ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

反省

2015年05月19日 | その他

 昨日はひどい二日酔いで仕事を休んでしまいました。
 日曜日に明るいうち、16時ころから飲み始め終わりはいつもと同じ21時まで引っ張ってしまったのが失敗のようです。
 こういうことは数年に1度あります。

 反省しつつ、今日はしっかり1日分仕事が溜まっており、この湿気も手伝って、しんどい一日になってしまいました。

 反省、反省。

 

  


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事故

2015年05月17日 | その他

  今日、京葉道路を首都高速方面に向かって走行中、事故渋滞にはまりました。
  はるか前方から黒煙があがり、消防車やらパトカーやらが次々と路側帯を走っていきます。
 1時間ほどぴくりとも動かず、やっと1車線のみ動き始め、事故現場までたどり着いてみると、大きなワゴン車が真っ黒に焼けて煙をはいていました。

 あの様子ではドライバーの命は無いでしょう。


 嫌な予感がして、隅田川沿いを散歩するつもりだったのを急遽取りやめ、帰宅して1人、人の死、それも突然の事故死について思いをめぐらせました。

 嫌な日曜日になってしまったものです。

 

 

 


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ここだけが現実の世界じゃないのよ

2015年05月16日 | 文学

 ぐずついたお天気の土曜日。
 大人しく読書などして過ごしました。

 昨年、御大・筒井康隆が8年ぶりに出版したという短編集「繁栄の昭和」を楽しみました。

 あなたのいるここだけが現実の世界じゃないのよ、というキャッチ・コピーも魅力的。

繁栄の昭和
筒井 康隆
文藝春秋

 怪人二十面相誕生の秘密を独自の解釈で繰り広げた「大盗庶幾」
 あっと驚く内容でした。

 登場人物で探偵小説好きの法律事務所の事務員が、自分たちの存在は執筆中の探偵小説の登場人物であり、いつまでたっても年をとらず、町並みも古びないことをもって、執筆が中断されているに違いないと気付く幻想譚「繁栄の昭和」

 戦前だったり高度成長期だったり、昭和と言う時代を舞台にしたノスタルジックな作品群は、私を圧倒させました。

 御大も80歳を超えて、かつての「虚人たち」「虚構船団」のような、とてもついていけない実験的な作品に挑む力は失せ、筆力の衰えを隠そうともせず、ノスタルジックな作品を物すとは、なかなか良い年の取り方とお見受けします。

虚人たち (中公文庫)
筒井 康隆
中央公論社

 

虚航船団 (新潮文庫)
筒井 康隆
新潮社

 もう一冊、最近出たばかりの最新の短編集も購入したので、こちらも楽しみです。

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テロもしくはクーデター

2015年05月15日 | その他

 今日は5月15日。
 すっかり初夏の雰囲気です。 

 昭和7年の5月15日も、過ごしやすい陽気だったのでしょうか。

 昭和7年の5月15日といえば、言わずと知れた五.一五事件が起きた日です。
 後の二.二六事件と並び称せられますが、二つの事件は性格を大きく異にします。

 五.一五事件は昭和維新を唱える海軍将校が主導して起こしたものですが、下士官兵の動員は行わず、武器も密かに調達した拳銃で、軍装品ではありません。
 いわば暗殺テロですね。 

 二.二六事件は同じく昭和維新断行を唱える陸軍将校が起こしたものですが、下士官兵を大量に動員し、武器も軍の物を使い、一気に政権を奪おうとした本格的な軍事クーデターです。 

 首謀者らに対する刑罰も大きく異なっています。

 五.一五事件では国民の間から減刑を求める運動が起こり、首相を暗殺したにも関わらず、せいぜい懲役15年程度。
 軽い者では5年程度です。

 これはテロリストに対するものとしては、どう考えても軽すぎるでしょう。

 一方、二.二六事件では昭和陛下が激怒したこともあって、裁判は一審のみ、弁護人なしという苛烈なもので、首謀者の将校たちは早々に処刑されています。
   彼らは五.一五事件で軽い判決が出ていることから、刑罰は軽いはずだと楽観視していたと伝えられます。
  それだけに、自分たちが正義と信じる昭和維新を否定した昭和陛下への恨みは深く、獄中日記では陛下への恨みつらみが激しい言葉でつづられています。
 それは以下のような文章に表れています。

