ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

連続公演が大切なんだ!

2007-06-30 18:08:00 | 演劇

 アマチュア劇団で観客数が伸びない理由はなんだろう?

 いろいろあるね。下手だから、つまらないから、こう言われると、ごめんなさい!って謝るしかない。まっ、それは永遠の課題として置いといて、その他に何があるか?

 演劇ってものが極小マイナーだから。これも言える。この間も、ある会合で、フレンドリープラザも演劇ばっかりやってないでもっと住民の好みを吸い上げて企画したらって、その筋の偉い人が、言ってたからね。所詮、演劇なんて一部マニアの道楽なのよ、って言われてるようで、ちょっとつらかった。

 宣伝や人集めの努力が足りない!これも、ごもっとも!菜の花座にしても、もっと劇団員一人一人が馬鹿になってがむしゃらにチケット売りまくらないといけないと思う。ポースター張ってチラシ配ったからって、お客さんが来てくれるわけないんだから。せめて、自分の回りに、菜の花座でもいい、役者としての自分でもいい、熱烈なファンを作らなくっちゃ。公演には必ず来てくれるって層をつかまなくちゃ。

 これらしごくまっとうな理由の他に、連続公演がないってことを上げたいんだ。東京のプロ劇団にしろ、ブロードウェーにしろ、おっと!大きく出たね、何日間かの公演が組まれていて、その間にマスコミや口コミで評判が伝わり、観客が増えていくっていうのが、演劇の集客パターンなんだと思う。一部人気劇団や知名度抜群の配役で公演前にチケット完売なんてところは別だ。これはとっても真っ当で正しいあり方だと思う。つまらなきゃ客が減り、面白ければ増えて公演が継続する、今流行の競争原理そのものじゃないか。

 でもね、菜の花座にしても他の多くのアマチュア劇団にしても、公演回数はわずかに一回、よくて数回ってところじゃないか。ってことは、見た人による口コミ効果は、最初から期待できないってことなんだ。3ヶ月間も何十人って人間が精魂傾けて創った舞台が、わずか一回日の目を見ただけで終わり、これってずいぶん辛いことなんだ。そのたった一度の機会に出会った人が、良かったー!これで終わりなの!もったいないよねえ!と言ってくれたとしても、それは次につながらない、残念ながら。だって、その舞台が良かったんだから。

 ここを越えないとアマチュア劇団は行き当たりばったりの公演活動から足を洗えないんだと思う。じゃあ、やってみれば、一週間くらい。それが簡単じゃないから苦しくって、辛くって、やりきれないんだ。劇団員はそれぞれいろんな職業に就いているからね、全員が一日揃うだけだって並大抵のことじゃないんだ。土日が休みじゃない団員も結構いるからね。と、こうなると、完全にアマチュア劇団のジレンマだ。どうにもならんか。

 でも、今回はこの難問をちょこっと解決する道が見つかりそうなんだ。9月のフレンドリープラザ演劇祭に出してもらえることになったから。昨年は、同じ出し物2度やれっかって、粋がって苦心惨憺一人芝居5本&ダンスって舞台『さよならのメモワール』創ったけど、考えてみれば、7月の公演で見てもらえなかった人たちに見てもらう機会を提供するってことで、連続公演に一歩近づけるわけだ。ちょっと手抜き?って見方もできないわけじゃないが、間だ2ヶ月でさらに磨きをかけて完成版を作ることも可能だ。いつだって、公演後の反省がたんと出るから、それを一つ一つ直して行けるってことなんだ。

 でも、ただ2回やるってことじゃ、みんな怠けるから、人間って弱いものね、9月の公演は山形県の県民芸術祭に参加してみようと思っている。果たして、参加作品と認めてもらえるかわからないけど、十年間の菜の花座の実績からすれば多分大丈夫でしょう。初の県民芸術祭挑戦、これなら、意気込んでいいものできるんじゃないだろうか。

