ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

雪のない冬は???

2016-01-07 09:21:32 | 暮らし

 「雪、降らねで、いいなぇ」とジムの顔なじみ。「うん、まあ、ほだなあ」と返す僕。歯切れが悪い。「こんな雪ねえ冬なんて初めてだ」ほんと!ほんと!雪のない元旦てのは記憶にあるが、そのときも、昼過ぎには降り始め、あっという間に辺りを雪景色に変貌させた。そろそろ月半ば、未だに畑の野菜が元気に顔出してるなんて、とっても信じられない。

 この冬はまだ一度も除雪機を動かしていない。当ったり前だ、雪ないんだから。この除雪にとられる労力と時間、これが今年はまるまる余暇となっていて、これはありがたいんだなぁ。ごはんパンやワッフル焼いたりジャム作ったりして気軽に友人知人にプレゼントできたりする。本読む時間もあるし、ジムで走るゆとりもあるし、昼寝を楽しむことも可能だ。だから、雪のない冬はありがたい、ここまでなら。

 ジムで、教え子にも会った。もう、40前のおっさんになってる、顔立ちも突き出た腹も。「いやぁ、雪降らねで、困ったもんだなぁぇ」。そうそう、そうなんだ。彼は専業の稲作農家、冬場は蔵王スキー場に出稼ぎに行く。その仕事がない。だから、ジム通い。でも、彼が心配するのは、アルバイトのことじゃない。田植え時の水不足に不安を募らせているのだ。

 5,6月、田植えの季節。雨の少ないこの時期、田んぼにはどっどと水が入る。その水は、冬場に積もり積もった里山の雪が解け出し、沢を下り小川となり、遊水池に蓄えられ、網の目のように張り巡らされた水路をたどって幾つのも田んぼに流れ込む。水がなければ田植えはできない。植わった苗も育たない。山の雪が頼りなのだ。

 だから、百姓は、雪のない冬に顔を曇らせる。さばさばと喜びを語れない。除雪の作業は辛く、手間も生半可なものじゃないが、やっぱり、降るものは降ってくれないと、積もるものは積もってくれないと、この地の暮らしは立ち行かないのだ。自然との付き合い、いいとこ取りってわけにはいかない。

 これ書き始めた時、ふわふわと雪が舞い始めていた。雪のない冬ともこれでようやくおさらばだ!って書いて終わるはずだった。なのに、あぁ、やぱり、雨に変わっちまったよ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする