『Forevermore』の歌詞は要するに「あなただけをいつまでも愛してる」という以上の事もなく、裏の意味もなく、ダブル・ミーニングもなく、読んだままである。その為、曲調がシリアスなのに重たくはない。思いは重いが明快な為、淀む気持ちが現れない。
内容がありきたりなのは何といってもドラマに感化された歌詞だからであって、これまたそれもそれ以上でもそれ以下でもない。が、最近のいつも通り、生まれ変わりに言及すると途端に死の影が歩み寄ってくる。
これは奇妙な偏見である。『Goodbye Happiness』にも『Hymne a l'amour 〜愛のアンセム』にも転生話は出てくるが、死は主題ではない。比喩に纏わりついているだけだ。「例え死んで生まれ変わってもまた」と言ってその思いの強さを強調しているだけで、勿論そこで転生を持ってくる事自体が"思想"であるとはいえ、それ以上の他意はない。ところが今、私は『Forevermore』の歌詞を耳にして『あなた』は死んでいるんだな、それは大きな事だなぁ、そう思っている。果たしてこれで、いいのだろうか?
これは勿論考え過ぎである。結果が総て。私がそうとったのだからそうなのだ。まずは、作詞者の意図は関係ない。誤解だろうと何だろうと、歌が人と相対して心が動いたという事実は最早変えようがない。それはまさに歴史的なものの見方である。本質や意図といった抽象は、一旦脇に置かれる。
そして私のように捉える人間は私だけではない。常に圭子さんの影がちらついているのだ。ヒカルが何を歌っても未だにそう穿たれるかもしれないのだから真正面から死と愛について歌ってしまえばそれは粗探しでも曲解でもなくなる。ヒカルがそれを狙っているかはまだしも、意識していないと解釈できる余地はほぼない。
『Forevermore』の歌詞が"素直でない"とすればここだけだ。4年経っても主題として取り上げられる。意識しないで聞ける人はなかなか居ない。居てもうちの読者じゃないから話も訊けない。結局、歴史の中に歌が埋め込まれる。流行歌、大衆音楽としては本望本懐だろうが、普遍性をヒカルに見る者見たい者としては釈然としない気持ちが残る。違う、そうじゃない、と。
話が難しくなったのでここで打ち切るが、その軽さに惑わされている時点でポイントを外している。素直にリズムに乗るのがこの歌の一番素直な楽しみ方だ。あまり深く考え過ぎない方がいい。それはそれなのである。
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