 と、言うことで、『おもかげチャンチキ』は9月23日(日)にも公演することになりました。7月見逃した人、後で評判聞いて見たいと思った人、ぜひぜひ、お出掛け下さい。

 

 

 

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音楽と芝居のいい関係

2007-06-27 21:26:37 | アート・文化

 僕にとって音楽と芝居は切り離せない。これまでの作品の多くも、音楽からイメージをもらって書いてきた。

 森が失われていく現状をファンタジー風に書いた『きき耳族の少女』は、札幌を拠点に活躍するHARD TO FIND( http://www.hardtofind.jp/)のコンサートを聴いていて浮かび上がってきた物語。

 おじさん3人組が魔法使いになって夜の公園を飛び回る奇妙なホームレスドラマ『マイ スィート ハウス』は80年代イギリスに突如現れ消えていった不思議なグループ:フェアーグランドアトラクション(『移動遊園地の出し物』って意味だって)の音楽にどっぷりのめり込んで書き上げた。そうそう、この芝居、ほんと不思議な芝居だったんだ。登場人物たちが興に乗ると踊り始めるんだ。どう?見てみたいと思わない?

 だから、音楽選びは絶対音響さんには渡さない。渡すもんか!こんな楽しいこと、でやってきたし、これかもこればっかりは譲れない。アンケートなんかで、あのシーンでかかった音楽良かったとか、あの曲何の曲なんて聴かれると、芝居の出来以上に嬉しくなってしまうくらいなんだ。

 でも、失敗もあった。その頃、ヴァン モリソンのマザーレスチャイルドがもう、とことん気に入ってしまっていて、芝居のクライマックスシーンでがんがんかけてしまったんだ。歌が入ってるっていうのにね。

 果たして、セリフがぜんぜん聞きとれない!音響でかすぎ!非難囂々!!本当の話。いやはや情けない!でも、ちょっと言い訳させてもらうと、あのシーンはセリフなんて聞き取れなくても成り立つの!あの曲とあの歌詞が判れば。とは言ってもね、観客はセリフを聞きたいんだよね。判りたいんだよね。その気持ちもよくわかる。

 ただ、演劇好きって、どっちかって言うと、音楽どうでもいい派がけっこう多いんだ。特に高校演劇はその傾向大だね。その証拠に置農の舞台で音楽褒められたことって一度もないものね。ミュージカルやってこれだもの、なんか意欲なくなるよ。パートナーの土井Tの曲はなかなかいい曲多いのにね。

 あっ、そうそう!今回の子どもミュージカルは音楽の評判がとってもいい。嘘だと思う人は、今日(6月27日)の山形新聞を見てよね。サブタイトルにまでなってるから。

 いかんいかん!脱線!混戦!大乱戦!!になっちまった。

 で、今日のエンディングは、次回の台本も音楽に導かれて書くよってこと。Gotan Project (My Favorite Songsを見て!)のParis Texasって曲だ。このアルバムで一曲だけタンゴ風でない、なんか和を感じさせるどこか寂しげだがとても美しい曲だ。これをテーマに置農演劇部最後の、あっ僕としてね、大会参加作品を仕上げるつもりだ。できれば、役者達に演奏させたいんだけど、どうだろう?って、絶対やらせちゃうよ、僕のことだもの。

 

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漱石はミュージカルに似合わない?

2007-06-25 21:07:45 | 演劇

 音楽座ミュージカル『アイ ラブ 坊ちゃん』の川西公演。う~ん、凄い!素晴らしい舞台だった。終演後のカーテンコールであんなにもスタンディングオベーションが続いた舞台って僕には初めての経験だった。

