ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

仕事辞めたら、・・・・

2013-02-23 23:39:09 | 暮らし
 今年度限りで仕事を辞めると宣言したら、来るのは「悠々自適ですか?」の質問。

 晴耕雨読の日々?うん、まあ、それも悪くはない、が、演劇についてはまだまだやり残したことがあるから、当分はプラザや地元演劇界に出没しつつ時間費やすってことになるのだろう。

 まず、菜の花座がある。一時じり貧かと心配させられた菜の花座だが、やはり公演は強い!4月の公演が決まったら部員もぼつぼつ集まりだした。もちろん、出演者の出席状態はとても良好だ。この調子だと、春公演の後は、8月公演てことになりそうだ。

 シニア演劇学校もある。それも今年は二つになりそうな雲行きだ。一期生の劇団が、6月の全国大会に向けて卒業後も劇団活動が継続するし、4月からはそれとは別に二期生の学校も4月から始まる。置農演劇部から手を引いても、まだまだ僕の使い道はあるようだ。

 不思議なもので、今までなかった仕事もぼちぼちと舞い込み始めた。一つは米沢市からの依頼で台本の執筆と演技指導だ。米沢市は愛知県東海市と姉妹都市関係にあるそうで、そこの中学生が修学旅行で米沢を訪れた際に、役場職員が寸劇で歓迎したいってことから依頼がきた。上杉鷹山公と細井平洲先生で10分間のコントだ。どうもね、このお二人では堅すぎる。中学生を笑いの渦に巻き込むのはどう見たって、無理!そこで直江兼続も登場させようよって提案を受け入れてもらって仕事を引き受けた。面白い仕事になりそううだ。

 もう一つもやはり米沢から。ただし、米沢市の芸術文化協会からの依頼だ。来年2014年、米沢市芸文の50周年記念ステージの台本・演出をお願いされた。来年11月の本番を今から1年半かけて作り上げたいという、かなり本気なイベントだ。芸文所属の団体から役者を募り芝居を仕上げ、そのストーリーの合間に各団体の演奏や舞踊をちりばめるというダイナミックなステージだ。ミュージカル仕立てにすることも可、高校文化部の助勢もOKということなので、これまでのつなんがりを最大限に生かして、今までにない楽しく豪勢な舞台を作りたいと思っている。

 今の所新しい仕事はこの二つだが、どちらも一発勝負の請負仕事、成果がもろに問われることになる。置農演劇部や菜の花座のようにしくじっても次があるというわけにはいかない。行事そのものを壊してしまいかねないからだ。相手の意図を探りつつこちらの持ち味を生かし切るという高度な作業となるだろう。

 これまでと違って見ず知らずの人と出会い、話し、見抜き、役を振り当て、演出する。かなり大変な仕事だ。そんな難しいことできるのか?って不安もちょっぴりはあるが、これまでだって、いろんな難関をくぐり抜けて来られたんだから、きっと上手く行くさ、それに新しい仕事環境って刺激的だし、とやっぱり楽観的なんだなぁ、僕は。

 ということで、退職後はフリーの脚本家・演出家?えへっ?!ってことで出発する。で、時々、農作業。

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書けた!食育子どもミュージカル2013『マー君とキッコちゃんの台所』

2013-02-17 17:38:25 | 演劇
 締め切り直前。書けた。どうにか書けた。まだ、整理しないとならない部分がたくさんあるのはわかっている。書いているうちにキャラクターが変わってきたりしてるから、台詞とかもずいぶん直さないとならない。集団演技のシーンの台詞の割り振りなんかもきっと不自然なところがいっぱいあると思う。今夜と明日半日は精一杯手直し作業に熱中しよう。

 今回の『マー君とキッコちゃんの台所』、きつかった。理由は二つ。ストーリーが極めて単純だってことと、場所が台所だっけっていうこの二つシンプルさが難問だった。前作の『アーダコーダと魔女ナンダ』のように森の汚れと海の汚染の問題から、土壌微生物の話し、さらには腸内細菌にまで突っ込んで、最後は分かち合うことの喜びに行くという波瀾万丈、しっちゃかめっちゃかさがない。登場人物と言えば、マー君とキッコちゃん姉弟と道化役の2匹のネズミ、イエローとピンクを取り巻いて、野菜達、インスタント食品、変なスイーツ、キッチンクィーンとそのお付きの調理器具と、まあ、定番て言えば定番、もうどっかで書いた?みたいなのしか出てこない。

