無意識日記
宇多田光 word:i_
 



今日は『One Last Kiss』リリース2周年記念日。曲自体の素晴らしさは最早言うまでも無く、それは勿論今後もどんどん声に出して文字にして絶賛していくとして、今回はこの曲が外側に、ヒカルの活動に与えた影響みたいなもんの話を。


この年末年始『First Love』のリバイバル・ヒットの勢いが凄まじいけれど、こんな24年も前の曲を引っ張り出してきても昔の人扱いされないのはひとえにこの『One Last Kiss』が2021年という最近に特大ヒットを記録したからだ(『君に夢中』も大きかったね)。1億って数字を持ち出せるのはデカい。この宇多田ヒカルのバリバリの現役感が、『First Love』のリバイバル・ヒットにネガティブな印象を与えず、故に『First Love - Live 2023』のアレンジとサウンドもああいったアトモスフェリックでリラックスしたものにすることが出来た。落ち目の人が昔の栄光に縋ったとか、そんな論評を全く見ないから、ニューバージョンで力む必要が全くなかったのだ。

つまり、『One Last Kiss』が大ヒットしたことでレコード会社も堂々と『First Love』関連のマテリアルをリリース出来たのだし、更に新しいトラックの編曲面にまでも影響を及ぼしている。プロモでも創作面でも『One Last Kiss』は存在感抜群なのだ。

創作面でいえば、この『One Last Kiss』がアルバム『BADモード』の方向性に大きな影響を与えたかもしれない、という話をあんまりしてこなかったな。この曲が完成された後、アルバム制作過程の後半で『BADモード』や『Find Love』、そして『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』といったダンサブルな楽曲が次々と生み出されていったのは偶々(たまたま)ではあるまい。売上(or再生回数)もそうだが、ヒカル自身、クリエイターとして『One Last Kiss』の出来栄えに自信が持てたのは大きかったのではないか。あの、映画のエンディングでイントロが流れ出した瞬間の「勝ったな」「あぁ」感はもう圧倒的だったよね。One Last Kiss rules ! でしたよさ。つい先日からちょうどルーブル美術館展が始まったとこだし行って「なんてことあったわ!」とかって言ってみたい気分だよね。…よくわかんないね(笑)。


で。故にそのあとも、アルバム全体として、『EXODUS』由来のエレクトロ・ポップ・センスと正統派なダンス・ビートをバンド・サウンドの中で仕上げていくという方向性で推し進める事が出来たのだ。宇多田ヒカルが凄いのは、そうやって出来た『BADモード』や『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』といった楽曲が明らかに『One Last Kiss』から先に進んだ境地にあったという点。アラフォー?デビュー四半世紀?だから何?くらいのテンションでデビュー当時の若い頃と変わらず音楽家としての自分を成長させていく。ほんとアンタの細胞分裂どうなってんの?

『One Last Kiss』はA.G.クックと、『BADモード』や『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』はフローティング・ポインツとのコラボレーションだった。たとえ相手が変わってもイチからまたやり直しとかではなく、コラボテクニックの学びをすぐさま次に活かしたであろうことはサウンドに漲る自信から理屈でなく如実に伝わってくる。アクシデントで入れられた『One Last Kiss』のベース・ラインが生々しくエレクトロ・サウンドとゆうごうしていく様を見て、『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』でのブリリアントなベースラインの大胆な導入がなされていったとみるのは不自然ではあるまい。偶然が確信に変わっていった過程がアルバム『BADモード』には封じ込まれているのだ。

故に逆に、今の視点から『One Last Kiss』を聴くと、一期一会の初々しさや清々しさを強く感じる。『BADモード』の親しみやすくも頼もしい歌詞や、『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』の大胆不敵さ(12分近くもあるんだもの!)とは違う、未来への不安のようなものがサウンド全体を覆っていて、ダンサブルビートが洗練された焦燥感と綯い交ぜになって眼前にリアルに迫ってくるように感じられる。たった2年前の曲なのに、ヒカルのその後の成長進化が凄まじい為、少し青臭くすら感じるほどだ。そしそれが、エヴァンゲリオンの世界観と凄まじい調和をみせている。そう、この時代は確かに終わったのだ。宇多田ヒカルは、そして庵野秀明やその仲間達も、次の段階に進んでいる。その大きな一歩とは、この四半世紀以上にわたる終わらないシリーズを終わらせる事だった。そこからの新たな一歩、新しい始まりもまた次のチャプターへの序章に過ぎない。たかが2年、されど2年だ。宇多田ヒカルの成長と進化は恐ろしい。が、しかし、ついていかなきゃと焦る必要は全くない。なぜなら、ヒカルの進化の行く先は、皆が「同じく感じること」を表現することなのだから。進めば進むほど、私たちリスナーとファンの気持ちにどんどん近づいて同じになっていく。同化していくのだ。全くどうかしてるぜ。(お馴染みのダジャレ)

だから『One Last Kiss』も、ライブ・コンサートで歌われるタイミングは考え抜かれたものになるかなと思われる。あの頃の刹那をどう捉えて「再生」させるか。今後の『One Last Kiss』への興味はそこに集中していくだろう。勿論、わたしたちオーディエンスは狂喜乱舞するわよね。その日が来るのが楽しみで仕方がないですな。

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おおぅ、朝からヒカルの連投か。いや、今パリやロンドンやマルセイユにいるなら朝じゃない、か。まずインスタ投稿が夜中の2時前、そしてそれをフォローするツイッター投稿が朝の7時ね。日本時間で。どういう使い分けなのかイマイチわからないが、インスタ投稿が日本語だったのに午前2時じゃ気づかれないかもと思い直して改めて朝の7時に、ってところかな。地球規模アーティストはファンサービスも時差を考慮しなくちゃだから大変ねぇ。慣れたものかもしれないけど、有難いぜ。

https://twilog.org/utadahikaru/date-230309/asc

内容は昨日タイムラインを騒然とさせたパリコレ参加の話。PFWって「パリ・ファッション・ウィーク」の略か。“パリコレ”は和製英語で向こうではこう言うのね。

千登勢さんってのはsacaiのブランド設立者の阿部千登勢さんのことね。並んで写ってる方はSara Sjölundさんで(サラ・シェールンドって読むのかな?)、あらあら、彼女のインスタでは「My darlig bestie/最愛の親友」って呼ばれてるわね。よし!百合認定だ!(身勝手)
https://www.instagram.com/p/Cpiu7YGowVU/

