●“勝ち組”スズメバチとの「ハチ合わせ」を防ぐために
読売 2016年08月15日玉川大学農学部長 小野正人
この夏の酷暑もいよいよ後半戦。そろそろ、軒先のハチの巣が大きくなってくる時期だ。ハチ、特にスズメバチから真っ先に浮かぶイメージは「怖い」「危ない」だろう。確かにスズメバチは危険だ。しかし、なぜハチは人間を襲うのか。ハチにも事情があるはずだ。相手のことをよく知れば、危険を回避して仲良く暮らすことができる。スズメバチ研究の第一人者、玉川大学農学部・小野正人教授に寄稿してもらった。
8~10月に被害集中、死者数はクマより多い
毎年多数の死傷被害が出るスズメバチ。猛暑の年は特に危険だ
厚生労働省の人口動態調査によれば、2014年の1年間で、日本ではスズメバチなどのハチ刺傷が原因で、14人が命を落としている。
1年間といっても、日本ではハチに刺される被害が頻発するのは、巣が大きくなる8~10月の3か月間に集中している。多かった1984年には73人もの犠牲者が出た。1か月あたり24人もの命が失われていた計算だ。80年代から現在に至るまで、いまだに平均で年間約20人が、ハチが原因で死亡している。この数字は日本の野生生物の中でクマやハブによる犠牲者数を凌駕りょうがしている。
猛暑が予想される今年は、特に注意が必要だ。
スズメバチは幼虫やサナギが育つ巣内の温度を32度程度に保つ習性がある。暑さが厳しくなると働きバチは巣内の温度を下げるために巣から脱出し、人口密度ならぬ「蜂密度」を下げて巣の中の温度を下げようとする。さらに、巣の外で一生懸命に翅はねを動かし、巣の中へ風を送る。35度を超えるような猛暑日には、巣の表面に数十匹もの働きバチが出現することもある。
このような状況になれば、巣の数や一つの巣あたりの働きバチの数が変わらなくても、人とスズメバチとの接触リスクは、極端に高まると言える。
進化した「都市型」スズメバチ
もともとは野山で生活していたスズメバチが都市部で増加傾向にある。なぜか? それは、スズメバチの一部が、環境の変化に対して驚くべき適応力を見せているからだ。
日本在来種の大型のスズメバチは、オオスズメバチなど7種が国内に生息している。その中で適応力の点で特筆すべきは、キイロスズメバチだ。
キイロスズメバチは、スズメバチの中で体のサイズが最も小型で弱い種であるが、巣は時に直径80センチを超え、2000匹もの働きバチを擁する最大級のものとなる。自然生態系では木の枝などに営巣し、昆虫類を捕食したり、樹液や果汁などを吸ったりして生活している。
ところが、1980年代に入り日本経済がバブルの時代に向かい始めた頃から、里山が宅地造成され、家が立ち並ぶようになる。その過程で多くの野生の動植物は姿を消していったが、環境の急変に見事に適応して勢力を増大させた、いわゆる「勝ち組」の代表格がキイロスズメバチなのである。
日本の住宅はスズメバチの「天国」
キイロスズメバチにとって、日本家屋の軒下、屋根裏、床下、雨戸の戸袋は格好の営巣場所であり、家庭から出る生ごみやジュースの残り物は豊かな栄養源となっているのである。
さらに、天敵であるオオスズメバチが都市部に適応できていないため、パラダイスのような生活空間を人がキイロスズメバチに提供する格好になっているのは皮肉である。キイロスズメバチは営巣環境が整えば、晩秋には1つの巣から1000匹に迫る数の新女王バチを産する高い生殖能力をもっており、その増加速度は驚異的である。
「勝者は最も強い者でも賢い者でもなく、環境の変化に適応して自らを変えていける者である」という事をひしひしと感じさせるのが、キイロスズメバチなのである。
・・・(略)・・・
指先を刺されただけで意識を失い、死に至る
スズメバチのリスクを語る上でもう一つ落とせないものがある。それは、蜂の毒による急性のアレルギー反応の一つ「アナフィラキシーショック」である。
スズメバチの針から注入される毒液に含まれる成分は体内に注入されると激痛を引き起こしたり、血球細胞や組織を溶解したりする作用をもたらす一方、体内で抗体を作る引き金となる。この抗体は、毒液が再び体内に入ってきた際の、人間の免疫機能を発動させるアンテナの役割を果たしている。
つまり、複数回刺されて蜂の毒を感じやすい状態になってしまうと、さらに刺された時に急激なアレルギー反応が発症する。指先などの局所を刺されたにもかかわらず、全身に蕁麻疹じんましんが出たり、血圧の低下や呼吸困難などの全身症状が引き起こされたりする。刺されてから数十分程度で意識を失い、死に至る場合もある。
一方、危険が強調されるばかりであまり知られていないが、スズメバチは草木の緑を食べてしまう害虫を貪欲に捕えて幼虫の餌とし、生態系のバランスを保つ「益虫」としての機能も担っている。
・・・(略)・・・
スズメバチの巣を見つけたら
もしスズメバチの巣を見つけても、近づいて刺激を与えるようなことは厳禁である。
8月も半ばを過ぎれば、キイロスズメバチの巣の中には300匹を超える働きバチがいる。巣に近づくと2、3メートルほどの距離があっても、「門番」のハチが警戒して、人間の周りをまとわりつくように飛んでくる。独特の羽音と執拗さに思わず手で追い払おうものなら、針先から毒液を噴射してくる。
空中に噴射された毒液の中には揮発性の高いアルコール、エステルなどの香気成分が含まれており、そのブレンドが「警報フェロモン」となっている。この“香りの非常ベル”が放出されると、無数の働きバチが巣穴から飛び出し、黒い部分や動く箇所に毒針を突き立ててくる。
毎年、秋の行楽シーズンになると遠足や郊外のマラソン大会などで、一度に大勢の方が被害にあわれる事故が相次ぐのは、このような些細ささいなきっかけに端を発する連鎖的アクシデントであることが多い。
今の季節には素人では手のつけられないスズメバチの巣も、実は5月の大型連休の頃に越冬を終えた、たった1匹の女王バチによって巣作りが開始される。6月くらいまでの、巣がまだ小さいうちであれば、専用のハチ駆除用のスプレー式殺虫剤で巣を取り除くことができる。ただ、その頃の巣は見つけられず、たいてい刺される犠牲者が出てから通報によって巣の所在が明らかになるものである。
・・・(略)・・・
|
修正いたしました。