば、親としての時間は終わります
いつまでたっても親ですけれど
扶養義務者としての親の時間は終わります

家に残すモノ、持ち歩くモノ・・・
自分の人生の一部であったり、肉体の一部であるようなモノがあります
自分の仕事に関する書面や、自分が書いた文章・・・
そして、自分が強い影響を受けた書物などは人生の一部です
眼鏡やペンなどは肉体の一部だし、財布の中身は活力の一部です
自分を自分たらしめておくために、失うわけにはいかないモノがあります

時間は迫り来るし
体力気力は若い頃とは違います
子供達は成長し、新しい問題も起きますが
徐々に、親の手を離れていきます

身軽になりたいと思うことも多いです
処分しなければならないモノも多いと感じます
過去を振り返れば、寂寞感を感じないでもありません
多くの努力が実を結ばなかったような気もしないではないからです
しかし、私は当分、過去を捨てません
まだまだ、やらなければならないことがあるからです
私という人間は、私の過去が作ったのです

過去にこだわってはいけないと人は言います
確かに、こだわってはいけない過去もあるでしょう
しかし、私の場合、過去にこだわることで未来を切り開いてきました
過去を乗り越えることが未来であると
私はずっと考えてきました
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時速80キロ制限が作り出す高速道路事故

2010-09-19 13:25:45 | Weblog
先日、兵庫県警に出頭してきました
高速道路上における速度違反のためです
オービスに引っ掛かったのです

廊下で自分の番を待ちながら
それとなく、私と同じ立場の人達を見ます
どの人も、普通の庶民という感じの人達です
いわゆる犯罪者のような人相の人はいません
人の良さそうな初老の男性もいました

しかし、私も含めて
そこにいる人々は”犯罪者”なのです
正しくは”容疑者”かもしれません
罪名は”道路交通法違反”です
誰もが守らず、運の悪い者だけが罪をかぶる不思議な法律の違反者達です

関西人というか、西日本の人は穏やかな人が多く
警察関係者も例外ではありません
国家権力と闘っても勝ち目はありませんし
事実は事実と認めることが私の主義でもありますから
罰金を払い、免許停止の行政処分を受け入れることになるのでしょう

西日本の高速道路は時速80キロ制限のところが多く
速度違反の処罰を重いものにしています
速度超過事故が多いことを表向きの理由にしていますが
本当は、反則金収入が県警の利権になっているためでしょう

それにしても
新名神高速道路や伊勢湾岸道路までが
時速80キロ制限であることは狂気の沙汰というしかありません

確かに、スピードを出すことは危険なことです
しかし時速80キロで走っていても、危険が無いわけではないのです
高速で走ることが前提なのが高速道路です
莫大な予算を使って作った高速道路を、ゆっり走らせるなら
いっそ、作らなければ良かったのです

今回、2度ほど、事故渋滞に会いました
トラック2台に乗用車数台が巻き込まれた事故現場も見ました
警察は、こうした事故も無理やり、速度違反の事例にしてしまうかもしれません
しかし、実際は、速度制限がきつすぎることによって起きてしまう交通事故なのです

速度制限が80キロに抑えられますと、追い越しが困難になります
実際には、制限速度が最低速度となってしまうことが一般的です
合法的な追い越しが不可能となってしまいます

その結果
乗用車もトラックも、一緒に、かたまりながら走ることになり
ひとたび事故になれば、数台が巻き込まれる惨事となるのです

こうした事故が多いことは明らかです
その証拠に、東名高速道路の愛知県内には
トラックとトラックが乗用車をはさんだ衝突事故の絵が表示してあります

ただし
このブログが警察関係者の目に留まれば
あの看板は速やかに撤去されてしまうことでしょう
誰か、今のうちに、証拠写真を撮っておいて下さい


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祖父の思い・・・母の二十三回忌4

2010-09-18 19:45:40 | Weblog
母は8人姉妹の5人目です
3人の姉は、戦前戦中に地元の農家に嫁ぎました
戦後は、母のすぐ上の姉が婿を取って家を継ぎ
母は我家へ嫁ぎました