ふむ、パリ訪問を満喫しているようで何よりですじゃ。写真を撮られる状況によって表情が変わることを後から確認してるってことは、その場では意識して変えたりはしてないのかな。となると今後ヒカルの写真を見る度に「嗚呼この時の撮影者との相性は」って考えちゃうじゃないか。そして、次からは撮影依頼者はヒカルさんのリラックスした表情を撮るために仲のいい人とのコラボレーションを模索するんだ! 椎名林檎とか深田恭子とか、いるじゃん? sacaiとのコラボだからって酒井敏也を連れて来たらヒカルも和むんじゃなかろうか…あ、いや、その昔「笑っていいとも」の「テレホン・ショッキング」のコーナーで繋がった事があってね…そういやあんとき田中美里のこと呼び捨てにしてたっけ? ヒカルパイセンが呼び捨てにする相手は親近感がありそうで羨ましい…って懐かしい話だな。

ということで、今後は交友関係も睨みつつヒカルさんの近影を楽しんでいきたいでありますなっ!

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最近は毎日、Netflixでドラマ「最愛」が観れるようになってるよ、「First Love 初恋」だけじゃないよと共和国アカウントでアピールしてるのだけど、はてさて皆さんもう「最愛」は観られたかしらん? 今回ドラマの内容に触れるけど大丈夫かな?


てことで『Rule(君に夢中)』の歌詞の話を少しばかり。最愛と絡めながら。

英語で歌われている部分に次の歌詞がある。

『The constant texting we do (with you)
 is making me look really rude
 So won't you come and make it stop?
 Oh baby, baby』

あとここね。

『Hop on a Citi Bike And come to my Avenue』

前にここの箇所は、『Citi Bike』と『Avenue』が頭文字大文字で固有名詞扱いだから「ニューヨークのレンタサイクル屋さん」と「(私の生まれ育った街の)通り」なんだと解釈するのが妥当かなという話をした。が、当然というべきかヒカルさんはそういう「自分の歌う歌」としての『Rule(君に夢中)』の歌詞を、「ドラマ最愛の主題歌」としての歌詞としても読み取れるように設えてある。もういつものことなのでいちいち驚かないけどいやアンタ毎度凄いねダブルミーニングの技術!

その為にその前段の、最初に引用した一節をグーグル先生に訳してもらおう。

「あなたとの絶え間ないテキストメッセージは、私を本当に無礼に見せています.
 じゃあ止めに来ない?」

rudeを「無礼」と訳すのはどうなんだ?という問題は次回以降に持ち越すとして、鍵は『constant』=「絶え間ない」だ。これ、ヒカルの歌としては別に要らないんだよね。「メールの遣り取りなんかやめて会いに来てよ!」ってだけだから。不定期でもなんでも関係ない。寧ろコンスタントなら無礼じゃないじゃないかって話まである。

なのにココにこの『constant』があるのは、ドラマの内容に合わせる為だろうっのが私の見立てだ。序盤で梨央が弟の優と月に1回のメールの遣り取りのみで関係性を保っていたという設定があったではないですか。この『constant』はその月1定期メールのことを指していて、そこで梨央が「もうメールの遣り取りじゃヤだ! 会いたい!」ということで遂に会えるようになったわけだ(大分端折った)。つまり、「会いに来てよ、そしてこの月1メールも終わらせよう?」っていう梨央の台詞なんだなここは。

で、その優が情報屋として自転車を乗り回してたでしょ。それを『Citi Bike』って言ってるんでしょうね。文字として読んでるから固有名詞扱いってわかるけど、音だけだと「city bike」、街乗りの自転車でしかないからね。なので梨央としては優に「自転車に乗って会いに来てよ!」と言いたかった─というのが『Hop on a Citi Bike And come to my Avenue』の部分のドラマの主題歌としての読み解き方になるだろう。


そもそもこの英語の歌詞って多分日本語の歌詞の為の叩き台みたいなものだったろうから、ドラマの内容を含んでいても差し支えなかったんだろうな。だけど今こうやってNetflixで配信されることで海外でも視聴可能になって、『Rule(君に夢中)』がドラマ「最愛」の主題歌としても広まっていったりしたら新しい局面に成り得るかもね。ちょいとワクワクしますな。

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今日は「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」公開2周年記念日、てことは明日が『One Last Kiss』リリース2周年記念日で、更に明後日は泣く子も黙って聴き入る名作アルバム『First Love』発売24周年記念日だ。なるほど、この季節になると気持ちがそわそわしてしまうのも春の陽気の先触れが感じられてきたからだけでもないのだなと。

別にパリコレは宇多田ヒカルの意向に基づいて開催されてるのではないのだから(当たり前だ/未来はわからんが)、元々のコラボ相手であるsacaiからのお誘いに乗って行ってきただけなら何の勘繰りも入れる必要はないのだけれど、流石にこれだけ『First Love』がリバイバル・ヒットする中で公式がアルバム発売記念日を素通りするとも思えず、これは明後日に向けていい露出になったかなと思えはする。日程的には偶然なのだろうが偶然を味方につけるかどうかが違いを生むものでね。『私は運がいい』と断言するヒカルさんなら尚更というかならではというか。

とはいっても、明日なんらかの新規発表をするにはやや時期尚早な気もする。まだこちらはのんびり『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』を堪能中だし、トレーナープレゼントの当選者発表もあったばかり。もう少し『40代はいろいろ♫』の余韻に浸らせて欲しいところ。

となると明後日何が告知されるかといえば『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』の「360 Reality Audio Version」のリリースに関する情報辺りが妥当かなぁ。技術的な問題なのかプロモ的な問題なのかはわからないけれど、こうやってステレオ版と日をずらしてリリースしてくれるのだからそれに応じた宣伝をする筈で。iOSユーザーとしては360RA版だけでなくドルビーアトモス版も欲しい…って毎度言ってるねこれね。

