無意識日記
宇多田光 word:i_
 



日曜夜と月曜朝でテンション激変したi_だがではOV軍配かというと即断躊躇う。再三言及するがBVの出来自体は抜群だ。然し光の曲からいつも読み取れる幾つかの要素に関し不足感があって、OVがソコを埋めてくれたという話。コレが仮に逆順だったらOVにまず何か不足を感じ次に後からBVにソレを"補完"して貰ってたかもしれない。両者を子細に較べ考察せねば現時点では不明な事柄だ。今言えるのは、2ッ併せると魅力倍増である事と、このカップリングが計画的なものではなかったという事。イキアタリバッタリな過程が望外の美しい結果を生むといういつもの光らしい展開なのである。


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どうやらこれまで天啓で取り上げてきた「桜/手紙」「色々/S&C」同様FoLEPも単なる1曲をプロモする目的のシングルに留まらない1ツのコンセプチュアルな"作品"として見た方がよさそうな雰囲気になってきた。オンエア解禁順も創作動機・過程も前述2作とは異なる為このFoLEPがどのような位置付けの"作品"となるかは今後考察を要するが、フル未聴時点でいえる事は、やはりFoLBV&FoLOV各々1曲ずつ単独でより一緒にして堪能する方が更によさそうだ、ということだ。イメージとしてはPassionのシングル゛ージョンとアフターザバトルの感じ。EPで2ツを連続して聴くと醍醐味倍増の予感がするのだった。


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21世紀に入りJPopバラードに於る弦楽アレンジが昔に較べ目立ち始めた。あるにはあったがノウハウが定着し格段に豪華な編曲が増えた感。中には演奏のみで曲として成立する分厚いものすらあった。FoLBVはソレらとは一線を画す控えめで無理に盛り上げようとしない慎ましやかな佇まいが特徴だ。背伸びしない等身大の音使いは良心的な編曲家の存在を思わせる。逆に言えば主役の歌に力があったから手数少なで済んだ、謙虚にならざるを得なかったともいえるが、このような素直な編曲の方が飽きが来ないのは確実だ。光の歌唱を堪能するには実に的確な方向性だと思う。


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朝1で聴きました!イヤハヤ光本人含むバラード版優位の空気の中タイトルに"!"を使っちゃう自分のテンションが浮くのは重々自覚してますw 昨晩の私の物憂げさはどこへやら; バラ版初聴時「うっかりつけちゃって後から拭った」と思った光の指紋の跡がベッタリ! ライブで映えるシンプル且快活なリズム! 照れ臭そうな若々しいアレンジ!(笑) 何より当初僕が見失ってた「宇多田ヒカルの人生」という大きな流れがアリアリと見えるのが嬉しい!! 音楽的完成度はさておきコレは紛れもなくUBの続きに位置する作品だと漸く感じれました。光の態度他謎が色々多いけどトニカク今ハ早くフルが聴きたいです!!


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明日19日から“Flavor Of Life”のオリジナルバージョンが解禁になる。
当ブログでも1月5日のバラードバージョンの解禁後、様々な憶測・予測・予想・妄想を
繰り広げてきた。が、どうやらその殆どが的外れだったようだ(T∇T)

バラードバージョンがあまりにもオーソドックスなスタイルだったため
「こんなはずはない」という先入観から過度の期待をいろんな角度から
投げ掛けてみたが、ヒカル本人の「バラードバージョンの方が好き」の
ひと言で全部徒労に終わった。「COLORS」みたいに、歌メロは
オーソドックスだけどリズムやリフとの組合せが斬新、とか、
そういう心積もりもあって天啓を更新してたんだけどね~(^_^;

と、いうことで、今回は比較的リラックスして解禁に臨める。
もちろん、ヒカルがバラードVer.を好んでるからといって、
僕が同じようにオリジナルよりバラードVer.を好きになるか、というと
勿論わからないわけだが、今までの傾向からすると彼女と同じ感想に
なる可能性が高い。

しかし、それにしても、どんな作風なのかな。
いつものようにVirginのサンプルのURLがカンタンにバレて
一部ファンは既に試聴しているようだが、僕はまだ。
日曜の深夜はキャプテン和田のラジオを録音しているので
(98年10月からだからもう9年になるなw)
最近は解禁直後の音源をすぐに聴ける、というパターンも少ない。
そこらへんは他力本願でいるのだが(こらこら(笑))、
そう焦っても仕方ないだろう。ここまで遅いタイミングの解禁、というのは
逆にいえばオモテムキのリーダートラックはバラードバージョンの方、
という解釈も出来なくはない。飽く迄オリジナルは熱心なファン向け、ということだ。
もしこのタイミングの取り方すら煙幕でオリジナルが劇的なバージョン、という
どんだけ穿つねん、という疑念も0%ではないが、やはりそれはムリがあるだろうな。

