無意識日記
宇多田光 word:i_
 



にしても配信の画質は相変わらず。5分の曲のミュージックビデオの容量が70MB行かない、ってハイレゾファイルより軽いやんか…。今時お金を取るなら画質はBluray以上4K未満、60fps、音質は当然ハイレゾでしょ。確かにこのサイズだとダウンロードトラブル多発だろうから現実味ないけれどそりゃあBluray-Videoで出せばいい。YouTubeじゃ1080pの高画質動画が無料で沢山みれるのにそれより遥かに劣る画質のビデオを400円で売るとか一体何なのだろう。迷わず買った人の言うセリフじゃないですが、せめて映画みたいにSD画質とHD画質の2種類を売ってくんないかな。不可能じゃないと思うんだが。

あいや勿論、Blurayでミュージックビデオ集をリリースしてくれるんならそれで万事OKですのよ。DVD出してくれても両方買うけど。

私は画質にそんなに拘る方じゃない筈なんだが、流石に普段観ている動画の数々より目に見えて画質が低いと再生した瞬間に「あちゃー」となったよ。なんでだろうね、昔は音質にこだわるあまりCCCDすらつっぱねたチームなのに、あんな低画質なオフィシャル・リリースを許していていいんだろうか? 音楽配信は、例えばiTunes Storeではビットレート256kbpsのaacファイル(拡張子はm4a)だけど、これを「48kbpsのmp3ファイルで売りますよ」って言ったら断るでしょ? 今ビデオでそれやってんだよね。別に目を見張る程美麗でなくたっていいんですよ。ただ、周りの環境がもう変わってるんですよ。スマートフォンは大体Bluray画質の動画を再生出来るんです。タブレットやPCなら尚更。うちのディスプレイの解像度は(メッセのスクショサイズでバレてるかと思いますが)3200x1800なので、ミュージックビデオの配信動画の画質は、そりゃあ粗いですよ…。

先程言った通りミュージックビデオを収録したBlurayを単独でも付録でもどこかでオフィシャルリリースしてくれたらこの愚痴っぽい評価はテノヒラクルーしますので、悪しからず。でもそれまでは愚痴るぜ。


ただ、クリエイティブに関しては、画質へのこだわりはもう流石に避けて通れない気がする。デジタル世代に入って、例えばテレビでのスポーツ生中継はカメラワーク自体が変わった。サッカーなどは、解像度が上がったお陰で多少引きの絵でも背番号が読める、顔もわかるという事で俯瞰と局所展開の把握が両立させやすくなったのだ。精度が上がれば表現方法も伝達方法も共に進化するのである。

そこまでいかなくても、例えば映画館の銀幕とお茶の間のテレビでは大きさが違うせいで画面の使い方がまるで違う。劇場版を家で見ていてなんか変に感じるのはこの為だ。映画館なら群雄割拠を引きの絵で描いても様になるが家のテレビだとゴチャゴチャするだけ、なんて事がよくあった。

映像作品を商品としてオフィシャルリリースするなら、そういった要素にも気を配るべきだ。解像度の違いによって作品自体が変質する可能性などを視野に入れていこう。でないと、悪い意味で「宇多田の映像は古臭い」と言われていきかねない。


勿論、私が音源に対して常々「AMラジオから聞こえてきてもちゃんと聴けるようなサウンドを」と言ってるのと同じように、映像作品に関してもたとえ低画質で再生されてもある程度魅力が伝わるようにする工夫は必要だ。しかし、自ら音質/画質を落として提供すべきだと言っている訳ではない。ハイレゾ音源同様、配信映像もこだわりのクォリティーを見せつけて欲しい。折角今のヒカルは(相変わらず)美しいのだから、ワンカットでも多く捕らえて後世にその美しさを伝えましょうぞ。…結局の所私の本音はそこにあるんですか…?(汗)

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『Forevermore』のミュージックビデオ配信販売開始に伴い、メイキングのダイジェスト映像約5分も公開された。いやはや、成り行きでダンスが難しくなっていったのか。あの様子だと、ダンスをし始めてたから踊ってみたというよりは、ここで踊ろうという事で踊り始めたようだ。それであの出来なのだから恐れ入る。ほぼ初心者じゃん。

で、監督から例のエンディングのカメレオンに関するコメントがあった。曰く、「新しい曲、新しい時代が生まれた象徴」なんだそうな………


………そんだけ?


やれやれ、一瞬でも期待した私が馬鹿だった。つまり、何も考えてなかったのね。大方の予想通りか。

何しろこちらはシャフトによる西尾維新の物語シリーズのアニメ化の一区切りに立ち会った所なので、どうしたって映像ワンカット毎にしっかりした意味を求めてしまう。原作からして全体の構成力は突出しているのだが、シャフトにかかれば映像にすら総てのカットに構造的な由来を付する事が出来ると思い知らされたばかりだ。まぁシリーズ始まってもう8年?とか経つので"今更な感心"ではあるのだけれど。

なのでややi_さんの筆致が辛辣になっている可能性がある。もう一週間前だったらこんな風にはならなかったと思われる。

で。カメレオンは結局「新生の象徴」でそれ以上の意味づけは期待出来なさそうだ。問題なのは何故それがウミガメでもカモノハシでもなくカメレオンなのかという点なのだが、時々居る(いや多数派なのかもしれない)英欧の映像監督の傾向だろうか、「ロジックに関心を払わず、フィーリングとインスピレーションで表現する」というタイプなのかもしれない。

これは国民性の差とすら言えるかもしれない。日本人は歌詞にストーリーを求めるので、彼らがリズムや語呂を組み合わせただけの歌詞を歌うのが理解できない。「これどういう意味なの?」「意味なんてないよ?」というやり取りはもう半世紀以上ずっと続いている。歌詞ですらそうなのだから、もっと直観的な映像分野では何をかいわんや。

いや、日本人だけがそういう面に厳しいという訳ではない。例えばピクサー作品なんかは(最近のは知らないけれど昔は)伝統的に、それこそ日本のアニメと同様に「ワンカット毎に緻密に意味を持たせる」事を得意としてきた。国や言語で分けるのは少々乱暴なのだ。兎に角、今回我々はそういう直観的な映像監督にぶち当たった、というだけの話だ。

ほんの少しの気配りの差なんだけどなぁ。例えばカメレオンの誕生場面の後に、実は今までのダンス風景は親カメレオンの眼球に映った映像でしたというズームによるカットを入れる、なんていう結構安直な映像を追加するだけで感想はガラリと変わる。それだけで視聴者は「これは親が子を奪われたという事なのか? それとも彼女(親カメレオン)は夢でも見ている? ヒカルは生命を司る精霊のような存在なのか?」と際限なくストーリーを考えてくれる。ほんの少しインスピレーションに対して関係の言及を行うだけでいいのだ。それを今回の監督はしなかった。それだけである。

例えば今度ミュージックビデオを集めたBlurayをリリースする時にエンディングを延長したバージョンを収録したりなんかすれば面白いんだけどな。それ位はやってもいいと思うぜよ。なんか、色々と勿体無いミュージックビデオである。勿論私は全然嫌いじゃないんだが。

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