とはいえ、『First Love』発売記念日なんだからそれに合わせたステートメントも欲しいわね。だったら新しいアウトプットというよりは記録達成のアナウンスとかの方がいいような気もする。丁度先日ストリーミングでゴールド認定(5000万回再生)を受けた所だし、通算記録でなんかないかなぁ……? 全世界通算で991万枚出荷してて、その後15周年記念盤がリリースされて…それらが世界中で積もり積もっていつのまにか1000万枚突破してたりしませんかね!? いやまぁ、もう日本以外の地域ではCD買う層は限られてるだろうし無理かぁ…。

そういやアナログ盤の売上・出荷枚数って上記記録に加算されてないのだろうか? 『First Love』って今回(去年ね)万単位でアナログレコード売ったんじゃないんかな? まぁそれでもCDとの合算で1000万枚出荷には届かないか。

うーん、どうにもそういうアナウンスは難しいかね。こちらとしては過去どうだったというのも勿論気にはなるけどやっぱりこれからの予定が入ってくれた方が嬉しいから、明後日にそういう告知があったらいいな。

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「ミラクルひかるの現代ヒカル評」の回でヒカルのことを「昔より湿度が落ちた」と書いた。途切れなく追い掛けてる人は慣れてて余り意識してないけれど、確かにここは昔とかなり変わっている点かと思う。

湿度というのは、情感とか情念とか?もっといえば言葉や息遣いの粘度の感触かな、周りの人間や、ファンやリスナーとの精神的な繋がりが如何にも情緒的で、故に不安定さもいつもあって、お互いがねちっこく繋がり合って支え合ってるような状況だった、ような。そんな感覚。

それが、パイセンと呼ばれ始めた…というかオフィシャルがそう呼び始めたのだけども、その頃からファンに対しての距離の取り方が安定してきているように思う。それは、人生の先輩として教え諭すポジションになれた事で、本来持っている洞察の鋭さや深さを遺憾なく衒い無く発揮し表現できるようになったという事だろう。

安直に言えば、どんなに優れた助言でも15歳の小娘に言われたらなぁとどこかで思われてしまっていたんじゃないかと。それが無くなったお陰で今「おさまるべき所におさまりつつある」のかなと。ヒカルさんが無理しなくてよくなったというか、ややこしい気遣いなしに自分らしく振る舞えるようになったというか。

その為、昔よりシンプルに「自分に出来ること」に集中して事を為してるなと。昔なら、それこそ『気分じゃないの(Not In The Mood)』で「今夜シェルターに泊まる金が無い」という人に会った状況なら「まぁお気の毒に! 外は寒いよ?暖かいスープでも飲む?」(日本語で書いたけどイメージとしては英語で言ってる)と気遣いや優しさ全開で寄り添いに来てたんじゃないかと思うけど、今は大人になったというか、スッとお札を出して「自分に今できることはこれくらい」というスタンスをしっかりと保っている。でも、人としての優しさは隠せない。何しろこれ実話だからね。

こういうのも「大人になった」と言っていいのかな。希望や願望や展望や理想を語る事が多かった(「皆がこんな風になれば世の中きっとよくなる」的なヤツ)のが、もっと落ち着いた発言に寄っているような。

とはいっても、その性質や方向性が変わっているかというとそんなことはなくってね。最近作のタイトルトラックのサビが『わかんないけど君のこと絶対守りたい』なんだからね。ヒカルはずっとこういう人だ。ただ、これは欲望や希望や願望というよりは、「そうする」ことの決意表明であって、地に足がついてるなと。昔との説得力の差はそういったニュアンスが効いてる。


だから、ミラクルひかるさんは、

「やっぱり宇多田ファンって、ちょっと病みやすい人が多い気がするんです。きっとファン同士でも病みあっていたい、みたいな。だからこそ、本人にも過剰に期待しちゃう。」
https://www.cyzo.com/2023/02/post_335901_entry_3.html

って言ってたんだけど、もうそこに留まらないように思えるのよ。勿論病んだファンも今まで通りがっつりハートを掴まれ続けるとして、もっとそうでもない、特に悩んでもいない普通に生きてる人(だなんて存在自体フィクションかもしれないけど)にも刺さったり響いたりするような活動になっていくんじゃねーかなと。過剰な期待に過剰に応えようとはせずに、普通に応えてくれるようなそんな、ドライじゃないけどサラリとした距離感が心地好い、そんな関係が出来ていく気がしてるのです。

ま、いちばん大きいのは子育てのスタイルを確立してることだろね。ヒカルさん、子に依存してる雰囲気が全くない。2人で暮らしててこれは驚異的よ。その感覚が、うちらに対するときにも活かされてるんじゃないかな。仕事復帰から何から、ほんにダヌくん様々ですわさ。

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#宇多田ヒカル タグと #40iroiro タグを併用して呟いた人の中から当選する『40代はいろいろ♫』トレーナーが当たって歓喜していたところ、その #宇多田ヒカル タグに最新のヒカルの動画が流れてきた。なんと今パリコレに行ってるんだと! 道理で前回の挨拶がぼんそわーるだったわけだ。いやロンドンや東京に居てもぼんじゅーる言い続けてる人やからそんなん関係ないと思ってたわ。バリバリにパリ滞在中っすか。

しかしパリコレとは。またその装いが白ニット変則ワンピとか! 披露宴に着ていく服がないとワンピ探してた昔が懐かしいわ。んで髪型がぱっと見『First Love』の頃を思わせる真ん中分けで貴女そんなの後から振り返ったときにこの写真が2023年のだなんてわからなくなるやつじゃん…どういうことじゃん…?

いやでも狙ってんのかな。『First Love』がリバイバル・ヒットしたタイミングということもあって。実際vogueのインスタでは『First Love』を使ったリールが公開されてたようだし。

なんにせよこうやって動く姿と喋る声が拝めるというのは何とも贅沢な話でな。誰かともだちに誘われてとかなのかもしれないが、仕事と関係あるとしたらいや次どんな手で来るねん?とパリコレとは無縁な人間としては全く想像もつかなくて。胸とふくらはぎの膨らみに目を奪われてるようでは予想も何も出来やしませんわね。失礼しております。

まーいいさ、プライベートであれ仕事であれこのあとフォローの投稿があるでしょうからそれを待ちましょうか。それにしたってヒカルさん、格好に合わせてるのか何なのか、昔を思わせる高音早口喋りまで披露してホント40歳に見えませんて。いろいろと誤解させるから『40代はいろいろ♫』なんすかね?? 不惑なのはヒカルさんの方でこちらは惑わされっぱなしですわ!

