ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

大晦日だからって、振り返るもんか!

2007-12-31 12:21:50 | アート・文化

 師走だ。大晦日だ。数日前からテレビも新聞も、今年一年を振り返る、てのばかりだ。ああ、あんなことがあったあった!おお、あれも今年の出来事だったか!そうそう、あの人あの人!年末は振り返るのにちょうど良い時期なんだろうな。1年て、忘れてしまうほど過去でもなく、常に心に浮かぶほど今でもない。いいんだろうな、このくらいが。

 でも、なんで振り返るんだ、人間って。思い起こし反省して、次につなげる、これもあるだろう。過去を見つめて今を知り、未来を予測する。新聞の特集記事なんて、みなこのパターンだ。じゃあ、紅白は?今年一年のヒット曲を聴き直す。ついでにここ数十年の流行歌に耳を傾け、時の流れに感傷に浸る。懐かしい!

 そう、そうなんだよ!人が過去を振り返る一番の理由は、過去への郷愁なんだ。気軽なセンチメンタルジャーニーなんだよ。とりわけ、年寄りは過去を振り返る。思い出に浸る。だって、年寄りには、これから起こりそうなことより、かつて起こったことの方がずっと親しみ持てるもの。ずっと途絶えていたクラス会や同窓会が、50歳を過ぎて頻繁になるってのも、よーくわかる。

 で、世の中の恒例に従って今年の反省を、なんて殊勝に考えてみたんだけど、どうも、僕には似合わないってことに気付いた。何故って、おおよそ過去を振り返らない人間だからね。一つのことが終わると、もうすぐに次の事に頭が向かってる。つねに、一つ先二つ先の準備をして、終わるや否や、次々と乗り換えていく。これが、僕の行動パターンなんだ。まあ、せっかちと言うか、せわしないと言うか。終わったことの後かたづけすらもどかしいからね。それだけ仕事が詰まってるってことでもあるし、いつも課題を押っつけられていないと不安!というワーカホリック(仕事中毒)ってことなんだろう。それと、過去の自分て、すごく恥ずかしいと感じてしまうってこともある。未熟だあ!過去の自分は。今だって、大したことないけど、今日の自分は、昨日よりはましだ、本当か?うーん、多分!?

 だから、アルバムなんてものは一冊もない。記念写真て奴も大嫌いだ。過去の資料を整理しておく、なんてこともまるでダメ。生徒の写真を撮るのも、舞台の映像をDVDに残すのも、自分のためじゃない。生徒や菜の花座のみんなにプレゼントするためだ。

 じゃあ、無反省な男か、僕は?いいや、反省はする悔やみもする。でも、それは次回公演をレベルアップするためだ。さらによいものを創るためだ。他人の批判や批評は嫌いだ。けなされるとむかつく、毒づく、悪態つく。でも、腹を立て、むかむかしながらも、実はじっくり吟味しているんだ、言われたことは。全国大会出場を決めた『どんがら山奇譚』だって、いろんな人のアドバイスに一つ一つ答えながら、ここまで仕上がってきたんだから。

 だから、大晦日だからって、この一年を振り返ったりしない。一年でやったことは、その都度その都度書いてきた。今さら、蒸し返す必要はない。振り返るのは、次に生かせる限りにおいていだ。

 で、『どんがら山奇譚』について言えば、東北大会でもらった助言って、全曲生バンドで演奏したらってことだった。おいおい、それ、すっごーく大変なことなんだけど。事情知りもしないで、勝手なこと言うなよなぁ。と、呆れつつ、うんざりしつつ、でも、もしかしたら、できるかも?やってみようか?と、今日もひたすら前を向く僕なのでありました。

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置農全国切符の決め手は何だ!?高校演劇東北大会報告最終弾

2007-12-28 16:33:59 | 演劇

 初出場の東北大会で、臆することなく優秀第一席:全国大会を手に入れることができた決め手は何か?役者も良かったし、装置も頑張った、生バンドなんて新企画も当たった。もちろん、台本も悪くなかったし、演出も手を抜かなかった。でも、一番の決め手って言ったら、これが24回目の公演だったってことじゃないか。

 3年生が通算24回ってのじゃないからね。この一年で、つまりこのチームで24回の公演を打ったってことなんだ。校内公演が2本、生徒活動発表会のコント&ダンス公演、3月末から始まった子どもミュージカル『”いただきます”見つけた!』は食育というテーマが受けて11月まで14回、定期公演が『愚者には見えないラマンチャの王様の裸』昼・夜2回、そして、この『どんがら山奇譚』が地区大会、県大会、東北大会出場記念公演昼・夜2回。で、この東北大会で24回となるわけだ。