母までは皆、土地の旧家に嫁いだのです
すぐ上の姉のお婿さんも縁者で、旧家の地主の息子です
しかしその後、母の妹達は皆、サラリーマンに嫁ぎました
恋愛結婚は一人もいません
すべては、祖父が決めたということです

祖父には、旧家や地主の知り合いや縁者はいくらでもいました
そうした先の縁談なら、いくらでもあったはずです
それを避け、あえてサラリーマンに娘を嫁がせところに
祖父の思いがあったはずです

ここからは、私の想像です

祖父が娘の嫁ぎ先として、資産家を避けた理由はズバリ
共産主義革命を恐れたからです

共産主義革命が起きるかどうかは、祖父も確信は無かったでしょう
しかし、もしそうなった時に
資産家は非常に厳しい立場に立たされます
下手をすれば、命が無いかもしれません
そんな状況に娘を追い込みたくなかったのが祖父の心境だったはずです

戦後の共産主義思想の蔓延は激しく
実際に、祖父は財産のほとんどを農地解放によって失っています
その無念は、本人以外は想像もできないでしょう

努力を積み重ねて作り上げた財産を、ただ同然に奪われ
おまけに地主階級は悪者扱いです
それまで小作人として、自分にペコペコしていた連中が
急にデカイ態度で自分に対するのです

本人の努力や失敗に関係無く
占領軍の強制によって、そうされてしまったのです

私の記憶の中では、いつも、何かに耐えるようにしていた
祖父の表情のことが思い出されます
私にも、今では少しだけ、祖父の立場が分かるようになりました
言葉にできない無念とは、そういうことでしょう

祖父は立派だったと思います

元地主で、戦後の農地解放以後、精神に変調をきたしてしまった人は大勢います
理不尽極まりない扱いを受ければ
人は、正常な精神状態を保つことさえも困難になるものです
祖父は、あれほどの試練を受けても、感情を乱すことなく
いつも堂々としていて、優しかったです
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庶民のエピソード・・・母の二十三回忌3

2010-09-17 19:26:47 | Weblog
母や祖母に関する
私の知らないエピソードを聞くのは
うれしく、有難いことです

子供というものは
自分の親や祖父母の一面しか知らないものです
叔母から、聞いた話も
なんとなく、そういう話になったから、聞けたのであって
そうでなければ、一生、永遠に聞くことなく、終わってしまったのです

特別でない庶民の、時代の中の、ささやかなエピソード
それでも、卵が地主の家でさえ貴重なものであった時代を知らない現代人は
その意味すら正しくは理解できません

叔母の話では、食料を売るほど持っていた地主の家でさえ
一つの卵を二人で分けるというような食べ方をすることもあったそうです
それほど卵が貴重な時代に
育ち盛りの子供を抱えた祖母は
あえて無償で、妊婦にそれを与えたのでした

母の実家は寒川町ですが
終戦後は、鎌倉逗子方面からも
毎日数十人の人が、食料を求めて、朝から行列を作っていたようです
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祖母の人柄・・・母の二十三回忌2

2010-09-16 18:57:14 | Weblog
叔母との話の中で
私が、母から叱られたことがほとんどないと言うと
叔母も、私も母親(私の母方の祖母)から叱られたことがない
と、言っていました

私の母が子供を叱らないのは、祖母伝来のものだったのです

じっさいには、しかられたことはあったのかもしれません
しかし、私の記憶に残る母からは
大声を出して叱られたような記憶は一切ありません

私は今でも
世のお母さん達が、大声を出して子供を叱るのを見ると、心が痛みます
なぜ、子供をあんなふうに叱るのだろうと
たまらない気分になるのです

たしかに、私は母からも祖母からも、叱られた記憶がありません
しかし、母も祖母も、ただの優しい感じの人ではありませんでした
どこか厳しく、ある種の凛々しさがありました
そばに行って、べったり甘えたという記憶もありません

