今日、投開票の高知県知事選、相乗りの尾正直候補が当選。
ま、選挙前の「・・・僕は清水の舞台から飛び降りた。でも妻にすれば月から飛び降りるようなもので。最初は絶対反対、泣いていました。長男も泣いた。小学四年にもなれば、お父さんが仕事を辞めて不安定になるのが分かる。『お父さん、絶対頑張るから』って言い聞かせました・・・」というのは良くあることかな。
全国最年少であることは期待できそうな気もするけど、相乗りということはどこからも縛られるということで、窮屈なのが普通。
高知の状況は、地元の新聞の知事選特集がなんと言っても充実している。
いろんな視点で捉えている。
(27日追記) 11月29日に立候補表明をしていた大阪府の太田知事は、ここのところの疑わしい話題の発覚で表明を延期したという。(文末で記事を紹介)
太田房江大阪府知事、関西企業経営懇談会会員企業・後援企業と癒着。随契で府発注工事18億円
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ここのところ6位、7位、8位あたり
知事選・特設ページ ⇒ 2007年 高知県知事選
そこから一部をリンクし抜粋しおく。
(4)高知の活力取り戻す 尾正直さん(40)
小さいころ、遊び相手がほしくてよく外へ出かけた。当時、自宅のある高知市鴨部は田んぼだらけ。水路で遊び、泥の付いた足のまま、こたつに入った。
父は製パン会社に勤め、母は琴の先生。「一人っ子だったので、かわいがってくれた半面、厳しかった。遊んでも決まった時間に帰って一時間ぐらい勉強した」と振り返る。鴨田小では一年のときから学級委員。六年生のときは生徒会長に選ばれた。
土佐中へ入って格闘技にはまった。高校ではボクシング同好会を結成したが、友だちの顔を殴れず「向かん」と思った。
一浪して東大へ。このころ、「竜馬がゆく」を読んで政治家になりたいと考えるように。
「名もなき志士が、誰に頼まれたわけでもないのに次々脱藩して自分の死にどころを見つけていく。無垢(むく)な公の精神に感動を覚えた」と当時を思い起こす。
大蔵省に入ったのも、政治家になるため。「政治は行政を使いこなすことで物事をなす。まずは行政官になってしっかり勉強しよう、と」
小泉内閣が「世界一安全な国」の復活を掲げたころ、主計局で治安対策予算を担当した。「予算は減らさねばならないのに、治安は向上させないといけない」。刑務所へのPFI導入や警察官OBの活用に「さんざん知恵を絞った」と言う。忙しく休みもない日々だったが、充実感があった。
結婚は二十七歳で。二人の男の子に恵まれ、新宿区にマンションも買った。このままの人生を歩むのもいいかと思うようになり、いつしか政治への思いは薄らいでいた。
一方で、帰省するたびに街が寂しくなるのも感じていた。「国で仕事をしながら高知の感覚とのずれを感じた。地方の多様性を把握できていないんじゃないか、と思い始めていた」と明かす。
この夏に橋本大二郎知事が不出馬宣言して以来、多くの人が「ぜひ出馬を」と接触してきた。迷った末、民間の人たちの「意気に感じて」出馬を決めたのが十月初旬。
「僕は清水の舞台から飛び降りた。でも妻にすれば月から飛び降りるようなもので。最初は絶対反対、泣いていました。長男も泣いた。小学四年にもなれば、お父さんが仕事を辞めて不安定になるのが分かる。『お父さん、絶対頑張るから』って言い聞かせました」
橋本県政を「情報公開と、古い慣行の打破、国への主張」などで評価しつつ、「経済活力を増すための支援ができていない」と指摘。知事という仕事には、まだ地域のために積極的に動ける余地が十分残されている、と分析する。高知の活力を取り戻すことが可能か?と問うと、「もちろん」と自信たっぷりの答えが返ってきた。
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橋本知事 出馬せず 地方行政に限界
橋本大二郎知事は三十一日、高知新聞社の取材に対し、任期満了(十二月六日)に伴う今秋の県知事選挙に出馬せず、四期目の今期限りで退く意向を明らかにした。橋本知事は、三位一体改革など小泉前政権以降の構造改革路線の流れに「知事一人や地方団体では抗し難い」と語り、「立場を変え、別の手段で国と地方の形を変えるための活動を始め、高知のために役立っていきたい」と理由を説明。退任後も本県を拠点に活動を続ける考えを示す一方、国政への挑戦も「選択肢の一つ」と言及した。また、意中の人物に後継を打診していることも明らかにした。・・・略