 月に2回の公演ペースって、すごくねぇ、って若者風に語尾上げてしまうよ。もし、高校演劇年間上演回数記録部門なんてのがあったら、かなり良い線行くんじゃないかな。よくもまあ、こんな芝居漬けの一年間を頑張ったもんだと思う、部員達。一本終われば、すぐに次って状態だったのに、試験前でも稽古稽古の毎日だったのに、不平も言わず、不満も漏らさず、ただ黙々と耐えたものね。陰じゃなんだかんだ言ってたと思うよ。だけど、僕の前で言えば、ごしゃかれるだけのことだからね。まっ、何の因果か演劇部、なんて身の不運を嘆いていたんじゃないの。

 そんなこんなで、忙しくて寝る間無くても、遊ぶ暇無く彼女彼氏できなくても、勉強不足で赤点取っても、やはり舞台終えれば充実感てものあるからね、お客さんの声援は力になるからね。だから、続いたんだと思う。演劇が好きになったんだと思う。細かい技術だって様々身に付いたことだろう。

 実際、ここまでやってくると、どんな舞台でも、動じるとか焦るってことがないいだよね。拍手喝采の舞台もあれば、冷やかし半分の反応もあった、まるで無反応なんて上演もあった。24回もやってるといろんなことあるから、ちょっとやそっとの事じゃ崩れたりしないんだな。

 で、それが良かった!この芝居がどうかはともかく、自分たちは舞台に立つ高校生として、絶対他校にひけを取らないって、もう無意識に信じこんでいただと思う。だってね、あの会場でソロの歌だよ。それも、伴奏やたらと音取りにくいんだ。出だしの音一発、間違いなく出してくれっ!って気をもんでたのは、結局僕だけだったみたい。

 やはり場数だね。高校生なんて特にそうなんじゃないだろうか。いろんな所に出て行けば喜ばれる、喜ばれれば自信がつく。自信が持てれば好きになる、好きになれば上手くなる、ってこういうことだと思う。でも、学校行事が忙しくてねえ、とかって言ってる顧問の先生には、こう言おう。高校生は、一度仕上げた芝居は、数ヶ月経っても、わずか二日で思い出せますよって。無理だと思うのは、大人が無理ってだけのこと。高校生の能力って本当に凄い!信じましょ、って言うより、やってみなよ!

 

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装置立込はスポーツだ!高校演劇東北大会報告第4弾

2007-12-26 21:14:04 | 演劇

 県大会の感想でも触れたことだけど、どうも、装置に力をいれていないところが多い。うーん!装置を馬鹿にしてるな!?あるいは、敬遠してるのか?

 たしかに、遠路はるばる大量のパネルを移動して、15分の制限時間で立つかどうか、心配して、挙げ句の果ては、舞台スタッフから怒られて、・・・・たしかに、避けたい気持ちはわかる。今回の置農演劇部、もう、めちゃめちゃ苦労したからね。装置の立て込み・ばらしの練習だって、何回やったことだろう。地区、県、東北と会場ごとにやったからね。

 お陰で、立て込み・ばらしを褒めてもらえるほどになった。だから、どうだって言うの?問題は芝居でしょ?そりゃそうなんだけど、・・・・・置農の場合、なんか、燃えるんだよね、立て込み・ばらしに。大変であればあるほど、絶対15分以内で立ててやる~!絶対5分以内ではけてやる~!ってね。特に、男は、僕も含めて馬鹿だから、こういった競争が大好きなんだ。もう、完全にスポーツと勘違いしてるもの。で、ついつい、舞台を走り回り、大声で声を掛け合って、スタッフにしこたまごしゃかれるってわけなんだ。名取の舞台スタッフは、殊の外安全管理意識が徹底していて、もう、19日の置農独自リハから本番のばらしまで、とことん怒鳴られまくった。

 でも、19日には20分近くかかった立込みが、本番では粛々とやって12分!!こうなると、俄然気持ちいいからね、舞台の方も絶好調だったってこと。ばらし・撤去も7分かかったものが5分弱!やったぜぃ!ってほんと阿呆だ。

 さて、何が言いたいかって言うと、かなりの装置だって制限時間の中で立てられるし、ばらせるから、弱気になるなよってことと、すっぴんの裸の舞台を高校生が仕切るのって大変だゾってことだ。青森中央みたいに、おっと、また青中だよ、よっぽど参ったってことだね、椅子しか出さなくても、多くの出演者と、素早い動きと、巧みな演出があれば、乗り切ることもできるけど、数人の出演者であの広い空間を凝縮させるの大変ことなんだよ。