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再三再四書いてるが、ヒカルが『40代はいろいろ♫』でバッドバニーのカバーをしてくるとは考えもしていなかった。彼の“Yonaguni”という曲が大ヒットしていたのを知った私は、ヒカルはこういうのはスルーするだろうなと勝手に思っていたので。思いっ切りハズレだったわ!

しかし、それでも何故彼なのだろう?という疑問が拭い切れず色々と思いを巡らしてふと思い当たった。あ、そういえばヒカルはジプシー・キングスの「インスピレーション」が大のお気に入りだったなと。どれくらい入れ込んでたかはもうメッセを読んで貰った方が早い。鬼平犯科帳についての熱弁だ。


***** *****


TVシリーズの、音楽なんです。

エンディングテーマ!!

ジプシーキングスの「インスピレーション」!

なんという奇跡的な選曲(つДT)

今も、DVDのメインメニュー画面でずっと流れてる。

やばいよやばいよ。エンディングでこの歌が流れ出すたびに、胸が苦しくなるよ。

毎回ちょっと泣いちゃうの。うをぉおお やられたーーーー あおーーーーん!って感じっす。

こ、この音・・・悲しみをたくさん通って飲み込んだ人にしか出せない音(つДT)

ギターを奏でる指先が見える(つДT)

いくらでも聴き続けられる!

生の楽器はやっぱりすごいっす。


https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_27.html


***** *****


ヒカルがインスト曲をここまで絶賛するのも珍しい。で、聴けばわかるが見事なまでのラテン・サウンド、スパニッシュ・ミュージックなのだ。

実際はこのバンドはフランス出身なのでラテン系と言っていいのか悩ましいのだけどバンド名からしてスペイン語のもじりということらしく詳しくはウィキペディアでも読んで貰うとして、兎に角スパニッシュなサウンドってこういうのを言うのよ。

で、バッドバニーはウィキペディアにもある通り「ラテン・ラップの牽引者」で、ラテン系のスペイン語を駆使して歌う人。いや勿論ジプシー・キングスとは何の関係もないのだけど、ヒカルがこういうスパニッシュ・フィーリングを好んでるというのはわかるかなと。そのセンスに沿って哀愁漂う「Me Porto Bonito」をカバーしたんじゃないかなと、私の中でまた勝手に合点がいったのでした。


んでちょうど今日、バッドバニーの彼女?元カノ?か知らないけど(相変わらずゴシップネタに疎い私)、彼と関係が深いカロルGの新譜がビルボードで初登場1位をとったという報せ。シャキーラとの「TQG」が一番人気なのかな? なかなかいい曲だな。で、バッドバニーより寧ろ彼女カロルGの曲を聴いた方がヒカルがこういうサウンドを歌いたくなった理由がよくわかる気がする。というか、あれじゃない? なんでバッドバニーがヒカルのカバーに許諾を出さないか問題、もしかしてカロルGとヒカルが比較されたら聴き劣りしちゃうかもしれないの心配したからでは? いや、流石にないか~……でもなぁ、カロルGのサウンドを聴いたら「これはヒカルの方がずっと上手く歌えそう」と思えてきてしまってねぇ。はてさて真相や如何に?(またそのシメかよ!)

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この間ミラクルひかるさんがヒカルさんについてインタビューに答えて意る場面があった。

https://www.cyzo.com/2023/02/post_335901_entry_3.html
「実は、そんな深く本人は悩んでいないのかもしれない。というか、宇多田さんファンは彼女に対して“勘ぐり過ぎてる”ところがあると思うんですよね。」

いやっはっは、耳が痛い。

「だから、宇多田さんがファンをどう思ってるのか、本当のところを聞きたい。「ファンは自分よりも暗いと思いますか?」「ファンにどれだけ気を遣ってますか? それとも何も気を遣っていないですか?」とか、知りたいですよね。」

全く同感で。

んで落とし物シリーズのインスタ投稿についてはこんな風に。

「本当に映したくてそうしたのか、あるいは“私の優雅な生活”みたいなのを出すと引いちゃうから、気にしてくれてるのか。」

「「これを喜んでくれるファンでいてくれ」と思ってるのかもしれないし、どっちなんだろうってすごい考えちゃう。「これを撮る私なんです」とアピールしてるってことは……みたいな。「常に私はここにいるよ」とか「私は遠くに行かないよ」ってメッセージだと思うんですよ、足元は絶対。「帰ってくるよ、ここに」って。」

いや私はここまでは考えたことなかったな。芸人としての地位を確立してても、やっぱりこの人ミラクルひかるは根っからの宇多田ヒカルファンなのね。だから余裕を持って「そりゃあ20代の時の熱狂的な感じからすると落ち着きましたけど」って言えちゃうんでしょう。


はてさて、この彼女の「勘繰り」はどう解釈したものか。落とし物シリーズにそういうメッセージ性が含まれてるとなると、これは受け手側がどういう気分になっているかが重要な訳でして。

そんな中で投下された最新のヒカルさんのインスタ投稿はこちら。

https://t.co/ehuzWwY8Pz

マンホールが顔に見えるという1枚。足元の写真ではあるけど、落とし物シリーズではなかった。

「顔に見えるシリーズ」も、過去にはあった。インスタでは5年前に道のシミのようなものがスマイルに見えるぞと投稿していたし、メッセでは笑う生姜にボトルシュレック、機材くまなど様々な写真を投稿していてくれてる。
https://twitter.com/i_k5/status/1632149884160581632

なるほど、そうなると今回のインスタ投稿は5年前のに引き続き、落とし物シリーズで足元を探しているのとメッセで顔に見える(別に足元ではない)物体を見つけてるのの合流ともいえそうだ。

