湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

祖父の思い・・・母の二十三回忌4

2010-09-18 19:45:40 | Weblog
母は8人姉妹の5人目です
3人の姉は、戦前戦中に地元の農家に嫁ぎました
戦後は、母のすぐ上の姉が婿を取って家を継ぎ
母は我家へ嫁ぎました

母までは皆、土地の旧家に嫁いだのです
すぐ上の姉のお婿さんも縁者で、旧家の地主の息子です
しかしその後、母の妹達は皆、サラリーマンに嫁ぎました
恋愛結婚は一人もいません
すべては、祖父が決めたということです

祖父には、旧家や地主の知り合いや縁者はいくらでもいました
そうした先の縁談なら、いくらでもあったはずです
それを避け、あえてサラリーマンに娘を嫁がせところに
祖父の思いがあったはずです

ここからは、私の想像です

祖父が娘の嫁ぎ先として、資産家を避けた理由はズバリ
共産主義革命を恐れたからです

共産主義革命が起きるかどうかは、祖父も確信は無かったでしょう
しかし、もしそうなった時に
資産家は非常に厳しい立場に立たされます
下手をすれば、命が無いかもしれません
そんな状況に娘を追い込みたくなかったのが祖父の心境だったはずです

戦後の共産主義思想の蔓延は激しく
実際に、祖父は財産のほとんどを農地解放によって失っています
その無念は、本人以外は想像もできないでしょう

努力を積み重ねて作り上げた財産を、ただ同然に奪われ
おまけに地主階級は悪者扱いです
それまで小作人として、自分にペコペコしていた連中が
急にデカイ態度で自分に対するのです

本人の努力や失敗に関係無く
占領軍の強制によって、そうされてしまったのです

私の記憶の中では、いつも、何かに耐えるようにしていた
祖父の表情のことが思い出されます
私にも、今では少しだけ、祖父の立場が分かるようになりました
言葉にできない無念とは、そういうことでしょう

祖父は立派だったと思います

元地主で、戦後の農地解放以後、精神に変調をきたしてしまった人は大勢います
理不尽極まりない扱いを受ければ
人は、正常な精神状態を保つことさえも困難になるものです
祖父は、あれほどの試練を受けても、感情を乱すことなく
いつも堂々としていて、優しかったです
コメント
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