音楽的には、ブリッジのメロディの配置がバラードVer.では特徴的なことから、
この部分のリズムセクションがどうなってるかが楽しみだ。
歌詞の乗せ方がこの部分では非常に“ゆるめ”な為、
グルーヴィなリズムがここに入る、と解釈すればわかりやすい。

あとは、2番のサビが終わったあとのヴォーカルブリッジの部分。
ここが劇的に決まるかどうかがこの曲の印象の分かれ目なのだが、
オリジナルでもテンポを落として迫ってくるのかな。
曲の長さからすると、パートを丸ごと削るとか足すとかいうことはなさそうだ。


一方、シングル盤自体の発売は28日とあと10日ある。
歌詞がかなり気に入っているので、細かい分析などしたいが、
やはり歌詞カードを手に入れてから、という風に考えてるので、
そのテのエントリは3月に入ってから、になるかな。
まだ書くかどうかわからないけど。(笑)
面白いと思えるテーマが見つかったら、書きます。



それにしても不思議な感じだ。
命3つくらい削ってるんじゃないかという楽曲が詰め込まれた
アルバム「ULTRA BLUE」、ライヴツアー「UTADA UNITED 2006」からの
流れのあとの“ぼくはくま”のリリースタイミングを、
「宇多田ヒカル的に“凪”のタイミングで、楽曲の純粋な評価を
 得るのは絶好のタイミング」と評したのは強ち的外れじゃなかったようだ。
(オリジナルバージョンへの予想が的外れだらけだったのとは違い(苦笑))
この様子だと、派手派手しくはならないが、
ある程度「宇多田ヒカル」というブランドが復活する予感がする。
ドラマでの扱われ方次第だが、4月上旬くらいまではこの曲は
話題になり続けるのかもしれない。その後の展開はいまだ不透明だが、
ブランドが復活していくとなると“ぼくはくま”のような作品は
だんだんとシリアスに捉えられづらくなっていったろう。
本人はまたも何も考えてないと思うけど(笑)
自ら「最高傑作なんじゃないか」と評する楽曲を、
一番いいタイミングでリリースできた、というのは
彼女に常に纏わりついている「時の流れの中の運(と運命)」の強さを
感じずにはいられない。


つらつらと書いてしまった。天啓と違って読み物としては面白くないが(苦笑)
まぁ、逆にファンとしての素直な心情の吐露、ということで楽しんで頂ければ。
自分でいうのもなんだけど、天啓の更新って朝夕のコラムってことで、
まるで新聞の連載みたいだもんね。(笑) 内容のクォリティはともかく、
ちゃんと纏まった文章なので、逆に体温を感じづらい、というのも事実。
こういうやわっこい文章の方が、おいらの人となりが伝わるような、、、って
そういうニーズは少ないかな。(笑) 
そんな戯言を綴ってみた日曜日の夜でしたとさ。


来週の土日には「過去記事発掘第5弾」の翻訳が載せられるかも。
あ~その前にメッセのヒカ語訳をしたいんだが、なかなか集中力が
戻ってこないんだよね~あれ、大変なんだよw@珍しく弱音(笑)
最近ヒカチュウにはミラクルさんを筆頭としてヒカル自身への
憧れを積極的に自ら表現するひとたちが増えてて心強いのだが、
よく考えたら私も翻訳中はそのひとりなんだよね~いつも
「英語のこの文章、彼女が日本語で話してるとすると、
 一体どういう心境や口調でことばを選ぶだろう?」って
考えてるから、いわば常に“ヒカルになりきろう”っていう
アティテュードで臨んでるんだよね。ただ、一番の問題は
ワタシが男子ってことだな。(汗) そこが我ながらキモチワルイ、、、
Nuukさんみたいに、女子が翻訳した方がいいのかもしれないね~本来。
ま、他に翻訳する人が現われても、それを参考にしてやっぱり
僕も翻訳してるだろうから、そこは変わらないのだけど。
でも、比較できる人が現われたら、それは面白いだろうな~。
それも、UtaDAの活動がいつか始まったときまで待たないといけないけどね☆


