無意識日記
宇多田光 word:i_
 



一連のメッセを経て漸く"安心"のヒトコトを得られコチラも一安心-と云えるかやや不安な私。老婆心な補足を試みる。僕らは自らの感情の正体をサッパリ把握していない。ソレが何であるか"理解される"のは感情が表現によって昇華された時、つまりその感情を失った後の事なのだ。表現が強い持続性再現性を伴う時ソレを作品と呼ぶ。作品が現れる過程を調える役割を理性というが、しばしば理性は表現自体を拒む事がある。その時感情は必死に出口を探し主の行動の隙をつきにかかる。その叫びの連なりを人は無意識と呼ぶ。光の無意識の発現の場たるメッセはだから大切なのである。

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コメント
 
 
 
mo-せんかい (かのこ)
2008-11-12 20:13:17
おめでとうっす☆
 
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