つまり、あたしは勝手に落とし物シリーズと言ってるが、何か落としてあるモノを探してるというよりは、足元をしっかり見つめてますよという事か。

日本語はややこしく、「足元を見る」と言った場合は「相手の弱みにつけ込む」という意味になってしまう。だが「足元を見つめる」とちょっと言い方を変えるだけで「自分の立場を確認する」という意味になる。当然、ヒカルのインスタ投稿から読み取るなら後者の意味になるだろう。

確かに、足元写真は靴が写り込んでいてそれは自撮りと呼べなくもなく。そして、特定班の皆様のお陰でそれぞれの靴の商品名もかなり判明しており、お求め易いモノからお求め難いモノまで様々な靴を履いてはる事がわかる。セレブとまではいかなくても、何十足或いは何百足と靴を持ってるのかなぁと夢想してしまう。

ここらへんからなら、ミラクルひかるさんの「「私は遠くにいかないよ」ってメッセージ」も読み取れる。一方でそれなりにセレブなのだとも言えるし、この感覚ってつまり、ヒカルさんはありのままで居るというか、確かにいい暮らしもしているし、一方で庶民(という言葉は使わないだろうけど)と同じようなとこもあるよっていう、飾らない空気で接してくれていると解釈するのがいい気がする。自分のセレブ振りアピールするのとも、庶民派を気取るのでもない、フラットでニュートラルな感覚は、『気分じゃないの(Not In The Mood)』でポエムを買った場面で感じさせてくれたのと同じものだ。

なので、確かにここには「私はここにいるよ」というメッセージはあるけれど、それは別に「常に」や「帰ってくる」のような「約束」の話ではなく、本当に単なる事実の叙述な気がする。その上で、じゃあ自分は何が出来るか、というのがアルバム『BADモード』のテーマの一つだったように思うし、そういう意味では、昔より少し湿度が落ちたとも思えるけれど、だからといってリスナーやファンを蔑ろにする気はサラサラなさそうだわね。『40代はいろいろ♫』なんて、全部無料でスウェットも要望に押されて結局売ってくれるし、これ全然儲かる企画でもなければネームバリューが上がる訳でも無い、更に本人が誕生日で祝われる筈なのに働いてるという、我々の方がひたすら喜ぶだけの企画をやってくれたんだもの。まぁぁぁ、優しいよね。もっとヒカルさんを信頼していいと、思います。

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前に軽く触れてほぼスルーしていた「『Rule(君に夢中)』の歌詞表示が歌と違う」問題についてちょっとだけ。


サブスクで表示される歌詞が

『The constant texting "we do" is making me look really rude』

になっている箇所が実際の歌唱では

『The constant texting "with you" is making me look really rude』

と歌っているように聞こえる、という話。『is』を『's』って発音してるからちょい聴き取りづらいけど。

結論から言えば「♪~どっち~でも~いいんじゃない?」って感じ。それぞれの訳をグーグル先生に訊いたら

「私たちがしている絶え間ないテキストメッセージは、私を本当に無礼に見せています」



「あなたとの絶え間ないテキストメッセージは、私を本当に無礼に見せています」

なんだもの。意味は全くと言っていいほどほぼ同じ。そして"we do"と"with you"も発音してみると実によく似ている。音韻としてもどちらでも困らない。なので正直どっちでといいと思う。カラオケで歌うときも好きな方でいいんじゃない?

ただ、強いていうなら、この『Rule (君に夢中)』及び『君に夢中』では、英単語の"you"という言葉が随所で強調されているから(『You, you, yoy』だもんね)、この場面でも"you"を入れた方がこの歌の中の歌詞の流儀としては自然かなとは思う。なので、どっちでもいいとしても、拘りに拘るなら実際に歌っている『with you』の方がほんのちょびっといいかな。

恐らくだが、ヒカルもそう考えたんじゃない? 取り敢えず2月には配信に載せるから歌詞をテキストでくれと言われて『we do』で送ったんだけど、そこから1月19日に生歌唱を披露するまでに「いやここ"with you"にしちゃってもいいんじゃない?」と気がついて実際にそう歌っちゃったという。ストリーミング・サービスの方はアーティスト側から正式に提供された歌詞テキストなので、おいそれとは変更できない、と。そんな感じの経緯なんじゃないでしょうか?

でもなー。Apple Musicには歌詞共有機能のところに「問題点を報告」の選択肢があってセンテンス毎に「歌詞が間違ってる」って報告できるようになってるのよ。これ、なんでこの機能があるのかって、作詞者じゃない人が聴き取りで文字起こしして挿入してる歌詞があるからなんだよね? だときしたらここ聴き取りなの? イタリア語と英語と日本語の歌詞聴き取って文字起こしできる人がここを聞き間違えたと?? うーん、なさそう! でなかったとしたら、問題点を報告って、じゃあ作詞者提供の歌詞テキストに疑義を挟めるもんなのか? ここもわからんわね。

今回の『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』の歌詞は今言ったようにイタリア語と英語と日本語で出来ているからヒカルがテキストを提供したと考えるのが自然なんだけど、さぁ果たして真相は如何なんでしょうね。いつかどこかでCDに『Rule(君に夢中)』が収録された時の歌詞カードを楽しみに待つ事に致しましょうか。ベスト盤とかレアトラックス集、或いはB-sidesなんかのリリースの暁には、っすね!