うわ、本当にただの日記だ。(笑)

こほん、みなさん、コメントいつもありがとう!!
必ず返信するから、もうちょっと待っててね~すっごく励みになってますv


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え~究極のまったり連載(汗)「UtaDA今後の展望」も今回でおわりです。
その5からの続きです。どうぞ。

*****

 しかし一方で、そう、宇多田ヒカルは、“Keep Tryin’”のPVについて触れたときに「これを最後に夫とは映像の仕事は一段落」的な発言をしているのだ。確かに、筆者個人の印象としても“Passion”のPVの洗練された美しさは完成形に近いものだったと思うし、それに続く件(くだん)のキプトラPVは、完成形のあとのエンドロールのような、香港映画のNG集じゃないけれど(なんだそりゃ)、過去の作品へのオマージュとパロディに溢れた、その意味での“集大成的作品”であったから、これをもって彼とのコラボレーションは第一部完!と思っても何も不自然ではない。

 とはいえ、正直な感想をいわせてもらえれば、やっぱり筆者は彼とのコラボレーションを止める必要はない、と考える。YMMPVでのあの荒々しい、どぎついまでの感性のギラツキ加減を前回のリラートを書くにあたって何度も見返した身からすると、ここから先に進まないでどうする!というのが真っ当な感想なのだ。こういう作品を作り、ひとの心を喚起し、そのフィードバックを得てそれをまた増幅して蹴返すくらいの気概が、この2人のコラボレーションにはある。一方で確かに、“FINAL DISTANCE”~“traveling”、“SAKURAドロップス”のように、どうにも涅槃に片足突っ込んだような独自性が際立ち過ぎ浮世離れし過ぎる作風がこの2人の間にあることも確かだ。なんだか「2人の絆の間には誰も割って入れない」といういつもの悲しい結論が見えてしまうのだが、もしそうだというのなら、そのラブラブっぷりをもっともっと作品に反映してもらわないと、こちらとしても納得がいかない。そして、それを披露する相手は、この島国の中の人だけでなく、世界中の人であってほしい。それくらいのスケールが2人にはある。極端にいえば、将来宇宙人がやってきたときに2人には「地球人代表芸術家夫婦」として立っていてほしい、それくらいの期待はしているのだ。もしUtaDAの2ndアルバムを制作した際には、彼を今一度映像ディレクターとして起用してみてほしい。私はそんなことを願うのでした。(おわり)


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作曲者自身がツアーを経るとその作風に迄影響を及ぼす事が多い。スタジオでの価値判断は本人やプロデューサによるが、何百何万の直接反応は彼らの価値観そのものを揺るがす。今度は曲作りの段階で新たに「ライブで盛り上がるかどうか」という基準が加わるのだ。それ迄は自分がソファに座って聴いて良いと思うかどうかだけだったのに。具体的にはアップテンポだったりリズミックな曲が増えメロディが明快になる事が多い。少なくともNeverLetGoみたいな曲にはならない(笑) FoLのメロディの明快さはバラードVerの通りだがさてオリジナルVerはライブ向けなリズム・曲調となっているのだろうか?


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各誌インタビューが出揃い始めた。話相手が松浦靖恵サン1人なので1回の対談を書き分けてる為即断注意だが、光の新曲位置付けは「ライブ直後の作曲であること」との色合いが強い印象。聴衆への外向きエナジー放出モードから内向き創作モードへの転換のお陰で作曲意欲が貯えられてた事による作曲のスムーズさ、好評だったライブCOLORSからの流れにある明快な旋律とバラード版弦楽アレンジ、過酷な2ケ月で鍛えられた低音を活かした新味歌唱。どれもライブ直後ならではのフレイウ゛ァーを漂わせている。ふと、この曲のタイトルはFlavorOf"Live"でもあるのかもしれない、そう私に思わせたのだった。


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前回(今朝)Passion~KeepTrying&ThisIsLoveの流れがあると書いたがUB収録順序はコレと逆だ。手法がこなれる程大衆性増すのが音楽の常、作品世界に引き込む役割の序盤には後から出来た作品のKT&TiLが適切との判断だろう。04年ナイロン誌で「入口広く出口狭く」と光は語ったが、正にソレを実践した曲順だ。然し作り手視点からすると情熱からTiLが生まれてくるダイナミズムこそが原初興奮であり時系列に沿う分リアルな感触なのだ。ライブのオープニングを情熱~TiLとしたのは、作り手としてのそのリアルな興奮を、ライブ会場という密接な限定的空間でなら伝えられると考えたとみる。