 天皇陛下、何という御失政でありますか。何というザマです。国民の9割は貧苦にしなびて、おこる元気もないのでありますぞ。此のごとき不明を御重ね遊ばすと、神々の御いかりにふれますぞ、如何に陛下でも神の道を御ふみちがえ遊ばすと、御皇運のはてることもございます。

 
彼らの最大の失敗は、宮城を襲って昭和陛下を軟禁して銃で脅して従わせるか、従わない場合は暗殺して言いなりになる宮様を天皇に据えるくらいの冷酷さを持たず、無邪気にも昭和陛下は自分たちの愚かな考えに共鳴するはずだと信じてしまったことでしょうねぇ。

 二.二六事件が起きたのは昭和11年。
 五.一五事件から4年弱の時を経ています。
 この4年の間に、わが国の空気が変化したのでしょうか。 

 また、二.二六事件で動員された下士官兵は、事件の目的も知らず、ただ命令に従っただけということで、お咎めなしとされましたが、実際はその後の戦争で軒並み激戦地に送られたと伝えられます。 

 故柳家小さん師匠がこのとき兵士の一人として動員されたそうです。 

 嘘か真か、自衛隊でもたびたびクーデター計画が発覚し、そのたびに闇から闇に葬られてきた、という噂が後を絶ちません。
 「皇帝のいない八月」という映画では、自衛隊の若手将校による日本国中を巻き込んだ大規模なクーデター未遂事件が取り上げられています。



あの頃映画 「皇帝のいない八月」 [DVD]
渡瀬恒彦,吉永小百合,山本圭,三國連太郎
松竹

 少なくとも今、わが国で軍事クーデターによる政権転覆が起こるとは考えられません。
 比較的政治は安定しているし、国民の多くが飢えているという状況ではありませんから。

 五.一五にしても、二.二六にしても、昭和大恐慌やら、米国との対立やら、不幸な状況が重なって起きた事件だったのだろうと思います。

 現代を生きる私たち日本人は、ほとんどが暴力を否定しています。
 しかしいつの時代も、暴力に訴えてでも自分たちの主義主張を通そうとする集団がいるものです。
 極左に極右、それにオウムなどの新興宗教。

 そのような集団は厳しく処断するとともに、私たち自身もまた、暴力を拒絶し続ける強さが求められましょう。
 そういう意味で、オウムの末裔がアーレフだの光の輪だのに分派しつつ、生き残りを許してしまったことは、公安の失態だと断じざるを得ません。

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ホタルイカ

2015年05月14日 | その他

   最近、ホタルイカの素干しにはまっています。
   これをライターで一瞬だけあぶって齧ると、絶妙な香ばしさとワタの味わいが楽しめるのです。

  日本酒との相性抜群です。

 これでますます酒が進みます。

  良いんだか悪いんだかわかりません。

 

ほたるいかの素干
浜浦水産
浜浦水産

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酒やめむか

2015年05月13日 | その他

  勤労すなわち、金を得む。
 金、酒に化けること必定なり。
 酒、心地よし。
 しかれども、体痛めつけること甚だし。 

 古人曰く「分かっちゃいるけど止められねぇ」。
 我が意を得たりと感得す。 

 我が酒量多からずといえども過ぎたる宵も少なからず。 

 我、酒を止めむか、あるいは減らさむか。 

 朝の我、酒止めむと志す。
 宵の我、酒欲すること甚だし。
 ついには一杯また一杯。

 朝の我と宵の我、別人のごとくなり。 

 我が愚かなること自覚すれども酒断ちがたし。

 主治医曰く、一合にて止めれば薬となり、二合にて止めれば毒にも薬にもならず、三合に至りて毒となるべし。
 その言に従いて一杯で止めむと欲すれど、また一杯を注ぎ、ついには三合に至る。
 真に真に愚かな仕儀と嘆けども、連夜この愚を繰り返す。 

