ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

年々進歩?雪囲い!

2018-11-30 09:40:34 | 暮らし

 暖かな冬の入りだぜ。晴れ勝ちの天気も悪くない。仕事がさっさか進む。いつもなら急かされ苛立つ雪囲いも、このポカポカ陽気の中で、のんびりゆったりゆとりの作業だ。

 去年は酷かった。11月半ばにどさっと降雪、さすがにそのまま根雪とはならなかったが、日陰に融け残った雪を踏みしめつつの雪囲い仕事、気が滅入ったねぇ。丸太や横木のそっぺ運びなんかの重労働なら寒さも気にならないが、縄で結束となると、こりゃある種拷問!凍えてごわごわぶきっちょな手先に怒り爆発。手袋を剥ぎ取っては、首筋に手を入れて暖を取る繰り返しだった。空はどんより、時にちらつく不埒な雪。もう、早く終わらせたい!の一心で縄を結わき続けた。以前にゃ、運んでおいた資材が一晩で雪に埋まり、材料を掘り出すところから、なんてあまりに惨めで笑っちまった年だってあった。

 それがどうだ、今年の穏やかな雪囲い日和は。いつもなら、急ぐあまり2枚とか3枚とか一抱えで運んだ長いそっぺも、1枚ずつのんびりと持ち出す。2間ものから1間ものまで長さもばらばらのそっぺ、じっくりと考えながら、ここは下3枚は2間もので、その上は1間板で済まそう。だったら、丸太は間にもう1本か、などと思案しつつ進める。

 腰板部分に立てるそっぺも、そうか半間でなくたっていいんだ。大は小を兼ねる、たしか1間長さのそっべが使わずにしまい込まれてはず、それも使おう。トイレ北側は出窓の関係で高く積もるってわかったから、あと2段分高くしてか。縄の結わき方も、不器用なりに美しく、見た目にも気配りして、うーん、やっぱりゆとりってやつは仕事、する上で大事なんだぜ。

 最高気温15度以上!信じられない日が3日も続く。お日様も、のどかで柔らかい。こんな雪囲いなら、家の周囲隅から隅までだってやってやるぞ!って気持ち良く作業は完了した。

 さっ、いつでも降って来い、雪め。どっさり積もって家全体、雪室にしてくれ。薪もたっぷり、備えは万全。冬ごもりだ、冬眠だぁぁぁ!でも、こんな時に限って、暖冬だったりするんだぜ。

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愛する、愛される日本になって欲しいんだよ!

2018-11-29 10:38:19 | 世の中へ

 おいおい、読んだかい?朝日の論壇時評(11月29日、小熊英二)。外国人人材から見た魅力度ランキング(スイスの国際経営研究所調査)63か国中51位だってよ。

 あちゃぁ、そんなに人気ないんかよ。これって、嫌われてるって言っていいんじゃねえか?まっ、そうだろなって思う反面、残念だよ、腹立つよ。やっぱ、いろんな国の人たちから愛されていたいじゃないか、尊敬されていたいじゃないか。

 給料値切れるからって研修とかって偽って低賃金でこき使ったり、教えもしねえで日本語判らねえってバカにしてるようじゃな、嫌われるわ、人気落ちるわ。雇う方の都合で、滞在条件緩めたって、家族連れて来ちゃなんねえ、とか、5年たったら帰れ、なんてのじゃ、この先働きに来るかどうか。たとえ来てくれても、絞りに絞られ、差別に痛めつけられて、失望と幻滅、さらにゃ怒りまで抱え込んで帰国するとなると、将来、日本の評判、がた落ちは目に見えてるわな。

 外国人観光客も増えてるんだろ、日本の社会や文化に関心を持ってくれてる人多いわけじゃないか。ひったくり少ないとか、落とし物が返ってくるとか、電車の発着時刻、正確だとか、親切で思いやり深いとか。お寺とかお庭なんかの伝統文化ばかりじゃなく、庶民の暮らしぶりにも愛着を抱く人、増えてるみたいじゃないか。そんな笑顔や親切心は営業用かい?金落としてくれりゃ素顔は隠すってのかい。