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ニューミニライブアルバムが余りにも良いので、そういえば全然ヒカルのInstagramとTwitterに反応を返していない。なんて贅沢な話! 人間活動期は一言でもアウトプットがあれば骨の髄までしゃぶりつくす勢いで食いついていたというのに。需要と供給と言ってしまうとドライすぎてなんか違うけど、いやもうありがとうありがとうと言うしかなく。


最近の更新を振り返ってみると。3月1日水曜日には未使用絆創膏のフォトと共にカフェでのプチエピソード。ノイキャン入れてAirPodsつけてたら自分の名を呼ぶ怒号が聞こえてきて何事かと思ったら「コルタード!」の連呼だったとか。マキアートみたいな飲み物らしい。知らんかった。ウッターダと似ている…っちゃ似てるか。

その前は2月24日金曜日、雨(上がり?)の日に黄色いレモンとピンクのチューリップを胸元に携添えた1枚。こちらのプチエピソードはドイツから出会い系メールが届くようになった話。フランスでドイツからの留学生の友達と会ってたなんて話を10年前にしてたので、ドイツに友達が居るなら現地で位置情報を抜き取られた友人の携帯電話が関わってる可能性があるな…とかなんとかどうでもいいことを思いつつもその画像の数々を保存したのかどうか…言わんわね。

その前は2月23日木曜日に二つの話題。ひとつは昔のインタビュー発言を掘り起こした記事( https://madamefigaro.jp/culture/0222-first-love.html )についてのコメント。こういうの珍しいかな? これだけ時間が経てば自分の幼い頃のことなんて自分の子のような感覚でみられるのかなんというか余裕タップリやよね。自分の動画をみてキョドるAdoちゃんとかとはやっぱりキャリアが違うわ(笑)。もうひとつの話題はLogic Performerでヴォーカルの録音が上手くいかない話。これの続報を皆待ってると思うけどかなりつまらない理由だったりしたらきっと言わないと思うので生暖かい目で見守って差し上げましょう。ヘッドホンから音が出ない!と思ったらプラグ挿し忘れてた人ですのでw
https://twitter.com/utadahikaru/status/963455901561769984

授業参観の話も聴きたかったけどねー。

2月21日火曜日22日水曜日は玉ねぎを切るときの話。あたしは口を開けて切ると涙が止まるのだけどそうコメントしてた人いたかな? いちばん手軽で効き目があると思うんだけども。玉ネジのみじん切りで無心になれるのを好むって昔「SMAP x SMAP」で恐る恐るバンズを焼いてた姿からしたら随分と頼もしくなったなぁと。古い話ですいません。


とまぁこの1週間ちょいだけでもこれだけのネタを無意識日記でスルーしてきていたとは! 勿体ないこと有難いことこの上ない。インスタもツイッターも是非滞らずにメッセージを届け続けて欲しいものです。貴方方が持ってる過去ログの価値は計り知れませんよ?

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よし! 前回予防線張りまくったから今回は好き勝手書いちゃうぞ!キーの違いについても語るし各バージョンを比較したりもしちゃうぞ!(…裏切り者め…)


普通、キーが下がった曲の雰囲気って元のより暗くなったり地味になったりするものだ。相対的に元のバージョンが明るく派手に感じられるってことなのだが、ことこの『First Love (Live 2023)』にはその一般論は当て嵌まらない。1999年のスタジオ・バージョンよりキーが2つ?下げられているにも拘わらず、派手にはなってはないけれど、ほんのり明るく感じられるのがとても味わい深く興味深い。

その要因は、既述の通りルース・オマホニー・ブレイディによる鍵盤演奏の妙味が主だった所を占めているのだが、それに伴ってヒカルの歌唱自体もアプローチがオリジナルのとは異なっている点も見逃せない。

15歳(の年末なのでまもなく16歳)のヒカルの歌声はよりシリアスだった。深刻というと少々言い過ぎなのだが、失恋という事態をより切実に捉えそれを乗り越えていこうという力強さを表現していたように思う。翻ってこの40歳(なりたて)の歌唱はもっと包容力が強く優しくて柔らかいものだ。勿論、いざという時の切ない節回しは健在な上で、だが。

ヒカルの歌声というのは元々母親譲りの暗さ…というと少し違うか、“翳り”のようなものが纏われていて、明るいメロディを歌っても切なく響くというのが特徴的だった。なので、低い音域を歌うときに創り出すムードのダークさは他の同年代の女性歌手たちとは一線を画していた。例えば『A.S.A.P.』のゴシックに片足突っ込んだダークさはこの歌声あったればこそだったのよ。

だが、この『First Love (Live 2023)』でのヒカルの歌声は1999年のバージョンより仄かに光を放って聞こえるように思う。より低い声を出している筈なのに歌声の肌触りが優しく柔らかい。これを安直に「母親になったから」と言うのは……いや、当たってるな。母親になったからってのはデカいなこれ。包容力というのは自らが守るべき者を見定めて初めて本当に身につくものだから。

そんななので歌詞のニュアンスも若干異なって響く。『明日の今頃には私はきっと泣いてる』というのはオリジナルでは未知の体験を予期したような不安含みの響きがあったのだが、今の歌い方だとまるでそうなることの自然さを理解した後であるかのような。もっと言えば自分のこどもの失恋について優しく受け止めてあげてるような雰囲気すらする。それはまぁ先入観の賜物なのだろうけど比喩としては妥当じゃなかろうか。

同じ歌詞、同じメロディを歌っていても、様々な事を証明せねばならなかった1998~1999年の頃の緊張感とは違い、一時代を築いた後のお疲れさま感が溢れるこの『First Love (Live 2023)』は、正直聴いてて受ける感動はまるで別の曲のようだ。24年前はその楽曲の完成度と歌唱の技巧に圧倒され「参った」と思ったものだが(「Utada Hikaru rules !」ですわね)、今はしみじみと人生の味わいを噛み締めるような感動を齎してくれている。ピーマンの天ぷらみたいな? あれからもう16年かよ。それはさておき。


こうなってくると興味が出るのは今後ライブ・コンサートでどちら寄りのアレンジで聴かせてくれるかだよねぇ。今までは『First Love』といえばコンサートではその重責振りに出来るだけオリジナルに忠実にという傾向がみてとれたが(ナチュラルな経年変化はあったけどね)、今回のアレンジはかなりドラスティックな変化だ。曲の捉え方、アーティストとして代表曲とどう向き合うかという点を根刮ぎ刷新したかなり進取的なアプローチとなっている。恐らくここらへんは、ライトリスナーがどこまでついてこれるかを見極めながら決めていくのではないかなと。シンプルに言えば、サブスクで『First Love (2022 Mix)』と『First Love (Live 2023)』がそれぞれどんな比率で聴かれていき、また、その比率が時間経過と共にどう変化していくかで決まっていくものなんじゃないだろうか。ヒカルは数字なんて見ないと思うがそこらへんは肌感覚で察せられてしまう人なので(何しろ写真で見知らぬ他人の性格を言い当てられる人なのだから)、我々としては力まずにそのとき聴きたい気分のものを素直に聴いてればいいんじゃないかなと。やっぱり1999年のバージョンの方がいいというなら素直にそう言えばいいしな。そういう傾向や願望が集積されてライブでの『First Love』の現れ方が決まっていく気がする。その主導権は作者の手を離れてしまってリスナーに委ねられる割合が大きくなってるのよね。「国民的名曲」ってつまり、もうこれは「宇多田ヒカルが失恋について個人的に綴った歌」から「みんなの歌」になってしまっているということなので、流行歌が定番曲になり永遠のスタンダード・ナンバーへと盤石の地位を固めていく過程を今リアルタイムで眺めれている最中ってことなんですよ今。楽しくて仕方がないわねっ(笑)。

