ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

テロもしくはクーデター

2015年05月15日 | その他

 今日は5月15日。
 すっかり初夏の雰囲気です。 

 昭和7年の5月15日も、過ごしやすい陽気だったのでしょうか。

 昭和7年の5月15日といえば、言わずと知れた五.一五事件が起きた日です。
 後の二.二六事件と並び称せられますが、二つの事件は性格を大きく異にします。

 五.一五事件は昭和維新を唱える海軍将校が主導して起こしたものですが、下士官兵の動員は行わず、武器も密かに調達した拳銃で、軍装品ではありません。
 いわば暗殺テロですね。 

 二.二六事件は同じく昭和維新断行を唱える陸軍将校が起こしたものですが、下士官兵を大量に動員し、武器も軍の物を使い、一気に政権を奪おうとした本格的な軍事クーデターです。 

 首謀者らに対する刑罰も大きく異なっています。

 五.一五事件では国民の間から減刑を求める運動が起こり、首相を暗殺したにも関わらず、せいぜい懲役15年程度。
 軽い者では5年程度です。

 これはテロリストに対するものとしては、どう考えても軽すぎるでしょう。

 一方、二.二六事件では昭和陛下が激怒したこともあって、裁判は一審のみ、弁護人なしという苛烈なもので、首謀者の将校たちは早々に処刑されています。
   彼らは五.一五事件で軽い判決が出ていることから、刑罰は軽いはずだと楽観視していたと伝えられます。
  それだけに、自分たちが正義と信じる昭和維新を否定した昭和陛下への恨みは深く、獄中日記では陛下への恨みつらみが激しい言葉でつづられています。
 それは以下のような文章に表れています。

 天皇陛下、何という御失政でありますか。何というザマです。国民の9割は貧苦にしなびて、おこる元気もないのでありますぞ。此のごとき不明を御重ね遊ばすと、神々の御いかりにふれますぞ、如何に陛下でも神の道を御ふみちがえ遊ばすと、御皇運のはてることもございます。

 
彼らの最大の失敗は、宮城を襲って昭和陛下を軟禁して銃で脅して従わせるか、従わない場合は暗殺して言いなりになる宮様を天皇に据えるくらいの冷酷さを持たず、無邪気にも昭和陛下は自分たちの愚かな考えに共鳴するはずだと信じてしまったことでしょうねぇ。

 二.二六事件が起きたのは昭和11年。
 五.一五事件から4年弱の時を経ています。
 この4年の間に、わが国の空気が変化したのでしょうか。 

 また、二.二六事件で動員された下士官兵は、事件の目的も知らず、ただ命令に従っただけということで、お咎めなしとされましたが、実際はその後の戦争で軒並み激戦地に送られたと伝えられます。 

 故柳家小さん師匠がこのとき兵士の一人として動員されたそうです。 

 嘘か真か、自衛隊でもたびたびクーデター計画が発覚し、そのたびに闇から闇に葬られてきた、という噂が後を絶ちません。
 「皇帝のいない八月」という映画では、自衛隊の若手将校による日本国中を巻き込んだ大規模なクーデター未遂事件が取り上げられています。



あの頃映画 「皇帝のいない八月」 [DVD]
渡瀬恒彦,吉永小百合,山本圭,三國連太郎
松竹

 少なくとも今、わが国で軍事クーデターによる政権転覆が起こるとは考えられません。
 比較的政治は安定しているし、国民の多くが飢えているという状況ではありませんから。

 五.一五にしても、二.二六にしても、昭和大恐慌やら、米国との対立やら、不幸な状況が重なって起きた事件だったのだろうと思います。

 現代を生きる私たち日本人は、ほとんどが暴力を否定しています。
 しかしいつの時代も、暴力に訴えてでも自分たちの主義主張を通そうとする集団がいるものです。
 極左に極右、それにオウムなどの新興宗教。

 そのような集団は厳しく処断するとともに、私たち自身もまた、暴力を拒絶し続ける強さが求められましょう。
 そういう意味で、オウムの末裔がアーレフだの光の輪だのに分派しつつ、生き残りを許してしまったことは、公安の失態だと断じざるを得ません。

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