 我、酒で命を落とさむか。

 主治医宣告す。
 酒量を減らざれば二十年のうちに命を落とすべし。 

 我、失笑せざるべからず。
 二十年とはなんぞ。
 かくのごとく先を見通すは、鬼神の技なればなり。
 主治医の宣告、我をして安心せしめたり。 

 二十年を経ずして肉体の不調覚えること必定なれば、苦痛逃れたるの一心にて、我、軟弱にも肉体労わること明白なり。

 我、苦痛怖れること常人に倍すればなり。

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外弁慶

2015年05月12日 | その他

 昨夜、久しぶりに古い女友達と飲みました。

 彼女とは13年ほど前に同じ職場に勤めていたのですが、出産を機に退職。
 先月から非正規雇用で私の職場に勤め始めたので、旧交を温めようという趣旨です。

 私の女友達としては珍しく、明るく素直な性格で、あまり面白味はありませんが、幸せそうな笑顔を見ていると、なんとなく、こちらも幸せな気分になってきます。 
 ただ、彼女はお酒が弱い質なので、終始ソフトドリンクです。
 それだけに乱れることはあり得ず、やや物足りない気分です。

 考えてみると定期的に会う女友達はみな独身で酒が飲める者ばかりです。
 そのほうが誘い易いし、気楽なのでしょうね。

 昨日飲んだ友人は子供が二人。
 そうしょっちゅうは誘えません。 

 独身の友人と既婚で子持ちの友人とでは、自ずと価値観とか生きるスタンスが違ってくるようです。

 で、やっぱり独身生活を謳歌している女友達と飲むほうが楽しいですねぇ。

 私は一応既婚ですが、子供がいないうえ、同居人は私を束縛するようなことはなく、私も束縛しないため、「同居人」とは思えても、「妻」とか「家族」という気がしません。
 なんだかルームシェアをしているような気分です。

 男女間に友情は存在し得るか、というおバカなことを言う人がいます。
 そんなの存在するに決まっているではないですか。
 同じ人間同士なのだから。

 ただし、そこにはほんのわずかばかりの恋愛感情みたいなものがあって、しかし決して手を出さず、危ういバランスの上で関係性を維持しているように思います。   

 これが男女の友情を維持せしめるスパイスになっているように感じています。
 
 要は相手を尊重することです。
 それが友人であれ、家族であれ、意見が異なっていても、とりあえずは相手のすべてを肯定することです。

 それが人間関係の要諦でありましょう。 

 私も同居人も相手を尊重するので、同居して17年になりますが、一度も喧嘩したことがありません。
 冷たい関係のように思われるかもしれませんが、仲は極めて良好です。

 考えてみると、私は身内と喧嘩したことがほとんどありません。
 喧嘩の相手は主に上司など目上の人と決まっています。

 そんな私を、同居人は外弁慶と呼びます。
 内弁慶というのはよく聞きますが、外弁慶というのは聞いたことがありません。 

 職場など、家の外では傲岸不遜に振る舞い、世界一偉いみたいな顔をして、家では大人しくするどころか、嬉々として家事に精を出したりするからでしょうねぇ。

  私はこれからも、同居人との良好な関係を保ちつつ、多くの女友達との交友を続けるでしょう。 

 もはや女性を異性として見ることが困難になった私には、それは容易いことです。

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暗澹たる

2015年05月11日 | 仕事

 また一週間が始まりました。
 毎週のことですが、月曜日はなんとなく憂鬱ですねぇ。

 やや哲学的なことを考えずにはいられません。
 
 生きることとは?
 仕事とは?

 ということ。

 昔、「働くことがイヤな人のための本」というのを読んだことがあります。
 筆者自身、働くことがイヤで30代半ばまで定職に就かなかったという人で、今は哲学者として大学で教えているそうです。

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)
中島 義道
新潮社

 当たり前ですが、禅問答のような内容で、すっきりするどころか余計もやもやしたことを覚えています。
 嫌だ嫌だと言いながら、丸23年も働いて、24年目に突入してしまいました。
 正直、こんなに続けられるとは思っていませんでした。

 続いた理由は明白で、収入が無くなることへの恐怖です。
 生活レベルを落とすことに対する恐怖と言ってもいいかもしれません。

 おそらく、大方の人は、天職だなどとはかけらも思わず、ただ生活を維持するために、たまたま縁があった苦役のような仕事を続けているのだろうと思います。

 自己実現だとか、ポジティブ・シンキングだとか、キャリア・アップだとか、きれいごとを並べ立てたところで、仕事なんかしたくない、という強烈な思いが消えることはありません。