 どうもなぁ、金が絡むと卑しい本性がぼろ見えしてくるのが、今のこの国みたいな気がするなぁ。生活保護受けようとすると、自己責任だっ!って袋叩きしたり、消費税上げるけどカード使えば5パーセント還元だって人参つるして胡麻化したり、企業が儲けりゃおこぼれ(トリクルダウン)来るから我慢しろって言ってみたり、それ間に受けて、非正規でも失業しなけりゃいいやって、現政権よいしょしたり!万博呼んで活性化とか、ついでに賭博場もつくってがっぽりだ、とかって、もうどこまで行くんだよ、金、金、金の世の中。慎み深く潔い日本、これが売りじゃないのかよ。平和で公平で公正な社会、絆と助け合いがクールジャパン、じゃないのかよ。

 俺、いい国だって思ってんだよ、誇れる文化もたくさんあるし、工業製品の優秀さ褒められりゃ嬉しいし、社会や人々の長所、まだまだあるって思ってる。でもなぁ、なんか、反対の側に傾き始めてるような気がするんだぜ、日本。も一度さぁ、金に曇らされた目をくわぁっ!見開いて、本当に誇れるもの、大切にして行かにゃならんもの、見極めようぜ!

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雪降って さすがに収穫 冬野菜

2018-11-28 10:07:44 | 農業

 おっ!タイトル、なんか俳句っぽいじゃねえか。季語もあるし。

 そのものずばりなんだけどね。さすがに、の語はちょっと説明がいるかもしれない。これ、白菜のことなんだ。

 今年の白菜、ポットで苗を仕立てて植え替え、まあまあ上手く行ったんだが、畑の肥料分が足りなかったのよ。毎年、二度も三度も堆肥投入してるから、豊かな沃土は万全!って思い込みがあったんだ。でも、今時の野菜って、化学肥料で、飽食・肥満型に種苗設計されてるから、土が肥えてる程度じゃ食い足りないのさ。堆肥とは別に有機質ボカシ肥料なんかの副食をたっぷり食ってようやく育つってわけだ。

 迂闊にも、その大食ぶりを見誤ってたなぁ。葉の色の薄いのに気づいて、慌てて追肥したときにゃ、もはや手遅れ、生育の遅れはついに取り戻せず、半分近くが半結球のまま今に至ってしまった。

 幸いこの暖かさだし、まだ置ける、まだ育つ、フレーフレー白菜!と最後の踏ん張りを期待して畑に残しておいた。そこに、淡い希望を打ち砕く無情の初雪!畑一面真っ白に覆われた。と、なりゃ、さすがに、収穫しないわけにゃいかんだろうぜ。って、ことで、さすがに、なんだ。

 翌日には雪も消え、気温も暖かくなってきた。よしっ、ここが見切りどころ、畑に残った秋野菜、みな収穫だ。まずは白菜、思い切って外葉を切り離しまとまった玉だけ切り取る。結球のゴールにたどり着けなかった株は、そのまま居残り、来春まで雪の下で耐えてもらおう。多分、ネズミの食料になっちまうんだけどね。同様にキャベツ、大カブ、大根もすべて収穫。残ったのは赤カブ、こいつは強い。何故かネズミも寄り付かず春になっても利用できる。それと、育ち過ぎの茎立ち。

 はがしたまま放置してあったキャベツ用の白紗幕を畳んで、これで畑はすべてお仕舞い。1年間、ご苦労さんだった。雪の下でゆっくり休んでくれ。そして、蓄えた地力で来春も一つよろしく頼むぜ!

 

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薪割りフェチになった!?

2018-11-27 09:08:48 | 暮らし

 どうせ、生きてあと10年だろ、ものはできるだけ増やさず消え去る準備したいじゃないか。洋服なんかも20年来着てきたもの数着をとっかえひっかえで十分だ。農作業用の雨具はずたぼろ、長くつは置農時代に卒業生が置いていった左右サイズ違いのもの、穴が開いてもかまわず履いている。欲と言えば、良い舞台作ること、気の利いた文章書くことくらい。食い物にも目は無いが、あくまで自分で作れる範囲に限定。グルメたどか食べ歩きだとかの熱意はとうに失せている。そう、それが年寄りのあるべき姿なんだって、まぁ、思うわけよ。

 なのに!なのに、なのに、・・・・

 新しい薪割り斧を買ってしまった。なんということだ!グレンスフォッシュという切れ者を身内に侍らせていながら、さらに1本、って、どういうことよ。

 斧なんて、薪が割れればいいんだろ、すぐれ物1本ありゃ十分だろが。大切なのは、機能だぜ。役に立ちゃそれでいいんだ。気取ることもない、味わいを楽しむ必要もない。人に見せびらかすこともない。ただただ、割れればいいんだぜ。この春まではそう思っていた。

 きっかけは、ラ・フランスやリンゴの伐採木をもらったことだった。さすがのグレンスフォッシュもねじくれた果樹には歯が立たない。どうするよ、せっかくもらってきたのに、ぶった切ったまんまじゃストーブに入らんぞ。チェーンソーで野菜みたいに小口切りするなんて厄介だし、なんとか割る手立てはないもんか?

