ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

車救出、減った気がするんだけど、・・・・

2017-01-31 09:29:37 | 世の中へ

 車、雪で埋まってんじゃねえかなぁ。駐車場から出せっかなぁ。心配しながら駅を出て駐車場へ。

 ありゃりゃ、さっそく脱出苦戦中の車、発見。奥さんが運転席、旦那は後ろから、うんしょこらしょと押している。車の周囲は積雪50センチ、厳しいぞ、これは。旦那はもうあらかた諦めムード、もうダメ、もう無理と、へたれ言葉が口をついている。よしっ、ここは一丁、非力ながらも物の数、尻押し手伝うか。車は軽じゃないが、小型車、男二人の力で出せるだろう。

 旦那とともに、車の後ろについて、掛け声かけつつ押す。ひたすら押す。見れば、車の下は積雪無し、そうか、昨日のうちから駐車してたんだな。泊りがけで遠出して、帰ってきたら埋まってたってことか。だったら、車の前をしっかり掃いてから発車すればどうってことなかったのに、行けっぺ、って無理やり乗り出して、前輪が亀になっちまったんだ。雪を甘く見る、よくあることだ。

 旦那も奥さんも、脱出行動には慣れていないようで、ただやたらと前進させようともがいている。一度、バックして、そこから勢いつけて前進、それと、ハンドルは曲げない、まっすく前に出る、こんな脱出テクを伝授しつつ、押すこと10数回、そりゃぁぁぁ、出た。良かった。お礼の言葉を背中で聞きつつ、自分の車に向かった。こっちだってヤバイかもしれないだって。幸い、朝から数時間止めてただけ、足首くらいまでは積もっていたが、えいやっと強引に突破、駐車スペースから出ることができた。

 それにしても、雪国に住んでいながら、脱出のノウハウ、さっぱり知らないって、驚きだ。雪に埋もれるって経験してないのか?自宅駐車場前は地下水融雪とかで、苦労知らずなのかもしれない。それに、最近、路肩の雪に突っ込んだ車を、通りがかりの男たちで引っ張り出すって光景見なくなったよなぁ。以前は、一冬に2度や3度、そんな行きずりの共同作業、加わったもんだけど、この数年、とんとそんな機会に遭遇しない。人間、薄情になったのかもしれんなぁ、世が世だから、みんな自分優先。自国第一、身内ファーストだからな。

 待てよ、落ちてる車そのものが少なかないか。そう言えば、たしかに減ってる。特に、以前多かった軽自動車の突っ込みってほとんど見なくなった。落ちてるは、こりゃ手に負えんは、って大型車が中心。ってことは、人情が薄れたってことよりも、車の雪道走行性能が上がったってことかもしれないなぁ。うん、それと、除雪の仕方も進化してる。以前のように除雪車掃いた後、スケートリンク!なんて危険極まりない状態は見かけないし、デコボコもすぐに平らに直してくれる。ドーザーで寄せるだけじゃなく、どでかいオーガ付きの除雪車が溜まった雪を吹っ飛ばしてくれるから、道幅も広く確保されている。

 そういうことだ。道が良くなり、車の性能が上がって、脱出技術は低下した、これが結論だ。技術の進歩は人間の能力の退化を招く!

 なんて、偉そうに頷いていたら、やっちまったよ、亀!時ならぬ雨で落ちた軒下雪に突っ込んだ!うーん、甘くみちゃいかんよ、甘く見ちゃ。車の下の雪を掻き出すこと30分、

 出た!やれやれとんだ汗かき仕事だったぜ。

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孤独死=悲惨、もう止め時かな

2017-01-30 15:28:42 | 世の中へ

 朝日新聞の土曜版「読者と作る」ってページで、「孤独死は人ごとではない?」って特集が載ってた。うん、そうそう、ありそう、ありそう。介護別居始まって1年数か月、一人暮らしの時間、多いからねぇ、今、ぽっくり行けば、間違いなく孤独死だ。いや、そんな可能性の話しじゃなくても、あと10年もすれば、神さんかこっちか、どっちか残って一人であの世へってことになる。こっちが残れば、一人でしつこくこの家で粘るつもりだから、そうなりゃ、孤独死だよなぁ。でも、そいつぁ、惨めでも哀れでもないぜぇ。で、同じ考えの人がけっこう多いんだよ、そのこと、朝日の記事読んでわかった。

「孤独死は悪いことだろうか。みとられるから幸せだとは思えない」(大阪、63歳女性)

「孤独死という言葉が悲惨なイメージをもたらしている。一人暮らしに憧れているので、一人で死ぬのは仕方ない。むしろ自由死と思いたい」(東京、67歳男性)。

記事のとりまとめを担当した記者も、孤独死を前向きにとらえる意見の多いことに戸惑っている。で、「社会学者の上野千鶴子さんも、著書「おひとり様の最期」で、一人暮らしでも、孤独でなければ孤独死ではない、「在宅ひとり死」と呼ぶことを提唱している。」なんて慌てて引用したりしている。