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『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』のテイクはオリジナルのスタジオバージョンと比較するとキーが幾らか下げられているらしいが例によって絶対音感と無縁な私は自分の耳だけだと全く気づかず。幸せな耳だ。

キャリアを重ねた歌手がキーを下げると「高音が出なくなった」とか言われる。今まで出来てた事が出来なくなるのだからその点では「衰えた」と言われるのも仕方がないかもしれないが、声の状態というのは長いスパンで接してると実に奇々怪々摩訶不可思議なものでねぇ。

特にあたしは骨の髄までメタラーなので「ハイトーンボイス至上主義」にずっと接してきたと言っても過言ではなくてな。ライブで如何にフェイクせずに声を出し切るかがライブ全体の評価を左右するまでになることを沢山みてきた。ロブ・ハルフォードがキメのハイトーンにエネルギーを残すために他のパートを思い切り省エネで歌うのをみて「これが需要と供給ってやつか」と妙に納得したのも随分昔の話なのよさ。

そんな歌ばっかり聴いてきたんだが、高音って、確かに平均すると年齢と共に出なくなっていくものではあるものの、それはあクマで平均の話でしかなく、個々のシンガーの事情をみるとそんな単純な話でもない事がわかる。30代の頃はもう20代の頃の高音は出なくなってて「早くも衰えたな~」とか思ってた人が40代50代で復活したなんて例もある。長いスパンでみないとそれが本当に「加齢による衰え」かどうかなんてわからないのだ。

折悪しく、なのかどうかはわからないが、今回ヒカルは『40代はいろいろ♫』という年齢を前面に出したタイトルの企画でキーを下げた歌を披露した訳で、こうなると絶対音感を持つライトリスナーが聴いた場合、「え、宇多田ヒカルってもう40歳なの!? あら歌のキー下げてるわ。年齢には抗えないのね。」みたいなことを言われかねない。

まだ私そう言われるのを実際には見たことないから今のところ杞憂でしかないんだけれども、そう言われる可能性は結構高いように思われる。言いたいことを先に言ってしまうと、そういった発言を目にしても争わないようにしてほしい。ライトリスナーのその場限りの感想である。責任も何もない。実際にキーを下げて歌っているのだから事実は事実だ。そういうアレンジにした理由が本当は「声が出ないから」ではなく、例えばギターのチューニングの都合とか、そのキーでしか出ないトーンがあるとか、その他の音楽的な話だったりするかもしれない。ただ、そういう話をしたとしても「そんなものは体のいい言い訳だ」とかって言われたら結構どうしようもない。反論するだけ徒労だろうね。

長いスパンでみないとわからないし、キーを下げるのは声が出ないからではないかもわからない。声はわからないことだらけなのだ。どれだけ節制して毎日鍛錬を欠かさない人でも衰えるときは衰えるし、暴飲暴食を重ねるヘヴィスモーカーでも60代にして絶好調!みたいなこともある。個々の努力が足りないとかそういうことでもないんですよね。個人差が大きく、様々な事情が絡み合う。幾ら我々が熱心だからといって未来は結局わからないのだ。

キーを下げてるとか高音が出てないだとかいうのを気にしない為にすることはシンプルだ。くらべないことである。歌を聴いてる時に自分の記憶や知識を持ち出してそれを参照しながら耳を傾けるからややこしくなるのだ。オリジナルのスタジオバージョンの幻影を携えたままで今の歌を聴くだなんて、あなた今の恋人とデートしてる時にいちいち昔の恋人のことを思い出してあれやこれやと比較するタイプなの?? いやいや、ただ目の前の歌と向き合って今聞こえてきているのは何なのかという所に気を配っていればそれより外の何かと比較する機会も必要もないし、歌を楽しむというのはそういうことだと思うのよね。その時その場所その瞬間に夢中になれる歌とたった今接していれば、過去や未来や他の場所のことなど気にならないわ。

それに、そもそもヒカルさん、一昨年収録の『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』実施数日前に一切声を出せなくなっていたのよ。そのスタジオライブを乗り切ってそこから昨年はコーチェラに出演して南青山でシークレットライブを敢行、夏休みは立て続けにテレビで歌ってそしてこの『40代はいろいろ♫』まで来てくれたのだ。我々の誰が思うよりも入念に声のケアをしてくれてるよ。この丁寧極まりない歌い方には深く心が籠もっているように私は思うのだけど、歌を聴いてなにをどう感じるかはひとりひとりだから、そこの自由はいちばん大事にしなくちゃいけないわね。皆さんひとりひとりの感想を大切にしてね。

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で。ずっとライブミニアルバム『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』の話ばかりしているが、本編たる『40代はいろいろ♫』の動画もきっちりYouTubeにアップロードされているのだからそちらの話もしたいなぁと…

…思ってんだけど、これが全然進まないんだわ! 毎日動画を立ち上げてはヒカルの「可愛い」の波状攻撃を受けて即座に撃沈して停止ボタンを押してしまう。毎秒可愛いと思ってたけど今や毎瞬可愛い。ほんの数十秒でこちらの1日分のキャパが満タンになってしまう。お陰でまだ“Me Porto Bonito”の口パクんとこまで辿り着いてないぜ! 面白いことになってんだってな!(←伝聞でしか知らない)

