今日から5月。
ひと昔前だったらメイ・デイの馬鹿騒ぎをしていたでしょうか。
しかし左がかった運動はめでたく衰亡し、今や瀕死の状態です。
もっとも、労働運動で血と汗を流してくれた先人たちの苦労のおかげで、7時間45分労働に有給休暇やら病気休暇やらを現在の私たちが享受出来ることを思えば、メイ・デイを馬鹿騒ぎの一言で済ませてしまうのは畏れ多いと言うべきかもしれませんね。
昭和27年のメイ・デイは死者が出るほど激しいものだったようです。
血のメーデー事件と呼ばれています。
それにしても、平和な法治国家となっていたはずのわが国で、たかがと言っては語弊がありますが、メイ・デイごときで命を落としたのでは、本人も遺族もやりきれないでしょうねぇ。
そういえば古今和歌集に、
誰かまた 花橘に思ひ出でむ 我も昔の 人となりなば
という和歌がありました。
まだ花橘には早いですが、かつて激しかった左がかった運動の犠牲者を思い、ふと、浮かびました。
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高田 祐彦 | |
角川学芸出版 |
花橘です。
花橘は昔のことを思い出したり、亡くなった人を思い出すきっかけとされた花。
自分が死んだ後、花橘の香りをかいで、私を思い出す人がいるだろうか、という哀感漂う秀歌です。
人間だれしも、自分が亡くなった後、悲しんでくれる人はいるだろうか、という思いを巡らせたことが、一度や二度はあろうかと思います。
子供の頃読んだのでうろ覚えですが、名作「トム・ソーヤの冒険」では、少年トム・ソーヤが死んだふりをして葬式が執り行われる挿話があったように思います。
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トム・ソーヤの冒険 (10歳までに読みたい世界名作) | |
横山 洋子,朝日川 日和,那須田 淳 | |
学研教育出版 |
これなども、おのれの死に対し、周囲の者がどういうリアクションを起こすのかという好奇心に駆られたためだと思われます。
私はしかし、そういう思いをほとんど失いました。
私は精神障害発症と、年齢を重ねたことが幸いして、様々な心情を失いました。
自分の死後のことなどどうでもいいし、一般的な名誉欲とか出世欲とかも失いました。
ていうか、失わなければ生きていけいない状況に追い込まれたと言ったほうが良いかもしれません。
他人にとって代わることは出来ないし、私がその歩みを進めるためには、過去の遺物から逃れることなど不可能なわけで、生きるための自然な要請が、私から様々な下らぬ感情を消し去ったのであろうと思います。
代わりに残ったのは、ただ生きることそのものに対する強い執着です。
自殺の瀬戸際で踏みとどまった私は逆に、100歳までも150歳までも長生きして、この世の中がどう移ろうのかを、見てみたいと思うようになったのです。
その割に、医者に節酒を進められてもなかなか止められず、私は酒で命を縮めるのかなと、思っています。
私の先輩に、アルコール性肝炎から肝硬変に進行し、ついには肝臓がんとなって47歳の若さで花の生涯を終えた人がいます。
その人は飲み始めると止まらない、破滅的な酒飲みでした。
職場でもトイレでこっそりウィスキーの小瓶をあおったりしていたようです。
私はそこまで重症ではありませんが、晩酌が止められません。
先輩の激烈な酒への欲求を見て、同居人が、「先輩は何がそんなに寂しかったんだろう」とつぶやいたのが印象的です。
そういう私は何が寂しいのでしょうね。
自分では分かりません。
長寿への願いと飲酒の欲求。
私はどちらが勝るんでしょう?
私が亡くなって後、花橘に私を偲ぶ人が、果たして一人でもいるんでしょうか。
もしいるとしたら、同居人親戚か知りませんが、その人がお気の毒ですねぇ。
死んだやつのことなんか、さっさと忘れてほしいものです。