 そうね、「自由死」とか「在宅ひとり死」の方がいいなぁ、僕としても。家族に看取って欲しい、なんて気持ちさらさらないから、て言うより、一人で静かにおさらばしたいって気持ちの方が強いから。

 ただ、問題は、「ひとり死」の後、周囲の人たちに迷惑がかかるってことだ。長い間気づかれずに遺体が腐乱したりとか、身辺整理が残ってしまったりとかだ。死んだらすぐにわかるようにするには、コントに書いた「見守りロボットパッパー」のアイディアが生かせる。人型ロボットでなくとも、ICタグのようなもので十分だ。これを兵士の認識票のように四六時中首から下げておき、その心臓の鼓動とか体温とかの情報が、役場の健康福祉課、いや、看取り課か?みたいなところに常時届くようにする。身体に異変があれば、即座にわかる。そこで救急車または、遺体処理班が出動。速やかに、入院なり、火葬なりの処置を行う。これで、腐乱遺体の悲惨さとはおさらばできる。

 自治体のサービスではまかなえないようなら、保険のように、事前に経費を積み立てしておいてもいい。月々1000円の掛け金で、死後の後始末、一切請け負います、なんて「死後保険」、どうだろう。どんな葬儀を望むかで掛け金が変わったりして。遺品整理業も死んだ当人が契約する。金持ち老人なんかだったら、残す品々も貴重品、遺品のオークションサイトなんてのもできるかもしれない。葬祭会社の友の会なんて、もう一息、視野を広げれば、けっこう大きなビジネスチャンス掴めるかもよ。

 だいたい、独居老人とか、孤老なんて言葉がよくない。ここは一つ、気まま老、とかシングルシニアとかフリーシニアとか、呼び方から変えにゃいかんのじゃないかい。と、息巻いていられるうちは死にゃしないかな。

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仲間が欲しい、ちゃ欲しいんだけど、・・・・

2017-01-29 09:25:05 | ランニング

 ジムではほとんど口をきかない。軽く挨拶する相手もせいぜい一人二人。人見知り、人嫌い、引っ込み思案、まあ、どれも間違いじゃないが、要は面倒なんだ。話しして通じるものがあるか?気使ってまで声かけあうメリットあるか?いや、コミュニケーションなんて損得づくでつなぎ合うもんじゃないぜ、そりゃわかってる。でもなぁ、こっちは、かなりマジに走って鍛えてるだろ、お隣でランニングマシーン使ってるおじさん、おばさんたちって、ほとんどウォーキングなんだよ。 うーん、別世界の人たちって感じ。キロ5分40秒のペースで10キロ走った、なんて、話しかけたら、それ、嫌味な自慢話しにしかならんだろうが。まして、大会の話題とか、ハーフやフルの自己ベストとか、通じるわけない。てことなので、孤独のぼっちランナーを続けている。

 でも、たまにはマラソンの話題で意気投合、とまでいかないまでも、情報交換程度の間柄はあっていいんじゃないか?そう思って、ジム「ゆるっと」の大会参加者交流会てのに出かけてみた。まっ、参加者の大多数はエアロビクスの大会出場チームメンバーだろうな、とは予想してはいたが、一人でも二人でも、マラソン頑張ってるって人に出会えればいいなって思ってね。

 会場の居酒屋についてみたら、おっ、意外や意外、中年男が数人、こりゃ、マラソン組か?っと淡い期待を抱いたら、なんとマスター水泳大会参加者だった。ランニングに関しては、10キロレースに一人、5キロレースに一人、って、がっくり!主力はやはり、エアロビのおば様方。僕を除くほぼ全員がすでに顔見知り、したがって自己紹介もなし。ちぇっ、それ利用してフルマラソンの自己ベスト更新の自慢話しして、ついでにシニア演劇学校のお誘いまで潜り込ませようって思ってたのに、とんだ思惑違い。仕方ない、時折ランニングの話題滑り込ませながら、水泳の極意とかエアロビ大会の様子なんかお聞きして2時間半を、酒無しで過ごした。

 考えてみりゃ当然なのかもな。マラソンなんて孤独な楽しみ、独りぼっちの苦行だ。一人黙々と走り続けるてのが似合いなんだ。ここらにも走友会とかあるにはあるが、そこまで一緒につるんで走ろうとは思わない。自分のペース、自分の時間、自分の気分で走りたい。ただ、時々、マラソンについて話ができれば、なんて都合のいことを願ったのが浅はかだったってことだ。せいぜいこのブログで思いをぶちまけて、すっきりするしかないか。

 と、言うことなので、ランニングネタはこれからも大切な紙面埋めになり続けるので、よろしく。

 

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コント台本、2本書けた!