 困った時のYouTube、割れない木を割るには?おおぅ、あるある、動画何本も。なにぃぃぃぃ、楔を使うだとぉぉぉぉ?へえ、そういうものがあるのか。楔ってたら、立木を切り倒す時に使うもんだと思ってた。それとは別に薪割り用てのがあるんだ。へぇ、へぇ、へぇってことで、半信半疑、薪割り用ねじれ楔、を買い入れ、ふてぶてしいぶっとい奴らに使ってみた。おおっ!お見事。割れるじゃないか!で、この感動は、すでに書いた。問題はその先だ。

 突き刺した楔を打ち込むハンマー代わりに、和斧の尻を使っていたんだが、これ、かなりの衝撃だったんだなぁ、和斧の横っ腹にひびが入っちまったのよ。こりゃダメだ、これ以上目的外使用で酷使したら、薪より先に斧が割れちまう。まぁ、なんとか、あらかた半割にはなったから、ストーブには入る、取りあえず今年はここまで。と、積み上げて薪割り完了とした。

 さて、いざストーブの季節になってみると、やっぱり大きいままじゃ火の回りも遅い、火力も上がらぬ。なんとかもう半分に、さらにはその半分に割れないものか、と我が儘はつのる。さらに、購入薪の大部分が、ミズナラ?らしく、これまた半割り、1/4割りではおっそろしく火付きが悪い、って問題も浮上してきた。うーん、この冬、快適ストーブライフを過ごすには、もっと細かく割った方がいい。どうせ、楔打ち込みハンマーを買わにゃならんのなら、兼用型の斧、買っちまうか?

 思い込むと、居ても立ってもいられぬ性分、アマゾンやら楽天やらで探しに探し、比べに比べて、これだっ!これしかない!って決めたのが、ハスクバーナの楔打ち込み兼用斧。刃の反対側がハンマーになっている。刃の部分だけで3キロと重そうだが、このくらいの重量がないと楔だって叩き込めんよ。よしっ。

 決めた!って言ったって、金は?そんなゆとりはあんのかい?ダメだ、ダメだ、年金ジジイが斧2本持つなど身の程知らずにもほどがある。せめて、来春までこつこつと貯めて、それからだ。と、自ら宥め、言い聞かせたところに、誕生日祝いのアマゾンギフトカード!おお、良くできた息子だ。と、なりゃ我慢は要らぬ、さっそく注文、届けば試し切り、いざいざ。

 うん、たしかに重い!が、頭上にバックスィングせず、真上に持ち上げて斧の自重で振り落せば、それほど重さは感じない。誰だい?重すぎて使いきれない、なんてコメントしてた奴は。余程の非力だな、そいつは。エイっと気合いを入れるほどもなく、支えていた力をすっと抜く感じで、勝手に刃を薪の上に落とす。

 おおっ!真っ二つ!!クラッシュ!割れた薪は砲弾の破片のように左右に弾き飛んだ。すげぇぇぇ!3キロの威力!グレンスフォッシュに、勝るとも劣らぬ破壊力。いや、迫力だけならこのハスクバーナの勝ちだな。目的の楔打ちも、一発一発、ぐぐっと食い込んで行って、ねじくれ薪も見事裁断した。

 いやぁ、いいもんだなぁ、さらなる斧1本!なんか豊かな気分だ。見た目もそれぞれに個性を主張してるし、切れ味ももるで違う。刃先を覆うカバーだって、趣向の違いが際立っている。若い時なら、一時に二人の女の子相手にしてる感じとかって、やに下がるところだろうな。うん、よいぞ、よいそ、満足感、この上なし。