 今は定年だけが楽しみです。
 高度経済成長期のモーレツ社員だって、似たようなものだったのではないかと思います。

 働くのがイヤだというのは感情の問題で、どんな論理的な説明を見つけたところで、感情ばかりはどうしようもないのだろうと思います。

   私は仕事が嫌いなため、嫌いなことはさっさと済ませて楽になりたいと考え、結果として仕事の能率が上がって早くなり、しかもやり直しなんて面倒なことは死ぬほど嫌なのでミスもほとんどなく、結果として「あいつに任せれば早いからやらせちゃえ」となり、断ることすら面倒くさいのでとっとと済ませてますます仕事が増えるという悪循環に陥っています。

 損な性分だと思います。 

 残業なんて絶対やりたくないので勤務時間中は鬼の形相で仕事をこなし、定時になると疲労困憊して帰宅し、疲れを癒すために酒を飲みます。

 平日の私は、生きているというより死んでいないと言ったほうが正確でしょうね。

 しかもダラダラ雑談しながら効率悪く長いこと残業をしている不逞の輩たちは残業代をしっかりもらって私よりはるかに多く稼いでいます。
 そんなやつが大勢いるのです。 

 全くサラリーマンの事務職なんて馬鹿馬鹿しい世界だと思わざるを得ません。
 そんな仕事辞めてしまえとよく思いますが、今更転職なんかしたら給料は激減するでしょうし、そもそも転職すること自体、年齢的に言って無理でしょう。

  自らの選択とはいえ、愚かな世界で生きてきたものだと、呆れるやら、我ながら辛抱強いと感心するやら、奇妙な心境です。

  なんだかすっかり愚痴になってしまいました。

 しかしこれこそ凡人に共通の思いだろうと推測します。

 唯一の救いは、病気休暇を経て後、休日や平日の夜など、勤務時間外に仕事のことを考えて悶々とすることがほとんど無くなったことですかねぇ。
 私が大失態をやらかしても責任を取らされるのは上司だし、職場で混乱が起きようが知ったことかという、開き直りの態度が見につき、すっかり図々しくなりました。

 でも精神科医は、それは良い図々しさであり、精神的に健康な証拠だと褒めてくれます。

 私はお尻がむず痒いような気持ちで褒め言葉を聞き、このままあと15年弱も今の生活が続くのかと、暗澹たる気持ちになるのです。

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暑い

2015年05月09日 | 散歩・旅行

  今日は馬鹿に暑かった ですねぇ。
  今日もお休みの日の例に漏れず、着物で近所を歩き回りましたが、さすがにもう長襦袢は暑いようです。

  来週からは半襦袢にしましょう。
  着物はまだ夏物は早いようですが、今日から羽織は止して着流し、それに足袋もやめて素足に草履です。
  さらには日除けのパナマ帽。

  いつの時代の人だか分かりません。

  まぁ、一種のコスプレですな。
  それで気分良くなって、時折「格好良いですね」だの「素敵なお着物ですね」だの、「着慣れていらっしゃる」だのと、声を掛けられるとますますつけ上がるというわけです。

  一番困るのは職業を聞かれること。

  明らかに書家だの呉服屋だのといった、いかにもな職業を期待しているのが見え見えなのですよ。

 それを木っ端役人とは言いにくい。

 私の見栄っ張りも相当なものです。

 これからも見栄を張り続けていくつもりです。


 


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永遠の0

2015年05月09日 | 文学

  久しぶりに長い小説を読みました。 

  「永遠の0」です。
    

永遠の0 (講談社文庫)
百田 尚樹
講談社


   正直、私の言語感覚から言うと、美しい文章ではありませんでした。
   てにをはも変でしたし。

   それでも、読ませる力技は見事なものでした。
   これがエンターテイメントの力かと思いました。

   お話は、特攻隊で亡くなった祖父の人となりを追って、孫の姉と弟が当時の知りあいを訪ね歩き、祖父の零戦乗りとしての生活を知って行くという単純なものです。

 ある人は臆病者と罵り、ある人は海軍一の操縦士と誉めそやします。

 いずれにしろ、祖父は当時としては珍しく、軍国主義の風潮に染まることなく、堂々と、家族のために生きて帰りたい、と口にするのです。

 その一方、零戦は太平洋戦争当初、無敵の怪物でしたが、末期にいたって米国は零を凌駕する飛行機を作り、特攻を行う頃にはもはや老兵でした。

 しかし祖父は、あまたの同僚や部下を戦闘で失ううちに心が変わったのでしょうか、家族のために生きて帰ると露骨には言わなくなります。

 司令部において、特攻は多く、経験の浅い学生あがりが命じられてきましたが、ついに、日中戦争の頃から敵機と渡り合い、10年近くも生き延びた熟練の祖父までも、特攻に駆り出すのです。