 それと、上手に装置や道具を使うと、演出の幅もぐーんと広がるんだ。役者も演出も絶対楽になる。例えば、椅子一つでも、それに腰掛けたり、背に手をついたり、下を潜ったり?それを持ち上げたり、ぶん投げたりできるじゃないか。

 あと、装置の効用は、仕事が増えるってことだ。芝居作りには、舞台監督、照明、音響と最低でも3人、多ければ7~8人のスタッフがいるわけだろ。キャストが稽古してる時、その人たち何してるの?ぜったい暇してると思うんだ。だから、その人達の失業対策事業としても装置作りはきわめて有効なんだと思う。やっぱり人は、何かやってるから、一緒に創ってるっていう一体感が生まれるわけだから。で、その装置が褒められたりすれば、二重の喜びじゃないか。

 ね、演劇は総合芸術なんだからさ、もっともっと、いろんなものにこだわろうよ。いろんなもので楽しもうよ。置農の紗幕障子に観客が驚いてくれて、装置見事だって褒めてもらって、僕はもう、どうだ、ざまぁみろって胸張ってしまったものね。来年の群馬では、一昨年の東根工業の後継いで、舞台美術賞?も狙うぞ!

 うン?も、ってことは、芝居も狙うは、もちろん国立だぁぁぁぁぁぁ!そう、今日も川西町長の前で断言してしまったものね。

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低音の勧め!高校演劇東北大会報告第3弾

2007-12-24 20:29:02 | 演劇

 高校演劇東北大会の感想、第3弾だ。

 今回いろんな学校の発表見て、聞いて、つらかったのは、役者の、声が高いってことと、早口ってことと、しょっちゅう声が裏返ることだった。この女子高生のキーキー、きゃっきゃが苦手なんだよね。

 女性ボーカルだってそう、若手のアイドル歌手なんて、もうあの声の高さだけで、勘弁して!って思うもの。民放局のテレビキャスターも同じ、あのハイテンションのキンキン声、なんとかならんか?年取った証拠だよ、って笑われるだけのことかもしれないけど。

 でも、審査員の内山勉さんも、高い声は意味を伝えにくい、もっと言葉を伝える努力を、って言ってたし、藤田傳さんも、舞台のしゃべりと普段のおしっゃべとは違うんだ、ってきつーく、釘を刺してくれていたから、あの発声、やっぱりうまくないんだよ。

 実は、置農の演劇部員も菜の花座も、女たちは、放っておくと、どんどんトーンが高くなるんだ。そして、感情が高まると声が裏返る。先週の菜の花座公演『遭難、』(作:本谷有希子・演出:河原俊雄)の主役を演じたさおりなんて、もう、普段から裏声で話してるようなものだものね。何度、低い声でやれ!って言ったことか。だから、置農演劇部では、発声練習に低音の発声も取り入れている。女性の場合、低い声はあまり使わないから、日頃から鍛えてないと、舞台で通用する声は絶対に出ない。方法は、低い声であ~を言い続けるだけのことだけど。

 この訓練は、低音を自分のものにする、と言う以上に意味があると思うな。それは、自分のセリフ術を確実に広げることができるってことだ。つまり、引き出しが増えるってこと。低い声って、日頃の自分と違う自分を発見できるからね。それと、腹式呼吸を嫌でも意識できるってことも大きな長所だ。この辺は、もし、まだやっていない部があれば、ぜひ試してみてほしい。

 次に早口。早口すべてが悪いわけじゃない。そのいい例が、青森中央だ。あそこの部員達は時にかなり早くしゃべるけど、とてもくっきりと聞こえていた。まあ、滑舌ってことなんだけど、舞台の言葉は、藤田さんの言うとおり、日常のしゃべりとは違うってことなんだ。だって、普段の会話だったら、聞いてる相手に伝わればそれでいいわけだけど、うむ?今どきの若い奴らの会話って伝わらなくてもいい、みたいな所大いにあるけど。芝居では、相手に伝わり、なおかつ、観客に伝わらなくちゃならないから。

 そんなことわかってる、女子高生の日常会話の雰囲気を出したかったんだ、ってことかもしれない。もしそうだとしても、今回は、完全に失敗だったと思う。なんせ、このホール、やたらと残響が長い典型的な音楽ホールだったからね。ゆっくりとかっちりとしゃべった学校のセリフはきれいに客席に届いていた。12月初めに舞台は見学してるわけだから、そのくらいはきちんと調整してこなくちゃいけない。これは、場数踏んでる顧問の責任だと思うよ。

 ついでに、ミュージカルの置農としては最高のホールだった。これまで3つのホールで上演したけど、どこも、響きがデッドで、スピーカーからの伴奏と生歌がまるで解け合わないで苦労してたから、ここはほんと、最高の舞台だった。特に、一階の最上段なんか、もう、実にまろやかに解け合って、うっとりしてしまったね。

