ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

外弁慶

2015年05月12日 | その他

 昨夜、久しぶりに古い女友達と飲みました。

 彼女とは13年ほど前に同じ職場に勤めていたのですが、出産を機に退職。
 先月から非正規雇用で私の職場に勤め始めたので、旧交を温めようという趣旨です。

 私の女友達としては珍しく、明るく素直な性格で、あまり面白味はありませんが、幸せそうな笑顔を見ていると、なんとなく、こちらも幸せな気分になってきます。 
 ただ、彼女はお酒が弱い質なので、終始ソフトドリンクです。
 それだけに乱れることはあり得ず、やや物足りない気分です。

 考えてみると定期的に会う女友達はみな独身で酒が飲める者ばかりです。
 そのほうが誘い易いし、気楽なのでしょうね。

 昨日飲んだ友人は子供が二人。
 そうしょっちゅうは誘えません。 

 独身の友人と既婚で子持ちの友人とでは、自ずと価値観とか生きるスタンスが違ってくるようです。

 で、やっぱり独身生活を謳歌している女友達と飲むほうが楽しいですねぇ。

 私は一応既婚ですが、子供がいないうえ、同居人は私を束縛するようなことはなく、私も束縛しないため、「同居人」とは思えても、「妻」とか「家族」という気がしません。
 なんだかルームシェアをしているような気分です。

 男女間に友情は存在し得るか、というおバカなことを言う人がいます。
 そんなの存在するに決まっているではないですか。
 同じ人間同士なのだから。

 ただし、そこにはほんのわずかばかりの恋愛感情みたいなものがあって、しかし決して手を出さず、危ういバランスの上で関係性を維持しているように思います。   

 これが男女の友情を維持せしめるスパイスになっているように感じています。
 
 要は相手を尊重することです。
 それが友人であれ、家族であれ、意見が異なっていても、とりあえずは相手のすべてを肯定することです。

 それが人間関係の要諦でありましょう。 

 私も同居人も相手を尊重するので、同居して17年になりますが、一度も喧嘩したことがありません。
 冷たい関係のように思われるかもしれませんが、仲は極めて良好です。

 考えてみると、私は身内と喧嘩したことがほとんどありません。
 喧嘩の相手は主に上司など目上の人と決まっています。

 そんな私を、同居人は外弁慶と呼びます。
 内弁慶というのはよく聞きますが、外弁慶というのは聞いたことがありません。 

 職場など、家の外では傲岸不遜に振る舞い、世界一偉いみたいな顔をして、家では大人しくするどころか、嬉々として家事に精を出したりするからでしょうねぇ。

  私はこれからも、同居人との良好な関係を保ちつつ、多くの女友達との交友を続けるでしょう。 

 もはや女性を異性として見ることが困難になった私には、それは容易いことです。

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