 幕開きから、やられた!だったもの。漱石が昼寝しているその屋根の上を、夢の中の登場人物達がしずしずと行進していくんだ。いや、もちろん紗幕を使っての巧みな演出なんだけど、最初から見せられたら驚くよ、実に憎い!でも、そんなのは序の口、次から次とアッと驚く仕掛けがいっぱい!屋根が飛んだと思えばもうそこは松山の中学校の教室だったり、その大きな部屋の装置が途中まで引っ込んで、残った部分が橋の上?になったり、もう、楽しくなるような演出が盛りだくさん!装置もばらしの時に見てみたら、すべて鉄骨仕立てだった。それもすべて頑丈なキャスター付き。そりゃ、当然だろう。くるくる変わるシーンごとにそれら幾つかに分かれたパーツが出たり入ったりするんだから。観客は、驚き感心しながら、漱石の居室を覗き、松山の町中を歩き回り、料理屋に上がり、湖で釣り船で揺られてる、って仕掛けだ。

 演出があれだけ好き勝手にやっても、照明がしっかりカバーしてるってことも驚きだった。紗幕が前と奥に2枚も吊ってあって、その間に高くしかも幅広の装置がどっかり置かれているのに、その合間を巧みに縫ってきっかり当てるべき明かりを作っていたもの。照明のデザインも素晴らしいけど、そのシュートだってよっぽどだったと思う。

 僕が演出やる立場上、ついつい演出や照明に目が行ってしまうけど、もちろんもちろん、役者も歌も演奏も素晴らしかった。だいたい生のバンド、それも7人も連れ歩いていて経営成り立つの?それにこの立派なパンフレットまで無料で付けて!

 ともかく、とことんこだわる人たちなんだなあ。それは、衣装とか道具とか所作なんか見ていてほんとよくわかる。例えば、ほんのワンシーンの芸者さんの着物の艶やかさとか、漱石の姪が庭から縁側に上がるときの草履の揃え方なんか、いいよなあ、そうなんだそうするもんなんだって嬉しくなってしまった。

 でもね、僕としてはやはり脚本だよね。家計のために大学で教えることと、作家として独立することの間で苛立ち悩む漱石が、坊っちゃんを書きながら、しだいに元気付けられていき、ついには、坊っちゃんと山嵐に励まされて新しい道に踏み出すという脚本の構成、見事と言うしかない。兄嫁への思慕や山嵐に託した亡き正岡子規への思いなど、ああ、そうだったのか、という新知識とともに、漱石の心の葛藤をじっくりと感じ取らせてもらった。こういう一癖ある本が好きなんだよね。外連味たっぷりの舞台とともにね。

 とことん圧倒されちまって、ばらしを手伝った後、菜の花座の装置作りに行くのが、とてつもなく辛かった。だって、この落差!この違い!泣く泣くぺらぺらの薄ベニ打ち付けてお社作ったけどね。プロとアマとのとてつもなく高い壁。このショックはしばらく居座りそうだ。

 装置作りながら、一緒に見た劇団の連中に感想聞いてみたんだ。そうしたら、意外と冷ややかな感想が多くて、かなり驚いた、て言うより、がっくりきた。どうして?どうしてあの素晴らしさがわからないの?信じらんねぇ!!って叫びたくなったよ。で、聞いて見ると、漱石や坊っちゃんそのものが、ミュージカルに似合わないってことなんだね。

 あっ、なるほどね。そのことね。つまり、ミュージカルってこうあるべきって既成概念なんだよね。これって、かなり一般的感想。僕も実は前に経験してるから。僕の時は、農業高校の女子生徒とその母親との葛藤ってテーマをミュージカル仕立てにしたんだ。その脚本を青年劇場の脚本募集に応募したら、その最終選考の評でこう言われた。「どうしてこの作品をミュージカルにするのか、作者はミュージカルというものがわかっていない。」どうこれ?ミュージカルってものは、こうあるべき!ってがりがりの思いこみそのものじゃないか。僕の考え方は、どんなものでも、ミュージカルになる。和風、洋風問わず、悲劇、喜劇に関わらず、メロドラマだろうとホームドラマだろうとスペクタクルだろうと、何だってミュージカルになる。だから、これはミュージカルにすべきじゃない、なんてのはそもそも批評になんかなってないんだよ。でもね、この発想根強いんだよ。置農が県大会を勝ち上がれない理由の一つもここにあるって思ってる。

