無意識日記
宇多田光 word:i_
 



SACKYが亡くなった。無意識日記の大半の読者にとっては「誰?」なのかもしれないが、今迄のこのBlogの芸風に少なからぬ影響を与えてきた人だし、という事は、これを境にここの筆致に変化が現れるかもしれない。自分でも書いていて予想がつかないが、大いに有り得る事だと思うので、些か触れておく事にする。

彼女が私にとってどんな人だったか、というのを示すには、情緒的な事を一切書かずとも、こう書けば早い。「Twitterでいちばん会話した相手」だ。別にそれが総てでも何でもないし、特にそれについて改めて思う事でもないが、距離感や影響力を想像させるのにはいちばんわかりやすい"数字"だろう。Twitterを始めて私も8年になるから、長期間の傾向であると言ってよいと思われる。

実際、この日記で「絵」とか「写真」とか「マンガ」とか「アニメ」のような、視覚的な作品の話をする時は、ほぼ100%彼女の「目」を意識していた。彼女は別に無意識日記の熱心な読者ではなかったが、「もし彼女に読まれたらどう思うか」は常に意識して書いてきた。

2011年頃から当欄でもアニメの話が増えたのだけれど、長期的にみれば彼女の影響はとても大きい。寧ろ彼女との会話の為にアニメを観ていたまである。何しろ小さい頃からの筋金入りのアニヲタ(の割にやたらめったお洒落だったのでキモヲタからは対極にある"キレヲタ(=キレイなヲタク)"だったのだけれど)なので経験値は半端ではなく、近年はこちらもその経験と鑑定眼を大いに買っていた。半年前会った時に「Webのあらゆるアニメ批評のうちでいちばん参考になるのがSACKY評だ。合点が行き過ぎて未視聴作品を観た気になってしまい結局観ないという現象が起きる位に信頼してる」と言ったら納得した風だった。13年以上も付き合いがあると、お互い相手の趣味嗜好がよくわかるようになるものなのだな。

「いい作品・いい創造性を見極める目」を持っているなと感心したのは、この日記でも度々引用している「創作は制限がある方が捗る」発言である。彼女はドット絵を例にとってこの限られた升目と限られた発色で如何に表現するか、その制限によってどれだけの工夫が生まれるか力説した。理屈には大いに共感したものの、モノホンのプロがそう言うのを聴いて説得力が段違いだなと感心したものだ。年下だけれど、私は大いに尊敬していた女性だった。

こういう風に書くとどうにも堅苦しいけれど、実際の彼女は明るく大きな口を開けて笑う、気さくで冗談好きな、歌と絵の上手い、生真面目でありながら抜くべきところがどこかよくよく知っている、旦那の話をするのが好きな、旦那と話をするのが大好きな、Hikkiとしょこたんをこよなく愛する、ミーハーで食いしん坊でハイカラで背の高い素敵な女性だった。ただそれだけだ。

その「目」が今後はなくなる。だけど、自分が今後どう書いていくかはわからない。なんだか、全然相変わらず「こう書いたらSACKYはどう思うだろう?」と考えながら日記を書く気がする。元より無意識日記に対する反応は少ない。最後に「いいね」をくれたのは「けものフレンズ」の魅力を力説した回だった。結局アニメネタかよ。お互い宇多田ヒカルが好きで知り合ったというのに。やれやれだぜ。そんななので、冒頭とは異なる結論になりそうだが、私は変わらず彼女の「目」を意識しながら生きていくと思う。もう変えようが、なさそうだ。

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『Forevermore』はドラマにハマり過ぎるほどハマっている。ドラマにのめり込めない勢からすれば曲にドラマのイメージが染み付いてしまうのはよしとしないかもしれないが、佐ほど抵抗なく毎週見ている身としては「限りなくベタだなぁ」と半ば呆れながらそのハマり具合を楽しんでいる。

俗っぽ過ぎる程に俗っぽい、もうどちらかといえば昼ドラに近い作風なのだが、それにこういうモダンなサウンドをアジャストさせてくるとは素直に恐れ入る。いつでも幾らでも高尚になれるんだろうに「大衆の音楽」としての矜持を忘れない。一周まわって誇り高い。

歌詞の使い勝手もいい。お馴染み視点の転換も見事に許容してくれる。TBSドラマとしては冬彦さんの最終回を思い出すが(話が古すぎる)、歌詞の視点が主人公だったり、相手役だったり、不義の相手役だったり、親だったり友だったりを想起させるのは大事である。特に今回は「息子を溺愛する母」と「(実の)息子を毛嫌いする母」の両方が出てくるのが興味深い。

マザコンを、息子の方からではなく母親の方から描く視点はそれこそ視聴者層が限定された昼ドラの手法だが、宇多田発言監視隊からすれば(何なんだそれは)、母親から天使とも悪魔とも呼ばれたヒカルの心境を慮らざるを得ない。

「子を愛する母」と「子を嫌う母」。ドラマの中ではそれを生き別れた兄弟の弟と兄に割り振っているのだが、ひとりっ子のヒカルはその両方をいっぺんに、或いは日によって代わる代わる体験した。具体的なエピソードは知らないのだが、不安定な圭子さんの精神がヒカルに希望と絶望の両方を等しく与え続けたといえる。その「運命と和解」する為には歳月を要しただろう。

その二面性ある背景を念頭におきながら『Forevermore』の『あなただけ』という歌詞を聴くと切ない。母からみれば子は2つに(まるで"2人"に)見えているけど、私にとっては「たったひとり」の存在なのだ。

ドラマの中で生き別れた兄弟がそれぞれに母との運命に和解するプロセスが描かれるとすれば、ヒカルの精神史を考える上でも参考になるだろう。テレビドラマなだけに、わかりやすい形で描いてくれる筈である。

とはいえ、いかに悲劇と悲恋の物語とはいえ、これはあクマで娯楽作品。そのようなややこしい事は考えず、素直に登場人物たちの数奇な運命に一喜一憂するのが楽しみ方ってもんだろう。『Forevermore』は、その物語を彩る素敵なサウンドトラックになっていればそれで十分なのである。肩の力を抜いて引き続き視聴を…って明後日放送ないんだっけ!?(笑)

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