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FoLは"すんなり"出来たらしい。MLもそうだとi_は思うが、それと曲の素晴らしさは無関係だ。事実両曲とも大人気。私の大好きなハロウィンの"パワー"(1996)も10分で出来たんだとか。違いが出るのはその後の作風への影響だ。光の場合だと2年寝かせたForYouや紆余曲折の末のF.DISTANCEは私小説的な3rdアルバムへの布石&支柱となったし、1年以上掛けて詞と終局部を捻り出したPassionはKeepTrying&ThisIsLoveを生み出した。1人のアーティストを一生追い続ける場合その種の葛藤が透けて見える曲の方が未来への希望が膨らみファンをする事への確信をより強めてくれるのだった。


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2週間ぶりメッセ更新。嬉しい。うれしいウレシイURESH(urusai)。内容は日常の何気ないヒトコマだし光も「深読みのし過ぎなんて意味のない事はヤメテ」と言うだろうがマニヤとしてはどぉしても色々とウラの意味を考えてしまう。昨年末のテゴマスだって「珍しくジャニーズの話題か」といってたら花男の主題歌のアナウンス。NEWSと嵐では微妙に距離があるが前フリ気味になってしまったのは否めない(?)。難しいのは殆どの場合光は意図していない事。何気なくやる事為す事後から次々と繋がってゆく(ソレをカッコつけて書いたのがシンコレ詩)。だからこの人麿も何かの前フリに…考え過ぎかなぁやっぱ(^^;


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「曲作ろうとしても出来なくて」というDJサンへの光の返答の翻訳が少しわかりにくかったかもしれないので補足。光が言いたかったのは「私達がしてる普段何気ない事だって(突き詰めて)考えてみればどうやってそれを成し遂げてるのか理解してるわけじゃない。私の曲作りも同じ事で、確かに曲は出来てるんだけど何故ってきかれると結局何て答えたらいいかわかんないな」てな具合だと推測する。裏を返せば意識的に鍛えてどぉにかなるような能力じゃないよ、と少々残酷な返事をしているとも言える。表現は穏当だが言ってる内容は手厳しい、光らしい答え方だ。


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いいとも出演時新曲そっちのけでクマ押ししてた光。本音だったろうがそれにしてもと思った方も多いと思う。トークも終始残り物の話題で何のこっちゃ、と。でも気付いてみればこれも"私の味覚嗜好の話"で、Flavor(風味)というキーワードとリレイトしているといえなくもない。更に話題の中心となったヨーグルトの名がダノンのビオで、これはアルファベットで書くとBio-通常ならバイオと読み"生命"という意味の語で、Lifeとほぼ同義なのだ。実はコレもFlavorOfLifeの話と解釈可能なのだった。クマ押ししつつちゃんと新曲とも関連づけて話してたんだねぇ…多分故意じゃないだろうけど(笑)


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をした私が言うのもヘンなのだが、ずばり言って光自身はこおゆう風に話題にされる事に余り興味はないと思う。確かに、宇宙一カワイイ人なのでルックスがどおの増減がどぉのとファンが口を出したくなるのも仕方がないとは私も思うが、といってもどう反応すればいいの?というのが光の本音かと。光からしたら自分の話をされるより曲の話をされた方が桁違いに嬉しいのではないかなぁ。自分の事を好きと言われるのも勿論嬉しいけど、自分の(一生懸命)書いた曲を好きだと言って貰った方がその何百倍も嬉しい、というのが作曲家としての正直な気持ちなのだとi_は思う。


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ファンは周知かもだが、光の顔の表情筋は時期により2大別できる。ソレゾレを狐顔・狸顔と呼ぼう。狐顔の時期には目が釣り上がり鋭く厳しい顔になる。主にスタジオワークの頃になるようだ(終わった後にしか露出がない為飽く迄推測)。16歳頃のメッセで「私制作中は怒ってばかり」とあったが、本当にそうなのだろう、ピリピリムードを残している。狸顔は逆にツアー等人と大量に会う頃の顔。目尻が下がり人懐っこい笑顔が戻ってくる。既述の通り人との距離を調える時の緊張が彼女に柔和な笑顔を強いてる訳だ。見た目の印象の差に拘ずどちらの時期も確りストレスに曝されているのである。


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