 ってことは、別の斧はまた違う魅力で迫ってくるってことじゃないか?なるほど、YouTubeで見たように、斧フェチ、斧マニアがたくさんいるのも頷ける。うーん、さらにもう1本、今度はドイツ製か?和斧もいいなぁ!なんて、いけねえ、いけねぇ、あくまで斧は機能だぜ。薪割るためのものなんだぜ。

 

 

 

 

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仏さんものの元祖?『煙が目にしみる』新庄演劇研究会公演

2018-11-26 09:49:12 | 劇評

 あの愛の人、近江正人さんが愛の名作?『煙が目にしみる』を演出するって、こりゃ必見の価値ありだぜ。上出来の泣けるコミカルステージ連打し続けている堤泰之の作品だもの、面白いに決まってる。中でもこの脚本、毎年必ずどごかしらの劇団が上演しているという不朽の?名作だ。以前見たことあるし、この作者の『見果てぬ夢』は菜の花座でも舞台に上げたことがある。

 そんな知れ渡った作品だけに、観客も、どれどれお手並み拝見!となって当然で、そんな小姑根性に応えるのはプレッシャーもあっただろうが、新庄演劇研究会、お見事その試練に打ち勝って、上質のホームコメディに仕上げてくれた。ゆったりとした作りも中盤以降、お祖母ちゃんが、死者の言葉を取り持つ"いたこ"に転じてからは、効果的で、役者たちの好演もあいまって、爆笑を巻き起こしつつ、しっとりとした涙を誘っていた。感傷シーンの音楽扱いとか、正面窓奥の大きな桜といい、近江さんのほんのりとした温かさがにじみ出る好演出だった。

 この作品、何が有名って、火葬場で焼かれつつある死人が、遺族の待合室に現れて、火葬の終わるのを待つ家族たちと交流するっていう、突拍子もない設定にある。まさに、演劇ならではの手法なんだぜ。焼かれつつある人間が、いゃぁ熱いなあ、もうちょっと温度下げてくれんか、とか、あんたサウナじゃないだから、なんて言い合う。観客には丸見えの死者は家族には見えないってお約束が様々な笑いと涙を誘う仕掛けだ。

 以前、他の劇団の舞台を見て、きっと感化されたんだと思うが、俺も同じ仕掛けの作品を幾つも書いている。シニア1期生で作った『風渡る頃』はすでに墓に入っている夫たちが出てきて、共同墓に心惹かれる妻たちに、先祖代々の墓にともに入るよう懇願するってストーリーだ。いたこ役は霊力の強い墓地管理人にした。死者の言葉の逐次通訳、なんてシーンの面白さも取り入れている。これ、オリジナルだと思うんだけど、無意識に拝借したのかなぁ。

 コントでも死者が棺桶を前にしてぐだぐだする話を2本書いている。生きてる婆さんが勘違いして死んだ婆さんの代わりに棺桶に入る『勘違い婆さん』。葬式を待つ四人の婆さんが、死装束で手抜きの葬儀に不満述べ、ご詠歌嫌ってバブリーダンスを踊る『さらば!四婆』だ。

 『風渡る頃』は夫婦の和解と赦しで締めてるので、堤作品と同じパターンだが、コントの2本は、俺のシニカルな体質がもろに出てるな。『勘違い婆さん』は、ぼっち老人施設での仲間二人ただけに見守られた寂しい葬式だし、『さらば!四婆』は、なんと、超手抜き!4人一緒の集団葬!なんだもの、どこま皮肉に世の中見てんだよ、って呆れる。

 この資質の違い、これが今回の舞台を見終わった後にも尾を引いてたね。たしかに涙流した、心打たれた。でも、その震える心の片隅で、こんな体よく泣かされてていいんか?ってへそ曲がりの虫が疼くんだ。和解と赦し、愛と惜別を上手に切り取って、幸せな時間を提供する、これも芝居のとても重要なサプリ効果だとは思うんだが、もっと、牛乳飲み過ぎた腹のようにゴロゴロとわだかまりが残った作品に出会いたい、そんな無いものねだりをしてしまうわけなのよ。

 愛を謳い上げ、涙の大波を寄せた後、引き潮で魚死骸なんかがごろっと転がってる、見終わった観客が、涙のカタルシスの後に、得体の知れぬ違和感を持ち帰る、そんなユーモアコミカル&ブラックな芝居、そんな作品作ってみたいもんだぜ、と、どこまでもこねくれた野郎だぜ、俺って。

 

 

 

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