 しかもストーリーはインスタント食品漬けの姉弟が料理作りの大切さを学ぶって、これ以上簡単なストーリーはないでしょ、てくらい単純な筋立てだ。もちろん、ちょっとしした仕掛けを仕組んで最後は、おっと!となって、しんみりほろりとなるようにはしてあるけど、前回のように説明台詞がいっさい書けない。だから、ほとんどの台詞が、言ってみりゃどうでもいいものなんで、どうでもいい台詞を面白くするには、とことんギャグを磨かないとだめなわけだ。だから、苦しかった。

 これまでの食育ミュージカルで笑いのとれるパターンはもちろん継承しつつ、新しいやりとりやキャラクターも作ってみたつもりだ。笑いとは縁の無かった役者にも笑いをとることを要求する設定をいくつも仕組んだ。さて、どこまで作者の意図をくんで笑いの渦を巻き起こしてくれるだろうか。

 今回も台本より先に歌詞を仕上げるという方法をとった。作曲の時間を少しでも多くとって、知野先生のご負担を小さなものにするためだ。曲は3月の中旬に上げていただくことになっている。

 初演もすでに決まった。3月28日(木)が川西町農村環境改善センターで観客は小松や犬川地区の学童保育の子どもたち。翌29日(金)は米沢市松川コミュニティセンターでやはり米沢の数カ所の学童保育の子どもたち。多分最後の食育子どもミュージカルもいよいよスタートだ。

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台本は部員へのメッセージ

2013-02-14 23:32:44 | 教育
 食育子どもミュージカルの新作を書いている。タイトルは、言っちゃっていいかな?『マー君とキッコちゃんの台所』。話しの内容は、ここではまだ控えておこう。台本もらった時の部員たちの楽しみが無くなるからね。

 さて、台本を書くとき、どんなことを考えているか。もちろん、面白い作品を書こうというのが一番だ。去年のは面白かったのに今年は?と言われないよう、頭をひねり、身体をひねり、指をひねって?て書いている。ストーリーはどうか、歌はどうか、キャラクターはどうか、ギャグはどうか、いろんなことに苦心惨憺しながら執筆を続けている。まっ、この辺は台本書きならだれでもすることだ。
 
 僕が書くとき心を砕くのは、部員一人一人をどう使うかということだ。まず、キャスティングがある。子どもミュージカルの場合、主役と言えるものははっきりしない。群衆劇と言っていいと思う。だから、出ずっぱりだからと言って主役とは限らない。出ずっぱりの役を与えるのは、まず歌が上手いこと、踊りが上手なことが条件だ。なぜなら、ミュージカルだからだ。本当なら一部の出演者が歌うべき歌も、舞台に出ている者全員で歌う。そうしないと声量がたらない。つまり、出ずっぱりとはバックコーラスっていう意味でもある。ただ、舞台に常に立っているわけだから、役者の華ってことも大切な要件と言える。演技のうまさは、まあ、二の次ってことかな。

 役を振るとき、部員の今の演技力はもちろん、持ち味とか、アピール力とかいろんな要素を考慮する。そればかりじゃない。その部員が今、部内でどんな立場にいるか、とか、どんなことに突き当たっているかとか、性格はどうかとか、いろんなことを考える。だから、本当は全員に美味しい役を付けてあげたい。でも、だれもが長時間出ていたのでは、芝居は超大作になってしまう。

 そこで、キャラクターやシーンや台詞を工夫することになる。短い登場時間でも観客を引き付けるキャラクターとか、受けること必定のギャグシーンをプレゼントしたりする。こいつにはもっと美味しい場面作ってやんなくちゃな、とか、台詞が少ない分だけ、印象の残る台詞書いてやろうとか、要するに、全員がこの舞台に出ることでいい思いができるように気を配っている。

 そんな中で学年の問題もある。能力の違いもなかなか悩ましい課題だ。舞台は実力主義と宣言しているとは言っても、演技といったものは、単純に比較のしようがない。野球の打率のように数字で表したりできない。まして、役者の華、ということになるとこれはもう、主観の問題だ。もちろん、前回の子どもミュージカルのアンケートで人気のあった生徒とかは考慮するものの、人気投票じゃないから、そればかりでは行かない。まして、今年のように1年生の成長が著しいと、これは悩む。

 部活動運営の視点からすれば、上級生が主立った役を占めた方がよいに決まっている。でも、舞台を見てくれる観客には上級生、下級生の違いなど関係ないわけだ。そこで演じている者が気に入って、心地よい舞台であればそれでよい。うーん、難しい。そんなこんなに悩み心揺れながら、台本を書き進めていくわけだ。子どもミュージカルは一年間通した舞台、一人一人が納得行く形で関わって欲しいとお持っている。