2017-01-28 09:13:52 | コント

 シニア演劇学校5期生、修了公演で上演するコントの台本が書けた。今年も講習生を2つに分けて、3人と4人のチーム、別々の作品に挑戦してもらう。

 『神頼み』と『バトル in ケアハウス』だ。どちらもナンセンスな設定が生み出す笑いを狙った。

 『神頼み』はビジネスライクなお宮と強欲な願掛けの女との対決。たった1000円の賽銭で、家内安全・健康祈願から娘の就活成就、一発妊娠、はては万馬券、パチンコフィーバーまでを願ってしまう(計30の願い事!)図々しさに、呆れ困り果てた神様が現れて、女と言い争う、そんな内容だ。神様の出現はそれほどナンセンス度は高くないが、願い事の多彩さ、リズミカルな願い節、神様の身分証明を求めたりする神様を恐れぬ女のクレーマーぶりが売り物だ。

 もう一方は、老人ホームが舞台。かつての職場上司、パワハラ爺さんと同じホームに入居してしまった元部下、過去の身分上下をどう超えるか、なさそうでありそうなお話し。そこに、ぬいぐるみをこよなく愛する職員と花の有用性を主張する上司との対立も絡まって、対決姿勢は否応なく盛り上がり、ついには戦闘開始?!壮絶なバトルが始まる、で、どう納まるか、それは見てのお楽しみ。

 11月末の公演以来、久しぶりの稽古。この突拍子もない設定と役にたどり着くには、テンション不足、これからぐいぐいヘンテコ度を高めて、大爆笑巻き起こしてもらいたい。

 修了公演は3月26日(日)だ。もちろん、入場は無料。

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キムチが無くて冬越せるか!

2017-01-27 08:29:05 | 暮らし

 いっくら山形青菜の漬物あっからって、やっぱりこれ、キムチがなくっちゃ物足りない。

 冬の食卓って言やぁ、自家製キムチがのってて当たり前って暮らししてきたから。もうかれこれ20年にはなるだろうな、自分で作るようになって。それまで漬物なんて見向きもしなかったのに、何故かキムチだけは別もの、白菜の収穫終わればさっそくキムチ、1月初回漬け込み分を食べ尽せば2回目の仕込みにもあたふたと取り組む。見ようによっちゃ、季節限定のキムチ中毒患者と言ってもいい。

 根が辛いもの好きってことが大きい。辛みそラーメンでも注文は中辛以上だし、カレーも作れば迷うことなく辛口だ。以前など、辛さ追求が高じて、腹は下痢ピー、便は唐辛子色、どうにかひり出した肛門までぴりぴりなんて笑ってしまう、いや笑いごとじゃない、ような事態も経験している。さすが、最近はそこまでの激辛には近寄らぬよう気をつけてはいる。

 それでも、キムチだ!今シーズン2回目、前回とは少し変化をつけてみっか。て言っても、魚介出汁をベースに唐辛子粉、水飴の基本は変わらない。一緒につけ込む野菜に一工夫しよう。別にそれほど斬新な工夫てわけじゃない。多分、多くのキムチマニア、キムチグルメの人たちにとっちゃ、定番の一つかもしれない。まっ、だったら、ほう、初心者だね、って大人の対応で見逃してくれ。

 大根、ニンジン、それに青物、今回はセリが手にいらなかったので、水菜、代替品としちゃ力量不足だが、すべて千切りにして唐辛子出汁と混ぜ合わせる。そこにリンゴと柚子の千切りも加えてみた。この程度のことだよ、新工夫って言ったって。

 リンゴの方は、昔の知り合いリンゴ農家がやっていて、それは、豊富な在庫にものを言わせて、これでもか、と突っ込んであって、できたキムチは、あまりに爽やかになり過ぎて、違う、これは違うぞと思ったものだった。だから、軽く1個を隠し味程度に加えた。

 柚子、これは正月注文し過ぎたものが数個残っていて、そろそろ使い切らないと萎びてしまうぞと思っていた代物。よしっ豪勢に使ってやろうかい、と千切りに大量に混ぜ込んだ。おっと、今回も忘れかけたがニンニクもくどくならぬ程度にすって加えた。

 さて、仕上がりは、ほほーっ、これはこれは、ってほどの美味。柚子の香りが広がって、キムチ特有のコッテリ感が上品にカバーされている。少しだけ切って小鉢に入れれば、つけ出しの一品としても通用しそうな風情を漂わせている。なんか、ちょっと気取った別分野の食べ物になったという感じだ。煮干し出汁を使ったせいもあるのかも知れない。さっぱりとして、ついつい箸が出てしまう。下漬け塩5%も、つけ汁はすべて捨てたので、気にならない。一株一株を小さく切っておいてよかった。食べ過ぎを心配することもない。

 よしよし、これであと1か月半、キムチとともにこの冬の寒さを乗り切るとしようかい。

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