普段は厳しい顔をしていることも多かったのではないでしょうか
しかし、私を見て微笑む時など
本当に、吸い込まれてしまいそうな、優しさを感じました

終戦後の食糧難の時代
地主だった母の実家は、食料を求める人で行列ができたそうです

まだ子供だった叔母は

「今日は何人並んでるかな?」

というような、好奇心しかなかったそうです

ある日、その中に、お腹の大きな女の人がいました
祖母は、その人を見ると、家の中にしまってあった卵を持ってきて

「このところニワトリが、あまり産まないので、これしかないけどね」

と、言って
家で食べるための卵を彼女に与え
もちろん、お金は取らず

「今のあなたは大事な時だから、これを食べるのですよ」

と言い添えたそうです

叔母は、娘ながら
自分の母親は立派な人だと思ったそうです
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戦争中の少女・・・母の二十三回忌

2010-09-15 18:55:36 | Weblog
日曜日に、亡き母の二十三回忌をしました
食事の時に、隣にいた叔母から話を聞きました

第二次大戦の末期の昭和20年、もう空襲が激しくなった頃
叔母は肺病を患い、もう命はないと言われたそうです
その時、叔母は

「蜜柑が食べたい」

と、言ったそうです

母と、母のすぐ上の姉の二人は、妹の最後の望みを叶えるため
国府津まで、蜜柑を買いに出掛けました
母が17歳の時です

少し季節外れであったため
どの農家でも、蜜柑は無いと断られたそうです

それでも一軒一軒、根気良く探すと
母達が蜜柑を探している理由を聞いたある農家が
井戸に吊るして保存してあった蜜柑を分けてくれたそうです
母達は蜜柑が手に入るまでは
お弁当に持っていったおにぎりを食べることもできなったそうです

叔母は蜜柑を食べて少し元気になり
さらに、軍隊から一時帰宅した義兄(伯父)からペニシリンのある病院を紹介され
肺病から回復し、現在に至っているということです
叔母は今でも、姉達と義兄には感謝していると、話していました
いずれも、もう故人となっている人々です

この話は
私は、誰からも、一度も聞いたことがなく
今回はじめて聞く話でした
二十三回忌をして、よかったと思いました




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鬱な気分と自己嫌悪

2010-09-14 10:46:43 | Weblog
自分を攻撃したくなる気分が
私には強いです
いわゆる自己嫌悪というヤツです

自分の足りないところや失敗を
いつまでも、攻撃し続ける自分がいます

もっと自分を守り、適切な行動ができるように
日頃から、心掛けていればいいものを
ついつい短気なものですから
馬鹿なことを、言ったり、したりしてしまうのです

あとで後悔や反省をしても
文字通り、後の祭りです

今も気分が鬱なもんですから
このところ自分がしたことを、ウジウジ悩んでいます
気分が晴れることはありません
とりわけ、人を怒らしたり傷付けたのではないかと思われることは
いつまでも悩み続けます

私の性格が変わってしまったようです
私は今、人間関係を非常に大事にしていますから
ちょっとでも人間関係を傷付けたと思われる自分の言動には
自分で自分が許せなくなるのです

うっとうしい鬱な気分が、なかなか晴れません
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人の欠点は個性・・・幸福になるために4

2010-09-13 12:11:56 | Weblog
人に足りないところがあるのを
欠点とみるか、個性とみるかによって
その人との関係が決まります

欠点とみると、それを指摘し
場合によっては、それを修正しようとしてしまいます
しかし、個性とみるなら、それを受け入れるしかないのです

人との関係を上手くするためには
人の個性を人の欠点であると解釈しない方が無難です

その人の欠点を指摘したり、修正を迫ったりするのではなく
こちらから、相手の足りないところを埋めるような付き合いを基本とすべきです
それは仕事と同じです

仕事では、お客様の欠点を指摘したりしません
むしろ、お客様に足りないところがあるからこそ
商品やサービスを売り込む隙間があるのです
間の悪い人がいるから、眼鏡が売れるのです