 そして祖父は、多くの特攻機が撃ち落とされるなか、海面すれすれをとんで敵のレーダーをかわし、敵機が攻撃できないまでに高度を落とし、敵空母まで達するや、やにわに上空に飛び、ほとんど直角で敵に体当たりするのです。

 この物語は、1人の優秀な戦闘機乗りとその家族、さらには孫やかつての戦友までも巻き込んで、まるで大日本帝國の敗戦責任を問うがごとき迫力に満ちたものです。

 私はぐいぐいと引き込まれました。

 しかし悲しいかな、文章はプロのものとは言いがたい、稚拙なものでした。

 世の中にはうっとりするような美しい文章で、およそつまらない物を書くひとがいます。

 吉田健一なんかそうでしょう。

金沢・酒宴 (講談社文芸文庫)
四方田 犬彦
講談社
東京の昔 (ちくま学芸文庫)
吉田 健一
筑摩書房


 一方で、およそ下手な文章で素晴らしく面白い物語を紡ぐひとがいます。

 天は二物を与えずとは、こういうことを指すのでしょうか。

 「永遠の0」の作者に筆力を与えたなら、怖ろしい作家になるでしょうねぇ。

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五月病

2015年05月08日 | 精神障害

 大型連休が明けて、新人諸氏をはじめとして、環境が変わった人々が五月病に苦しむ時季になりましたね。

 私も連休明けの出勤は憂鬱でしたが、出勤してしまえば目の前の仕事に追われて五月病に罹っている暇はありません。

 私の実感では、むしろ四月病に罹ることが多いように思います。
 一番慣れない頃ですね。
 世間では少し慣れた頃合いが難しいと思われているようですが、やっぱり右も左も分からないという状態がしんどいような気がします。

 時間という 薬が効くのを 待ってるの

 某新聞に掲載されていた川柳です。

 まこと、そのとおりですねぇ。
 精神上の痛みに特効薬はありません。
 時の流れが癒してくれるのを待つのが一番です。

 ただし、それが長い時間を要する重症の場合、服薬治療や休養が必要となり、精神障害と呼ばれるのでしょうね。

 いずれにしろ人間の精神というもの、強いようで弱いのか、弱いようで強いのか、よく分かりません。

 私が精神上の問題で苦しんだのはもう5年以上前で、その時自分がどんな状態だったのか、よく覚えていません。
 人間、辛い過去は忘れるように出来ていると言いますからねぇ。

 一方、いつまでも過去のトラウマから逃れられない人も存在します。
 それほどトラウマが強烈だったのか、あるいは適切な治療を受けられなかったのか、どちらかなんでしょうねぇ。

 きれいに治ってしまった私から見ると、お気の毒で仕方ありません。

 幸いにして、私の職場では五月病に罹患した人はいるかもしれませんが、出勤できないほどの者は今のところいません。

 新人たちも元気に出勤しています。

  憂色濃かった私の新人時代を思うとき、彼らの姿は眩しく、輝いて見えます。
 
  もちろん、その内面までは知りようがありませんが。 

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設定完了

2015年05月07日 | その他

 今日、アップルストアからIPad miniが届きました。



 早速自宅のパソコンとLANケーブルでつないで設定しました。 

 意外に簡単でしたね。

 無線のキイ・ボードにも楽々つなげました。



 これからの情報環境が楽しみです。

 


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IPadミニ

2015年05月06日 | その他

 私は自宅にDELLの21インチのデスクトップを置き、携帯用にレッツ・ノートの10型を使い、スマホは持たず、ガラケイでしのいでいました。

 今回、旅行にレッツ・ノートを持っていったのですが、液晶の一部が黒ずみ、通信速度にもストレスを感じたので、インターネットのアップル・ストアでIPadミニを購入しました。
 明日の夜、届く予定です。
 従兄がIPadを使っていて、これは良いと思ったことも大きいですねぇ。


 通信会社を使うと月々の通信料が高いので、今日、nanoSIMを買ってきました。

 レッツ・ノートは3年半ほど使用しましたが、もう駄目なようです。
 今後、旅の友はIPadミニになります。
 スマホはブログの記事を書くには画面が小さ過ぎるし、電話やメールはガラケイで十分なので、ガラケイとIPadミニで出先での通信を行おうと思います。