首長選も政党争うべき 橋本知事が相乗り批判
橋本大二郎知事は三十日の記者会見で、知事選など地方の首長選での政党の対応について「国とのかかわりが地方の生き残りの課題になっている。政党は地方や地方交付税をどうしていくのかという考え方を出し、それをぶつけ合っていくべきだ」と述べ、十一月の知事選で固まった政党相乗りの構図を批判した。知事自らは「中立の立場を貫きたい」として特定の候補を支援しない考えを明らかにした。・・・略
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(27日追記)
●太田・大阪府知事、出馬会見を延期へ 朝日
2007年11月26日
来年1月10日告示の大阪府知事選をめぐり、3選を目指している太田房江知事の支持母体「21世紀大阪がんばろう会」は、29日に予定していた太田知事の出馬表明会見を延期する方針を固めた。太田知事の「政治とカネ」の問題が相次ぎ、会の内部にも批判の声があることから、過去2回の選挙で推薦を受けてきた自民、民主、公明の各党や連合大阪の対応を見極めたうえで、12月上旬に仕切り直す方針だ。
太田氏を巡っては今月に入り、親族への事務所費支給や1回100万円の高額講演料などの問題が相次いで発覚。大阪市長選では民主推薦で当選した平松邦夫氏と一緒に万歳をしたことが自民、公明の猛反発を招いた。
府議会の自民、民主、公明の各会派が近く議員団総会で対応を話し合ううえ、知事選を巡る連合大阪の会合も予定されていることから、対応を見極めてから立候補表明をした方が理解を得やすいと判断したとみられる。12月10日に府議会が開会することから、それまでに会見を設定する方針だ。
●太田大阪府知事、出馬表明を延期 日刊スポーツ 11月27日
任期満了に伴い来年1月に実施される大阪府知事選で、3選を目指している太田房江知事(56)が、29日に予定していた出馬表明の記者会見を12月7日に延期したことが26日、分かった。後援会関係者が明らかにした。太田知事をめぐっては、府と取引のある中小企業経営者らの団体から1回50万-100万円の講演料を受け取っていたことが明らかになり、府議会各会派から「府民感覚と懸け離れている」などと批判が出ていた。
●太田・大阪府知事 出馬表明を12月7日に延期 産経 2007.11.27
来年1月10日に告示、同27日に投開票される大阪府知事選で、太田房江知事(56)は、今月29日に予定していた3選に向けた立候補表明を延期し、来月7日にも行うことが26日、分かった。後援会関係者は、政党との調整のためとするが、府議らは知事の一連の「政治とカネ」の問題を理由にあげ、「沈静化を図るためではないか」との見方も広がっている。
太田知事は、前回の選挙(平成16年2月)では前年9月8日に出馬表明しており、今回は3カ月遅れ。告示までほぼ1カ月となり、現職としては異例の遅さだ。しかし前回と同時期の9月から支援団体の会合などで、「出馬」という言葉こそないものの、3選に意欲を示し、立候補は周知の事実になっていた。
こうした中、知事は今月表面化した「政治とカネ」の問題で窮地に立ち、20日に初めて謝罪会見し、飲食を伴う会合で得た講師謝礼883万円を退任後に府に寄付することを表明した。後援団体の「21世紀大阪がんばろう会」は「府民の理解は得られた」と判断。会を構成する連合大阪も説明責任を果たしたとし、近く推薦を決定する。
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”知事選”というタイトルの記事ではありますが、内容的にはありません。
ただ投票所にスタッフとして参加していた時のちょっとした感想だけです。
しかし、本当に静かな選挙でした。
ではでは。
>投票所にスタッフとして参加していた時のちょっとした感想だけです。
⇒そのようでしたね。
>しかし、本当に静かな選挙でした。
⇒4人ということで、賑やかなのかなぁと思いましたが、違ったのですね。
>ではでは。
⇒わざわざお越しいただき、ありがとうございます。