 音楽座はこのタブーというか、常識破りというか、既成概念の破壊に果敢に取り組んでる劇団なんだと思う。劇団四季の直輸入焼き直し路線に飽きたらず、創作劇を目指す彼らの姿勢は、どこでもミュージカル!何でもミュージカル!をがむしゃらに突き進むドン・キホーテなのだと思う。そして彼らの見果てぬ夢は、いつか多くの人々の心を突き動かすことになるって、断然予言してしまおう。で、置農のミュージカルもいつかは東北大会へ、って思いたいけど、今年が最後のチャンスなんだよね、あ~あ!

 

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食育は母親から!

2007-06-23 23:58:28 | 暮らし

 置農食育ミュージカル『”いただきます”見つけた!』、今日は長井市はなぞの保育園での公演だった。今日が5回目の公演、手慣れたもんだろって?いやいや心配したんだよ。だってね、今日の観客は子ども達じゃなくて、そのお母さん達だったからね。

 このミュージカル、小学生を対象に作っている。だから、始まりには野菜クッキーとか米粉パン配ったりして興味引いたり、客あしらい、ああ、お客さんと直接やりとりするとこね、なんかも、子どもに話しかけるように書いてある。内容も当然、小学生がわかって、楽しめることが前提になっている。

 そんな芝居、大人に見せていいのか?役者達もかなり不安だったみたい。僕ももちろんそうだった。公演依頼が来たときも、まっ、せっかく声掛けてくれたんだから、やるしかないか、程度の気持ちだったんだ。

 でもね、やってみて、ほんと良かった!って言うより、このミュージカルほんとは小さい子を持つ母親に見せるものだったのかも知れないって感じた。だって、子ども達の食を仕切ってるのはお母さん達だからね。しかも、保育園児くらいの小さい子を持つ母親達って、食に対する意識が相当希薄だったんだ。こんなアンケート読むと、つくづくそう思う。

 「このミュージカルを見て、もっと子どもに手作りの料理を食べさせなくてはと感じました。」とか、「ついつい外食に走りがちな我が家の食生活を反省しました。」

 どう?これ、すごいじゃない?

 君たち毎朝、朝ご飯食べてる?とか、食の外部化が50%を越えようとしてるんだよ、とか、包丁もまな板も無い家なんて信じられないよね、なんてセリフがぽんぽん飛び出すんだから、仕事に追われて食事をないがしろにしてた母親にはかなりきつかったと思う。と、言うことは、このミュージカル、親子で見てもらうのが一番いいってことだ。

 七月には五回の公演が待っている。その中心は小学校での公演だ。よぉーし、親子で食育ミュージカル!これだよ、これ!こいつをぜひ、働きかけてみよう。これぞ本当の食育ミュージカル公演、ってことになる。いいなあ、やる気ますますムラムラだ。一回の経験がさらに新しい取り組みのヒントを生み出す。これぞ、連続公演の醍醐味ってものなんだ。

 さて、今回の公演では、さらに良いことがあった。それは公演後の反省の中で、私も食について考えなくちゃダメだと感じた、って発言が部員の一人から出たことなんだ。そうなんだよ!他人に芝居で見せる以上、演じる側に食や農についてしっかりとした認識と実践が無くちゃならないんだ。そこによく気付いてくれた。

 最初からわかっているなら大いに結構。でも、大方はわかっちゃいない。できちゃいない。それは仕方ない、今どきの高校生なんだから。いいんだよ、上演することで、自分自身への理解を深め、反省につながっていけば。この上演活動を通じて、見た人たちの意識も変わり、演じた自分たちも新しい実践に向けた意欲が高まる、それこそ、この食育ミュージカル『”いただきます”見つけた!』の大成功ってもんだろう。

 でも、その前に、僕が反省しなくっちゃ!今日だって三食全部外食だったんだから。お恥ずかしい!!