 オプションで折りたためる小型のキイ・ボードとSDカードカメラリーダーを購入したので、入力や写真のアップにストレスを感じないで済むのではないかなと想像しています。

 SIMの設定がやや不安ですが、同居人はSIMのスマホを使っていますので、設定は手伝ってもらおうと思っています。

 あぁ、明日の到着が楽しみですねぇ。

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歩いて飲んでしゃべって

2015年05月05日 | 散歩・旅行

 昨日、京都から帰ってきました。
 5月2日の午前10時25分、新幹線の京都駅に降り立つと、従兄夫婦と、博多で1人暮らしをしている伯母が出迎えてくれました。
 伯母は数日早く京都入りしたのです。
 ホームまで迎えに来てくれるとはありがたいことです。

 京都駅近くに停めてある従兄のアコード・ハイブリッドに乗り込むと、一路大原三千院を目指しました。

 ゴールデン・ウィークで混雑する洛中は避け、三千院に向かうという粋な計らいです。
 たしかにそれほど人は多くありませんでした。

 三千院では中庭を眺めながらお抹茶と羊羹をいただきました。




 結構歩いたので、良い休憩になりました。

 とくに伯母は80歳ですので、いくら健脚とは言ってもきつかろうと思いましたので。

 三千院近くの蕎麦屋でとろろ飯とつめたい蕎麦のセットを食しました。
 普段セットなんて食わないのですが、腹が減ったようです。

 その後従兄のマンションに向かいました。
 従兄のマンションはバリバリの新築で、しかもエントランスが広く、豪勢でしたねぇ。
 寺田屋のすぐ近くということで、幕末ファンの観光客が引きもきらず、そう広くない道が混雑していました。

 マンションで一服し、疲れを癒してから近所の城南宮と御香宮という神社に向かいました。
 京都には何度も行っていますが、この二つの神社はその存在すら知りませんでしたねぇ。
 行ってみたらたいそう立派な神社で、城南宮では毎年4月の終りに優雅な曲水の宴を行うそうです。


 
 宴がもう一週間遅ければ見られたものを。

 城南宮は曲水の宴で有名で、御香宮は名水が湧き出ることで有名だそうで、多くの人がペットボトル片手に水を汲みに来ていました。



 私も飲んでみましたが、名水かどうかは分かりません。

 夜は近所にある町家を改築した店で懐石です。
 しこたま酒を飲み、マンションに帰ってからも日本酒を飲みなおし、ずいぶん酔いましたが、翌朝まったく残っていなかったところをみると、良い酒だったんでしょうねぇ。

 翌日はドライブがてら奈良に向かいました。
 私が唐招提寺に行ったことがない、と話したからでしょうねぇ。

 唐招提寺・薬師寺・法隆寺と、京都ではありえないくらい広い寺を歩き回り、疲労しましたが、伯母は元気に歩き回っていました。

 その日の夜は大衆的なたたずまいの割烹でしたが、ここは抜群に料理が旨かったですねぇ。

 岩牡蠣、ホタルイカの天婦羅、刺身、野菜、どれも旨くて、わけても最後に食った鯖寿司は、今まで食ったどんな鯖寿司よりも美味しくいただけました。
 まるで違う料理みたいです。


 で、その日の夜も痛飲。

 昨日は滋賀県で信楽焼きの市を開いているというので、出かけました。

 これでもか、というほど3メートルはあろうかという巨大なものから、豆粒みたいに小さなものまで、タヌキの置き物が売っており、果たして蕎麦屋以外に誰が買うんだろうと不思議でした。

 私はなぜか青いフクロウが一目で気に入り、1,600円で購入。



 家についてからもフクロウをなで続け、同居人から気味悪がられたりしています。

 信楽から京都駅に向かい、15時29分の新幹線で帰宅の途につきました。

 よく歩き、飲み、しゃべった、楽しい3日を過ごせたこと、従兄夫婦と伯母に深く感謝しています。


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従兄宅(京都)へ

2015年05月02日 | 散歩・旅行

   5連休初日の朝を迎えました。

 これから2泊3日で、ご栄転に伴い新居を構えた従兄を訪ねるべく、京都に向かいます。
 従兄宅に泊まらせてもらい、従兄の車で京都を案内してもらう予定です。

 行ってきます。


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