 そして、このように書き分けて行くことが、実は僕の一番の部活動指導なのだ。部員に説教したり、全体に注意をしたりということも当然行う。でも、もっとも効果的な指導は、その生徒にふさわしい役を、シーンを台詞を、振っていくことなのだと思っている。

 

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コメントをくれた二人の先輩に

2013-02-12 20:47:27 | 教育
貴重な意見をありがとう。

 お二人の意見の中にはとても大切な話しが幾つもあります。まだコメントを読んでいない人はぜひ読んでください。
ジャージは置農に対する誇りだという指摘、その通りです。置農生はおうおうにして置農生であることを隠したがるのです。その一つのあらわれがあのジャージに対する必要以上の忌避感だと思っています。最近でこそやや和らいできましたが、以前の置農では、自校に対する劣等感は凄まじいまでのものがありました。学力による輪切り教育の弊害です。
タカヒロ君が言うとおり、「さすが置農」、「東北・全国レベル」と自校に自信を持つ、そのためにもジャージをしっかり着ることは大切です。

 それと、ジャージをきちんと着ることが中学生のようで幼稚だと感じる感覚、これもよく見られるところです。この感覚は制服を着崩すのと同じ根っこから発しています。自校ジャージを着ないこと、あるいは他のジャンバーなどを羽織ることで自分が一歩大人びたと感じているのでしょう。この錯覚が私はとても嫌なのです。自分は高校生だし、置農生だという当たり前の現実を隠していったい何が大人なのかと思うのです。すべては、今ある自分を素直に認めるところから始まります。

 人間は自分を見つめることが苦手です。そこには歪んだ劣等感やら言われなき優越感などが常に付きまといます。自分を見失っていれば、自分の先の課題も見えてきません。自分はダメだ!感に沈んだり、自惚れに舞い上がったりして時間を無駄にすべきではありません。まっ、それが高校生なんだってこともわかりますが。そのような色眼鏡を早く外して上げること、これが指導者の一つの任務だと思っています。だから、時には優しく、時にはずばずばと部員達の今を指摘するのです。

 そして、素直に自分を見つめた後は、それでは何が必要なのかを考えることです。その必要なものを手に入れるために何をなすべきかを考えることです。そして、それが見えてきたなら、その行動課題を実践していくことです。だらしない服装や頭髪は、自分のありのままの今を避けていることだと思います。

 最近とても気になっていることに女子生徒の前髪、横髪の問題があります。小顔志向も極端に走り、真っ正面からしか表情が見えない女生徒がほとんどです。これも自分から逃げている姿だと思います。まあ、演劇部員でなければ、苦笑して終わりですが、こんな「顔なし」が置農演劇部にも沢山徘徊しているのです。ダンスや演技の途中でしょっちゅう髪を書き上げたり、横向くとまったく表情が見えないなんて役者は果たして役者と呼べるのでしょうか。もちろん、それを意図した演出ならばべつですが。

 これも自分自身と正面から向き合っていないあり方です。しっかりと髪を上げ、顔をすべてさらして、その上で演技やダンスで勝負!これですよ、大切なことは。

 長くなりました。つまり、服装や装身具、頭髪で自分をごまかすなってことです。そんなことは、社会に出て成長が鈍化してきたら、若さが失われてきたら、考えればいいのです。高校生の今は、ありのままの自分から出発して、精一杯努力を重ねて、自分という中身を豊かにして行くことなのです。目の前の本当の課題を見失わないで欲しいのです。知的能力、感性、人間性、鍛えなくてはならないものはわんさとあります。将来厚化粧で中身の無さを隠さなくても良いように、今こそ自分自身を鍛え充実させていきましょう。それは熟年に達した私にとっても同じ課題です。

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裏方は大切なトレーニング:東北学生音楽祭

2013-02-11 12:27:31 | 教育
 『東北学生音楽祭』も今年で9年目になった。映画『スイングガール』を記念して毎年行われているこの音楽祭も、さすがに9年目ともなると、映画の記憶も薄れ内容もややマンネリ化して集客もままならなくなってきているようだ。

 置農演劇部は例年このイベントを裏方で支えている。今年も受付とピンスポットと舞台転換スタッフを担当した。数年前まではプラザから出る舞台監督も全体をしっかり把握し、さらに演劇部顧問が先頭に立って各ステージの準備を行ってきた。しかし、最近は部員たちにほぼ任せきるようにしている。毎年の行事なので2年生はすでに経験していることと、演劇部の質が上がってきたことによる。