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メイクの威力:50(歳)を過ぎたら板(舞台)地獄⑦

2007-06-20 21:56:48 | 演劇

 高校生の流行は、細い眉、あるいは眉そり。昔のお公家さんみたいなのっぺり顔がいいんだって、う~ん、わからん?眉って小さいながら、意外と存在を主張してるもんだよ。それをあんなふうにきれいさっぱりしちゃって、僕なんか、よっし、マジックで書いてやる!って捕まえたくなるけど、まあ、それが流行ってもんなんだろうな。きっと、彼らにはうつくし~く見えてるんだよね。

 だいたい、僕たちおじさんには、顔をいじる、化粧するってことに本能的違和感があるからね、ピアスなんて、おお!野蛮!!!文明のどん詰まりで、人類は未開の時代に先祖返りしようとしてるんだ、きっと。なんて顔をしかめている。

 そんな僕が認識を大きく変えたのは、やっぱり演劇学校だった。メイクの講習会、これがその後の僕の人生を変えた!ちょっと大袈裟、ごめん!でも、まるきっり嘘じゃあない。だって、これも演劇にのめり込む一つのきっかけだったから。

 買いましたよ、鏡とカチューシャと。あっ、カチューシャ知らない?ほら、前髪を上げるやつね。さらに、ファンデーションやらチークやらアイライナーやら一式。やる以上は形から入る、これがおじさん流ってもんだ。

 いよいよ講習会。講師は、舞台やテレビのメイクを手広く担当している青木先生。

 美しい!・・・だめだ!こんな美人の前でこの無様な顔をいじりまわすなんて、とてもとても・・・。自然と先生から遠ざかり、化粧の手が縮こまる。手慣れた女性陣は、これを機会にプロのメイク術をしっかり頂こうと楽屋の鏡をぶんどって、青木先生を奪い合っている。もう、僕たちおじさんは、互いに惨めな笑いを見交わすばかりだ、だらしない。あ~あ、このまま劣等感を抱えつつ今夜も終わるんだ、情けない。そん時だね、先生のひと言!

 「男の人で見て欲しい人いませんか?」 

 「御願いします!」進み出てたんだねえ、自分でも驚くことに。

 青木先生の前に座って、高鳴る胸を押さえた。心臓の音が先生に気付かれないかって、さらにどきどきしちまった。鏡の中の僕の顔を見ていた先生が言った。

 「眉、切ってもいいですか?」。はあ?眉?躊躇う僕に追い打ちのひと言。

 「垂れ下がって村山首相みたいでしょ。」ええっ、あのじいちゃんと同じ?それはないだろ?と、改めて鏡を覗き込む。むむむっ!確かに、確かに!眉は村山だった。

 どうぞ、のひと言を聞くやいなや、先生の鋏が動き、眉が整えられていく。おおー!男前!ウソ!でも、見る見るうちに印象は大変身。これは凄い。たった眉の形一つでこうも顔の印象が変わるなんて!!描いたわけじゃないんだよ、ただ、切りそろえただけなんだ。それだけでこの変わりよう。女達が化粧に1時間も2時間もかけるわけだよ。

 この経験は強烈だった。人間、見た目なんて、本質的に同じだって思いこんでいたのが、底の底からひっくり返されたわけだから。ちょっと手をいれるだけで、まったく別の自分が現れてくる。今まで気付かなかった未知の自分がそこにいる。ってことは、実は見慣れた自分だけが自分じゃないってことなんだな。見慣れた自分=本当の自分、なんて、ウソっぱちだったんだ。ただ、なんかのきっかけで、なんとなく馴染んだ自分の顔や姿に安住してただけだってこと。

 この認識って実に演劇的たと思わないか。役者って存在の秘密そのものじゃあないか。だれでも、今の印象とは違う自分を幾つも自分の中に秘めている。そんな見知らぬ自分と、役作りを通して出会って行く。この心ときめく行為が演じるってことなんだって思う。で、女達は、みんなこの秘密を知っている!だからなのか、演劇部に女子が多いのって。どう思う?

 

 

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