無意識日記
宇多田光 word:i_
 



11月13日今週7稿目だったのになぁ(ヒント:素因数分解)。続き。では光が理性で閉じ込めてる心の底からの訴えとは一体何なのか。ちょー納得する位だから大いに心当たりがあるんだろう。発言一言々々に神経を摩耗させる影響力を持つ立場の光、自制すべき行動も多い。なのに今を『訴えを、聞いてあげないといけない時』というからにはその自制を実際に解くと考えるべきなのか。面白くなりそうな怖いモノを見る様な複合的な気分だが、もし光がパンドラの筐を開け己の欲望を解き放つのなら、ソレはクマチャンキグルミの次の段階になる気がするよ。時計の針が動き始めた、かな?

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一連のメッセを経て漸く"安心"のヒトコトを得られコチラも一安心-と云えるかやや不安な私。老婆心な補足を試みる。僕らは自らの感情の正体をサッパリ把握していない。ソレが何であるか"理解される"のは感情が表現によって昇華された時、つまりその感情を失った後の事なのだ。表現が強い持続性再現性を伴う時ソレを作品と呼ぶ。作品が現れる過程を調える役割を理性というが、しばしば理性は表現自体を拒む事がある。その時感情は必死に出口を探し主の行動の隙をつきにかかる。その叫びの連なりを人は無意識と呼ぶ。光の無意識の発現の場たるメッセはだから大切なのである。

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