 今年も、受付の責任者に副部長、舞台スタッフの責任者には先々舞台監督をする可能性のある生徒とトラックの積み込み等で中心になる男子生徒の二人を舞台上下の責任者に指定した。この二人がそれぞれの団体の椅子と譜面代の配置をしっかりと頭に刻み込み、スタッフの部員たちを指揮してステージ上を転換する。

 途中慣れないが故に持ち場を離れたり打ち合わせを忘れたりという失敗はあったが、ほとんどミスもなく、見苦しい動きも見られずスムーズに演奏会を仕切ることができた。舞台監督の館長さんはイベントの全体統括が忙しく舞台については演劇部員の方が熟知しているという形で、会館のスタッフとしっかり打ち合わせながら見事に進行することができた。仲間がリーダーということもあって他のメンバーも注意して指示を聞きそれぞれが自分の任務と全体を頭に入れて動けた。

 やはり生徒を信頼し多少のミスには目をつぶりつつ任せて行くということが大切なのだと、当たり前のことを改めて実感することができた。自分たちがするしかないとわかれば、生徒たちはその能力を傾注して任務に取り組むということだ。ただ、誤解していけないのは、放任するということとは違うということだ。常に近くに寄り添い、全員の動きをチェックすることが顧問の役割だ。小さなミスが大きな失敗につながらぬよう指摘して上げることや、時には立場について厳しく注意することも必要になる。

 今回も朝の8時20分の集合・ミーティングから、6時の片づけまで10時間近く、立ったままでの仕事遂行を厳命した。次々に舞台袖に来て待機する出演者にだらしない格好を見せて意欲をそぐことのないようにということ、きりっとした態度で舞台を仕切る姿で演奏者を応援しようという意図からだが、他にもこの程度の立ち仕事を苦にしない精神力と体力を将来のために身に付けてほしいとの願いもある。置農演劇部員の場合ほとんどが将来製造業で働くことになる。その現場はこの程度の立ち仕事は当然のことだからだ。

 昼食の休憩25分間だけ座るという辛い1日だったが、部員全員きつさを乗り越えて仕事しつづけた。以前は見つからぬ所で休んでいたりだらだらと椅子に寄りかかったりという部員も見られたのだが、ここでも、部員の意識の高まりが確実に感じられた。ただ、舞台の途中休憩15分は僕の位置から遠い上手で全員座っていたけど、まっ、そこは見て見ぬふりをした。もちろん、顧問の僕もKも100%立ち放しだった、当たり前だけど。

 こうやって生徒たちは自分自身を鍛えながら、仕事や適切な動き、振る舞い、礼儀、言葉使いを覚えていく。裏方仕事はこの点とても役に立つ職務だと思う。人目につかない部分で、出演者のために行動する。先を見通す力、全体を思い描く想像力、出演者や観客への気配り、舞台スタッフとの適切なコミュニケーション、どれをとっても高校生が普段身に付けにくい力だ。だから、置農演劇部は裏方仕事を嫌がらない。話しがくれば、ためらうことなくお引き受けする。町の夏祭りもこの音楽祭も。今や置農演劇部なくして町のイベントは成り立たないとまで言っていただけるようになった。そのような評価やお褒めの言葉、感謝の言葉が、さらに生徒たちの気持ちを引き締め町や人々に役立つことの気持ちよさを得ていくことにつながっている。

 さて、今年取り組んだ新しい約束事。それは学校指定ジャージの上下でスタッフ仕事を行うということだ。昨年までは黒衣装でよいとしてきた。しかし、これだと黒とは言いながら結構目立つジャンバーやシャツを着てくる者が少なくなかった。高校生のお洒落だ。どんなところでも人と違った格好で目立ちたい、なかなか根強い高校生の志向だ。でも、これでは一切目立つことなく黒子に徹するという黒衣装の意図に反する。裏に徹する時は徹底する。低次元の個性表現など超えたところで骨太の個性を身に付けよう、これが今年のチームの目標でもある。外から見れば多分どうでもいいことのように思われるかもしれない。でも、こういう小さな積み重ねが、定期公演や大会に向けた稽古の中で効いてくる。高校生にとって、集中する!熱中する!ということは、決して当たり前のことではないからだ。常に意識が携帯やお洒落に引きずられる今の高校生、せめて部活動の時間だけでも、その意識を舞台、演劇という一つのことに向ける経験をさせたい。そのために、傍目にはくだらぬことにも気配りしていかねばならないものなのだ、高校の部活動というものは。


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