 ということで、発声について書いていたら、予定の字数を超えてしまった。も一つ書きたいことがあるけど、それは次回にしよう。なーんて、もったいつけたりしてね。

 

 

 

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いじめの舞台は成立するか?高校演劇東北大会報告第2弾

2007-12-24 12:32:03 | 演劇

 高校演劇東北大会に参加しての感想、第2弾だ。

 東北大会だからねえ、地区勝ち上がり、県を突破して集まってきた選りすぐりだからねえ、きっとすごい舞台の連続なんじゃないの?ってもう、おっかなびっくり参加したんだよ。全国最優秀を数年おきに出してる東北ブロックだもの、レベルは絶対高いよ、って正直思っていた。

 ところがね、二日間、12本の上演のうち、置農発表前の3本を除いた9本の舞台を見ての感想は、ええーっ、ちょっと拍子抜け!ってところだ。山形のレベルが高いんだね。今回も代表2校、置農と山形東どちらも優秀賞に入ったものね。多分、今回県大会で悔し涙を流した庄内農業や楯岡、山西なんかも、出場していれば、きっと上位入賞できたろうな。

 さて、内容についてだ。

 暗いよねー、暗い!いじめ問題、ぞろぞろだもの。それも、最後まで解決しない、ほのかな明かりさえも見えてこないって舞台が多かった。高校生のキンキン声の早口でこのつらいシーンを次々見せられるてのは、おじさんには正直、辛い!もちっと明るいテーマってないものなの?せめて、ラストシーンくらい希望をかいま見せてよ。

 審査員の藤田傳さんは、講評の中で、いじめと愛は表裏一体、いじめをなくせば愛が失われる、いじめを無くそうなんて芝居は成立しないんだと強調されていた。まあ、そこまで言い切っていいかどうかは疑問だけど、たしかに、最近の高校演劇にはいじめをテーマの芝居が多すぎるって感じる。まあ、高校生にとってそれだけいじめが切実だってことなんだろうけど、この風潮、いじめ→苦しい→表現→共感!って安易なもたれ合いになっていないだろうか。いじめを書けば、いじめを演じれば、わかってもらえる、感じてもらえる、共感してもらえる。これって、明らかに、見る側と演じる側のなれ合いだと思うんだ。

 せめて、手垢にまみれたいじめ問題を舞台に上げるなら、青森中央『河童』のような工夫がほしいもんだ。ある日突然河童に変身してしまった女子生徒が、友人や密かに思いを寄せる男子生徒の懸命な取りなしにもかかわらず、しだいに仲間から孤立して行く様を見事な緊張感で描ききった好舞台だった。でも、この作品、僕は、いじめ問題というよりは、差別問題の鋭く深い問題提起だと感じた。異質な存在(河童に変身した友人)が、体臭や身体表面の粘液などへの嫌悪感から、しだいに社会・仲間からはじき出されていく空恐ろしさを、ぞそくぞくとしながら見せてもらった。

 だから、劇の終盤で、いじめられっ子が、今度はあんたの番よ、って恐ろしげに断言した時には、うむっ!ちょっと違うぞ、って感じちまった。薄っぺらな、いじめ表現=共感のなあなあ構造に寄りかかっちゃったな、残念!ってね。

 これだけいじめの芝居が多いってことは、いじめが高校生の目下の緊急課題なんだってことなんだろう。たしかに、にわかに信じられないような陰湿で暴力的ないじめが報道をにぎわせている。でも、僕の20数年の教員経験からは、どうも、違った色合いで見えてくるんだよね。今回もある学校の芝居の中に、いじめられてる人がいじめと感じたらそれがいじめなんだってセリフがあったけど、このいじめの定義がどうも胡散臭くて仕方がないんだ、僕には。仲間同士の喧嘩で孤立したりして、これがシカトだ、いじめだ、学校やめる!って泣きわめく生徒たくさん見てきたからね。そんな子たち、1ヶ月もするとけろっと仲直りしたり、別のグループに入ったして元気にやってたりするのが大半なんだ。全部とは言わないけどね。

 むしろ、いじめばっかり見つめてる高校生(演劇部員)の視線に問題があるんじゃないのかな。視野が狭いってことなんだよ。視線の先が、家族、友人、知人から先に届かないってことなんだ。社会のあり方や人間の本質、さらには歴史、国家、見つめなくちゃならない課題は一杯ある。高校生の研ぎすまされた感性でさらけ出さなくちゃならない問題は山ほどある。

 そろそろ、身の丈主義とか、日常重視なんていう凝り固まり、から飛び出す時期なんじゃないだろうかね。

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