おかしいなぁ? こんなにヒカルの「可愛い」に弱かったっけ? いや確かに今でも『One Last Kiss』のミュージック・ビデオをフルコーラスで観るときは結構気合いが要る。辻田恵美編集がこれでもかと彼女の思う「宇多田ヒカルの可愛い瞬間」を切り貼りした超絶濃密度の映像なのだからいやそれはもうこちらのキャパシティをしっかり用意しておかないと途端に胸が一杯になってしまうからね。なので実は楽曲を前半と後半に分けて時間をおいて観賞することが常だったりする。だが『40代はいろいろ♫』はそれより更にギブアップまでの時間が早い! 流れ込んでくるものが多過ぎるのよね…。


15歳でデビューした宇多田ヒカルは勿論当時から基本的には音楽雑誌を中心としてトップのミュージシャンとして扱われてはいたのだが、余りにも有名になり過ぎた上に母親譲りの美貌も相俟って10代の頃は音楽と関係の薄いティーン誌などに記事や写真が掲載されることも結構あった。そもそも連載持ってた「mc Sister」からしてティーン向けファッション誌だったしね。いわば、結構アイドル扱いもされていたのだ。それが19歳の結婚を機にガクンと減り、以降はヒカルの「可愛い」はファン向けのものとなっていったのだが…

正直、今がいちばん「可愛い」の密度が濃いかもしれない。どうしても日本語圏では女性有名人に若さという価値を求めがちだが、肌の具合がどうのとかいうまさに表面的な事を除けば、「可愛い」って年齢に関係なく育まれるのではなかろうか。40代になろうがおばあちゃんになろうが「可愛い」は磨かれ続け更に濃縮されていく可能性があるのではないだろうか。そう妄想した時に『40代はいろいろ♫』という楽しげなタイトルが物凄く可愛らしいものに思えてきてしまって、いやほんとヒカルさん、今までの人生の中で40代がいちばん可愛い時期に、そして貴女にとっては、いちばん楽しい時期になるんでない?という予感と共にこのタイトル…というか末尾の『♫』がつけられている気がする。単一の八分音符「♪」でなく連符の「♫」なところが『ダブルでめでたいぜ』といいますか、よりパワフルなタッチを強めているのかなぁと。

多分、私の認識する「可愛い」は世に言われるものからは少しズレてはいるのだろう。40歳迎えた女性に対して「今まででいちばん可愛くありませんか貴女?」と訊く機会など普通は想定され得ない。しかし、心底まるきりそう思う。思い過ぎてあれほど公開を待ち望んでいたアーカイブ動画をまだ最後まで観れていない程なんだ! 年齢性別人種容貌時代季節等々々々に囚われない「可愛い」の極意、これからも戦慄しながら堪能していきたいと思います。今日もこの後ほんのちょっとだけになるだろうけど『40代はいろいろ♫』のアーカイブ動画をチラッと観るぞ!ヲー! いつ観終わるんだ!?(ヲー……)

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『First Love』がストリーミングでゴールド認定されたそうで、実にめでたい。5000万回再生か。
https://www.riaj.or.jp/f/data/cert/st.html

上の方はトリプルプラチナ(3億回)とかでいやまぁなんか凄いわね。2015年頃は邦楽どうすんだと思ってたんだけどサブスクの普及で一気に息を吹き返したというか、CD世代としては今は1993~94年頃くらいの雰囲気を思い出してます。隆盛期だね。即ちまだピークはこのあと来るんじゃないかとなるんだけど今は当時と違って人口減少局面で、邦楽を支える10代20代のリスナーの絶対数が減ってくるとすればそれは90年代とは異なる結果となるだろう。でもともあれ、これだけ若い人たち向けの市場でこうやってCD世代の象徴的存在がその最も象徴的な楽曲で顔を出してくるというのは、そうね象徴的な現象だわね。

まぁ何が凄いって既にその前に『One Last Kiss』と『君に夢中』の2曲がゴールド、プラチナに認定されてること。あ、『Automatic』も昨年11月度にゴールド認定されてるのか。そう、スタンダードと最新曲の両方が聴かれているってのが凄い。

これをオフィシャルがどう分析してくるかが興味のあるところ。

・若い人が宇多田を発見してる

のか

・昔の人がサブスクを利用し始めた

のか、どちらが主なのか。勿論両方あるだろうがその割合はどうなっているのだろうかなと。

各年代別のランキングはどこかで出るかもしれないが、相対値だと判断が難しい。50代で1位より10代で10位の方が再生回数は多いかもしれないからね。サブスクというシステム自体の浸透度の差が出るなぁと。

サブスクで回数を稼ぐには継続的な露出が必要で、故にテレビの連続ドラマやアニメシリーズの主題歌となるのが有利なのだが、宇多田ヒカルの場合はドラマ「最愛」の『君に夢中』でその恩恵を受けたといえる。Netflixドラマ「First Love 初恋」の方は一挙9話配信だから評価が難しいな。その中でのゴールド認定は画期的ともいえる。

あとはバランスだろうか。24年前の曲がリバイバルヒットしたことで「昔の人」と捉えられるのか、『君に夢中』が親しまれたことで「年齢は少し上だけど今を生きる人」と捉えられるのか。そういう意味では『First Love』はちょっと大ヒットし過ぎたかもしれないねこの22~23年に。贅沢極まりない話だが。

その流れの中での『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』のリリースは、結果的に、でしかないが至極適切だったかと思う。いい意味で『First Love』は過去の曲なのだというアピールが出来たのではないか。これが再生されればされるほど「昔の曲の今のテイクを聴くことで今の宇多田ヒカルの立ち位置が浮かび上がってくる」だろうからだ。若い人に親近感を持ってもらうには現役感が必要で、更に言えばもう少し低年齢層向けのドラマやアニメにも曲提供していくかどうか。「最愛」や「First Love 初恋」の想定視聴者層って30代以上にみえるからね。実際はどうか知らないけど。『Automatic』に続いて『First Love』がストリーミング・ゴールド認定されたことで、レコード会社が前向きな危機感を持ってくれたらなとレーベル移籍6周年を迎えたこの日に願う所存でありますよっと。

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