自分の得意技を使い
さらには、各業者の、それぞれの得意技を集め
お金を出すから助けてくださいという人に、商品やサービスを提供する・・・
突き詰めれば、それが仕事というものです

人を愛する行為も、突き詰めれば
相手の足りないところを埋め合わせる自分があるかどうか・・・なのです
それが人を愛す出発点です

男性と女性が互いに惹かれあうのも
まさに、これが理由です
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仕事を通じて、人を愛する能力を磨く・・・幸福になるために3

2010-09-12 11:45:06 | Weblog
人を好きになるためには
人を好きなる能力を磨く必要があります
その能力は、仕事を通じて磨くのが一番かもしれません

仕事とは人助けです
人助けが商売になるということは
人は自分一人では生きられないということを意味します
人は助け合って生きていくしかないのです

助け合いというと
何か商売と正反対のことのようにも思えます
ボランティアのような
無償の努力こそが、助け合いの精神のごとく思われていたりします

しかし、私に言わせれば、それは違うのです
この世に、お金が流通し、そのお金を得るために人々が働いているのは
助け合う項目があまりにも多くなり
お互いに、極めて複雑な助け合い構造の中にいますから
しかたなく、金銭で清算しがら
複雑な助け合いシステムを維持しているのです

ボランティアが存在するのは
金銭で清算するシステムの枠に、うまく当てはまらない事象があるからです

たとえば、災害時の復旧など
ほとんど全財産を失ってしまった人を助ける場合
商業社会の金銭清算システムでは不可能です
そこで、ボランティアの出番があるのです

通常は、金銭による清算が可能であるため
私達は、仕事を通じて、社会の助け合いシステムの一役を担い
労働の対価としての、金銭を受け取っているのです

労働とは”人助け”のことなのです
人は、足りないところがあるから”人助け”が必要です
そこに”労働”の成立する余地もあるということです

人に足りないところがあるのは、けして欠点と見るべきではありません
個性であり、社会の中の、その人の在り方なのです
そこを愛することが、人を愛するということなのです

労働とは
なんと”愛”に近い行為でしょう
労働を通じて人を愛する能力を磨いてほしいという
私の思いは、そのような理由によるものです
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人を好きになる能力を訓練する・・・幸福になるために2

2010-09-11 18:23:40 | Weblog
幸福になるためには、人は好きな仕事にめぐり合うことが必要です

仕事は、努力し続けないと上手くいきません
嫌いな仕事をしていると、これが苦痛になり、途中で投げ出したくなります
ところが、人は好きな仕事にめぐり合うと、努力が苦にならなくなるのです

好きな仕事をしていると
人は、頑張りや創意工夫が楽しくなり
お客様には喜ばれ、取引先や社内の人からは感謝され
収入や地位も安定し、また上昇するのです

好きな仕事にめぐり合うためには
自分の好きなことの周りを見回してみることです
そこには、意外な場所に、仕事が存在していたりします
それを、まず、やってみることをすすめます

好きな仕事にめぐり合い、一生懸命働く過程で、人は人を好きになります

仕事というものは、結局のところ”人助け”なのです
直接お客様にモノやサービスを提供することだけはでなく
社内での業務も、突き詰めれば”人助け”なのです

仕事は”人助け”なのですから
仕事が上手くいくということは”人助け”が上手くいくことなのです
その過程で、感謝したり感謝されたり・・・ということが起こりますから
いつの間にか人を好きになるのです

人を好きになるためには
人を好きになるための能力が必要です

人が”持っているもの”を好きになることは簡単です
容貌であったり、お金であったり・・・いろいろですが
それはけして、人を好きになることではないのです

人を好きになるためには
仕事のスキルアップと同じことで、訓練が必要なのです
人を理解し、人の扱いをおぼえ
しかも、それを創造的に発展させる能力を訓練する必要があるのです

仲間を作り、あるいは恋人を作り
その関係が上手くいき、幸福な日々を過せるようになるためには
人と人の関係について学び続け
何よりも、人を好きになる能力を磨き続けることが必要なのです
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