さて、『Forevermore』はストリングスに始まりドラムスが曲を引っ張ってギターが彩るサウンドだが、宇多田ヒカル的に最も新奇なのはよく動くベースラインである。
宇多田とエレクトリック・ベースは、J-pop(と嘗て呼ばれたジャンル、かな最早)においては珍しい程疎遠であった。兎に角ヒカルはベースを鳴らさない。フルバンド編成の曲ですらベースレスのものがあったほど(『Stay Gold』のスタジオバージョン)。ベースは親の敵なのかと訝る位。例えば亀田誠治プロデュースならこんな事は考えられない。
鳴らしても殆どがルート音のみ、それもバスドラのキックとユニゾンだから大体音を潰される。鳴っているかどうかわからない。鳴っていても「これシンセドラムだから(打撃音に音程を与えられる―トーキングドラムみたいに―)かなぁ?」と錯覚するほどだ。否、ちゃんとベーシストのクレジットあるからっ。
ヒカルはそうやってベースの音を(普通より)間引いておいて空いてしまった低音域をどうするかというと、最初から居るドラムスに更にパーカッションを入れて対応してきたのだ。ベーシストもう既にそこに居るのに…っ! 贅沢というかなんというか、ヒカルのライブでは「ドラマーとパーカッショニストのダブルリズムセクション」が定番となっていた。ベーシストの影はとても薄かった。だってキーボーディストが足で踏んで賄える程度しか音が無いんだもの!(それは言い過ぎ)
恐らく、これはヒカルの曲作りの手順に起因しているのだ。ヒカルはまずリズムパターンをプログラミングする所から始める。超名言『スネアの切なさ』からわかるのは、ヒカルがそのリズムトラックを作るや否や切ないメロディーが現れてくる感覚である。実際にはまずコードを組んで、更にそこからメロディーラインを決定していくのであろうが、ヒカルの場合リズムが出来た時点である意味既に"メロディーが聞こえている"のだ。ちょっと普通じゃない。リズムとメロディーは全く別のもので、組み合わせによってそれぞれに色を変えるものだと我々は思っているが、ヒカルの場合リズムにもうメロディーが"絡みついた"状態で楽曲を生み出すのだ。絡みついているだけに、掘り起こす必要があるが。
普通はリズムとメロディーが別々にあって、その間を取り持つのがベースなのだ。リズム楽器でありつつ、音程を持つ。ドラムスはベースのリズムと呼吸を合わせてグルーヴを作り、ギターはベースのコードに合わせてソロを弾く。そうして"バンド・サウンド"というものが出来上がるのだ。
ヒカルにはそれが必要ない。いや、なかったのだ。リズムパターンからいきなり歌メロだったから。ベースの介在する隙はない。低音を補強しようと思ったら、だから、ひたすら打楽器を増やす方向にしか行かなかったのだ。
それが何故か『Forevermore』ではベースが中央で大活躍しているのだ。その話から又次回。
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